ときめきの時を失くして・・・

 ヤレヤレ、天下分け目の選挙が終わった。
 新聞・TVは、アアでもない、コウでもないと、かしましかったけれど、我が家周辺はいったって静かで、あの「お願いコール」を聞くこともなく、選挙は蚊帳の外。
 どこかの党のおエライさんが、JR小倉駅前で絶叫したらしいけれど、私が街に出た時は、選挙カーに出くわすこともなく、平穏無事に選挙期間が終了してしまった。
 選挙の結果、民主党は第1党になれなかったので、
 「そこのけ、そこのけ、お馬が通る」とムチを当てて、強硬突破することは出来なくなったけれど、これだけ価値観が多様化しているのだから、過半数などというのは、夢物語になっているに違いない。
 過半数というのは、『政局』の世界の話しであろう。過半数取れなくっても、『政治』の世界ならば、唯我独尊ではなく、ミナミナ様の
 「ご意見拝借」と、意見を集約をして進めるのが当然であろう。
 そして、それが民主主義の原点だと思うけれど、どうもおわがニッポン国のおエライさんは、『政局』が優先し『政治』は二の次と思っているに違いない。だから、
 「オレが一番」と、人の云うことを聞くなんて沽券にかかわるから、聞く耳を持たないし、
 「みんな、お前が悪いんだ」と言ってケチをつけていれば楽だし、
 「この案でなければダメ」と、無理を承知の対案を出してスマしているし、どうも、わがニッポン国のおエライさんは、エラすぎて始末におえない。
 NHKの大河ドラマ「竜馬伝」を見ていると、坂本竜馬は
 「ニッポン国は・・・・」と、いつも叫んでいるけれど、わがニッポン国のおエライさんが選挙中に
 「わが党は・・・」と叫んでも
 「わがニッポン国は・・・」と叫んでいるのは聞いたことがなかった。
 でも、今度の参議院選挙で、私は選挙管理委員会から「投票立会人選任通知」なる書類をうやうやしく頂戴し、校区の投票場で投票の立会いをすることになったのである。
 それによると、朝6時40分までに出頭せよとある。なんと、朝6時40分!!!
 私にとって未知の時間である。当然ながら目覚ましをセットして寝たものの、6時のベルが鳴ると腕が自動的に伸びて、セットボタンを押してスヤスヤ・・・。
 でも、神風が吹いたらしく、窓ガラスのガタガタいう音で目が覚め、時計を見たらなんと6時15分。ギャッと起きて、なんとか時間に間に合うことが出来た次第である。
 私の経験から言えば、投票場で悪いことなどしてもいないのに、立会人から疑惑の眼差しでジロジロ見られて、いつも「イヤー」な気分になっていたので、なんと幸せ・・・。
 逆に、ジロジロ見ていい立場になってしまった。
 かくして、〝これ幸い〟と、慢性の「ときめき症候群」にかかっている私が、ピチピチプリンの美人が来たら、ジロジロのジロジロと見たくなるのも当然のことと云えよう。
 だけど、私、建前的には〝清く正しく生きている〟ことになっている。チロと見るだけで我慢しなければならぬ。チロチロではない。なんとチロの一回だけで、立会人の仕事にいそしまなければならぬ。
 かくして、「ときめき症候群」は不発のまま、立会い時間終了の13時30分が来てしまった。
 私、選挙でも投票の現場でもときめきの時を失くして、ションボリと意気消沈!!!
 でも、国民の皆様から分捕った貴重な税金の内から、ナニガシ円の「給与(日雇)」を貰ったからには文句は言えない。
 どうも「アリガトウ」といわねばならぬのであろう。

