夢物語

第1回目の「衆院政治倫理審議会」に出席した大物議員さんたちは異口同音に「会計が記帳していないなんて知らなかったと」とのこと。
かくして「みんな会計が悪いのよ」てなことになって、会計さん、可哀そうに起訴されてしまった。

会計さんは「現金で渡すから記帳しなくてもよい」と云われて貰ったものの、
几帳面で真面目な人なら「それって裏金になるから法律違反。ちゃんと記帳して口座に入金しよう」と思ったはずである。

でも、そうしたら支払った方の派閥の帳簿にも出金として記帳してもらわなければ整合性が取れないし、自分の事務所だけパーティ券を入金した記載があるのに、他の議員の事務所にはパーティ券の入金がないなんて、税務当局から疑いを持たれるかもしれぬ。

かくして、会計さんは、いくら几帳面でも真面目な人であっても「記帳したくても出来なかった」のである。問題は、インチキを指示した人であろう。
「裏金」とは「表に出さないで支払う金銭」のことだから、支払った方も受け取った方も、それを云わない限りバレることはないという仕掛けになっている。
だから、ウン十年もバレていない「裏金」なので「マ、いいか」と思ったのも当然である。

待ちに待ったパーティ券の売り上げが現金で返ったきたのだから、会計さんはニコニコ喜んで議員さんに報告。
ウン千万円もあったので金庫で保管するか、数十万円だったのでお小遣い的雰囲気で「ポイ」と渡すか、当然ながら議員さんに聞いたはずである。

この時、議員さんは「自由に使って下さい」と云われて、現ナマを見せられたら「生き馬の目を抜く」政界にいる議員さんなら、即「裏金」と分かったはずである。「裏金」なら記帳できる訳がないのである。それを、
「会計が記帳しているとばかり思っていた」だなんて、こちとら口をアングリ・・・。

社長が会社の「決算書」を必ず見るように、事務所の社長に相当する議員さんも「政治資金収支報告書」を必ず見ているはずである。ウン十年も見ていないなんて信じられぬ。
「政治資金収支報告書」収入欄に「派閥からのパーテイ券収入」が計上していなければ、
議員さんが「表金」と思っていたとしたら「ン? おかしい。記帳漏れ」と会計を問い詰めるはずなのに、なんと無言。
だって、これって「裏金」だから記帳していないのは当たり前と考えた証拠であろう。

「嘘も方便」という言い方もあるが、国民を代表する議員さんを代表するオエライさんが、バレバレの嘘をついては品格に欠ける話である。恥ずかしいと思わなないの?

ここで、名誉挽回。
安倍派の5人衆のオエライさんの中の一人が、エイヤとばかり腹を決め、
「キックバックを再開すると決めたのは私である。皆さんが自由になるお金が欲しいとの切なる要望がきているので現金で渡すことにする。だから記帳しなくてもよい」と伝えたと告白する。
そして「すべての責任は私にある。会計は私の指示に従っただけだから責任はない」と表明していさぎよく議員を辞職。

エ、まさか?・・・。ウーン、なーがく政権に居座っているものだから、議員さん達も劣化してしまい、大物議員も責任感ゼロの小物議員化して、ハラをくくるなんて度量の大きい政治家っていなくなっているんですね。だから、これって夢物語。

これって邪推?

自民党が政治資金収支報告書に記載していなかった議員85人に対して聞き取り調査した結果を公表した。

キックバックを受けた議員は53人、ノルマ以上の売り上げを派閥に入金せずにネコババしてポケットに入れた議員は16人、キックバックも受けネコババもしていた議員は16人。5年間で総額5億9千万円也。

5億9千万円を何に使ったかというと「会合費」や「車両購入費」に「手土産代」など、全て「政治活動費」で、
「違法な使途に使用した」のは、コッレッポチもないそうである。

フーン、これって「裏金」でしょ。思いがけなく入ったお金だから、
「たまには銀座で豪遊しよう」とか、
「苦労をかけている秘書に馳走してやろう」とか、
「いつもほったらかしている家族と一緒に旅行しよう」とか、
「背広でも新調しよう」とか、使い放題・・・。
嬉しさいっぱい。ウフフフ!!! の人が一人もいないなんて信じられる?

そして「裏金」を貰ったが使用していなかったという議員が31人。

でも、それって使い道を大ぴらに出来ないものだから、
使っていないことにして、現金をかき集めて金庫に入れて、
「ヤレヤレ、これにて安心。つべこべ言われる筋合いはない」と、「一見正直風」を装った議員さんもいるに違いない。

エ? 何?「そう八さん、アレコレ邪推するにもほどがある」って・・・。
「だって、我がニッポン国を代表する清廉潔白にして尊敬に値する議員さんたちが、そんなウソッパチなことをする訳がないでしょ。そう八さん、それって下衆の勘繰り、考えすぎ。分かった?」

ウーン、そうなの? これって邪推? そうなの?

「衆議院政治倫理審査会」を公開するか非公開にするかで国会がジタバタ&ドタバタ!!!

