正義がいっぱい

ロシアとウクライナ、イスラエルとハマス。

地球という惑星はほころび始めているのに、そこに生息するヒト科の生物は、それを見過ごし手遅れになってからバタバタ醜態をさらすと共に、ヒト科の生物同士で殺し合いを初めるなんて・・・地球を愛する宇宙のはるか彼方のチチンプイプイ星人はハラハラ&ドキドキ&イライラ。

もう、宇宙の貴重な惑星・地球を、ヒト科の生物に任せていけないと、ヒト科の生物を駆逐しチチンプイプイ星人が直接統治に乗り出すかもしれません。

ロシアは
「ウクライナは兄弟国、ロシアのものなのに、脱ロシアを目指しNATO化するなんて怪しからん」と主張しウクライナに侵攻。

ハマスは
「パレスチナの領土であるヨルダン西岸を侵略し入植化を進めると共に、カザ地区を塀で囲み住民の生活を困窮させている」と主張しイスラエルに侵攻。

ロシアの人たちもパレスチアの人たちも、この主張の通り「我に正義あり」と信じているに違いありません。

「正義とは、正しい道理・意義」と辞書にありますが、それぞれに国によっても・・・ウーン人によっても「正しい道理・意義」が違っていても仕方のないことかもしれません。

わがニッポン国だって、先の大戦で
「ヨーロッパの植民地となっているアジア諸国を開放し、大東亜共栄圏を建設する」と主張し戦争を始めて、「鬼畜米英」に対し本土決戦を期して女性を含めて竹槍で訓練を開始。「我に正義あり」といささかも疑わなかったのです。

そして、わがニッポン国も昭和天皇が英断を下さなければ、鹿児島や千葉にアメリカ軍が上陸し、沖縄で拡げられたような凄惨な闘いを展開した挙句、「降参」と白旗を上げる羽目たにおちいったかもしれません。

過去の多くの戦争が明らかにしているように、戦争がいったん起これば、どちらも自らの正義を信じて戦っているのですから、とことん「負け」を悟らない限り終わることはありません。

嗚呼、ロシアとウクライナ、イスラエルとハマス!!!
「正義」は敵にも味方にもそれぞれありますが、「命」は敵にも味方にも一つだけなのに・・・。

詩人長田宏は言っています。

「敵をやっつけるのが戦争ですが、壊れるのは自然であり、失われるのは生活であり、死ぬのは人間です」

そう、戦争をして得るものって 何?
そこで、茨木のり子の詩をどうぞ・・・。

 繭(抜粋)

蚕が桑の葉を食べるように
何ものかの権力によって
世界は食い荒らされ、その腹におさまる
ふとるのは国であるか
主義であるか
(トニカク人間ではない)

必要としている人に必要なお金を・・・

わがニッポン国の一見賢明な岸田ソーリは、国民の皆様の収入が増えた結果、税収がガッポリ増えたので、お礼に国民の皆様にお返ししようと宣言した。

年金しか収入のない私にとって、くれるものなら何であれ嬉しく頂くことにしているので、あまりゴチャゴチャ言いたくはないけれど、これって「????」

予定もしない収入があったのなら、とびっきりのお金持ちならジャブジャブお金を使かうかもしれないが、庶民感覚から言えば、カードのローンを返済するとか、今後のために貯金しておこうとなるはずである。

これをわがニッポン国に例えるなら、世界に冠たる「借金大国」なので、税収が増えたのなら、まず借金を少しでも減らすと共に、今後どこかの国がわがニッポン国を攻めてくるはずだから、国を守るというか、先手を打って相手基地を攻撃するというか、とにもかくにも軍備を増強する資金を用意しておこうということになるはずである。

ところが、わがニッポン国の一見賢明な岸田ソーリは、すべての全国民に「ほどこし」をしてあげるという温情らしい。

でも、今年は昇給やボーナスが最高に多かった人が大勢いるとのことだし、もともと高収入を得ている人たちは、お国からナニガシの減税をして貰ったからといって、困窮している訳ではないから「有難味」もチョッピリであろう。

それよりも、物価が高騰して困窮している人たち・・・非課税所得の人や、年金額が月額10万円以下の人に限定して、30万円位の一時金を支給した方が「有難味」がズーンと増すに違いない。

ナニガシの減税がなくとも、なんとかかんとかムリしてでもやっていけるのであれば、そのお金が、なんとかかんとかムリしてでもやっていけない人達にまわされるのなら、文句など言わないであろう。

