井上陽水三昧

先月、なんと嬉しいことには、NHKFMラジオで「今日は一日“井上陽水”三昧」が午後0時15分から9時25分までエンエン9時間にわたって放送されました。

NHKFMでは、さまざまな音楽のジャンルから一つのジャンルだけに絞って「今日は一日~~~三昧」というタイトルで、多数のゲストを招きエンエンと放送。小田和正とか松任谷由美とか取り上げられてきたけれど、ついに、私の大好きな井上陽水が登場!!!

私、16時にヤボなアポが入っていたため、残念無念、口惜しながら15時半に外出し、後半は聞けなかったけれど、娘のサラサさんも出演して陽水の素顔をあれこれ話し、陽水らしからぬ陽水のおかしな話もあって「フーン、そうなんだ」とニコニコ。

陽水って、しかめっつらをして取っ付きにくいイメージがあるでしょ。だけど、TVの番組に出た時のトークってすっごく面白いんですね。とぼけたような話しぶりがおかしくって大好きです。

むかし昔のTV番組で司会者から「あの不可思議な歌詞は、どうして生まれるのですか」と聞かれた時、「歌詞を書きながら、その時にフット頭に浮かんだ言葉を書いてるだけ」と答えたのを聴いて、「そうか、それで脈略ないんだ」とウン納得。

「アジアの純真」の歌詞「北京 ベルリン ダブリン リベリア 束になって輪になって イラン アフガン 聴かせてバラライカ」というようなチンプンカンプン風歌詞でも聴くとなぜか「ウン、これってアジアの純真なんだ」と納得させられるですね。これって不思議。陽水マジック!!!

この楽曲はPUFFYのデビューシングルだけれど、彼女達の歌いっぷりが可愛くて、すかりPUFFYのファンになりました。

でも、陽水の楽曲の中で私が一番好きなのは「白い一日」。作詞は小椋佳だけれど、この楽曲の3番の歌詞が素敵デス。

ある日 踏切のむこうに 君がいて

通り過ぎる汽車を待つ

遮断機が上がり 振り向いた君は

もう 大人の顔をしているだろう

番組の中で、「リクエストをメッセージを添えてどうぞ」というアナウンスがあったのでさっそく送信。ボツになったのか知らないけれど、外出するまでに放送されなかったので、シャクなのでここに書くことにします。

「私、すこぶる付の年寄りです。生まれた年を西暦でいうと、すぐ計算されるので、年号では昭和13年生まれ。今から35年くらい前、花の都の東京で華の単身生活をしていた時、テレビのスイッチを入れたら、椅子に座って、黒いバックで唾を飛ばしながらギターの弾き語りをしている歌手を見て茫然自失。唾が飛んでいるのが見えるんですよ、その歌手が井上陽水で歌は「心もよう」。以来、ズズズーイと陽水のファンになりました。好きな曲は「白い一日」と「5月の別れ」です。

※ 19号台風で、各地の被害状況がテレビで放映されました。もし、19号台風が九州に来て私の家が床上浸水していたら・・・と思うと、他人事ではすまされません。水が引いても、被害者の方々のこれからの生活のことを察すると・・・・いたたまれない気がします。心も折れてお疲れのことと存じますが、どうぞご大事に過ごされることが出来ますようご自愛のほどお祈りいたします。

こんな時に「井上陽水三昧」などと呑気な事を書いてと、お叱りを受けるかもしれませんが、ご勘弁のほどお願い申し上げます。

超大金星だけれど・・・

ホント、驚き木もももの木山椒の木!!!

なんと、ワールドカップ日本大会で、我がニッポンチームがアイルランドに勝ったなんて・・・。

私、スポーツ音痴で、ましてラクビーのラの字も知らなかったけれど、我が街北九州市に英国西部のラクビーウェールズが練習に来て以来、たちまち君子豹変してラクビーファンに大変身。

エ、何? 「そう八さんは君子じゃないでしょ。どさくさまぎれに格好つけないでね」だって・・・。

だって、他人がどう思おうと、私自身が君子と思っているんだから、間違いありません。ハイ。

エーット、そういう訳で、テレビのスポーツ番組は、愛する我がジャイアンツが勝っている試合以外は見たことがないけれど、大変身した以上、ラクビーの試合は見なければならないでしょ。

