愛を確かめて・・・

 昨日はバレンタイン。
 もし、14日が土曜か日曜だったら、義理チョコを買わなくてもすむので、女性はニッコリ、おじさんとチョコ屋さんはガッカリだけれど、幸か不幸か今年のバレンタインは水曜日。
 だけど、最近は平日のバレンタイデイでも
「どうして、あんな冴えないオジサン上司にチョコ, やんなきゃならないの」と、女性軍は理性に目覚め、義理チョコが減ってきているそうである。
 そこで、危機を感じたチョコ業界は陰謀をはりめぐらして、高級感あふれる「自分チョコ」や女性同士の「友チョコ」、お世話になった人への「世話チョコ」やら奥さんからダンナさんへの「ファミチョコ」に娘さんからの「パパチョコ」などを生み出し、女性心理をくすぐって商魂逞しく売り上げ減をカバー。
 ホント云えば、バレンタインデイは恋人達の愛の誓いの日であり、愛の告白をする日でもある。だから、吉川宏志の歌集「青蝉」に収録されている

花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった

という句のように、云おうとして云えない人が、チョコレートに託して愛を告げることが出来る日がバレンタインデイなのである。
 ああそれなのに、それなのに、である。「ナントカチョコ」や「カントカチョコ」が巷にあふれた結果、「本命チョコ」の影が薄くなってしまい「本命チョコ」を渡したつもりなのに、相手は
「これって義理チョコ? それとも世話チョコ? まさか本命チョコ?」と、交通整理が必要なニブイ男性も出てくるにちがいない。
 しかし、前世から赤い糸で結ばれている相手なら、いくらニブイ男性でも、一瞬にして「本命チョコ」と感じ
「ああ、そうだったんだ!!!」と、後はハッピイウエディングにまっしぐらとなるはずである。
 そういう意味では「聖バレンチノさん」に悪いけれど、ニッポンのバレンタインデイは
「愛を告げる日」ではなく
「愛を確かめる日」となるにちがいない。
 そこで、皆さん、昨日は胸ドキのバレンタインデイ。愛を確かめることが出来ましたか?
 エ? 感度なしだって・・・。
 ウーン、そうか。だったら、歌人 俵万智も詠んでいます。

男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴

 

The End まであと5分

 昨年の冬はサムーーーーーイと云っていたのに、今年の冬はサムーーーーークない。
 これって、ヤッパ暖冬!!! 
 このままでいくと、南極やグリーンランドの氷がとけて、ウン万年後には、我が愛するニッポンも海の底に沈んでしまう。
 そうなりゃ、大変、どうしようと心配していたら、アメリカの科学雑誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティツ」が、地球滅亡までの残り時間を示す『終末時計』は、これまでの「残り7分」から2分進み「残り5分」になったと、1月17日に発表したのである。
 それによると、北朝鮮とイランに状況に加え、数分で発射可能な米ロの2千発の核兵器の存在やテロの増加のため、核拡散と核戦争の脅威が増大、それに加えて地球温暖化の問題も重なって「第2次核時代」に入ったと判断したそうである。
 英国のスティーブン・ホーキング博士は、この『終末時計』に関し、ロンドンで記者会見をして、
「世界の一市民として、我々は危険を警告する義務がある」と語ったけれど、警告された一市民である我々フツー人は、
「そんなこと云われたって・・・」と戸惑うばかりである。
 だって、北朝鮮やイラン、テロについては、アッチの常識はコッチの非常識だし、コッチの常識はアッチの非常識だから、まるで地球内宇宙人と話しあっているようなものでしょ。互いに理解できる訳がないのだから、ツベコベ云わず、お互い不干渉主義でいけばいいのに、アッチのエライ人とコッチのエライ人は、アアしろコウしろとヒステリックに口喧嘩。
 この問題については、我々フツー人としては、アッチやコッチのエライ人はアホでないことを信じ、口喧嘩までは許せるけれど、ピカドンのスイッチを押して終末時計の針を0分にしないように祈ることしか出来ないのである。
 それに、地球温暖化の問題も同じようなものである。これも、京都議定書に反対した超巨大国アメリカが、素知らぬ顔をして一酸化炭素をやりっ放しジャカスカ出しているのだから、我々フツー人がジタバタしたって地球温暖化は
「どうにも止まらない」ところにきているのである。
 だから、「あと5分」と警告されたって、我々フツー人は『終末時計』が進むのを手を拱いて見ているしか能がないでしょ、とヤケクソ。
 ところが、これがコンコンチキの大間違い!!!
 アンデス地方の先住民族の民話を絵本にした「ハチドリのひとしずく」を読んで、目からウロコ。我々フツー人だってアレコレ出来ることがいっぱいあったのである。

