ああ 青春!!!

 2月11・12日の連休に、1957年高校卒業の仲間39名と四国に行った。「第14回青春旅行」である。私、66才。エッ? 老春旅行の間違いではないのかって? とんでもない。青春旅行である。
 サムエル・ウルマンが『青春の詩』で
『青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ』と詠っているように、我々は66歳といえども、心は青春しているのである。
 参加者は女性21名、男性18名。「京都高校・いつまでも青春旅行」とレイレイしく書いたデカイ幟を先頭にデカイ顔をして歩く。すれ違う人たちは、「青春旅行」という幟と意気揚々として歩いている顔とのギャップに驚き
「ギクッ」とした顔をして、次に「フフン」とニヤニヤする。そして、九州弁で話しているのを聞いて「ン? 京都弁でない?」という顔をする。
 そう、私たちの母校「京都高校」は、福岡県行橋市にある1926年創立の由緒ある県立高校である。だけど読み方は「みやこ高校」。だから、レッキとした九州弁でしゃべる。
 毎年1回同級生ばかりで、1泊旅行に行く。修学旅行で行ったコースを辿って行ったこともあるが、どこに行くかが問題ではない。年に1回、2日間もどっぷりと高校気分に戻れることが嬉しくて参加する。
 私は、送られてくる参加メンバーを見て、今年は何度目の初恋の君に会えるかと胸をときめかす。ここだけの内緒の話だが、私は高校時代、7回も初恋をしている。初恋は一度きりというのが定説であるが、私に限っては違う。私は、ホレっぽくってフラれっぽいうえに、忘れっぽいときている。だから、フラれた途端にきれいに忘れてしまい、イソイソと美人とみれば、見境もなく初恋気分で恋をする。
 それに、わが母校は元女学校である。女性が多いから、そりゃ、モテただろうと思われるかもしれないが、それは美しき誤解である。わが母校は、当時別名「養子学校」。男など振り向きもせずに、女性が肩で風を切って歩く。だが、美人には事欠かない。何度でも初恋が出来る。
 そういう訳で、いそいそと「初恋気分よもう一度」と、バス貸切で北九州市を出発。山陽自動車道で尾道からしまなみ海道を経て松山へ。翌日は内子を散策して八幡浜からフェリーで別府に渡り帰ってきた。
 宴会では、恒例の我が青春座による余興がある。今回の出し物は松山にちなんで「坊っちゃん」。アンコールに「マツケンサンバⅡ」。なにしろ元女学校である。すべて女性が企画・演出・衣装・出演を仕切る。
 なんたってハッチャカメッチャカのメーキャップと衣装に、はしゃぎまわっての迷演技。我々男性は、アッケにとられ笑い転げるばかりである。ホント、女性って凄い!!! 66歳にして、このヴァイタリティと実行力。女性が長生きするは当然であろう。
 帰りのバスの中で、女性軍一同から、男性一人一人にバレンタインチョコレートが配られた。しかも、それぞれ異なった殺し文句が書かれたバレンタインカード付である。無作為に配られてはいるものの、私が貰ったチョコレートには、なんと
「青春旅行 あなたに会える嬉しさで 心にひとつバラが咲く」
 私、66歳にして天にも昇る気持ちである。
 今年、3度目の初恋の君と会って親しく愛を交わし‥‥なんてことにはならなかったけれど、このバレンタインカードは、彼女からもらったことにしよう。
 かくして、14回目の青春旅行はハッピイにTHE END。ホント、これだから青春はやめられない。
 でも、森田公一が『青春時代』で歌ったように、今、青春している人にとっては、
『青春時代のまん中は 胸にとげさすことばかり』かもしれないけれど、
『青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの』なのでしょうから、何とか青春時代、乗り切ってくださいね。

