義理チョコだって・・・

 昨日は、バレンタインデイ。
 ニッポン全土津々浦々に本命チョコ、告白チョコ、義理チョコ、ファミリーチョコ、自分にご褒美チョコ、友チョコ、感謝チョコ、励ましチョコ、母心チョコ、夫婦チョコ、癒しチョコ、二股三股チョコ、海老鯛チョコ、男性の見栄っ張りチョコと、チョコが飛びかって喜怒哀楽のシーンが展開されたはずである。
 しかし、最近は

義理もまた 愛に変われと 願いつつ

という義理チョコならいいけれど

義理チョコの 価格談合 女子社員

となるくらいなら、人道支援まがいの義理チョコなんて、
「ヤーメタ」という、理性に目覚めた女性が多くなってきているようである。
 かくして、チョコが少なくなった男性は

自慢チョコ レシート出てきて 妻にバレ

となり、オカワイソウな場面が展開されたにちがいない。
 しかし、私のように

チョコ貰い 脳年齢が 若返る

人もいるのだから、義理チョコだって捨てたものじゃないのである。特に、青春真っ只中の女の子などの

チョコを抱く 少女に恋の 気配する

義理チョコなんて、「いいな」って思ってしまう。
 これって、きっと、はかなく消えた恋になってしまうのだろうけれど、貰った男の子は、心の引き出しにそっとしまっておくはずである。

そう、そして大人になって、飯島耕一の詩「鉄橋」のように・・・。

鉄橋   飯島耕一

昔 ずっと昔
好きだった女の子が
今住んでいる町の鉄橋を
急行電車が通過した
旅行中のこと
その子も今は子供もいて
どこかの会社の課長
夫人くらいだろう
が 瞼に浮かぶのは
16歳のセーラー服の彼女のこと
時が経った
鉄橋が高鳴っているあいだ
胸がつまった!

※ 引用した川柳は㈱メリーチョコレートカンパニーが、今年募集した『バレンタインどきどき、ワクワク川柳募集』第10回入選作品。作者は引用した順から
  ・男性/50歳/会社員/埼玉県所沢市
  ・男性/56歳/Gデザイナー/大阪府吹田市
  ・男性/68歳/無職/愛知県瀬戸市
  ・男性/50歳/自営業/鳥取県米子市
  ・男性/64歳/無職/大阪府摂津市

長い旅路の果てに・・・

 私が見るTVは、ニュースと音楽番組と映画。バラエティ番組は苦手である。美人で可愛いタレントさんが大勢出てくるのは良いけれど、笑う時は、何故か一斉に手を叩く。昔は、手を口にあててヒン良く笑っていたものである。
だから、笑う場面に拍手は馴染まない・・・てな事を言ったら
「それって、オジサンまるだし」
 ウーン、でも、私が手など叩いて笑ったりしたら
「バカまるだし」って云うんでしょ。フン!
 でも、私の周囲のフツーの人たちは、まだ手を叩いて笑うようなヒンのない人はいないけれど、TVに出る人たちは、目立たなければならぬという宿命を帯びているから、その内に、だんだんエスカレートしてきて、ピョンピョンと跳ねがら笑うようになるかもしれぬ。
 ところで、私がTVで見る音楽番組は、NHKは総合TVの「SOBGS」と教育TVの「N響アワー」、それにフジテレビ系の「ミュージックフェアー」
 この「SONGS」で1月16日にリクエスト集があり、私の大好きな高橋真梨子と竹内まりやが出演。この中で、竹内まりやが歌ったのは『人生の扉』
 この曲は、昨年5月に発売された彼女のオリジナルアルバム『Denim』の中で、一番私の好きな曲である。
 このアルバムのタイトルは、時間の経過と共に色あせていく“デニム”から発想を得たということである。このタイトルにぴったりのこの曲『人生の扉』は、若い人たちにとっては、人生の応援歌として受け取られているようであるが、70代の扉を開けて人生のカウントダウンが始まった私にとっては、
「長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にもあるさ」というフレーズを聴くと、もう80代の扉を開けることはないかもしれないけれど、
「人生って、捨てたものじゃないさ」と、思ってしまう。
 そう、年を重ねるってことは素敵なことだよ、と言えるように生きて行きたいものである。

