その時が来た

今日は8月15日「終戦記念日」。最初の頃は正直に「敗戦記念日」といっていたが、いつのまにやら「終戦記念日」に代わってしまった。

「終戦記念日」とは、単に戦争が終わった日である。
物は言いようである。「敗戦」などという言葉は、どうしても「残酷な負け戦や過酷な戦災」が付きまとうから、そうゆう思いは忘れ去ってもらわねばならぬというわがニッポン国の頭脳明晰にして深謀遠慮なオエライさんがいたので「終戦記念日」となったらしい。

戦争を体験した年代の人がいなくなったら、わがニッポン国の頭脳明晰にして深謀遠慮なオエライさんの思う壺となるのかもしれぬ。

しかし、8月9日の長崎平和祈念式典で鈴木長崎市長が「平和宣言」で引用した「赤い背中」の谷口祾皣さんの言葉のように、悲惨な原爆のことを忘れてはならないし、平和を唱え続けていかねばならぬ。

「過去の苦しみなどを忘れ去られつつあるように見えます。私はその忘却を恐れます・・・」 

石垣リんさんの詩「雪崩のとき」に書かれているように、もう「その時」が来ているんでしょうか。そして、仕方がない、仕方がないと
あきらめるしかないのでしょうか、

雪崩のとき   石垣りん

 人は
 その時が来たのだ、という

 雪崩がおこるのは
 雪崩の季節がきたため、と。

 武装を捨てた頃の
 あの永世(えいせい)の誓いや心の平静
 世界の国々の権力や争いをそとにした
 つつましい民族の冬ごもりは
 色々な不自由があっても
 またよいものであった。

 平和  永遠の平和
 平和一色の銀世界
 そうだ、平和という言葉が
 この狭くなった日本の国土に
 粉雪のように舞い
 どっさり降り積もっていた。

 私は破れた靴下を繕(つくろ)い
 編物などしながら時々手を休め
 外を眺めたものだ
 そして ほっ、とする
 ここにはもう爆弾の炸裂(さくれつ)も火の色もない
 世界の覇(は)を競う国に住むより
 このほうが私の生きかたに合っている
 と考えたりした。

 それも過ぎてみれば束の間で
 まだととのえた焚木(たきぎ)もきれぬまに
 人はざわめき出し
 その時が来た、という
 季節にはさからえないのだ、と。

 雪はとうに降りやんでしまった、
 降り積もった雪の下には
 もうちいさく 野心や、 いつわりや
 欲望の芽がかくされていて
 “ すべてがそうなってきたのだから
 仕方がない ” というひとつの言葉が
 遠い嶺(みね)のあたりでころげ出すと
 もう他の雪をさそって
 しかたがない、しかたがない
 しかたがない
 と、落ちてくる。
 
 ああ あの雪崩、
 あの言葉の
 だんだん勢(いきお)いづき
 次第に拡がってくるのが
 それが近づいてくるのが

 私にはきこえる
 私にはきこえる。

  
※ 石垣りんーー19200年 -2004年。東京府生まれ。銀行員として働きながら定年まで勤務した。代表作に「表札」。 第19回H氏賞、第12回田村俊子賞、第4回地球賞[1]受賞。

暑いではなく熱い!!!

ニッポン全国猛暑日真っ盛り。
わが街北九州市の今日の気温は34度。とっても暑い!!!
でも、気温40度に近いアツアツの所に住む人のことを考えたら「とっても暑い」などと云ってはならないのであろう。「ほどほどに暑い」と云わねばならぬ。

もともと地球に生息するヒト科の生物は、地球上の他の生物や植物を痛みつけ、自然が壊れつつあるのを知りながら、温暖化をほったらかしてきたのだから、身から出た錆である。暑いなどと文句を言ってはならない。

「25度以上は夏日、30度以上は真夏日、35度以上は猛暑日」と云っているが、猛暑日なる用語を定めたのは2007年、今から16年前のことである。
すでに世界では45度以上の国が続出し、50度になることも予想されているのだから、この16年前の定義はもはや役に立たず、毎日が35度以上となった今「35度以上は夏日、40度以上は真夏日、45度以上は猛暑日、50度以上は酷暑日」と改めるべきである。