たまには純文学をどうぞ・・・

 4月に出かけた「中央ヨーロッパ5ヵ国の世界遺産周遊」の旅で、ツアーの最終地チェコのプラハで、アイスランドの火山噴火のため空港が閉鎖されて、6日間も足止めをくってしまった。
 それで、プラハの名所旧跡や市街を気儘にウロチョロ散策して、プラハを堪能することが出来たけれど、ある時ショッピングセンターの中にある大きな書店に入ったことがある。
  陳列されている本は、全てチェコ語だからチンプンカン。でも店内をブラブラ見廻っていると表紙に『HARUKI MURAKAMI』と大きな活字で印刷されている本を見つけた。ウン、かの有名な村上春樹のハードカバーの3種類の本が入り口近くの平台に山積されていたのである。
 名前だけローマ字だけど、あとはすべてチェコ語だから題名が分からない。でも、村上春樹の本が東欧の小さな国チェコでも、山積みされて売られているとわかって嬉しくなってしまった。
 私は、むかし昔のそのまた昔、同人雑誌を編集したりして、ブンガク青年だったけれど、これまたとっくの昔に卒業して、今や外国のミステリィ専科に落ちぶれてしまっている。
 それで、純文学という類の本は、ブンガク青年の名残で私の本棚にはズラズラーと並べてあるけれど、私の読書の世界とは、ほど遠い存在になっているのである。
 私が持っている村上春樹の本は、文庫本は処分しているので分からないけれど、ハードカバーで残っているのは「ノルウェイの森」「コインロッカー・ベイビーズ」「1973年のピンボール」「ダンス・ダンス・ダンス」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の5冊だけである。
 純文学は卒業していても、私は基本的にミイハアだったから、これらの話題となった村上春樹の本も買った訳だけれど、今やミイハアも卒業して、純文学のベスセラーも読むことがなくなってしまった。
 だけど、チェコで村上春樹である。チェコ人が読んでいるのに、私、ニッポン人。ニッポン人が読んでいないなんて、沽券にかかわるではないか・・と、いう訳で話題の「1Q84」を、帰国したらさっそく買って読んだ次第である。
 第1巻の冒頭にチェコ・ソロバキアの作曲家ヤナーチェックが作曲した『シンフォニエッタ』という楽曲が登場している。
 そうか、それでチェコで売られているは村上春樹の「1Q84」3部作か、と思ったがそんなに早く翻訳が出る訳がない。きっと「ノルウェイの森」などの有名本だと思ったけれど、「ノルウェイの森」にも冒頭にビートルズの『ノルウエーの森』という楽曲が出てくる。
 小説の導入部に、知られざる名曲を持ってくるというのは、お洒落な手法だけれど、それに引っかかったミイハアの私などは、
 「エ? 何?」と、さっそくCDを買ってきて聴いたものである。
 でも、今はもうミイハアを卒業しているし、なにしろヤナーチェックである。CDを探すのも大変と思って、早々に聴くのを断念してしまった。
 純文学と言えばカタイ本と言うわけで、敬遠しそうになるものだけれど、村上春樹は優れたストーリテラーだから、純文学というより準文学みたいな感じでスイスイと読んでしまう。帰国しても超繁忙を極めていたから、まだ3巻共読んだ訳ではないけれど、実に面白い。
 それに、殺し屋が出てきたり、SF模様だし私の好みにピッタリ!!!
 久しぶりに純文学を楽しんでいます。皆様もどうぞ・・・。

どこかに・・・

 6月。我が愛するニッポン国は、物も心もデフレ真っ盛り。そのためかどうかは分からないけれど、常識のタガが外れてしまったようなことばかり起こると、茨木のり子の詩のように、つい
「どこかに・・・」と思ってしまう。

6 月    茨木 のり子

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいざわめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる

目覚まし時計

 3月末にサラリーマン人生にENDマークを打って2ヶ月。ようやく、溜め込んでいた校区や合唱団の仕事が一段落。ヤレヤレ。
 でも、毎日仕事に追われてはいたけれど、毎晩目覚時計を朝7時30分にセットして
「明日は仕事に行かねばならぬ」と、さまよえる心を宥めながら眠りについていた日々から解放されて、開放感いっぱい!!
 だけど、目覚時計のセットをはずしたら、途端に起床時間は10時。グウタラ生活がスタートしそうになったけれど、世間は早起き人間が多いらしくって、9時には仕事の電話がジャンジャン。
 かくして、目覚ましを8時にセットしたけれど、私は夜型だから、
「明日は仕事に行かねばならぬ」がなくなると、目覚まし鳴れども
「マ、いいか」と、ついウトウトと心地よく二度寝して、起きるのは9時になってしまう。
 朝日新聞のbeモニターに「早起き派? 夜更かし派?」のアンケートを取った内容が掲載されていたけれど、早起き派は58%、夜更かし派は42%だったそうである。
 早起きは「三文の徳」と云われているだけあって、早起き派はマジメ人間だと思っていたら、早起きの理由は「勝手に目が覚める」がトップ。   
 目覚時計をセット、努力して早起きしているのではないと分かって
「ナーンだ」と、一安心。 
 でも、私にとって、目覚時計はなくてならぬものだけれど、俵万智の歌にあるように、恋する人には不要なものかもしれませんね。