人生の扉   作詞作曲 竹内まりや

春が また 来るたび ひとつ 年を 重ね
目に映る 景色も 少しずつ 変わるよ
陽気に はしゃいでた 幼い日は 遠く
気がつけば 五十路を 越えた私がいる
信じられない 速さで 時は 過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな 小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ
I say it’s fan to be 20
You say it’s great to be 30
And they say it’s lovely to be 40
But I feel it’s nice to be 50
満開の桜や 色づく 山の 紅葉を
この先 いったい何度 見ることになるだろう
ひとつ ひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとり ひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ
I say it’s fan to be 60
You say it’s alright to be 70
And say still good to be 80
But I’ll maybe live over 90

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ
I say it’s sad to get weak
You say it’s hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it’s worth living
But I still believe it’s worth living

古希に乾杯!!!

 私、福岡県行橋市にある京都高校(無論キョウト高校ではない。九州の古き由緒あるミヤコ高校である)を卒業をしているが、同窓の高城義行君から「古希の集い」の案内が届いた。最初、その手紙を見た時、“古希って恩師の?” と思ったところが、とんだ勘違い。古希って70歳のお祝いだそうである。だから、今年70歳を迎える私たちの祝いをしようという手紙だったのである。
 『人生七十古来稀』
 防空頭巾を手にして校門をくぐった春の日々、初めての夏休みに原爆は投下、そして終戦です。6歳、7歳の夏でした。まだまだ幼くして、その現実を理解できないまま、元気に駆け抜けて過ぎました。
 京都高校、そこは望んでも出来ない出逢いの場でした。切磋琢磨した青春の日々、そして学校へ社会へと、道はそれぞれ分かれて50年が過ぎました。
 幾多の悲哀、困難も「負けられません勝つまでは」です。息災に又病を乗り越えて、今、平穏に古希を迎えます。
 元気に生きて来たことに感謝して、これからの健康な生を祈願するため、宮司廣瀬文夫さんのお祓いを受け、引き続き京都ホテルでお祝いの会を開きます。
 あの日の出逢いを大切に 皆さまご参集ください。
 この手紙の文章を書いたのは、我らがマドンナ小田美奈子さん。なんたる不公平と思うけれど、天は三物を与えて、彼女は美人で文章がうまくて字がきれい。「そう八さんだけ来てください」でないのは残念だけれど、彼女からのお誘いとあればホイホイと行かざるを得まい。