冬は厚着をして外出すれば寒さを凌げるが、夏は裸で外出する訳にはいかず・・・エート、ミステリィ作家のロス・H・スペンサーが「俺に恋した女スパイ」で書いたように

おれはいった。それはぜんぜんなにも着てないのと、ほとんどなにも着てないのと中間ぐらいだな

と、までもいかなくても、若いピチピチプリンの女性が、一見ビーチ風スタイルで街を闊歩しているのを見ると、心ときめいて、
「ウン、夏大好き」となるに違いない。

私、とってもすっごく年寄り。年寄りは熱中症になったらたちまちバタンキューとなるから、不要不急の外出は控えろとのお達しなので、一見ビーチ風スタイルの女性に出会う機会などありゃしない。フンだ。
だから、外出などしなくても、せめて俵万智の句のように、

暑く熱くなりそうな朝 朝霞の粒子の中に あなたを想う

てな人がおればいいが、とってもすっごく年寄りで枯れはてた私にとっては夢のまた夢である。

わが街北九州市では「まちなか避暑地」なる制度を作り、450の商店街やデパート、公共施設などが「まちなか避暑地」となった。
一見ビーチ風スタイルを求めての外出は不要不急になるかもしれぬが、映画館は「まちなか避暑地」に定められているので、映画を見に行くのはいいだろうとヘ理屈をつけ、映画「君たちはどう生きるか」を見に行くことにした。

私が原則として見るのは「ドンパチ映画」。ドンドンパチパチ弾丸が飛び交い敵はバタバタ倒れるが、わがヒーローには何故か弾丸は当たらないという「スカットと爽やかドンパチ映画」である。しかし、原則がはこびれば息が詰まるので、例外があるのが世の常である・・・てな訳で、世間の話題になる映画は見に行くことにしている。

映画「君たちはどう生きるか」は宮崎駿監督、事前の宣伝なし予告編なしと、公開まで一切の情報がなかったのである。
それでも、期待に胸を膨らませた宮崎ファンが、公開と同時に映画館に押し寄せたのは当然としても、映画館を出てきたら、皆さん一同に「ン?」。キョトンとしたらしい。

映画の下馬評は「チンプンカン」が多いようだが、どうも今迄の宮崎駿の映画とはまるで肌合いの違う映画になっているようである。
私、宮崎駿の映画は全部見ているが、若い人が「ン?」なら、いい加減とっても年寄りで感性の衰えた私が見たら「ンーーーーン???」になるに違いないけれど、まあ「チンプンカン」の正体をみたいと思って見に行くことにした次第である。

映画のタイトル「君たちはどう生きるか」は、吉永源三郎の児童文学の本から取ったということだったが、映画のストーリーとタイトルは関係ないということである。でも、宮崎駿がどうしてこの脈絡のないタイトルをつけたのか知りたくて映画を見たが、まったく「・・・???」

ストーリィは先の大戦の末期、母親を空襲で亡くした15歳の少年が郊外に疎開したところ迄は普通の展開。それからは、ストーリーはハチャメチャに吹っ飛んでアレヤコレヤにコレヤアレヤと・・・まあ最後は無事にTHE END.。

まあこの映画、画面も奇麗だし色彩も鮮やかだし、ストーリーはそっちのけにして宮崎駿ワールドを楽しめばいいのである・・・と、「チンプンカン」の正体なんて、暑いではなく熱いのだから、どうでもいい話とすることにした。

馬の鼻先に人参を

マイナンバーカードをめぐって、てんやわんや!!!

マイナンバーカードを取得するようにとの政府のお触れが出たとき、私、とってもすっごく年寄り。公的な証明書など取りに行くようなこともないし、健康保険証の代わりになるといっても、今の健康保険証でチラッとも不便を感じたことがない。今更カードに変える必要などコレッポッチもないのである。

かくして、政府にとってはメリットいっぱいのマイナンバーカードだとしても、私にとっては何等のメリットなしのマイナンバーカード。
私だけでなく皆々様も同じ考えをもっていたらしく、政府の願いむなしくマイナンバーカードはソッポを向かれてしまった。

岸田総理は組閣を組む時、総裁選のライバルだった河野さんをポイしたいと思ったけれど、太っ腹を見せようとデジタル大臣に指名。
デジタル庁は業務を遂行する官庁であまり政策など打ち出す官庁ではないから、しばし正論を吐いて国民的人気あふれる河野さんでも、出番がなかろうと思ったのがコンコンチキの大間違い。

