素敵に ドンパチ

 私の道楽は映画である。月に1~2本は見るが,こんなに安くつく道楽はない。なんたって、60歳になったらシニア料金となり、金1800円也のところが金1000円也で見られる。
 私は、こう云ちゃあなんだが、いつも若く見られる。それで60歳になった時、私はシニアと云ってもきっと信用してもらえないだろうと思い、健康保険証(私は運転免許証もケイタイも持っていない貴重な人種である)を持って、いそいそと映画館に行ったものである。そして
 「シニアで」と言ったところ
 「ハイ、お年寄りですね」といとも簡単にチケットをくれた。私が「シニア」と格好よく言ったのに、わざわざ日本語に訳して「お年寄り」と云わなくっても良かろうと思ったが、きっと800円も値引きをするんだから、イヤミな言い方をしたくなるのも無理からぬことであろう。
 しかし、年齢を証明するものを見せてくださいとも云わないのである。
 「若く見えるでしょうけど、ホント云うと60歳なんですよ」と喜色満面の笑みを漂わせて、いそいそと健康保険証を見せようと思っていたのに、ホント残念。
 その後も、何故か疑惑の眼差しで見られることもなく、シニアと云うだけでパスする。信じられないような話だが、どうも、私は見ただけでお年寄りと判断出来るらしい。
 「エッ、もう60歳? とってもそうは思えない!!!」と、初対面の方々が云ってくれたのはお世辞だったのである。以来、私は人間不信感に満ち満ちている。
 ところで、私は、映画好きといっても、むやみとクズみたいな映画を見る訳ではない。知性と教養にあふれている私は、私のおめがねに叶った映画しか見ない。
 それで、どんな種類の映画を見るかというと、私は、はるか宇宙の彼方のナンジャモンジャ星雲にチチンプイプイ星人がいると信じている。だから、何がなんでも見に行くのはまずSF映画。特に宇宙物がだい大好き!!! 
 空飛ぶ円盤などが襲来して、地球が滅びそうになるのを、生きている内に見ることが出来るなんて、こんな素敵な出来事が他にあるだろうか。
 次に好きなのはハッチャカメッチャカ、ドンドンパチパチと撃って撃って撃ちまくる大活劇映画である。それも、敵は幾万ありとても、我がヒーローには1発も当たらず、反対に我がヒーローが撃てば、百発百中、敵はバタバタ倒れるような映画でなくてはならぬ。そして、敵に弾が当たっても、血などガバァーと出さず、死の形相なども浮かべずに、さっさと死ぬのが望ましい。こういう映画なら、ストレス解消、さわやか気分で映画館を後にすることができる。
 大体、見るのは以上のような洋画だけだが、邦画は、3種類だけ見ることにしている。私は生まれながらのサユリストなので、吉永小百合さん(さん付けで呼ぶこの奥ゆかしさ!!!)の出演する映画。次にゴジラ。なんたって、あのゴジラって、本物そっくり。いくらアメリカがSFXを駆使しても、こうはいくまい。でも、昨年の「ゴジラ FINAL WARS」で、ゴジラ映画は50年の幕を閉じることとなった。残念至極である。
 しかし、ゴジラを見に行った時、エライ目にあったことがある。九州では大体ゴジラはアニメとの2本立てである。一昨年、ゴジラを見に行った時は「とっとこハム太郎」。あいにくこの時は、前後左右、小ちゃい子供たちばかり。それでハム太郎の歌が流れ出したとたん、いっせいにそれにあわせて歌いだした。そして歌い終わったとたん、隣の女の子が
「オジチャン、ドウシテ ハムタロウノウタ ウタワナイノ」と詰問する。いやはや、こんな小さい子から叱られたのは初めてである。私、ドッキリ
「ハム太郎の歌、知らない」と言ったら
「ドウシテ シラナイノ」と追求する。そのとき、横からお母さんの声あり
「シーッ、黙って見なさい」 助かった!!!
 しかし、いくら可愛い女の子から文句を言われても、ハム太郎系統のTVアニメは、孫を膝に乗せて見るのならともかく、一人でポカンと口を開けて見たりすると、うちのかみさんから
「ついに来たか」と思われそうなので止めることにしている。 
 でも、アニメは好きである。特にガンダムのようなSFアニメ。でも、最近はSFアニメは製作されることが少なくなったので、仕方なく宮崎アニメなどを見ている。
 反対に苦手なのは、恋愛映画。私は生まれがら「ホレっぽくてフラれっぽくってワスれっぽく」出来ているので、ああでもないけどこうでもないとウダウダするのは性に合わない。まして、他人のホレたのハレたのを見たって、ちっとも面白くもなんともない。
 次にホラー映画も見ない。ホラーと語尾を延ばして発音するのは間違いである。あれは「ホラー」でなく「ホラ」映画である。おまけに血などガバガバ出るから見ないことにしている。
 それに、シリアスな映画も苦手である。深刻なものはむろん、しみじみ人生を感じさせるというような映画も見ない。ミステリイ作家スー・グラフトンが「証拠のE」で
「元気だなんて、あなた、私たちは苦痛に満ちた世界に生きているのよ」と、書いたとおり、シリアスな世界に生きているのに、わざわざ、映画で再確認することもないのであろう。
 このように、「知性と教養」にあふれた私は、壊れやすい繊細な人生を生きているのだから、せめて現実離れした世界に浸りたくて映画を見ている訳で ‥‥ エッ、何? もっともらしいことを言っているけど、それって単に「痴性と狂養」の間違いじゃないかって?
 フン、そうじゃないんだって!!!

