生きたい・・・

沖縄戦で組織的な戦闘が終結したとされる6月23日に「慰霊の日」を迎えた。一般住民を巻き込み20万人余りの尊い人命や文化を奪った沖縄戦から81年。

沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式で、高市総理がヤジが飛び交う中で建前通りの挨拶をしたが、豊崎中学校2年のかわいい亀谷琉奈さんが、強い瞳で見据えながら懸命に詩を朗読した。長い詩だったので一部を省略して紹介する。

生きたいと願った証(抜粋)

あの日の沖縄には
青い海も
優しい風もなかった
空は黒く
地面は揺れ
人々の叫び声が絶えなかった
爆撃の音が
心まで壊していく

まだ若かった曾祖母は
小さな体で必死に走った
血だらけの道を
倒れた人たちの横を
もう動かない人を見ながら
涙を流す暇もなく
ただ生きるために
そして
愛する夫の命を案じながら
「お願い 生きていて」
その想いだけを胸に
足がもつれても
呼吸が苦しくても
転びそうになっても
前へ前へと走った
しかし
その願いは
もう二度と届かなかった

曾祖母の右足には
今も傷が残っている
それは
戦時中 自分で引っ掻いた傷
灰色の空の下
爆撃の音が鳴り響く
恐怖と不安でいっぱいになり
右手に握った石で
自分の右足を何度も何度も引っ掻く
気づけば手も足も血だらけだった

平和は当たり前じゃない
たくさんの人の涙と苦しみと
「生きたい」という願いの上にある
だから私は忘れない
沖縄戦で苦しんだ人たちを
愛する人を守ろうとした想いを
泣きながら生き抜いた人たちを
そして
曾祖母の右足の傷を
「生きたい」と願った証の傷を
平和な未来へと繋いでいくために

ドンパチ映画が少ないなんて・・・

1月末に気を失い脈が一時途絶えて心不全でなり、救急車で運ばれてアノ世行き・・・ではありません。小倉記念病院で2月上旬に心臓にヘルスメーターを埋め込む手術をして一見落着しました。

ところが、気を失ったとき頭を強く打った衝撃で頭の血管から徐々に血が漏れ、1カ月もたつと頭全体に血が充満していることが分かりました。
そこで、4月上旬に頭に2か所も穴を開け血を抜き取る手術をしました。痛っかった!!!です。

そして、手術後の5月上旬に再度血が漏れていないか検査したところ、なんと頭の右半分に再度血が溜まっていたことが分かり、トホホとまたもや再手術。なんと、しっつこい血!!!

それで、1か月後の6月5日に血がもれていないか検査したところ・・・見事に頭はすっきりくっきり。万々歳です!!!
でも、しっつこい血が、またカムバックするかもしれないかもと、念のために8月に検査をすることになり、まあ、目下仮釈放の身分です。

ということで、今日の夢旅人はすっきり爽やか頭で原稿を書こうと思いましたが、現役復活・・・ン? 老役復活という訳で、何やかやと忙しくて、今日の夢旅人は手抜き。昨年見た映画をご紹介します。

洋画は
「ビーキーバー」「プロフェッショナル」「アマチュア」「ミッションインポシブル ファイナル・レコニング」「バレリーナ」の5本。
邦画は
「中島みゆき 歌会VOL.1」「国宝」は2回「鬼滅の刃 無限城編 第1章」「秒速5センチメートル」「野火」「てっぺんの向こうにあなたがいる」の6本。

なんとたったの11本。まあ、吉永小百合さんの映画があったから文句は言わないが、私の全盛期には20本近く見ていたので、哀れな惨状を示しています。わたし、見るのは洋画のドンパチ映画専科にして邦画は吉永小百合さんの映画のみのとなっているのに、洋画と邦画が逆転するという珍現象が起きていました。

国宝を2回見たのは、1回目は評判がいいから。2回目は同級生の女性が行橋からわざわざ見に来たとので、案内がてら一緒に見に行きました。

例によって、見た洋画はタイトルだけ見ても、そのストーリイは全く覚えていません。敵はバタバタ倒れで「ざまあ見やがれ」と、スカッと爽やかな気分になるドンパチ映画は、ドンパチシーンがメインでしょ。ストーリーはご都合主義となっているので「スカット忘れるドンパチ映画」になっても仕方ありません。

それに比べると、邦画はタイトルを見ただけでどんな映画か想像がつきます。
私、吉永小百合さんと中島みゆきさんの映画、それと話題になった邦画は見に行くことにしています。だけど「野火」って映画はむかし昔話題になったけど、今は「?」の映画です。

「戦後80年特集映画」として、わが街のミニシアター「小倉昭和館」が8月に上映したものですが、見に行ったのは映画の上映が終わったあと、この映画を監督した「塚本晋也」と、わが街に住む画家「黒田征太郎」の対談があったためでです。
「黒田征太郎」は、わが街で彼の作品をよく見かけるし、こんな凄惨な映画を作った「塚本晋也」がどんな人か知りたかったので、見に行った次第。

対談の内容は、例によって忘れてしまったけど、面白かったのは間違いなく、あっという間に1時間が立ってしまい「もう終わるの」と思った次第でです。

今年は2月から5月まで、心臓の手術を1回に脳の手術を2回して入院していましたので、まったく映画を見に行っていません。退院したので汚名挽回と思っていますが、上演予定を見ますと、ドンパチ映画は皆無!!!

