はらはらと はらはらと

 桜満開。春爛漫。華やかにときめいてお花見の季節。と、言っても
「エ? 何の花を見るの?」なんてトンマなことを聞く日本人はいない。
 花の名前は数々あれど、「花見」というと梅や桃ではなく桜のことだし、「花より団子」の『花』も桜であるのは言うまでもない。
 このように、日本人にとって『花』といえば桜を連想することが多い。
 美人を表す言葉に、昔風にいえば「彼女には花がある」という言い方がある。これは、今風にいうと「彼女はオーラがある」ということになるが、この場合、イメージしている『花』はバラやチューリップではなく桜である。
  また、林芙美子が

花の命は短くて苦しきことのみ多かりき

といった『花』も桜である。
 このように、花といえば桜という意識は、日本人のすぐれた感性のひとつであり、外国人には理解できないことであろう。外国人にはFlower=FlowerであってFlower=Cherry Blossomには決してならないはずである。 
 それにパッと咲いてパッと散るという、潔いよい咲き方が潔いよい生き方を好む日本人の感覚にあっているのであろう。
 今年の桜は、開花が遅く桜前線が駆け抜けていったが、私は豪華絢爛に咲き誇る桜より、ハラハラと散る花吹雪の方が好きである。
 1190年没した西行法師は、桜はその散る姿が一番美しいと

春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなり

という歌を作ったが、桜散る樹の下での花見もいいものである。
 しかし、『花』がある彼女と肩寄せあって、桜散る樹の下で酔っ払い「あなたの花を散らしてみたい」なんてことは、いくら心で思っていても口に出してはいけない。
 ここは、やはり酒など飲まず、みたらし団子など食べながら「花散る姿は妖しく美しく、まるで君のようだ」などとキザっぽく言はなければならないであろう。
 また、西行法師は

願わくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃

とも歌っているが、こんな人生の閉じ方が出来たらいいなと思う。
 そうすれば、はらはらと桜散る樹の下で、ひっそりと『花』ある女性(個人情報保護条例に基づき氏名は未公開とする)が、はらはらと涙を流すに違いないのである。ウーン、これって最高!!!

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