めでたく一件落着?

ホント、アッタマにきた。
安倍派のオエライさん5人衆、口をそろえて「パーテイ券の売り上げをウラで返すと決めたのは派閥のボスの安倍会長」とのお言葉である。
そして5人衆の皆さん、シレーとして「私は知らなかった」と断言。

だけど、こんなに大事なことを安倍会長がオエライさんに黙って決めるなんてありえる?
オエライさんは「それはヤバイ」なんて忠告せず、
「ウン、そうなれば自分のフトコロにウン千万円はいる」と思い、ニコニコ顔で「ハイハイ」と答えたに違いない。

アァ、それなのに崇拝べき前安倍総理にドロをかぶせて、しらじらしくケロットとしているなんて信じられる?

そして、5人衆のみなさんはネコババしたお金について「会計が計上していなかったなんて知らなかった」とのお言葉である。
会計さんは、オエライさんにお金を渡した時「自由になんでも使ってください」と云ったはずである。
「政治資金規制法に触れないように注意して使ってください」なんて言ったはずがないのである。

その時、オエライさんは「そんな大金がどうしてあるの?」とびっくりして会計に聞いたに違いない。
会計さんは「かくかくしかじか・・・」と大金の由来を言ったはずである。
そして「自由になんでも使ってください」と云ったことは「帳簿に記入していないウラのお金です」ということに他ならないのに
どうして「知らなかった」なんて言えるの?

挙句の果てに「悪いのは計上しなかった会計」と会計にドロをかぶせて「私は清廉潔白」と、アッケラカンとシラを切るこんなオエライさんたちって、ほんとに政治家なの?

世の中では、会社のお金を使い込んだ人が、そのお金を会社に返却してもやっぱり「罪は罪」。
会の帳簿に計上したから、オエライさんがネコババしたウン千万円也は「使い得」となって「罪はなし」なる訳?

大山鳴動して鼠一匹。ネコババしたお金を会の帳簿に収入として計上し、めでたく一件落着。
でも、収入として計上したら、ネコババしたお金を支出として計上しなければ、収支残高が合わないことになるはずだけど、それってどうなったの?

どうせ、おおっぴらに出せない支出だろうから、帳簿上は明細なしで「ウン千万円をオエライに支出」としてつじつまを合わせるしかないはずだけれど、税務上はオエライさんの収入とみなされるから、オエライさん個人の確定申告の変更をしなければならないのに、修正申告したの?

「?????」だらけで、アッタマにきたけど、ここで気分転換。素敵なニュースをどうぞ・・・。

私が所属していた合唱団「北九州をうたう会」が出演する合唱組曲「北九州」演奏会です。
この組曲は、1978年に北九州市制15周年を記念して作曲は團伊久磨、作詞は栗原一登により作られたものです。
この組曲には、北九州市の美しい風景やお祭りなどが織り込まれ、合唱には「北九州をうたう会」のほかに中学校・高等学校の合唱団と児童合唱団、それに小倉祇園太鼓なども出演し、九州交響楽団による演奏と大合唱があいまって、ホールいっぱいに45分にわたって「ふるさとはよし」と歌い上げます。
演奏会は2月18日、芸術劇場大ホール。私が飽きもせず80歳になるまで20年間も歌い続けた摩訶不思議な魅力をもつ合唱組曲「北九州」の演奏会です。
・・・と、文章で書いても「?」でしょうから、是非、聴きに行ってください。コロナの間、演奏会が開催されなかった悔しさを胸に秘め、わが合唱団「北九州をうたう会」が歌います。

ああ無常・・・

よりによって、おめでとうございますと笑顔で挨拶を取り交す元旦に能登地震!!!
そんなことってある?・・・と、信じられないようなことが、本当に起こってしまいました。

テレビの映像をみて、お見舞いの言葉を失うほどの衝撃をうけました。

親兄弟や身近な人を失い、住むべき家を失い、水も電気もなく厳寒のなか避難所にいる人々をみると、私たちの日常・・・朝起きて顔を洗い葉を磨き、「おいしい」とか「まずい」とか言いながら3度の食事をし、お風呂にいり暖かい布団でぐっすり眠ること・・・が、なんとすごい贅沢なんだと思い知らされる日々です。