わがニッポン国が、ザブザブお金が有り余っているのなら、全ての人を対象に減税をしたりお金を配っても良いけれど、なんたって「借金大国」なのだから「必要としてる人に必要なお金を配る」だけの方が効果が上がるはずである。

エ、何? すべての人にお金をバラまくと、好感度がまして選挙する時に有利になるでしょて・・・。
フーン、なんだかわがニッポン国民をバッカにしているみたい。

わがニッポン国の一見賢明な岸田ソーリが就任した時「異次元の小子化対策」や「新しい資本主義」を打ち立てると宣言。わがニッポン国を俯瞰した「シン政治家」が誕生したと胸を弾ませたけれど、どうも選挙第一の「シン政治屋」になり下がったのかもしれぬ。

ウーン、一見賢明な岸田ソーリ、よくよく見れば不賢明な岸田ソーリ?

エッヘン!!!

わが街 北九州市は「合唱の街」となっていて、世間ではつとに有名である。
ここでいう世間とは、せいぜい市内のことであろうと邪推する人がいるかもしれないが、ケチケチした考えは、このさい捨ててほしい。

200以上はある合唱団の中でも、入会資格が厳しいといわれている合唱団がある。いくら美声を誇ってもダメなのはダメという合唱団である。
その合唱団に、私、昨年入会することが出来たのである。エライでしょと言いたいところだが・・・その入会資格というのは、80歳以下はダメ、80歳以上でなければ入会できないというのが条件である。

そうゆう条件なら、入会の判断基準が違うと言われるかもしれないが、わがニッポン国では、かかる厳しい条件を設定している合唱団はないといわれているほどである。

合唱の指揮は岩崎洋一先生。東京芸大声楽科卒業後、西日本オペラ協会に所属し活動。北九州市少年少女合唱団や多くの合唱団の指導にあたった。福岡県合唱連盟顧問・北九州市音楽協会理事長。

エ、何? そんなプロ中のプロの先生に指導をうけるなんて、シロウト中のドシロウトのジジババ合唱団にもったいないなんて・・・。
ホント、失礼!!! なんたって、メンバーは前美声、元美声、旧美声を誇る人たちばかりである。誇り高きメンバーで決してヒケを取らない。

なんたって、練習は10時から11時までの1時間だけ。1時間以上歌ったらブッ倒れるかもしれないというスタッフの親心・・・ン? 訂正、子心の発露である。童謡唱歌を約10曲練習する。岩崎先生は、「アア歌いなさい」とか、「コウ歌いなさい」とか一切言われない。「良かったですよ」とニコニコして言われるだけである。

エ、何? それって、80歳以上の人に言ったってムリと分かっているから、言わないだけだろうって・・・。
ホント、失礼!!! なんたって、こちとら、前美声、元美声、旧美声を誇る人たちばかりである。1時間でマスターしたつもりになる。ウン、気持ちは持ちようである。

練習は月に1回だけ。11回練習して9月18日の「敬老の日」に市民会館の大ホールでの演奏会に臨むことになっている。メンバーは意気揚々とステージに上がり高らかに歌い上げて大喝采。アンコールまである。

エ、 何? それって上手に歌ったからという大喝采ではなく「敬老の日」だから「お年寄りをいたわりましょう」という大喝采じゃないのって・・・。
ホント、失礼!!! なんたって、こちとら、前美声、元美声、旧美声を誇る人たちばかりである。マジ上手と自画自賛しているのだから間違いない。

演奏会にはNHKほか2局のテレビ局と新聞社も1社が取材。その日の夕方のローカルニュースで大々的に報じられた。NHKでは19時の全国ニュースで、敬老の日に開催されたイベントの一つとしてチッピリだけど取り上げられたほどである。

ネ、分かった? テレビでわが合唱団の美声が流れるほど有名なのである。
エッヘン!!!
人生100年の時代に80歳は中年。ジジババ合唱団なんて言わないでもらいたい。

80歳からの合唱団 北九州2023

母さんって凄い!!!