はらはらと はらはらと

 桜満開。春爛漫。華やかにときめいてお花見の季節。と、言っても
「エ? 何の花を見るの?」なんてトンマなことを聞く日本人はいない。
 花の名前は数々あれど、「花見」というと梅や桃ではなく桜のことだし、「花より団子」の『花』も桜であるのは言うまでもない。
 このように、日本人にとって『花』といえば桜を連想することが多い。
 美人を表す言葉に、昔風にいえば「彼女には花がある」という言い方がある。これは、今風にいうと「彼女はオーラがある」ということになるが、この場合、イメージしている『花』はバラやチューリップではなく桜である。
  また、林芙美子が

花の命は短くて苦しきことのみ多かりき

といった『花』も桜である。
 このように、花といえば桜という意識は、日本人のすぐれた感性のひとつであり、外国人には理解できないことであろう。外国人にはFlower=FlowerであってFlower=Cherry Blossomには決してならないはずである。 
 それにパッと咲いてパッと散るという、潔いよい咲き方が潔いよい生き方を好む日本人の感覚にあっているのであろう。
 今年の桜は、開花が遅く桜前線が駆け抜けていったが、私は豪華絢爛に咲き誇る桜より、ハラハラと散る花吹雪の方が好きである。
 1190年没した西行法師は、桜はその散る姿が一番美しいと

春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなり

という歌を作ったが、桜散る樹の下での花見もいいものである。
 しかし、『花』がある彼女と肩寄せあって、桜散る樹の下で酔っ払い「あなたの花を散らしてみたい」なんてことは、いくら心で思っていても口に出してはいけない。
 ここは、やはり酒など飲まず、みたらし団子など食べながら「花散る姿は妖しく美しく、まるで君のようだ」などとキザっぽく言はなければならないであろう。
 また、西行法師は

願わくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃

とも歌っているが、こんな人生の閉じ方が出来たらいいなと思う。
 そうすれば、はらはらと桜散る樹の下で、ひっそりと『花』ある女性(個人情報保護条例に基づき氏名は未公開とする)が、はらはらと涙を流すに違いないのである。ウーン、これって最高!!!