 でも、古希といえば、私、白い口髭をして杖を突いた水戸黄門風のおじいちゃんのことだと思っていたのに、なんと私が古希の祝い?
 私は、ジーパンに冬はセーター、夏はTシャツが定番なのに、ああそれなのに水戸黄門風だなんて・・・と、絶句すると、
 うちのかみさん、曰く
「あなたが勝手にそう思っているだけのことで、世間は甘くないわよ。あなたって、立派な老人」
 そんな訳で、1月12日(土)に行橋市にある「正の宮 正八幡宮」に行く。午前中は雨模様なれど、私は、日頃の行いが良いことになっているので、当然ながら晴れ。
 ここの宮司さんは、同窓の広瀬文夫君である。境内に人いっぱい。なんと70人ほど。よくぞ、こんなに沢山古希の人ばかり集めたと思ったけれど、なんてことはない、みんな同級生だから同じ70歳。当たり前である。
 広瀬君が、うやうやしく祝詞をあげてお祓いをする。いつも会う時は、宮司抜きのフツーの人だけど、神主の衣を装うと、厳かに別人みたい。何故かありがたみ溢れ、皆、頭を垂れてお祓いを受ける。
 終わると、京都ホテルでパーティ。私たちは、*青春旅行(老春旅行ではない)を毎年2回(1回は日帰り、もう1回は1泊で)しているので、ほとんど顔見知り。だけど、“エ?” という顔の人も居る。それに、うれしいことには、あまり見かけなかった3番目と5番目の初恋の君も来ている。
 エ 何? 初恋の人は一人なのにって? だって、私は、フラレぽくってホレ易い体質でしょ。だから、フラれては初心に戻って、初恋をし直している訳。これを称して浮気っぽいって言う人がいるけれど、とんでもない。真面目な証拠である。
 パーティの前に、集合写真を撮る。「ハレーションを起こすから、フラッシュは焚かない方がいい」と、誰かが叫ぶ。うっすらハゲ模様のスネにキズ持つ私は、一瞬ドッキリするが、冗談である。
 パーティが始まると、あちこちウロウロ廻っておしゃべりして廻り忙しい。ドリンクコーナーに「初恋の味 カルピス」があったので、それを持って3番目の初恋の君に行く。そして
「これを一緒に飲みたかった」と云ったら「アッハハ」と笑われて終わり。仕方ないので、5番目の初恋の君の所に行って、同じ台詞をはいたら
「女の人に、同じこと云って回っているのでしょ」と、何故かミエミエである。
 これだから、何度も初恋をするはめになったに違いない。
 なにしろ、我がマドンナ小田美奈子さんが書いているとおり、卒業して50年、なにしろ半世紀に亘る付き合いをしている訳である。昔むかしは知らないけれど、幸か不幸か、今や、男女の区別もなくなって、下心もなく清く正しく美しいお付き合いをしている訳だから、おしゃべりは弾んで尽きることがない。
 でも、やがてお開きの時間となり、今度は77歳の喜寿のお祝いのパーティで会いましょうと約束して散会。シブシブ帰途についたものの、家に帰ったらお腹がグウグウ。だから、
「しゃべるのが忙しくって、少ししか食べられなかった」と、お茶付けを頼んだら
「食べる暇もないくらい、何のお話しをしたの?」
 ウーン、そう云われれば、ウジャウジャしゃべったけれど、何をしゃべったのか覚えていない。でも、楽しかったなあ・・・。会って話しただけでシアワセ感じるなんて、ウン、やっぱ70年生きてて良かった!!!