だけど「ノーサイド」と言われても「それ何?」と言う次第だから、ルールなんて無視。とにもかくにも、相手方にボールを入れたら勝ち、と言うことは分かっているから、ハラハラドキドキで見た次第です。かくしてバンザイばんざい万歳。良かったですね。

6月頃、私が所属している合唱団「北九州をうたう会」がお世話になっている北九州市文化振興課に打ち合わせに行った時「ラクビーウェールズの公開練習があるから、その時ウェールズの国歌を歌って下さいね」と言われ、私、キョトン。

全く知らなかったけれど、なんと、ウェールズが、一昨年完成したばかりのサッカー場「ミクニワールドスタジアム」で公開練習をするとのこと。ウェールズは「歌の國」だから北九州の歌声で迎えようとい算段である。

その時、原語で歌いますと言われて渡された楽譜を見ると、チンプンカンプン。でも「ウェールズ語の下に書いてあるカタカナ語で歌えば大丈夫」ということで、私、まったく楽譜を見て練習なんてしていなかったけれど、

「まあ、なんとかなるさ」というお得意の楽観精神で、当日の開場1時間前に会場に隣接する公園の練習場に行った次第です。

練習場に行くと、楽譜を持った自信満々的な皆さんがいっぱい。歌手の村田巧さんと田中美里さんの指導で練習が始まったけれど、おっかなびっくりの私の周りは、幸せなことに上手な人ばかり。その声についていって、なんとか落ちこぼれ気味の私もたった1時間の練習だったけれど、ウエールズの国歌「Hen Wlad Fy Nhadau」と応援歌でもある讃美歌「Calon Lan」を、なんとかカタカナ語で歌えるようになりました。

公園の周囲は入場を待つ人々がズラズラズラーと並んでいたけれど「すみませんね」と言いながら、我々合唱団は優先的に会場に入って正面の指定席に座ることが出来ました。

練習開始時間が近づくと、サッカー場は人・人・人。それでも、入場を待つ人が絶えずウェールズの「みなさん入場が終わってから開始しましょう」との思いやりで、開始時間が30分も遅れた次第です。かくして超満員で入場者数は15000人。

練習開始ということで、ウェールズの選手が会場に入ってきた時に「ウェールズ国歌」をバカでかい声で歌って、選手の方々もびっくり、両手を振って喜んでくれました。

練習は「スッゴイ」の一言。タックルの練習で選手がマットを前に持った相手にぶっつかっていくと、マットを持った相手は5メートルも吹っ飛ぶんですよ。練習試合もあったけれど、あれよあれよというまにTHE END。

会場となった小倉の街は、至る所でウェールズカラーの青で染められて、ウェールズラクビー協会のディレクターが「このような経験をしたことは一度もなかった」と、メディアに伝えていたとのこと。北九州のおもてなしの心が伝わったみたい。落ちこぼれ歌声の私、嬉しくってハッピー。

でも、ここで大問題が発生。ウェールズは、今年ヨーロッパゲームで1位となっった強豪チ-ムでしょ。北九州市民一同、ウェールズが優勝するよう応援しますと誓ったのに、なんと我がニッポンチームはAグループで勝ち点9で第1位。Dグループのウェールズも勝ち点9で第1位。

かくして、優勝戦で我がニッポンはウェールズと対戦することになるに違いありません。

ウーン、どうしよう?

大変! その2

世の中、大変の連続!!! 地球に棲息するヒト科の生物が、この星を得手勝手に徹頭徹尾に無法図に勝手放題に酷使した結果、温暖化が進んで近い将来、この惑星の気温は35度以上が夏日、40度以上が真夏日、45度以上が猛暑日になるに違いありません。ヒト科の生物って、エラそうな顔をしているけれど、きっとアホまる出しの生物なんでしょうね・・・と、はるか宇宙の彼方のチチンプイプイ星人が嘆いているそうです。

ホント、アツクッテあつくって暑くって熱くって・・・・もう、ダメ!!!