ミステリー作家パーネル・ホールが「依頼人が欲しい」に

正論だ。ここがわが妻の大きな問題のひとつだ。彼女は頻繁に正論を吐く。

と、書いたように、議員仲間でも河野さんは問題の人なのである。

マイナンバーカードの発行が遅々として進まず、デジタル庁の権威が地に落ちてきたので、河野デジタル大臣は業を煮やして「馬の鼻先に人参をぶら下げる」訳ではないけれど・・・健康保険証と銀行口座を紐づけしてマイナンバーカードを取得すれば、一金20,000円也のポイントをあげましょうと、国民的人気をあおる素敵なアイデアを生み出した。

一金20,000円也という人参をぶら下げられたら、私、馬じゃないけれど「貰えるものなら何でも貰う」主義。
ホイホイと区役所に行ったら、私と同じ思いの人がウジャウジャ。待つこと40分、担当の人がパソコンのキイをカチャカチャカ叩いて「ハイ、おしまい」。うやうやしく一金20,00円のポイントをゲット。

今まで政府からあれこれ名目を付けて、なけなしのお金をむしり取られるばかりだったが、なんと、政府からむしり取ることが出来たなんて、すこぶるイイ気分。

ところがである。なんと現在の健康保険証は無効とし、マイナンバーカードに統一するとのビックリ&驚き桃の木山椒の木の方針が打ち出された。おいしい人参もはずだったが、うさんくさい人参だったのである。賢い政府が、タダで一金20,000円也を払う訳がないのである。

かくして、全国民は、健康保険証を捨てマイナンバーカードを必ず取得しなければならない羽目におちいってしまった。目的は健康保険証のカード化ではなく、全国民のカード化だったんである。なんという姑息な手段!!!

どうしても、デジタル時代になったので「マイナンバーカードが絶対必要」というのなら、国民が納得いくように説明をつくし賛同を得てスタートすべきである。
それなのに、自分の努力不足を棚にあげて、一金20000円也でカード登録100%を目指すなんて、国民をバッカにした話である・・・てなことを云っても、うやうやしく一金20,000円也を貰った身だから、取り消すことにしよう。

マイナンバーカードというのは私の分身みたいなものである。普段は必要ないから、自宅のしかるべき場所に大切に保管して置くはずである。ところが、病院に行く時は、本人自身が行くのにもかかわらず、私の分身まで引き連れていかねばならぬ。私のようなとってもすっごく年寄りは、物を落としたり置き忘れたりするのが日常である。もし失くしでもしたら・・・私の分身は行方不明、片身を剥がされた思いをするに違いない・・・どうしてくれる!!!

河野デジタル大臣は、功をあせって剛腕を発揮。デジタル庁の尻をひっぱたいた結果、予習もせずに見切り発車したものだから、ボロがボロボロ&ボロボロ。おまけに河野デジタル大臣は「木で鼻をくくる」ような国会答弁をして、国民的人気も落としてしまった。
その内、ことわざ辞典の「急いては事を仕損じる」の事例として、マイナンバーカードの申請ミスが取り上げられるかもしれぬ。

ここで「現行の健康保険証とマイナンバーカードの2本立てにする」と、河野デジタル大臣が持ち前の暴論・・・ン? 正論を吐けば一件落着、国民的人気を取り戻すはずである。
どうして言わないのか?
アア、そうか。そうしたら、人気が回復するかもしれないけれど、マイナンバーカードの取得者が減ってデジタル庁の評価はガタ落ち。
アチラが立てばコチラが立たず・・・ホント、悩み多き河野デジタル大臣!!!