得たものと、失ってしまったものと‥‥

 土星探査機カッシーニから切り離された小型観測機ホイヘンスが、土星の衛星タイタンに着陸した。地球からの距離12億8000万Km。と言ってもピンと来ないが、地球と月の距離の3400倍というから、途方もなくスゲー~~~~~距離であることに間違いない。
 お祭りの射的場の的でさえ当てたことのない私にとって、途方もなくスゲー~~~~~距離にある土星に探査機を着陸させるなんて、とても信じられない。
 どうも、NASAが秘密のUSOスタジオ‥‥USAスタジオの間違いではない。あくまでもUSOスタジオが正しい。‥‥に、タイタンっぽい模型を作り、それっぽい写真を発表しているのではないかと思って、うちのかみさんに言ったら、
「今は、内部告発花盛りの時代だから、そんのことしたら、すぐバレちゃうよ」
 ウーン、そうなると、どうも本当みたいである。
 それで、世間では「ヤッター!!! 地球人はなんと賢いんだろう。」と喜んでいるらしいが、SF大好き人間の私は、ガッカリである。 
 と、言うのは、1969年に地球人が月に降り立った時、きっとチチンプイプイ星人のタチションベンの跡が発見されるだろうと思っていたのである。もし、アポロ11号のアームストロング船長があと100mばかりあっちの方角に歩いていたら、
「これは一人の人間には小さな第一歩だが、人類にとって大きな飛躍だ」と宣誓する代わりに、
「これは一人の宇宙人には小さなタチションベンの跡だが、人類にとって大きな遺産だ」と迷台詞‥‥ン? 訂正、名台詞をはいたに違いないのでる。ホント、残念!!!
 それに、火星に1975年バイキング探査機が着陸したときも、私は初恋の人に再会するような胸のときめきを覚えたものである。
 私の名前がソー八であるから、ソー八の八にちなんで、火星人も八本足で一見タコの八チャン風でなければならぬ。その一見タコの八チャン風火星人が、花束‥‥エート 間違い、石束など持っていそいそと歓迎に現れるはずだったのである。
 それが、到着したのは、なんと無人の探索機。一見タコの八チャン風火星人はガッカリして
「誰も乗っていないなんてバッカみたい。地球人はなんと賢くないんだろう」と言ってスゴスゴ帰ったにちがいない。 
 そんな訳で、依然として探索機が映し出すのはミもフタもない景色ばかりで、憧れの宇宙人は一向に出てこない。探索機がたどり着くのはめでたいことであるが、その度に私の夢は失われていく。
 科学が発達すれば、今まで出来なかったことも可能になり、それにつれ人は豊かになってきたけれど、その代わり、何かが失われていくようである。
 それが、私のささやかな夢ぐらいであればいいのだけれど、自然や人の心も失われていくようで‥‥。