ハチドリのひとしずく

森が燃えていました
森の生きものたちは
われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
くちばしで水のしずくを 一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちはそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」

 ね、ハチドリだってやってるんだから、地球上の賢い生物と云われているヒト科の動物である我々フツー人も、
「顔を洗う時、お湯を出しっ放しにしないように」とか
「厚着をして、暖房温度をせめて1度下げよう」とか
「レジ袋は貰わないようにしよう」とか
「TVを消すときは、リモコンのスイッチでなく、TV本体のスイッチで消そう」とか
「赤信号では、車のエンジンを止めよう」とか、やれることいっぱい。
 ムダな努力と云われても、メゲずにやっていけば、エライ人なんかほっといても、我々フツー人だけで『終末時計』を1分ぐらい遅らせることができるかも・・・。

お屠蘇気分で 素敵に Music

 年末年始にかけてのNHKTVの音楽番組では、私、大満足。
 見たのは31日の「紅白歌合戦」に1日の「ウイーン・フィル・ニューイヤーコンサート」に2日は寺尾聰と小泉今日子が出演した「SONGS」。それと3日は「ニューイヤー・オペラコンサート」
 今年の紅白には、今が旬の中島美嘉や倖田來未に絢香、それに私の好きな平原綾香とか今井美樹やDREAMS COME TRUE、ブルースを歌わせたらピカイチの和田アキ子が出て熱唱。これで女性軍が勝つた思っていたら、なんと男性軍が勝ってしまった。
 私は男性なので、女性歌手の方は歌がうまいとかハスキイボイスとか美人とか可愛いとかお洒落とかピチピチプリンとかボイーンとか露出度が大きいとか足がきれいだとか足の跳ね度が大きいとかお尻のフリ度が大きいとか、好きになる理由は次から次に際限もなく出てくる。でも、男性歌手の方は、歌がうまいから好きという位で、外に好きになる理由はナーンニも出てこない。
 だから、私は男性だけれど、好きな歌手が多い女性軍が勝って欲しいと思うのも、当然であろう。でも、紅白で男性が男性を応援するのが当然というような演出になっているが、あれって、おかしいんじゃない? 
 私のように、客観的な広い視野をもって価値判断をし、しっかりと歌手を見て女性が勝ちと判断する視聴者もいるのに、である。・・・ ン? 何? 歌がうまいかどうかで決めるべきで、ソーハチさんのようにH度いっぱいの判定はおかしいって ・・・ エ? 女性ってそんな見方をするの? Hだなんてとんでもない。それって偏見。私は、ただ素直に見たことを云っているだけなのに・・・。
 そういう訳で、男性の出番の時は、マジマジ見ていないものだから、DJ OZMAのあの決定的瞬間は見のがしてしまった。ホント、残念である。
 だけど、NHKってマジメなんだ。一生懸命に「ごめんない」とお断りしていた。でも、TVを見ていたサイレント・マジョリィティは
「ヤッた!!!」とニッコリしたに違いないのである。紅白ってお祭りでしょ。日本はジョークがあまり通じない国だけれど、カターク考えずに笑い飛ばしてユルークいきましょう。
 1日は恒例のウイーンフィルのニューイヤーコンサート。お懐かしのズービン・メーターの指揮で、ニューイヤーの雰囲気がいっぱい。楽しく心も踊って、毎年、このコンサートを聴くと、「ああ お正月」って実感。
 そして、2日の「SONGS」。寺尾聰は都会の雰囲気を持つ歌手だけれど、お目当ては寺尾聰のトークの相手となった小泉今日子。実は、私、小泉今日子の大ファンである。
 和田誠の監督で「怪盗ルビー」という映画が1988年に上映されたけれど、この映画で怪盗ルビーに扮して主演したのが彼女だったのである。
 この映画は、洒脱な文章を書くミステリイ作家ヘンリィ・スレッサーの原作を映画化したもので、そのうえ、ノホホンとしてホノボノとした絵を描く私の好きなイラストレーターの和田誠が監督した映画である。だから、それにつられて見に行ったのだけれど、たちまち小泉今日子のファンになってしまた。
 この映画は、ブルーリボン賞を受賞したお洒落で素敵な映画だったが、あんなアイドル歌手を主役にするなんてと「?」付で見に行ったところ、見終わったら、逆に彼女を起用した和田誠に「さすが・・・」と感服してしまった。
 それ以来、彼女の雰囲気と歌う声のトーンが大好き!!! になってしまったけれど、彼女に曲を提供しているのが、大滝詠一・高見沢俊彦・奥田民生・井上陽水・小室哲哉等のそうそうたるメンバーが多いということを考えると、
「どうして和田誠が?」
「どうして寺尾聰が?」と、彼女を指名したのか分かるような気がする。
 この「SONGS」の番組の中で、寺尾聡が
「最近は映画ばかりに出ているけれど、歌の方もボチボチどう?」 と彼女に云っていたが、私も、いや、彼女のファンもそう思っているにちがいない。
 彼女が歌う大人の歌を聴きたいと思う。