いつもの日常が非日常となるなんて・・・。救われない思いでいっぱいです。

1923年に関東大震災を経験した物理学者の寺田虎彦は

「天災は忘れたころにやってくる」

と云いました。

しかし、東日本大震災は12年前、熊本地震7年前。忘れるどころか、その時の映像をまざまざも思い浮かべてしまいます。
もう、時は移り「天災は時と所を選ばず、いつでもやってくる」時代になってしまいました。

「想定外の地震」とも言われる東日本大震災の教訓を踏まえて、政府は原子炉は絶対に壊れないという「新たな安全基準」を新たに設定したそうです。
しかし「地球は燃えている」といわれる時代になった今、「新たな安全基準」を超える「想定外の地震」が起こり、その震源地が原子力発電所の敷地になった時、原子炉自体はびくともしないにしても、原子炉を取り巻くいろいろな設備が崩壊したら、どうなるのでしょうか?

天災は逃れられないにしても、+人災は絶対に絶対に起こらないように・・・。
岸田総理 お願い!!!

苦しみと哀しみの日々を過ごしている方々へのメッセージを、詩人茨木のり子は詩に託しました。

苦しみの日々 哀しみの日々(抜粋)  茨木のり子

 苦しみの日々
 哀しみの日々
 それはひとを少しは深くするだろう
 わずか5ミリぐらいであろうけれど

 少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
 やがては解るようになるだろう
 人の痛みも 柘榴のような傷口も
 わかったとてどうなるものでもないけれど
   (わからないよりはいいだろう)

 苦しみに負けて
 悲しみにひしがれて
 とげとげのサボテンと化してしまうのは
 ごめんである

 寺田虎彦ーー1878年~1935年。物理学者であるが夏目漱石から英語や俳句を習った文筆家でもあった。著書に「冬彦集」などがある。、

今年こそ・・・

今日は昨日の続きだけれど、新しい暦のページをめくればお正月。

一休禅師が

正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

と詠んだとおり
私、80歳の末期高齢者をなんとかクリヤーし、昨年85歳の終末高齢者にたどり着いたとたん、一休禅師の心境になりました。
とはいえ、なんたってお正月ですから、〝めでたくもなし〟なんて嫌味は封印して

あけましておめでとうございます。

そうは言っても、詩人諸星詩織さんの句にあるように

寂しさと貧乏だけがある部屋を お正月がのぞいています。※1

という人もおられると思うけれど、せめてお正月ですから、きっと今年は〝寂しさと貧乏が逃げ出した部屋〟になると信じて・・・そう、信じる者は報われるのですから・・・今年こそ、やってやり抜こうじゃありませんか。

雑誌「家庭画報」の1月号に91歳になる作家五木寛之さんと19歳の大学生にして俳優の芦田愛菜さんとの「超異世代の対談」が掲載されていました。対談の最後に五木寛之さんが芦田愛菜さんに
「今からいろいろなことがあると思うので、その時のための一言」と伝えた言葉があります。

あえてネガティブな言葉を覚えておくことをすすめますね。たとえば「人生は徒労である」という言葉を心に持っておくと
「そのわりには自分は報われているじゃないか」と反対の感情がわいてくることがあるものですから。
ネガティブな言葉のおかげで、ちっといいことがあっただけで幸せだと思える。
ですから、そうゆう言葉が持つ力というものを味方につけて生きていってほしいと思いますね。

ほかの人から見れば何でもないことでも、自分にとっては大きな幸せ・・・そう、生きてて良かったと思えるに違いありません。

そして、私の今年のお願いをどうぞ・・・。

宗教学者磯前純一さんの祖母さん(先の大戦で夫が玉砕し、娘5人を独りで育てた)の言葉

どこの国が正しくて、どこの国が悪いのではなく、戦争そのものが間違っている ※2

そう、間違っている戦争が起こっています・・ウン、今年こそ二つの戦争が終わりますように、そして今年こそわがニッポン国の政治屋さんが、みなみなさまからソッポを向かれないような政治家になりますように願っています。