と、いう訳で、今回の「ハードボイルドに恋をして」は、「大変!」の第2弾です。

落 胆

 きかん坊がだたっ子になり、不良少女になり、今は、人間のくずへの坂道を転げ落ちている。10歳で人生に飽き、13で人生に疲れ、娘盛りを迎えた16で、人生に希望を失った。親が溺愛すれば子が背を向け、親が見放せば子がすがりつく、という典型的な例だ。

東京創元社「ストリート・キッズ」ドン・ウィンズロウ/東江一紀訳

「ちょっと、お待ち下さい」電話線が冷えていくのを感じながら、わたしはただあてもなく待たされる〝おあずけ〟の領域に入っていた。

早川書房「身代金ゲーム」ハワード・エンゲル/中村保男訳

脳みそがソックスの中に落ち込んでしまいそうな下向きの圧力・・・・未来のミの字も見えないときに、どっと襲いかかってきて、体をくたくたにしてしまう疲労。カービーは、パットしたたぐいの37歳。

早川書房「俺には向かない職業」ロス・H・スペンサー/上田公子訳

雨に濡れ、ののしられ、まるでオレンジの皮と卵のカラを通じて世界を見ているような心地になってしまうのだが・・・。

早川書房「身代金ゲーム」ハワード・エンゲル/中村保男訳

「ノックしたけれど、きみの心は惑星地球から、遠く離れていた」

早川書房「ダウンタウン・シスター」サラ・バレッキー/山本やよい訳

受話器から聞こえてきたのは、アホな留守番電話のアホな自分の声だけだった。アホな留守番電話でアホな自分の声を聞くために、おれはアホなミズリー・シィティにきたわけじゃない。

早川書房「チコの探偵物語」ウォーレン・マーフィー/岡村義進訳

(エレベーターに乗ったとき)

8年以内に合衆国大統領になりそうな女といっしょだった。ウールのスカートにウールのジャケット、おまけにウールのタイを締めていた。彼女が「メー」と鳴くのが聞けそうだったが、26階で降りてしまった。廊下を歩み去るのをながめていると、ドアが閉まった。彼女は両膝をくっつけすぎるぐらいにして歩いていた。タイトスカートは数多くのアメリカ女性のまともな歩行を駄目にした。言語に絶する被害だ。

早川書房「秋のスローダンス」フィリップ・リー・ウィリアムズ/坂本憲一訳

「彼はいっちゃったわ。わたしのハートを破って」

「ばかばかしい。ハートは筋肉でできているんだよ」

早川書房「汚れた守護天使」リザ・コディ/堀内静子訳

(父がいとこのヴィニーのところで仕事をしたらと云うので)

「給料はいいかしら?」あたしは聞いた。父は肩をすくめた。「雀の涙ぐらいだろうな」すばらしい。すでに失意のどん底に落ちている人間には完璧なとりあわせだ。腐れた雇主、腐れた仕事、腐れた給料。自分を哀れむ種はつきない。

扶桑社「私が愛したリボルバー」ジャネット・イヴァノヴィッチ/細美遥子訳

 なんといっても眠りからさめるときが最悪だった。・・・湿ったシーツが体の下でよじれ、ベッドが、部屋が、そして人生がからっぽであることを思い知らされる。けさも彼女はいなかった。

扶桑社「フレッチャー絶体絶命」サイモン・ショー/富永和子訳

そしてスケジュ-ル帖を確認した。火曜日の〝お守り役〟の仕事以外は、・・・警備システムの毎月の定期点検があるだけで、あとはジャイアンツの得点表なみに真っ白だった。

早川書房「バラは密かに香る」デイヴィッド・M・ピアス/佐藤耕士訳

ゴールディは答えなかった。ベッドの後ろにもたれ、天井をじっと見つめた。絶望を絵にしたような格好だ。

早川書房「汚れた守護天使」リザ・コディ/堀内静子訳

 心 配

とうとう、役にも立たぬ心配を続けるのにうんざりして・・・。

早川書房「ダウンタウン・シスター」サラ・バレッキー/山本やよい訳

・・・彼女はまったくよそよそしく、ベイハウスに着くと何やら他人行儀なお世辞をつぶやき、早々にひとりでベッドに入ってしまった。こっちだって、いま一緒に寝ないと死んでしまうなどと真剣な顔をして騒ぎたてる年ではなかったので、ぼくたちは同じ部屋で眠りに落ちた。・・・ただ眠ったのだ。・・・ぼくは自分たちのなさねばならない仕事について気をもんでいたが、このことが性的な切迫感が欠けていたことと関係があるのかもしれない。それとも、もう年なのだろうか。一覧表を作ったほうがいいのかもしれない。