林芙美子生誕120年

北九州市立文学館で、林芙美子生誕120年記念として企画展「拝啓 林芙美子様ー芙美子への手紙ー」が開催されると共に、文学館館長の今川英子先生の連続講座「林芙美子の生涯と作品」が2回にわたって開かれ、私、イソイソと受講した次第である。

私は、北九州市立文学館「友の会」の会員である・・・てなことを云うと、いかにも文学通と思われるかもしれないが、それはうるわしき誤解である。
私、文学館館長の今川英子先生のファン。
「ウン、そうか、今川英子先生が美人だからファンになったんだ」なんて、勘ぐられては困る。

私が南丘市民センターで働いていた18年ほど前、柄にもなく「文学講座」をやろうと思い立ったものの、何をやっていいのかまったく「?」。
そこで文学館に行き、面識はなかったけれど館長の今川英子先生に相談したところ、なんと快く承諾して頂き、表向きは「企画 森荘八」、本当は「企画 今川英子先生」で、「学んで楽しむ文学講座~松本清張生誕100年を記念して故郷の文学を辿りましょう」という講座が誕生した。
講座では松本清張のほかに森鴎外・火野葦兵・杉田久女などを取り上げ、毎月1回今川先生をはじめ7人の講師の方々から、毎月1回8ケ月にわたり開催することが出来た。。

私は司会をしただけだけど、市民センターホールいっぱい120名のお客さんがおしよせ大成功。すこぶる好評を得て、私、鼻タカダカ!!!
以来、私は今川英子先生の絶対的なファンとなり、「友の会」の中では文学通歴ゼロだが、ファン歴は誰にもヒケは取らないと自負している。

森光子主演で1961年(昭和36年)芸術座で初演された「放浪記」は、2017回にわたり演じられて有名になっているが、林芙美子の原作を読んでいる人は少ないに違いない。恥ずかしながら、私もこのお芝居をテレビで見ただけだが、すっかり「放浪記」を読んだつもりになっていた。
この小説は、昭和5年に出版されたもので、ひどい貧乏にもめげず、したたかに生き抜く女性を描いた自伝的小説でベストセラーとなっている。

特別展の会場には、北九州市立文学館所蔵の川端康成、井伏鱒二、宇野千代など同時代の作家をはじめ、ジャーナリスト、編集者67人が芙美子に書いた手紙73通と共に、林芙美子の生涯と作品、当時の社会情勢などが分かりやすく展示されている。

私、芝居「放浪記」だけしか知らないので、彼女は孤高の人とばかり思いこんでいたのに、交流した文壇の著名な人の多いことにビックリ。川端康成の毛筆で書かれた書簡、素晴らしかった。ホレボレ・・・。

林芙美子が随筆の中で「作家の手紙と云うものは、なんとなくうるおいがあって魅力があるのは、感情生活が豊かで、子供と同じように自分の生活をあまり隠さないからでしょう」と述べているように、とっても面白く読ませてもらいました。

今川先生の講座、先生の語り口は、居眠りを誘うように心地よいけれど、お話の内容は面白くって引き込まれ、アッという間にTHE END。とってもお上手。これ、お世辞ではありません。念のため・・・。

先生の講座の1回目は林芙美子の人生の行程をたどり、2回目は林芙美子の「浮雲」など5作品の「あらすじ」と「鑑賞」。この「鑑賞」は今川英子先生の作品に対する感想を綴ったもので、作品への愛情がにじみ出ていて素敵でした。それと「放浪記」など7作品に書かれた林芙美子の「あとがき」。これは林芙美子の作品に対するあけっぴろげな思いが感じられて感心しました。

私は、今川先生の作品の「あらすじ」を聞いて、まるで作品を読んだ気持ちになってしまった。
そうそうたる文学者は上から目線だけど、林芙美子は下から目線で社会の底辺でうごめいている人たちを描いているとの話に納得。多くの人たちとっては身につまされる作品で、愛読者が多かったのは当然と思える。

しかし、最近に出された中央公論社から出版された柚木麻子の本に「林芙美子は食と経済の人」と書いてあるらしい。私にはまったく「意味不明」だが、若い人の感性には、とてもついていけない。