このプログの「ご挨拶」のページの末尾に、私の近況報告を兼ねた年賀状を掲載しております。お読みいただけたら幸せです。

※1 諸星詩織ーー詩人。1945年沖縄県生まれ。著書に「雨上がりの窓」「愛ポポロ」等。
※2 朝日新聞掲載の鷲田清一「折々のことば」から転載。

クリスマスなのに気分はブルー

街にクリスマスソングが流れて、私、なぜかホッコリ気分。ニコニコして歩いていると「あの人???」と思われそうだから、心の中でニコニコしながら歩いています。
デスクに座って仕事している時のBGMは洋楽のクリスマス ソング。日本のクリスマス ソングは別れをうたった曲が多いけれど、洋楽のクリスマス ソングは、私のとって英語はチンプンカンプン語だけど、一見・・・ではなく一聴「楽しいクリスマス」を思わせて、聴いているだけで心弾み、別にイイことなくてもハッピー気分になるから、私、大好き。

歌人 俵万智の

つながりを 確かめている クリスマス そばにいる人 いてほしい人

そう、そばにいる人はもち「うちのカミサン」。そばにいてほしい人は、特に名を秘すアノ人にコノ人にソノ人に・・・てなことはありません。ホントです。ハイ。
ウーン、特に名を秘す誰かさんがいなくても、つながりを確かめる人が居るだけで・・・そう、ハッピークリスマスになるんですね。

と、言う訳で、今年もハッピー クリスマスと思っていたところ、トンデモハップンの出来事が発生。クリスマス気分がフッ飛んでしまいました。

そう、オエライ政治家さんが引き起こしたパーテイ券事件。

我々シモジモ庶民から言えば、ナニナニ商店の親父が「今日の売上目標10万円、頑張って12万円も売り上げたから、帳簿には売上10万円と記帳し、頑張ったご褒美に2万円はちょろまかしてポケットにポイしよう」と同じことでしょ。

わがニッポン国は、世界に冠たる「遵法精神に富む国民」ということになっているのに、その国民の代表たる議員が「ポケットにポイ」するなんて信じられる?

バカでもチョンでも・・・差別用語を使ってごめんなさい。でも使わずにいられないものですから・・・そんなことをしたらダメってことが分かっているのに、どうして「ポケットにポイ」したの?

「ポケットにポイ」したか質問され「刑事告訴を受けている案件でもあるので、申し上げることはできない」と、皆さん見事に異口同音。

「ハイ、貰いました。慣例ですので、貰えるものだったらとありがたく頂戴しました。ごめんなさい」と、どうして正直に頭をさげないの?
これって「ポケットにポイした」と云っているのと同じってことが、どうして分からないのかしらん?

ホント「政治家」って劣化して「政治屋」に成り下がっているんですね。わがニッポン国が劣化していくのも当然かもしれません。

私、今年のクリスマスはブルー気分。ウン、くそったれ!・・・エート、これってヒンがないですね。訂正、悲憤慷慨!!&切歯扼腕!!!・・・これでいい?

もう死語になっているんでしょうけれど、むかし昔そのむかし「井戸塀政治家」という言葉がありました。
政治家は、政治によって生計を立てることは賤しむべきことであり,政治に奔走するあまり家屋を失い,残るは「井戸と塀ばかり」という政治家のことを敬意をこめて言ったものでした。

こんな言葉があったことなんか、知らないでしょうね。きっと・・・。

ところで「夢旅人」も、今年の幕を今日で下ろします。
ダラダラと綴った迷文を、辛抱して我慢づよく読んで頂きありがとうございます。
皆さん、今年1年アレやコレや、いろいろあったこととは思いますが、今年はこれにてご破算・・・。
来年は、新たなスタートをきりましょうね。

では、良いお年をお迎えください。

罪なき嘘は許して・・・

元安倍総理大臣のアレコレについて、官界のオエライさんたちが、忖度をただよわせながら
「記憶にありません」を連発したことがあった。

私「嘘か本当か」の二者択一しかないと思っていたが、官界のオエライさんたちは「本当のこと」を言うと、エイエイと築いてきた地位がフッ飛ぶ可能性があるし、「そんなことはありません」とウソっぽい答えをすると、世間から胡散臭い目で見られそうだから、「記憶にありません」という名言を思いついたらしい。