早川書房「破産寸前の男」ピーター・バーセル/斎藤数衛訳

誓ってもいい。私はおん年40近くで、女といっしょになって別れ、あまたの対人戦争をくぐり抜けて叙勲をうけた老兵だ。その私が、何かがいまにも起こりそうだというときには、やはり不安じっとしていられなくなる。

早川書房「殴られてもブルース」スティーヴン・ウォマック/大谷豪見訳

(飛行機に乗ったらシュチューアデスが)

 ・・・飛行機が高度2万6千フイートの上空から地上に墜落して炎上しそうになったときにどうすべきかを説明した。わたしには、天井からぶら下がっている酸素マスクは役にたたないような気がしたが、彼女は緊急時の対応のしかたをわれわれに伝えて、いくらか満足したようだった。乗客に墜落炎上死の可能性を忘れさせるため、彼女は機体が離陸したら飲み物とスナックを配るとアナウンスした。

早川書房「無法のL」スー・グラフトン/嵯峨静江訳

・・・卒業したはずの散財癖がまたぶりかえし、この古めかしい百貨店であれこれ買いまくった自分の退行行動をしみじみ考えた。

早川書房「虹の彼方に」ネンシー・ピカード/宇佐川昌子訳

素敵に音楽を・・・

秋の気配が感じられるようになりました。そして、8月のテレビでは私の好きな音楽番組がいっぱい放映。爽やか空気の下で、幸せ気分もいっぱい!!!

久石譲が、世界有数の名門オーケストラ「パリ管弦楽団」と「フィルハーモニー・ド・パリ」で公演した「久石譲inパリ 宮崎俊監督作品演奏会」の模様が、NHKBSTVで8月18日に放映されました。
久石譲の指揮とピアノで、宮崎俊監督の「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」までの10作品の映画音楽を演奏するコンサート。大きなスクーリンに映し出される映画のシーンとそれに合わせて演奏される音楽の迫力が、TVだけれどすっごく伝わってきました。
私、宮崎俊の映画は、ほとんど映画館で見ているけれど、主題歌は別としてバックに流れている音楽は、意識せずに聴いているんですね。だけど、オーケストラで演奏されているのを聴くと、映画音楽としてではなく、れっきとした交響詩!!!

私、自慢じゃないけれど、と言いながら自慢するけれど、久石譲のピアノ演奏を5メートルの最短距離で聴いたことがあるんです。北九州市小倉北区にある永照寺の村上慈顕住職の「継職記念御堂コンサート」がお寺の本堂の行われ「豊島泰詞カルテット」と久石譲さんが共演。その時、私、3列目に座っていたから、ほんの目の先で、久石譲さんが弾く映画音楽をうっとり聴きながらうっとり見とれていました。(本件記事を2014年11月1日の夢旅人に掲載)

演奏会「さだまさしコンサート がんばれライオン2019」が8月24日のNHKBSで放映。ゲストに指揮者の佐渡祐など出演して豪華絢爛にコンサートが開かれました。演奏会のタイトルになっている「風に立つライオン」は1987年に発表された楽曲だけど、むかし昔、初めて聴いた時は、まだ感性枯れ果てていなかった頃でしょ。ジーンときてウルウルしながら聴き「これって、まさしの代表作」と思った位です。それからウン10年も日の目を見なかったけれど、まさしが執筆した単行本が出版され映画化されて、コンサートのタイトルになるまで有名になってしまいました。自慢じゃないけれど、と言いながら自慢するけれど、私、30年も前に「風に立つライオン」を代表曲とみなしているんです。エッヘン。

この日のコンサートで「償い」を歌いました。私、とっても年寄りになって、今や、感性枯れ果てていますけれど、この曲を聴くとちょっぴりウルウル感がするんすね。「風に立つライオン」も「償い」も、底に流れるのは「やさしさ」。

ロックは、私の射程外の音楽だけれど、ミュージカル映画は見ることにしているから、エルトン・ジョンの映画「ロケットマン」を見に行きました。エルトン・ジョンの歌は「ユア・ソング~僕の歌は君の歌」以外はまったく知らなかったけれど、圧倒的な迫力で迫るダンスシーンやファンタジックな映像は、ロックも捨てたもんじゃないと、感動させられました。主役を演じたタロン・エガートンの声は、吹き替えと思っていたら、本人の声と聞いてビックリ!!!