多くのオエライ議員さんたちの中でも、その大物中の5人の大物議員衆が公開に反対していたが「検討します」が得意技の岸田総理が、なんと
「公開のうえ出席する」と表明。かくして「君子」でもある5人の大物議員も「君子豹変する」の例え通り、突如
「志ある議員」に急変、出席することになった。

恥をさらすようなことをしていなければ、正々堂々と「公開の席に出席する」と云えば良かったのである。
「公開はイヤ」なのは恥をさらすようなことをしたからと勘繰られたうえに、出席せざるを得なくなるなんて、恥の上塗りみたいなものである。

昨日行われた「衆議院政治倫理審査会」には、岸田首相と武田総務相が出席。「これにて真相解明」との国民の期待を集めてテレビで放映された。
でも、「ドキッ」とするような質問があった訳でもなく、「ドキッ」とするような事実が明らかにされた訳でもなく平和裏に無事終了。ヤレヤレ。
ハイ、「めでたし目出度しウフフフ」・・・なの?

今日は3月1日。とってもエラくってエラすぎる5人衆が出席。乞う、ご期待・・・なの?

 

 

 

 

 

 

一党独裁国って?

「驚き桃の木山椒の木」・・・てなことを云っても、若い方は「?」
私のような年代の人が「すっごくとんでもなくびっくりした」時に使う言葉である。

何が「驚き桃の木山椒の木」だったかと云うと
「5年間で合わせて5億7千万円余りのパーテイー収入を85人の議員さんたちが政治資金収支報告書に記載していなかった」

いくら「記載しなくてもいい」と云われたからといって、唯々諾々とポケットに入れていたなんて・・・それが違法であると承知のうえで、違法行為をしていた議員さんが85人もいたなんて・・・開いた口がふさがらない。

かくも劣化した議員さんたちを抱える自民党に見切りをつけてと云いたいところだが、肝心の野党も「五十歩百歩」

日本維新の会 は「野党第一党」を目指すと云っているが、「野党第一党」となっても「自らの政策」は、政権党にならない限り実現できないから「絵に書いた餅」であり「犬の遠吠え」しかなるまい。
どうも「わが党をいかに大きくするか」にとらわれて、わがニッポン国のことまで頭が回らないらしい。

国民民主党は「是々非々」をモットーに「一致する政策があれば賛成する」と云っているが「あわよくば大臣のポストを一つ」という魂胆がチラチラ見えて与党の身内みたいな野党となっている。どうも「政権が取れないから、おこぼれでも・・・」とみっともない話である。

いくら「自民党に愛想が尽きた」と思っていても、野党はダメという空気が蔓延しているので、いざ選挙となると野党に投票する訳にいかず、投票率が下がったままで自民党が圧勝するというパターンが出来あがっている。

中国の古典「荘子」に「小異を残して大同につく」という言葉がある。部分的な違いは無視して、根本的に重要な点での一致をとるという意味である。

民主主義が発達した現代では、多くの政党が多くの意見が出てきて当然であろう。
ヨーロッパでは、多くの政党が連立政権を組んでいる国が多いが、わがニッポン国でも、「非自民」を柱に1993年8月発足した細川内閣は、7つの政党と1会派が連合・連立した政権だったのである。

どう転んでも、野党一党では政権が取れないが、敵失のいま、大同団結すれば政権が取れるやもしれぬ。
「非自民」の旗印の下で、野党各党が一致する政策もあるはずだから「大同」につき、政権が取れたら「小異」については、多数の意見に従うという前提のもと、切磋琢磨して喧々諤々話し合いをすればよいのである。

一党独裁のロシアや中国、北朝鮮などトンデモハップン国もあるが、実を云うとわがニッポン国も権威主義国ではないが、1956年の石橋内閣発足以後、数年間は野党となっていた期間があるものの、ズズズーイと自民党の「一党独裁国」・・・そう、野党は「あってなきが如く存在」なので、実質的に一党独裁になっているのである。

一党独裁のおごりが、85人の恥を知らない議員さんを生み出したのであろう。
野党各党の皆さん、「我が党は・・・」は止めて「わがニッポン国は」と思考をめぐらしてもらいたいものである。

 

 

めでたく一件落着?

ホント、アッタマにきた。
安倍派のオエライさん5人衆、口をそろえて「パーテイ券の売り上げをウラで返すと決めたのは派閥のボスの安倍会長」とのお言葉である。
そして5人衆の皆さん、シレーとして「私は知らなかった」と断言。

だけど、こんなに大事なことを安倍会長がオエライさんに黙って決めるなんてありえる?
オエライさんは「それはヤバイ」なんて忠告せず、
「ウン、そうなれば自分のフトコロにウン千万円はいる」と思い、ニコニコ顔で「ハイハイ」と答えたに違いない。

アァ、それなのに崇拝べき前安倍総理にドロをかぶせて、しらじらしくケロットとしているなんて信じられる?