どうなっているの?

めでたし目出度しになるの?

  • わたし、1938年7月30日生まれ、今年88歳、米寿(ベイジュ)になります。米という漢字を分解すると「八十八」になるから「米寿」となったようです。今でこそ88歳の人はいっぱいいるけれど、むかし昔そのまた昔は88歳の人は希少価値。「よくぞ長生きしましたね」ということで、一族郎等集まってお祝いをしていたみたいです。

わが家でも、5月のゴールデンウイークに3人の息子夫婦に4人の孫を加えて10人来てもらい、ホテルで「米寿の祝い」をすることになりました。
息子たちが親父の米寿の祝いをしようと集ったのではなく、うちのおかみさんの「米寿の祝いをするから万障繰り合わせて絶対来るように」との命令以下、全員仕事持ちの身でしたが東京・長野・名古屋からかけ参じた次第です。

ホテルでは、黄色いチャンチャンコを着せられて帽子をかぶり、ホテルに設けられている神殿で祭事をしました。

私、神主さんが来てお祓いをするだけだと思っていましたが、神主さんと巫女さんで色々な所作をすること30分。神主さん、いろいろ祝詞をあげられましたが、チンプンカンプンなれど、有難く頂戴しました。終わって全員で玉串を捧げ「長寿守」のお守りを有難く頂いて無事終了。
ヤレヤレでしたが、これで長生きできるらしいです。ン? エート、長生きできるはずらしいです。ン? 長生きできるかも・・・。

それからアトリエでの記念写真撮影、食事会場での集合写真写真撮影のあとようやく祝宴。ワイワイ&ガヤガヤとおいしい料理を食べながら、話もつきませんでした。
集合写真が出来るのは1カ月あとのこと。さぞかし全員美男美女に様変わりしていることでしょう。
「これは誰?」なんてことになりませんように・・・。

孫たち4人は、子供のころ会っただけ。成人になって会うのはこれが最初で最後になると思うけれど、社会人ぷりがさまになっていて大安心しました。子供と孫の心配をしないですむというのは、最大の親孝行であるにちがいありません。

食事のあとは、全員「プレミアムホテル門司港」に行き宿泊。翌日、バイキングの朝食をたらふく食べて全員我が家に行き、コーヒを飲みながらワイワイ&ガヤガヤを再開した後、それぞれ解散しました。ゴールデンウイーク中なので、それぞれ行きたいところ経由で帰途についたようです。

前回の夢旅人で3度目の手術後に身体に異常がないか検査した結果、肺の中に血栓が3個ほど見つかり血栓を溶かす薬を飲むことになりました。
脳に溜まる血も薬で止めようということにあり、脳の検査を6月5日、肺の経過を見る検査を8月10日にすることなたので、今、毎日9種類の薬をひたすら飲み結果待ちの「仮釈放」の身です。

検査次第では脳と肺の手術となるやもしれず「米寿の祝い」の効果があったのかどうか、あとは「神頼み」・・・なんて言っては先生方に失礼ですね。

先生方にお任せすることにして、7月30日の誕生日に米寿を迎えられたら、神主さんから頂いた「長寿守」を肌身離さず持ち歩くことにしましょう。

続 続 またもやビックリ

前回の「夢旅人」に「二度あることは三度ある」と書きましたが、宝くじなど当たったことはないのに、都合の悪いことはどんぴしゃり当たって又もや病院のベッドの中です。

頭の血を抜いて1か月後の5月8日に手術後の経過を見ることになっていました。
どこも異変を感じることもなく、こんどそ「卒業証書」をもらえると、意気揚々と小倉記念病院に行きアレコレで検査をうけたところ・・・なんと、頭の半分に又もや血が充満していることがわかり、そのまま手術室に連れていかれ「二度あることは三度ある」と、三度目の手術を受ける羽目になりました。トホホト&トホホホ・・・。

今回の手術は、前回血を抜いた穴を利用して血を抜くとのことで、これなら安心と思っていたらとんでも大間違い。
手術が終わり傷口を縫う段階になったところ「イタ!イタイ!!イタイタイタイ!!!」の連発。なにしろ「ばかでかホッチキス」で縫うのですから、仕方ないと言えるかもしれません。

1回目の心臓手術の時は,太股から血管を通じてペースメーカーを入れたので、手術の後に血管の穴をふさいだだけで痛さなし。
2回目の手術の時も、手術が終わったら「ばかでかホッチキス」で傷跡を縫っているのに、痛さなんか感じなかったでしょ。なのに今回はなぜ「イタイタ連発」になったの?