わがニッポン国をになう官界のオエライさんって「なんと頭が良いんだ」とすこぶる感服!!! わがニッポン国はこれにて安泰かも・・・。

むかし昔「嘘つきは泥棒のはじまり」と云われたものですが、童謡作家の富谷陽子さんが、講演会で

ホラは他人を喜ばすためにふくもの、ウソは自分のためにつくもの

と話されたことがあります。

官界のオエライさんが「記憶にありません」というようなミエミエのウソをつくのはダメですが、「ウソも方便」という言葉もあります。どうせウソをつくのなら、罪のないウソをついてくださいね。

そこで、今日の「夢旅人」の「ハードボイルドに恋をして11」は「ミステリアス」のシリーズです。最初は「嘘」。

 

「大丈夫」僕はいった。社交辞令としてのささやかな嘘だ。
二見書房「ピンク・ウォッカ・ブルース」ニール・バレット・ジュニア/飛田野裕子訳

(父のことを葬儀でほめそやすので)
「・・・なぜ飲んだくれだったと言わないのだろう。そう言ってくれれば、少なくとも父のことを言ったことになるのに、わたしたちがこれから埋葬する人が誰かがはっきり自覚できるのに、と思ったわ。ときどき母を打った、となぜ言わないのだろう。おおむね善人だったというのはいい。でも一生を通じて来る日も来る日も善人だった、瞬時たりとも悪人ではなかった、とは到底言えない人だったわ」
扶桑社「最後に笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

(シーモンが弁護士に嘘をついているのを思い浮かべると)
あたしのためにやってくれる。もう相棒みたいなものだ。・・・あたしがシーモンのために嘘をついたこと、シーモンがあたしのために嘘をついたことを考えた。お互いのために嘘をつく人間のあいだには絆がある。
おかしいのは、シーモンが嘘をつくとみんなが信じたのに、あたしがほんとのことを言ってもめったに信じてもらえなかったことだ。
早川書房「汚れた守護天使」リザ・コディ/堀内静子訳

(葬儀で)
牧師は火葬係とともに現れた。言葉巧みでいんちき臭く、おそらく見習い期間を百科事典のセールスマンでもして過ごしたのだろう。残念ながら故人を知る光栄に浴していなかった、と牧師は言い、それを証明し始めた。
東京創元社「夜の海辺の街で」E・C・ウォード/小林祥子訳

「命をかけて誓うわ・・・あんたに嘘はつかないわ」
モレリの口の片隅がほんのわずかに吊り上がった。
「おまえならローマ法王にだって嘘をつくだろうさ」
あたしは十字を半分りかけていた。
「あたしは嘘をつくことはほとんどないわ」絶対に必要なときだけよ。それから、真実が妥当だと思えないときもだけど。
扶桑社「あたししかできない職業」ジャネット・イヴァノヴィッチ/細野遥子訳

(トップレス・クラブに行こうと誘ったため)
・・・トップレス・クラブについて一席ぶつはめになった。孤独な男たちが制限つきの環境の中で、安全に女性とある種の相互影響を受け合うところだ、とぼくは説明した。エミーは納得せず、それよりも自分の家に行きたいといった。
早川書房「破産寸前の男」ピーター・パーセルミ/齋藤数衛訳

そこで、アメリカの嘘にかかわるジョークをご紹介しましょう。

帰宅が遅い理由として「今夜も残業があって・・・」というのをひんぱんに使うと妻は疑い始める。
小さな子が母親に聞いた。「おとぎ話って、〝昔々〟で始めるものなの?」
母親はちょっと肩をすくめて言った。
「いいえ、きょうは残業があってねえ、で始まることもあるのよ」

酒場で二人の男が話している。
「この間、珍しいものをみたぜ。ウソ発見器というやつだ」
相手は吐き出すように言った。
「おれはそういう機械と結婚しているよ」