君を待つ朝なり四時と五時半と六時に目覚まし時計確かむ

いっぱいイイことしたいのに・・・

 4月は、アイスランドの噴火で帰国することが出来ず、ヨーロッパに15日も滞在していたものだから、身体はすっかりヨーロッパ模様。
 だから、目が覚めるのはヨーロッパの朝に相当するお昼頃で、身体がニッポン時間に戻ったのは3日後である。目が醒めたらあっという間に夜が来て、1日がなんと短いこと!!!
 私は、夜型人間だから、夜が長いのは平気だけれど、昼が短いのは苦手である。1日が24時間もあるなんて信じられないような宇宙人感覚になってしまった。
 まあ、市民センターを3月に辞めた後だったからいいようなものの、4月から、何故か私の住む南丘校区の自治連合会・社会福祉協議会・まちづくり協議会の会計担当役員になっているのである。
 私は、エライ人と美人から頼まれたらすぐ「ウンウン」という悪癖があるうえに
 「毎日ヒマヒマ! ヒマになったらボケる。あなたのため」と連合会長から諭されたりすると、たちまち「ウンウン」と云ってしまった。
 どうも、迂闊だったような気がする。大いに反省せねばならぬ。
 それにかてて加えて、校区の老人会の役員と合唱団「北九州をうたう会」の総務幹事もしているでしょ、新年度の4月に15日も留守をしたせいもあって、各種団体からお呼びがかかって、ヨーロッパから帰ってきてからの20日間で、休んだのは日曜を含めて5日だけ。ゴールデンウイークも仕事をしたなんて、我ながらアホまるだしである。
 市民センターにいた時のデスクに座っての仕事と違い、4~5時間だけれど、ほとんど毎日何処かに外出して仕事をし、帰ってきてからもパソコン相手にシコシコ。もう忙し感はいっぱい。
 辞めたら
「いっぱい映画を見て、いっぱい音楽を聴いて、いっぱいミステリイを読んで、いっぱい録りためてるビデオテープを見て、いっぱい美術館に行き、見に来ている美人もいっぱい観察して・・・」という、憧れの日々はどこにいったの?
 私が、プンプンブスブス文句を言っていると、うちのかみさん
 「みんな引き受けたあなたが悪いの」と、一刀両断。
 それはないよね、ウン。
 とは云え、5月1日(土)にNHKBS2で放映された「松山千春ライブ~33年の時を越えて~」という番組は、しっかり見ました。
 松山千春とさだまさしは、どちらも大好きだけれど、松山千春の方は澄んだ声とメロディラインが好き、さだまさしの方は歌詞が好き。切なくて悲しい歌詞が多いけれど、それでも明るくて肯定感があって大好き。
 この日の放映は、あの懐かしの東京厚生年金会館。3月31日の閉館間際の29日に行ったライブの貴重な放映だそうである。
 ウーン、何度も行ったあの東京厚生年金会館がなくなるのだと、初めて知ってビックリ。この会館は千春が初めてコンサートをしたホールで、その時の模様を千春が話して、懐かしく感慨も新た!!!
 千春は、TVの歌番組に出ることがなく、昔むかし黒柳徹子の「歌のベストテン」で千春が1位を続けていたことがある。だけど、一向に出演しないので、TV局が新聞の一面広告で
 「千春、TVに出て!!!」とまでやって、びっくりしたことがあったくらいである。
 だから、TVで見るのは久しぶりなので、仕事をほっぽり出して見た訳だけれど、頭丸出しでも、それもイイ感じになっていて、ホレボレと歌も素敵で忙し感も忘れてシアワセ!!!
 ウーン、でも、もっとシアワセ感に浸りたいなァ。