遥かなる 紅白歌合戦

 12月31日はNHK紅白歌合戦。
 私は、昔むかしから、あきもせずにやっているこの年末恒例行事を毎年かかさず見ることにしている。何故見るかと言うと、若いころ私ミーハー。昔むかし、ミーハーは紅白を見るようになっていたのである。それで、この「ミーハーのなれの果て」である私は、慣例によって紅白を見る。
 だけど「紅白好き!!!」などと言うと、よくよく見ればインテリ風の人から軽蔑の眼差しで、若い人からはアホかという眼差しで見られるが、それでもメゲずに見る、
 今年の出場者は56組。出場する歌手の名前は知っているが、聴くのは初めてという歌もある。往年のミーハーも落ちぶれたものである。
 今年、胸キュン派の代表は我が愛するさだまさしの「遥かなるクリスマス」。このメッセージソングを、紅白というお祭りの舞台で、眼に涙して歌ったさだまさしもエライが,歌わせたNHKもさすがである。ドンチャン騒ぎをやっていても、「NHKにもまだ良識があるんだぞ」と言いたかったに違いない。
 これに対するハレバレ派の代表は松平健の豪華絢爛「マツケンサンバⅡ」。この歌は初めて聴いたが、驚いたと言うよりアッケに取られた。アラエッサーサー的歌を「寄らば切るぞ」と貫禄十分の時代劇役者が、キンキラキンの着物を着て歌う。このアンバランスの妙、ウケルはずである。
 これを聴いていると、セージが悪いとか、ケーキが悪いとかどうでもいいような気がしてくる。ありゃ、松平健より小泉ソーリが歌った方が似合うのかもしれない。
 歌のうまいのは、森山良子、和田アキ子、布施明。
 和田アキ子は今年バラードを歌ったが、ブルースを歌わせたらピカ一だと思う。彼女が聞いたら怒り狂うかもしれないが、早く年をとってオバチャンになって欲しい。オバチャンになってから歌う彼女のブルースは、サラ・ボーンに匹敵するにちがいない。
 歌手として好きなのはドリカムの吉田美和と平井堅。歌も好きだが、ひたむきで懸命な歌い方に心うたれる。
 好きな曲は平原織香の「Jupiter」、倉木麻衣の「明日へ架ける橋」、Gacktの「君に逢いたくて」、河口恭吾の「桜」。アップテンポの曲は息がきれそう。やっぱり、年相応にバラードが好き。
 無論、モーニング娘も好き。エ? 何? 歌を聴くのではなくって、チラチラムチムチプリンプリンを見るのが好きだろうって‥‥ウーン、まあテンポが早くって歌詞がよく聞き取れないでしょ、だから仕方なしに、チラチラムチムチプリンプリンを、身を乗り出して‥‥エート、身を乗り出して見ることなどせずに‥‥、ホント 仕方なしに見ているだけだって!!!
 だから「遥かなるクリスマス」と同じように、紅白が「遥かなる紅白」となっても、やっぱり好きデス。

ポッケトいっぱいの夢と‥‥

 お正月。1月1日という日は、12月31日の次の日で1月2日の前の日。屁理屈的に云うと前日や翌日とちっとも変わらないはずだけど、目覚めると、なにやら清々しく感じられて、まずは

明けましておめでとうございます

 そして、新聞を広げてまず見るところは「ジャンボ宝くじ」の当選番号。
 私などは、金3000円也を払って宝くじを買うと、途端に3億円当った気になる。女房には内緒だが、私だけ一人で、まず豪華客船に乗って世界一周の旅に出かける。
 そして行く先々の国の美人にモテてモテてモテまくり ‥‥ ン? 何? お前がモテる訳ないだろうって? とんでもない。顔が悪くても金さえあればモテる。これって、万国共通の法則。
 そこで、その美人達とラブラブ気分になり、当然のことながら、ああしてこうしてああなって、まずはめでたし目出度しと、桃色気分で帰国する。
 帰国したら、残ったお金を貯金するなんてケチなことはやらない。日本国の景気回復のために、金3000円也を残して次の宝くじの発売日まで、手当たり次第に買って買って買いまくり3億円を使い切る。
 私は、かかる高尚な行為を毎年エンドレスに繰り返しているので、ホント、3億円当たっても、やることがなくて途方にくれるのでないかと心配である。
 宝くじを買うということは、夢を買うということである。実現出来そうもないから夢というのであって、実現の可能性があるものは夢ではない。目標である。
 だから、宝くじは夢だから当選しなくても、
「ヤッパ、ハズレ。今度こそ絶対当選しよう!!!」と、夢には終わりがないから、次に託してアッケラカンと終わる。
 でも、これが宝くじで当選するのが目標となると大変である。目標となれば、まなじりを決してでも達成しなければならぬ。だから当選しなかったら、お正月というのにヤケ酒を飲み、挫折感やら絶望感など織り込んで、大いに落ち込まなければならない。
 ウーン 宝くじが夢で良かった!!!
 でも、夢を持つのは大切なことではあるが、夢だけでは人は生きていけない。反対に、夢も持たず目標に追われるばかりの人生も切なくやるせない。、
 だから、せめてポケットいっぱいに夢を、そして、両手いっぱいに目標を持って‥‥ エ? 夢はいっぱい持てるけど、目標はいっぱい持てないだって‥‥ウーン そうか。それでは、持てるだけでいいから持って、今年も元気にやっていきましょう。