ウーン、私、もうトシ!!! 仕方ないか。

ご機嫌いかが 7

梅雨まっさかり。
私、雨大嫌い。だから雨の続く梅雨は大大嫌い。

気象庁 天気予報に従ひて 今日も要なき傘持ちありく   奥村晃作

そうです。私、手に物を持って歩くのも嫌いなのに、傘を持ち歩けば忘れるという習性があるから始末に負えません。

だから、雨の日は出来るだけ外出をせずに、糸満久美子の句にあるように過ごせたらいいけれど、これって高望み。

雨の日はぬいぐるみの犬しゃべらせて 終日かるくかるく過ごす

せめて、「ハードボイルドに恋をして7」 の「ご機嫌いかが」のシリーズ最終回、「爽快」を読み「感嘆」して下さい。

爽 快

日曜日の午後だった。私は洗って濡れた手を太陽にかざして乾かしたような気分だった。
二見書房「スキャンダラス・レディ」マイク・ルピカ/雨沢泰訳

今日はすてきな音楽のようにすばらしいので、スキーをする気になれないの。
大和書房「ニューヨークは闇につつまれて」アーウィン・ショー/常盤新平訳

何もかもが快適に感じられた。空気は蒸発した昨夜の夜霧を含んで甘く、隣にはこれからの人生に素敵な予感を抱かせてくれる美人がいる。
早川書房「災厄という名の男」R・D・ブラウン/安倍昭至訳

今は朝、金曜日の朝、気分は最高とまではいかなくても、絶好調の人間の中古品程度の気分ではあった。
早川書房「泥棒は抽象画を描く」ローレンス・ブロック/田口俊樹訳

「・・・やっぱりニューヨークは好きだと思うわ。ジュッと音が出そうな活気があるのよ。サイモン。この疲れはてた世の中で、まだジュッと音をたてるほど元気のいいものがいったいいくつあると思うの」
早川書房「死者は惜しまない」ナンシー・ピカート/宇佐川晶子訳

何がたのしいと言って、人の悪口を言っているときほど楽しいものはない。
しかし本人がいる前ではなくて、いないときに言う悪口ほどたのしい。それも「バカ」とか「ウスノロ」とかいうような単純な悪口ではなくて、もっと多角的に創意と工夫をこらして言うほど、満足がゆくようである。
「さあ、だれかの悪口を言ってみな」
と言われても、悪口を言う相手を思いつくことができないのは、なんという孤独なことであろうか。
新潮文庫「両手いっぱいの言葉ー413のアフォリズム」寺山修司

秋は昔から大好きな季節だ。冬のブルースが流れ出す前に、爽快な気分を味わう最後の季節だから、というだけのことかもしれない。
早川書房「火事場でブギ」スティーヴン・ウォマック/大谷豪見訳

(車の)
窓をのこらずあけると、涼しい秋風が流れこんできた。睡眠不足でぼうっとした頭がすっきりして、順風満帆の人生が流れていくような気がした。
早川書房「火事場でブギ」スティーヴン・ウォマック/大谷豪見訳

感 嘆

「・・・わたしは朝、頭脳明晰でいるつもりなんかありませんからね。ペレに蹴っ飛ばされたサッカー・ボールみたいな頭でいるつもりよ」
「だったら、ぼくが頭脳明晰でいよう。・・・アスピリンは薬箱にはいっている」
「なんて賢い場所にはいっているんでしょう。賭けてもいいわ、あなたってミルクは冷蔵庫に、石鹸は石鹸箱にしまっておくタイプなのね」
早川書房「泥棒は抽象画を描く」ローレンス・ブロック/田口俊樹訳

(14歳の少女セーラが手伝いにきて)
学校が夏休みにはいるころには、オフィスの書類はすべてきちんと整理された。そして、この娘はおれのスケジュールを完璧に把握し、歯医者に行き、離婚した妻たちに誕生日のプレゼントを送るといった、思い出したくもないようなことを知らせ、おれの行動を管理するようになった。
扶桑社「笑う犬」ディック・ロクティ/石田義彦訳

(宝石のついた高価な時計を貰って)
・・・わたしもこれで時計を持ったといういうわけだ。恋多き男の言い訳のごとく薄っぺらで、報われぬ恋人のごとくずっしりと重い。
早川書房「風の音を聞きながら」デイヴィッド・M・ピアス/佐藤耕士訳

赤い髪は長く目は熱帯の海のように、澄んだエメラルド色。肌はとても白く青みがかったスキムミルクのようだ。家の近所のバーでこんな女が隣にすわって、飲み物のチェイスをほめてくれたら、男は人生が変わろうとしているぞと思うものだ。
早川書房「夏をめざした少女」リザ・コディ/堀田静子訳

※奥村 晃作ーー1936年生まれ。歌誌「コスモス」選者。
糸満久美子ーー1945年生まれ。詩集「愛ポポロン」など多数。