驚天動地にして泰然自若

 世に怖いものは「地震・雷・火事・ナントカ‥‥ナントカは賞味期限切れになっているので割愛‥‥」だそうである。
 東京に転勤して、仕事中に震度3の地震に初めて遭遇した時のことである。私はビックリ仰天。机にしがみ付いたところ、周りの東京人は平気でソシラヌ顔をして仕事をしているではないか。
 なにしろ私の住んでいた北九州では、身体に感じるほどの地震はあまりない。なんとまあ、東京人は肝っ玉が太いと感心したものだったが、よく聞くと、この位の地震なんてしょ中だという。どうも、東京人は、震度3位の地震には不感症になっているらしい。
 以来、ジタバタしたいけれど、ヅブトイ九州人が、センサイ東京人に負けては恥なので、私も地震不感症になることにした。かくして、A型にして体制順応型の私は、たちまちにして震度3位の地震にはびくともしないようになったのである。
 それに大地震とか雷や火事なんぞは、私の周りでは起きないと信じているので、私にとって恐ろしいものは「地震雷火事なんとか」ではなくって「花粉かみさんハゲなんとか」になっていたのである。
 ところがでる。3月21日11時前、こたつに入ってノホホンとTVを見ていたら「ドン」と地響きがして、家がゆれだした。
「アレッ、地震?」と、地震不感症の私は平気の平左、余裕しゃくしゃく。ところが1度揺れたら収まるはずの地震が止まらずに、次第に大きくなってきて
「ワーッツ、地震!!!」とあたふた。立ち上がろうとしたら、酔ってもいないのにフラフラする。
「ア、ア、ア、アッ‥‥地震ダア!!!!」と絶句。2階建ての我が家はギシギシ音を立て、一瞬、ブッ壊れるのではないかと気がする。
 ホント、「地震雷火事‥‥なんて、ちっとも怖くなんかないよ」などと、オオソレタことは口が裂けても言ってはならない。どうもバチがあたったような気がする。
 かくの如く、私は驚天動地したものの、我が家は泰然自若。物が落ちてくることもなく治まってしまった。どうも主人公が頼りないので、家がその分踏ん張ってくれたらしい。
 しかし、地震が治まって、すぐNHKにチャンネルを変えたら、もう画面が切り替わってアナウンサーが「今、地震が発生しました。津波に用心してください」と言っている。
 私が「ア、ア、ア、アッ‥‥地震ダア!!!!」と叫んでいる間に、NHKは
「スーパーを流す準備をして局内と街頭のTVが収録したテープを取り出し北部九州の地図に各地の震度と津波の予想地帯を入力しアンウンサーをカメラの前に立たせてハイスタート」とやっていたのである。
 こんな時だから、アナウンサーもネクタイの結び目もほどけ、髪など振り乱だし息をきらしてアナウンスしているのかと思ったら、さすがに天下のNHKである。一向に動じた風ではない。
 ホント感心した。地震が起こらないと思われていた地方のTV局が、一瞬にしてリハーサルなしで、ブッツケ本番をこれだけ瞬時にしてやれるなんて、凄いことである。
 これからは『皆さまの(お金をポケットに入れる)NHK』となどと言ってはならない。
『皆様のNHK』と括弧抜きで言わないといけないであろう。
 本物の地震に遭遇して、初めてTVやラジオの威力を知った次第であるが、おかげで、多くの友人知人からお見舞いの電話やメール、お手紙を頂いた。
 私の家の被害が0だったので、ノホホンとしていたら、皆さんの方から心配していただいたようである。
 とってもうれしくありがたく、改めてお礼を申し上げる次第です。もう一度、どうもありがとう。