そして、5人衆のみなさんはネコババしたお金について「会計が計上していなかったなんて知らなかった」とのお言葉である。
会計さんは、オエライさんにお金を渡した時「自由になんでも使ってください」と云ったはずである。
「政治資金規制法に触れないように注意して使ってください」なんて言ったはずがないのである。

その時、オエライさんは「そんな大金がどうしてあるの?」とびっくりして会計に聞いたに違いない。
会計さんは「かくかくしかじか・・・」と大金の由来を言ったはずである。
そして「自由になんでも使ってください」と云ったことは「帳簿に記入していないウラのお金です」ということに他ならないのに
どうして「知らなかった」なんて言えるの?

挙句の果てに「悪いのは計上しなかった会計」と会計にドロをかぶせて「私は清廉潔白」と、アッケラカンとシラを切るこんなオエライさんたちって、ほんとに政治家なの?

世の中では、会社のお金を使い込んだ人が、そのお金を会社に返却してもやっぱり「罪は罪」。
会の帳簿に計上したから、オエライさんがネコババしたウン千万円也は「使い得」となって「罪はなし」なる訳?

大山鳴動して鼠一匹。ネコババしたお金を会の帳簿に収入として計上し、めでたく一件落着。
でも、収入として計上したら、ネコババしたお金を支出として計上しなければ、収支残高が合わないことになるはずだけど、それってどうなったの?

どうせ、おおっぴらに出せない支出だろうから、帳簿上は明細なしで「ウン千万円をオエライに支出」としてつじつまを合わせるしかないはずだけれど、税務上はオエライさんの収入とみなされるから、オエライさん個人の確定申告の変更をしなければならないのに、修正申告したの?

「?????」だらけで、アッタマにきたけど、ここで気分転換。素敵なニュースをどうぞ・・・。

私が所属していた合唱団「北九州をうたう会」が出演する合唱組曲「北九州」演奏会です。
この組曲は、1978年に北九州市制15周年を記念して作曲は團伊久磨、作詞は栗原一登により作られたものです。
この組曲には、北九州市の美しい風景やお祭りなどが織り込まれ、合唱には「北九州をうたう会」のほかに中学校・高等学校の合唱団と児童合唱団、それに小倉祇園太鼓なども出演し、九州交響楽団による演奏と大合唱があいまって、ホールいっぱいに45分にわたって「ふるさとはよし」と歌い上げます。
演奏会は2月18日、芸術劇場大ホール。私が飽きもせず80歳になるまで20年間も歌い続けた摩訶不思議な魅力をもつ合唱組曲「北九州」の演奏会です。
・・・と、文章で書いても「?」でしょうから、是非、聴きに行ってください。コロナの間、演奏会が開催されなかった悔しさを胸に秘め、わが合唱団「北九州をうたう会」が歌います。

ああ無常・・・

よりによって、おめでとうございますと笑顔で挨拶を取り交す元旦に能登地震!!!
そんなことってある?・・・と、信じられないようなことが、本当に起こってしまいました。

テレビの映像をみて、お見舞いの言葉を失うほどの衝撃をうけました。

親兄弟や身近な人を失い、住むべき家を失い、水も電気もなく厳寒のなか避難所にいる人々をみると、私たちの日常・・・朝起きて顔を洗い葉を磨き、「おいしい」とか「まずい」とか言いながら3度の食事をし、お風呂にいり暖かい布団でぐっすり眠ること・・・が、なんとすごい贅沢なんだと思い知らされる日々です。

いつもの日常が非日常となるなんて・・・。救われない思いでいっぱいです。

1923年に関東大震災を経験した物理学者の寺田虎彦は

「天災は忘れたころにやってくる」

と云いました。

しかし、東日本大震災は12年前、熊本地震7年前。忘れるどころか、その時の映像をまざまざも思い浮かべてしまいます。
もう、時は移り「天災は時と所を選ばず、いつでもやってくる」時代になってしまいました。

「想定外の地震」とも言われる東日本大震災の教訓を踏まえて、政府は原子炉は絶対に壊れないという「新たな安全基準」を新たに設定したそうです。
しかし「地球は燃えている」といわれる時代になった今、「新たな安全基準」を超える「想定外の地震」が起こり、その震源地が原子力発電所の敷地になった時、原子炉自体はびくともしないにしても、原子炉を取り巻くいろいろな設備が崩壊したら、どうなるのでしょうか?

天災は逃れられないにしても、+人災は絶対に絶対に起こらないように・・・。
岸田総理 お願い!!!

苦しみと哀しみの日々を過ごしている方々へのメッセージを、詩人茨木のり子は詩に託しました。

苦しみの日々 哀しみの日々(抜粋)  茨木のり子

 苦しみの日々
 哀しみの日々
 それはひとを少しは深くするだろう
 わずか5ミリぐらいであろうけれど

 少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
 やがては解るようになるだろう
 人の痛みも 柘榴のような傷口も
 わかったとてどうなるものでもないけれど
   (わからないよりはいいだろう)

 苦しみに負けて
 悲しみにひしがれて
 とげとげのサボテンと化してしまうのは
 ごめんである

 寺田虎彦ーー1878年~1935年。物理学者であるが夏目漱石から英語や俳句を習った文筆家でもあった。著書に「冬彦集」などがある。、