気分次第で 夢いっぱい

 12月31日の「ゴーン」という108番目の除夜の鐘で、2007年もハッピイにオープン!!!
 除夜の鐘を聞いて、108の煩悩を取り除いてもらい、清らかな心で新年を迎える。
 そして、まずは

あけましておめでとうございます

 と、云っても、人生にまだまだ先があった頃とは違い、人生のENDマークに向かってカウントダウンが始まっている私にとっては、小林一茶が詠った
 「目出度くも中位なり おらが春」の方がよく似合う。
 でも、1月1日といっても、物理的には昨日と同じフツーの日なのに、お正月って不思議な日である。
 除夜の鐘を聞くと、108の煩悩が何故かdeleteキイを叩くようにパット消えるし、
 初日の出を拝むと、何故か「バンザイ」を絶叫したくなるし、
 いつもはジーンズなのに、何故かおしとやかになって初詣には着物を着て、彼の目をトローンとさせるし、
 ケチな親が、何故か大枚のお年玉をはずむし、
 ホント、こんな不可解なことが起きるのは、あれもこれも、みんなお正月だからである。
 「物は考えよう」という諺があるけれど、人間って動物は気分次第、考え方次第で、どうにでもなる動物であるにちがいない。
 朝日新聞が昨年末にbeモニターにアンケートをして、2612人から回答を得た結果が新聞に掲載されていたが、来年はいい年になると答えた人が、なんと5割もいたそうである。
 しかし、beモニターの人達は、
 「設備投資がアアなって、貿易黒字がコウなり、その他モロモロの指標はコッチを指しているので、来年の経済成長率はキンキラキンとなる」なんて、もっともらしいことを考えて、来年はいい年になると答えた人はいないであろう。
 多分、
 「いつもニガ虫をつぶしたような顔をしている社長が、ニコニコしているから」とか
 「イブの夜、身も心も、ときめいたから」とか
 「勉強お留守の我が子が、塾に行くと言い出したから」とかいう理由で、来年はいい年になるかも、と思ったのに違いないのである。
 しかし、そうは云っても「物は考えよう」だから
 「従業員の給料を上げたら儲けが減り、イザという時に困るので、従業員は生かさず殺さずの精神でいこうと、社長は考えているに違いない」とか
 「イブの夜、あれって、ひよっとしたら最初で最後?」とか
 「私たち親のこと考えたら、塾に行ったって成績上がる訳ないわよね」とか、考えてはいけない。
 「物は考えよう」だけれど、いいことは素直に受け止めて、失敗やいやな事が起きた時はプラス思考で切り抜けて「森そーはち」さんのホームページでも開き、夢のある1年にしようではありませんか。
 何故って、このコラム「夢旅人」なんですから・・・。
 では、今年もよろしくお願いします。

※ このホムページの「不動産コンサルタント」の「業務案内 ・ ご挨拶」のページの末尾に、私の今年の年賀状を載せていますので、是非読んでください。