見ました! 見ました!! 見ました!!!
吉永小百合さん主演の映画「こんにちは 母さん」

私、原則として「ドンパチ洋画専科」だけど、原則あれば例外ありという訳で、ゴジラと吉永小百合さんの映画は、ズズズーイと初めから見ています。

私にとって、吉永小百合さんは永遠の「マドンナ」。だから、彼女がいくら歳を刻んでも「清純でかわいいはるか彼方の夢の女性」なのに、今回はなんとお母さん役。

私って、とっても年寄りでしょ。今度の映画に登場する吉永小百合さんが「清純でかわいい」のには変わりはないけれど、普通のお母さんになった彼女が、なんだか身近な存在に感じられてうれしくなってしまいました。
それに、昭和のレトロをイメージさせる舞台が懐かしく、出演した俳優さんもストーリィもイイトコずくし。山田洋二監督と吉永小百合さんに大大感謝です。

そこで、独断と偏見に満ちた私の感想をどうぞ・・・。

息子役の大泉洋さんは、NHKの音楽番組「SONGS」で軽快な司会をされているのを毎回見ているけれど、彼の映画を見たのは、日本のハードボイルド映画と云われた「探偵はBARにいる」だけなんです。
その大泉さんが、お母さん役の吉永小百合さんに引けをとることもなく、自然に息子役をピッタリ演じてさすが役者さんだと納得。「SONGS」のイメージで見ていて失礼しました。

吉永小百合さんは、亡くなった夫の足袋屋さんを引き継いでやっている一方、ホームレスのボランティアもしているんですね。そのボランティア仲間で、まるで性格が真逆に見えるYOUさんと枝元萌さんが醸し出すたくまざるユーモアにホッコリ。それに孫娘の永野芽郁さんを加えた三人の芸達者な役者さんに囲まれて、吉永小百合さん、幸せいっぱいで演じていました。
この映画、ウハハと大笑いするシーンはないけれど、ホンワカと笑顔を浮かべながら見る映画でした。

空き缶拾いをやっているホームレス役の田中泯さんは力演! ダンサーの田中泯さんを引っ張りだした監督も凄いけれど、ホームレスだって意地があるんだということを見せたり、東京大空襲など思い出させる演出もありました。

艶っぽいシーンもあったんですよ。
「そんな濡れ場を吉永小百合さんさんが演じる訳がない」と憤慨するかもしれないけれど・・・あるんです。

吉永小百合さんが恋人役の寺尾聰さんにあげようと足袋を縫いながら、彼女が成人の日に着物を初めて着たときの話を、孫の永野芽郁さんに話すんですね。
その時、そこにいた足袋職人が「足袋を作ってあげましょう」といって、吉永小百合さんの足の寸法をはかっただけでなく、足の甲を触って感触を確かめたそうです。
その時、吉永小百合さん、
「この人と結婚しよう」と思ったと孫の永野芽郁さんに話しながら、彼女の足の甲をやさしく触ったんですね。永野芽郁さんは思わず
「気持ちいい」と云いながら足を引っ込めたんです。
吉永小百合さんが永野芽郁さんの足の甲を触る指の動きのなんともセクシィなこと・・・。ドッキリ&胸キュン。手の動きでセクシィさを演じるなんて、吉永小百合さんって凄い!!!
エ、何? 「それって勘違いも甚だしい」だって・・・。ウーン、そうかなあ。小百合さん、ごめんなさいね。

孫の永野芽郁さんが吉永小百合さんに、
「好きってこと、告白しないの?」と尋ねた時、「私から言わない」と返事した時の吉永小百合さんの顔の表情の素敵だったこと!!!
「私から云わない」という微妙な心模様が顔に表れていて、とってもホレボレ。そこに僕の好きな吉永小百合さんがいました。

映画の圧巻はラストシーン。
会社を辞め離婚した息子の大泉洋さんが、吉永小百合さんの家に来て
「マンションも売って、ここに引っ越してきたい」と云った時、吉永小百合さんが「まかせて」云いながら見せたはじけるような笑顔!!!
意気消沈の息子に、はじけるような笑顔で答える母さんって、とびっきりとんでもなく凄い!!!
このはじけるような笑顔・・・。ウーン、最高の笑顔。私の心のアルバムからなくなることなどないに違いありません。
それから最後まで彼女の笑顔が消えることはありませんでした。

本来であれば、吉永小百合さんが失恋、息子の大泉洋さんが人生ドン底気分のシーンにもかかわらず、この映画は、何故かほんわかとほのぼのとTHE END.。これって吉永小百合さんの笑顔の魔法の技に違いありません。

最後に一言。吉永小百合さんが恋をしていると知ったボランティア仲間のYOUさんと枝元萌さんが
「恋って、年齢は関係ないのよ」

皆さん、恋をしましょうね。

親って大変!