そこで 再び コマーシャル 

 今年の3月は、我が生涯最悪の月。なんたって、気象庁が1985年観測を始めて以来、最大の花粉だそうである。
 私は、自慢じゃないが、20数年前気象庁が観測を始める前から、花粉症にかかっている。いつも時代の後端を走っている私なのに、なんと時代の先端を切って花粉症にかかってしまた。
 その花粉症のベテランを任じている私であるが、20数年にわたる花粉症との健気な闘いのなかで、今年は最悪。特に目と鼻に攻撃をかけられ、
「目ン玉をほじくり返したいほどに痒く」
「水道の栓が壊れたように鼻水たれ流れ」という有様である。
ホント、空前絶後に阿鼻叫喚。完全にお手上げである。
 1C㎡に花粉が50個以上ある時に「花粉が非常に多い」と気象庁は表現しているが、まことに手ぬるい。そんなオ上品な言い方だと,非花粉症人からは「ア、ソー」とか「フーン」とか位の反応ですまされてしまう。
 言いたくないが「1C㎡に50個」である。私から言わせれば
「花粉が非常に多い」ではなくて
「花粉がギュウギュウと積み重なって降っている」位の表現をしてもらわなければ、立つ瀬がない。「豪雪」という表現があるように、これは「豪粉」である。
 ああ、それなのにである。この恐怖の季節の真っ只中である3月13日に、私が所属する合唱団「北九州を歌う会」の演奏会が厚生年金ホールであった。合唱組曲『北九州』の演奏会である。
 毎年、病院から貰っている花粉症の薬は、飲み薬1種類に目と鼻と喉の薬はそれぞれ2種類。そこで、この目鼻喉の3種の神器を駆使して演奏会に望んだら、当日は雪模様。豪粉は雪とともに去ってしまった。
 これも、やっぱり日頃の私の行いが良かったせいであろう。と言ったら、うちのかみさんいわく
「それって自己チュウ。あなたの日頃の行いが悪いから雪になって、お客さん大迷惑。」
 フーン、ヘンな考え方。とかく、うちのかみさんはヘ理屈っぽくていけない。
 かくして、私もなんとか歌い終え、合唱組曲「北九州」の演奏会は無事終了。皆さんのご協力のお陰で 満員!!! 感動の嵐‥‥と、拍手の大きさから勝手に解釈する。
 私は、当然ながら目をウルウルさせて、‥‥念のため断っておくが、これは感動のためのウルウルであって、花粉症のウルウルではない。‥‥すこぶる付きでイイ気分になってしまった。
 なんという『快感!!!』 歌うことで、こんな痴的快感‥‥ン? 訂正、知的快感を感じることが出来るなんて最高である。
 それに
「ソーちゃん、歌いだしの時、口の開け方がワンテンポ遅れていたぞ」とか
「歌ってない時に下を向いたらダメよ。ソー八さんのうっすらハゲ模様が丸見え」なんてことは、皆さん紳士淑女の方ばかりだから、いくら心で思っていても口に出しては言わない。友は持つべきものである。だから、しっつこいようだが、すこぶる付きでイイ気分である。
 私くらいの年になると、切なくて涙することはあっても、心さび付いて感動のあまり涙ぐむなんてことはまずない。そんな私でさえも、心あふれ揺さぶられる。
 だけど、これって合唱団で歌ってこそ、初めて得られる快感!!!
 そこでコマーシャル。
『歌ってストレス解消。肺活量が増えて声が良くなるうえに顔つきも生き生きしてきて姿勢も良くなり歌詞を覚えてアホ化症候群も防げ素敵な仲間も増えカラオケではなくてフルオーケストラの演奏でステージに立てる合唱団に入会しましょう。ホント、イイことばかりなんだから‥‥。』
 アー ‥‥ 疲れた。売込みってタイヘン!!!