日本のロックシンガーは、何といっても矢沢永吉。私、昔むかしは、矢沢永吉は知らぬ世界の人と思っていたけれど、だんだん歳を重ねてくると、何故かファンになってしまいました(コンサートでタオルを振りまわすファンとは違うんだけれど・・・)

ウーン、彼が80歳位になってバラードというかブルースを歌ったら最高・・・と思っているけれど、その彼、なんと今年70歳になるんだって・・・。

それで、24日にNHK総合TVで「ドキュメント矢沢永吉」が放映されました。アメリカでのレコーディングやツーリング、彼の持ち船が紹介されて、ロックの矢沢永吉の素顔が紹介されました。歳とは関係なく、永遠のロックシンガー。魂のシンガーなんですね。

※8月中旬に九州北部を襲った記録的な大雨。わが街北九州市も、名前の通り九州北部にあると思われるでしょが、それって勘違い。九州北部のそのまた東北部にあるものだから、時折激しく雨が降りそそいだ程度です。今迄も、わが街は大きな地震にも水害にも合わず、災害が避けてくれるようです。

木の実


8月15日。今日は終戦記念日。このプログ「夢旅人」を2004年に開いて以来、毎年8月15日には戦争や原爆にちなんだ詩を15回にわたって掲載しています。2004年8月に掲載した第1回目の詩は美空ひばりが歌った「1本の鉛筆」です。

9日の長崎原爆の日に、田上長崎市長が17歳の時に被爆した山口カズ子さん(91歳)の詩を紹介しています。私も、つべこべ言葉でしゃべらなくても、詩は読む人の心を打つものだと思い、毎年この日は詩を掲載することにしています。

と、云うことで、今年の詩は茨木のり子さんの「「木の実」です。中央公論社から発行された「現代の詩人7巻 茨木のり子」にこの詩が掲載されています。彼女がこの詩についての想いを、巻末に書いておりますのでそれも合せて紹介します。

木の実   茨木のり子

髙い梢に

青い大きな果実が ひとつ

現地の若者は するする登り

手を伸ばそうとして転がり落ちた

木の実と見えたのは 苔むした一個の髑髏(ドクロ)である

ミンダナオ島 26年の歳月

ジャングルのちっぽけな木の枝は

戦死した日本兵のどくろを

はずみで ちょいと引掛けて

それが眼蒿であったか

鼻孔であったかはしらず

若く逞しい1本の木に

ぐんぐん成長していったのだ

生前 この頭を かけがえもなく いとおしいものとして

搔抱いた女が

きっと居たに違いない

小さな顳顬(コメカミ)のひよめきを

じっと視ていたのはどんな母

この髪に指からませて

やさしく引き寄せたのは

どんな女(ヒト)

もし それが

わたしだったら・・・・

絶句し そのまま1年の歳月は流れた

ふたたび草稿を取り出して

嵌めるべき終行 見出せず

さらに幾年かが 逝く

もし それが わたしだったら

に続く1行を

遂に立たせられないまま


※「木の実」について

この詩の続きを・・・書き始めて頓挫し、草稿はそのままにしておいた。時を置いてまた読み返し、3、4行書いては頓挫し、またそのままにしておくとういうくりかえし。・・・激越な言葉を連ねれば連ねるほど軽薄になった。では、どう言えるだろうか? 思いは複雑に錯綜して、そして言葉は出てこなかった。詩を書くとき、すんなりと出来あがることは珍しく、常に烈しい内部葛藤を伴うが「木の実」の場合、それが一層纖烈だった。1年たっても2年たっても3年たっても一篇の詩をなすことができなかった。

云いつくせなかったせいだろうか、青い頭蓋骨は私の胸に棲みついてしまい、折にふれ、いまだに対話を挑んでくる存在と化した。

茨木のり子ーー1926年~2006年。詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家