アツイあついまったく熱い!!!

35度以上の猛暑日が2ケ月も3ケ月も続くなんて、これは猛暑日が夏日になったということである。40度以上が猛暑日とせざるを得ないだろう。
そして、異常気候と云っているが、これが普通の気候となり
「春はポカポカ、梅雨はシトソト、夏はアツアツ、秋はサワヤカ、冬はサムサム」という
「適度なポカポカとシトシトとアツアツとサワヤカとサムサムに恵まれた四季」は今や変貌して
「チョッピリの春と秋、バシャバシャ雨の梅雨、アッチッチの夏、ドカドカ雪の冬」となり、四季がはっきり感じられた気候は、はるかな思い出になるに違いない。

ところで「今日のハードボイルドに恋をして10」は、あなたの自身をターゲットにしたプログです。
「ウン、ウン、そうか」と苦笑しながら読んで、アッチッチと汗をタレ流しながら、終わることを忘れた夏を満喫してください。

 

「会いたいなあ。ほんとうに」と父親は言った。
「かわいい子供らだな」片方はこびとゴジラみたいだし、もう一方は忍者カメだと思ったが、俺はお愛想にそう言った。
扶桑社「最後の笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

通常、彼女たちは若くして両親をなくす。パパは金儲けの疲れで死ぬ。ママはパパと一緒に暮らした疲れで死ぬ。
早川書房「素晴らしき犯罪」クレイグ・ライス/小泉喜美子訳

「十代の娘を持たないうちは、ほんとうの不機嫌がどんなものか、わかりっこない。あなたなんか癇癪の仮免段階にも達していないわ」
東京創元社「地上より賭場に」ジル・チャーチル/浅羽英子訳

「母親というものには、愛だけじゃなくて、悲しむ権利があるのよ」
扶桑社「最後の笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

「・・・つかの間の理想の父親の地位とも、お別れだ。歳月の移ろいはかくも早い」
早川書房「沈黙のセールスマン」マイクル・Z・リューイン/石田義彦訳

「親というものは、子供たちのしあわせとなればどんなことでも、実現の可能性があるような気になって,願わずにはいられないものなんですよ。でも時によっては、親と子は別々でいた方がいいのかもしれませんわね。あの子のこととなったら、わたしはとても諦められそうもありませんけど」
河出書房新社「モデラート・カンタービレ」M・デュラス/田中倫朗訳

母親というのは、予想のつかないこの世の中で、唯一不変のものだと、ウォルターは思う。
角川書店「歓喜の島」ドン・ウィズロウ/後藤由希子訳

(子供の写真を見せられて)
俺はそのとき、世の中には大きなクラブみたいなものがあって、娘が生まれると同時に俺たちも入会したのだ、と悟った。親同士にはマフィアや、フリーメイソンや、原理運動の支持者のように、確認サインか、秘密の言葉か、特定の話題に対する変質的な関心があるらしい。
扶桑社「最後の笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

親の愛情、とりわけ母親の愛情というものは、いつもかなしい。いつもかなしいというのは、それがつねに「片恋」だからです。
新潮文庫「両手いっぱいの言葉ー413のアフォリズム」寺山修司

(兄貴が死に)
「おやじとおふくろには大ショックだったんだよ。・・・子供は兄貴とぼくだけで、そしておやじとおふくろがぼくを見るたびにこう考えているのがよくわかるんだ。つまり、どっちか一人を死なせなくっちゃならなかったのなら、どうしてあの子じゃなくちゃならなかったんだろうて。そしてそれが二人の眼に表れてしまってて、二人ともそのことを知ってて、ぼくが二人のその気持ちに同感していることを二人は知ってて、それでもって二人はぼくにすまないと思っていて、そしてぼくはその二人に対してどうすることもできないんだ」
早川書房「小さな土曜日」アーウィン・ショー/小泉喜美子訳

俺にも娘が一人いる。申し分のない女の赤ん坊だ。名前はアンナ・ジュヌヴィエーブ。家でマリーにあやされている。いや、マリーは恐らく居眠りをしているだろう。生まれたときはETみたいに醜かった。しかし、口にしたのは一度だけだ。マリー・ロールはアンナが生まれたとき美しかったと思っている。それに首をかしげれば、赤ん坊に対する愛情まで疑われるから恐ろしい。マリー・ロールは娘と恋に落ちた。しかも分娩室の中でだ。
扶桑社「最後の笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