頭の中の血管から血が滲み出しているのが止まっていないということなので、再度身体をチェックすることになり、5月12日9時半から造影剤を入れて頭の中の写真を撮る検査を始めて、アレコレの検査がスタート。終わったのがなんと15時。

しばらくして、検査の結果が出たらしく、先生から説明がありました。
検査の結果、肺の中に血栓が3個あるのが分かったので、血栓をとかす薬を飲みダメだったら手術。それが終わってから頭の中の出血を止める方策を考えますとのお告げ!!!
またまた大ビックリ!!!

心臓に1回、脳に2回立て続けに手術をしているので、もう勘弁してほしいと言いたいところだけど、ほっといたらいずれも死につながる症状だからと言われ、無条件降伏です。

かくして、パソコンを病室に持って来てもらい、病室でこの「夢旅人」の原稿を書いています。トホホホ・・・。
ああ無情・・・。

続 またもやビックリ!!!

前回の「夢旅人」の書いたように、2月上旬に自宅で意識を失くして救急車で小倉記念病院に搬送され、心不全ということで心臓にペースメーターを埋め込まれた結果、心臓の脈が規則正しく打つようになりました。

「めでたし目出度し」となったつもりでしたが、実はその続きがあって「めでたし目出度し」ではなかったんですね。

心臓の手術して4日後には退院したのですが、リハビリとして「歩きなさい」と言われ1ケ月後には3000歩ほど20分強で歩けるようになりました。

老役復帰と喜んだところが、3月末には突如として2,500歩から2,000歩とペースが落ちて足を引きずって歩くようになり、行きつけの病院に行って相談したところ、そのまま心臓の手術をした小倉記念病院に行くように言われてしまいました。

17時頃でしたが、すぐに検査をした結果、頭蓋骨の下にある硬膜(脳と脊髄を覆う膜の一つ)と脳の間にじわじわと血液がたまって血腫ができていると説明がありました。

私 お金を貯めるのはまるっきり下手なのに、どうして頭に血が溜まるの? の内心不満タラタラ。納得できません。

でも、うちのかみさん、検査して写し出された頭の画像を見て「頭の中は真っクロ」で、脳など見えなかったとのこと・・・ウーン、お医者さんの言うことは従いましょうね。

どうも、2月に自宅で意識を失くしてうつ伏せに倒れた時、頭を強く打ったのが原因みたいです。

18時頃でしたが、すぐ頭に溜まっている血を抜きますというこてとで、手術することになりました。
バリカンで頭の両側のなけなしの髪の毛を刈られたあげく、血を抜くための穴をエイヤとばかり2か所も見境のなく開けられたんです。ホント、乱暴なことをするもんです。

頭蓋骨に穴を開けるのは、ほんの一瞬だったんでしょうが、痛かった&痛かったこと・・・。飛び上がるほどの痛さで、頭蓋骨には麻酔が効いていなかったみたい。

頭の中の血を吸い出してから、その中を洗ったとのことで、2時間30分ほどかかったみたいですが、頭に穴を開けられた以後は麻酔がきいてスヤスヤ。病室が空いていないとのことで、処置室に運ばれて目が覚めました。

その後、検査したら頭の中の血は消えたらしく、1週間後に抜糸して翌日は目出度く退院しました。

頭に2か所の穴を開けた箇所は、でかいホッチキスで何か所も閉じてあったらしく、ホッチキスをとる時は痛いに違いないとうちのかみさんから言われてドッキリ!!!

書類を閉じてあるホッチキスを外すとき、いつも苦労していましたので覚悟していましたが、痛さを買じるまもなくホンの一瞬で外されて今度はビックリ!!!

このまましていたら、頭痛、物忘れ、認知症によく似た症状(意欲の低下、性格の変化、反応の低下など)、歩きにくさ、片方の手足に力が入らないなどさまざまな症状をきたすそうですが、それらの症状が出る前に気が付いて良かったですねと言われ・・・頭に穴をあけるなんて乱暴なと思っていましたが、医学ってすごいですね。ホント、感謝しなければなりません。

命にかかわる心臓と頭の手術をしたので長生きすると思いたいけど、我が一族が亡くなるのは脳関係が多く、父は脳溢血、母は脳梗塞でなくなりましたので、私も三度目の正直で、今度こそ本命の脳溢血か脳梗塞になるかもしれません。

私、88歳。米寿となりました。この夢旅人とのお付き合いも時間切れが迫っているみたいですが、もうしばらくご辛抱のうえ、お読みいただけたら幸せです。