 *2005年2月15日号掲載の「ああ 青春!!!」もご覧ください。

A HAPPY NEW YEAR

新 年

それは昨日に続く今日の上
日常というやや平坦な場所に
言葉が建てた素晴らしい家
世界中の人の心が
何の疑いもなく引っ越して行きました

――石垣りん――

 そう 今日は昨日の続きで、太陽が別に鮮やかに輝いている訳でもなし、雪が別にキラキラと舞いながら降ってくる訳でもないし、風が別に鮮明に吹いている訳でもないけれど、誰もが特別な日と感じる不思議な日、お正月。ウン だから、とにもかくにも

あけましておめでとうございます。

 ところで、お正月映画にゴジラがいなくなって、もう3年目。残念無念クチオシヤと思っていたら、居たんですね、ゴジラ!!!
 昨年末に『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を見に行ったら、出たんです、ゴジラ。
 私は、ドンパチのB級洋画専科だから、邦画は吉永小百合さんとゴジラの出る映画しか見ないということになっている。でも、吉永小百合さんに悪いけれど、私好みの女優さんが出てくれば、コッソリ見に行くことにしていて、その内の一人が薬師丸ひろ子さん。
 彼女が出る映画を最初に見に行ったのは、デビュ-して3年目の『セーラー服と機関銃』
 ドンパチ機関銃の映画は見に行くことにしているので、そのつもりで行ったところがセーラ服を着た可愛い女の子が
「快感!!!」と叫びながら機関銃をブッ放すシーンに、もうオドロキ・モノノキ・サンショノキ。
 なんたって、“大好き機関銃”でしょ、それに“可愛い女の子”でしょ、おまけに「快感」という言葉にシビレてしまって、もう云うことなし。これでハマらずにおらりょうかという訳で、以来、彼女がセーラー服を卒業し割烹着が似合うようになっても、断固としてファンのままでいる。
 そういう訳で、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を見に行ったところ、映画が始まった途端、「ズシン・ズシン」とあの懐かしい地響きを響かせて「グォアー」とゴジラが登場。嬉しかったねえ、ゴジラに会えて・・・。
 でも、もったいないことには、たった2~3分でゴジラの場面はTHE END。
 そこで、山崎監督さんにお願い。また「続・続三丁目の夕日」を作ってもらって、今度は、横浜湾あたりにゴジラを出現させ、三丁目まで30分くらいかけて「ズシン・ズシン・グォアー」と、上映してもらいたい。これって、真剣なお願い。
 ところで、このゴジラについて、嬉しいことには国会で議論になったそうである。
 大体、政治家とお役人さんは、エライ人だから「義」の人と思っていたら、同じ「ギ」と云っても「ギ」違い。「偽」の人と分かってガッカリしたけれど、ゴジラについて議論するなんてユーモアの分かる政治家もいることが分かって見直すことにした。 
 12月18日に民主党の山根隆治参院議員のUFOの存在に関する質問主意書に関連し、政府は、いつもの通り
「存在しないと言えないことはないこともないが、存在するということは有り得ないことでもないと推測されないこともないこともない」というアアでもないけどコウでもない式のステートメントを発表するのかと思ったら、なんと
「地球外から飛来してきたと思われるUFOの存在を確認していない」という味も素っ気もない答弁書を発表してしまった。これって、場違いもいいところ。ここは「アアでもないけどコウでもない」式のステートメントの方がいいのに、やっぱりニッポン国の政府ってセンスないんだ。
 でも、これに関し、石破防衛大臣が記者会見で
「UHOは外国の航空機ではなく、領空侵犯への対応は厳しい。攻撃を仕掛けてこなければ防衛出動にはならない。しかし、ゴジラが来たら天変地異だから、自衛隊の防衛出動が可能」と云ったそうである。
 ニッポン国を背負って立っているというおごそかな顔をした防衛大臣のことだから
「そんなアホな質問には答えられません」と云うのかと思ったら、意外。こんなユーモアのセンスがあるなんて、思ってもいなかったので、「偽」の人が溢れる政治の世界だけど、まだまだ捨てたもんじゃないと安心した次第である。
 だから、政治家もお役人も、もともとカシコイ人だから、今年は「義」に目覚め、ここらでボツボツ、ニッポン人が持っている本来のあるべき姿に戻って来るのではないかという気がする。
 そして、脳科学者茂木健一郎が
「未来とは予測するものではなく、自分で創るもの」と云っている通り、あなたも、未来を信じて・・・そう、自分が作る未来なんだから・・・悩んだり苦しんだりしても、自分を信じ自分を励まして、夢を織り上げていきましょう、ね。楽な生き方に、感動はないのですから・・・。
 そして、今年も沢山いいことが あなたにあるように A Happy New Year!

A HAPPY NEW YEAR   松任谷由美

A Happy New Year!
大好きなあなたの部屋で
凍る街路樹ぬけて急ぎましょう
今年も最初に会う人が
あなたであるように はやく はやく
A Happy New Year!
新しいキスをください
そして鐘の音 通りにあふれて
今年も沢山いいことが
あなたにあるように いつも いつも
A Happy New Year!
今日の日は ああどこから来るの
陽気な人ごみにまみれて消えるの
こうしてもうひとつ年をとり
あなたを愛したい ずっと ずっと
今年も沢山いいことが
あなたにあるように いつも いつも

※ このホームページの「不動産コンサルタント」の「業務案内・ご挨拶」の頁の末尾に、私の今年の年賀状を載せていますので、是非、読んでください。