 「北九州を歌う会」合唱団員募集

 1. 練習日——–毎週月曜日 18時30分~21時
 2. 場所———-北九州市小倉北区大手町ムーブ
 3. 会費———-前期・後期各3000円
 4. 合唱指導——中山 敦(梅光女学院大学教授)
 5. ピアノ 伴奏—-松本 郁子

※ お問い合わせは事務局三宅まで(℡093-581-3295)

そこで コマーシャル

 1998年、定年を迎え花の東京での13年間にわたる独身生活‥‥ン? 訂正、単身生活にピリオドを打ち
「亭主元気で留守がいい」をモットーとするかみさんのいる北九州市に戻ってきた。
 すると「うちの合唱団、シロウトでもいいの。女性ばっかりで男性チラホラ。入会してよ」と知り合いの女性から誘われたのである。
 私は合唱経験0だけど、女性への抵抗力も0。それで「ウン、入る、入る」と答えてしまった。
 無論、こりゃモテルかもと下心付で参加したのは言うまでもない。ところが、女性は多かったのだけれど‥‥エーット、前美人に元美人に旧美人がいっぱい。でも、こちとら、髪の毛うっすらハゲ模様だから、贅沢は言えぬ。
 とこらが、練習するのを聞いてビックリ!!! 私は筋金入りの「ド・シロウト」。メンバーは、素敵に「ジ・クロウト」。話が違うと言ったら
「大丈夫。みんな初めはシロウト」
 どうも、みんなシロウトからクロウトに華麗なる変身を遂げたらしいが、私はシロウトのなれの果てで終わり「永遠の新人」と謳われるかもしれぬ。
 この合唱団の名前は「北九州を歌う会」。今は亡き團伊玖摩先生が、北九州市政15周年を記念して合唱組曲「北九州」を作曲。この曲を歌うために、1992年に結成された150人からなる合唱団である。
 毎年3月に九州交響楽団の演奏でこの組曲「北九州」の定期演奏会が開かれるが、最初に出たステージでは、うまく歌えたはずもないのに、何故か、老朽化したよれよれのハートが、鮮やかに甦り涙してしまった。
 この合唱組曲は,児童合唱や小倉祇園太鼓なども組み込んだオーケストラのための組曲で、北九州という街が持つさまざまな顔を、あるときはやさしくしっとりと、ある時は楽しく勇壮にイメージ豊かに表現し、最後に
「北九州 北九州 ふるさとやよし」と歌って終わる。演奏時間約40分。 
 私は、父が転勤族であったため、高校卒業までに17回も引越しを繰り返し、自慢じゃないが故郷と言えるものがない。ところが、この曲をステージで歌った途端、
「ああ、北九州がふるさとなんだ」と、たちまちにしてふるさとが誕生してしまった。
 ホント、この曲は摩訶不思議な魔力を持っていて、この最後のフレーズの「ふるさとやよし」と歌うと、賞味期限の切れた私の心でも、胸キュンとなるのである。
 てなことを、いくら力説しても「フーン」とか「ア、ソー」とか疑惑の眼差しである。そうなりゃ、これは聴いてみなければこの曲の凄さは分からない。
 そこで コマーシャル。
『すこぶる付の素敵なひとと、アアしてコウしてアアなって、まずはめでたしめでたしとなる以上の豪華絢爛な幸せを感じるうえに、演奏会が終わった後、隣のシートに座ったすこぶる付の素敵なひとと、アアしてコウしてアアなって、まずはめでたしめでたしとなるかもしれないコンサートにどうぞ』
 アー‥‥疲れた。売込みってタイヘン!!!

 合唱組曲「北九州」演奏会

 日   時  3月13日(日)15時開演
 会   場  九州厚生年金会館(北九州市小倉北区)
 入 場 料  2000円
 演   奏  九州交響楽団 ・ 指揮 増井信貴
 合   唱  北九州を歌う会 ・ 北九州市内少年少女合唱団
 祇園太鼓  小倉祇園太鼓保存振興会

 チケットの申し込みは、私のメールアドレスまでどうぞ。
 なお、インターネットで「合唱組曲北九州」と検索してもらえば、演奏会の詳しい情報がみられます。