一党独裁国って?

「驚き桃の木山椒の木」・・・てなことを云っても、若い方は「?」
私のような年代の人が「すっごくとんでもなくびっくりした」時に使う言葉である。

何が「驚き桃の木山椒の木」だったかと云うと
「5年間で合わせて5億7千万円余りのパーテイー収入を85人の議員さんたちが政治資金収支報告書に記載していなかった」

いくら「記載しなくてもいい」と云われたからといって、唯々諾々とポケットに入れていたなんて・・・それが違法であると承知のうえで、違法行為をしていた議員さんが85人もいたなんて・・・開いた口がふさがらない。

かくも劣化した議員さんたちを抱える自民党に見切りをつけてと云いたいところだが、肝心の野党も「五十歩百歩」

日本維新の会 は「野党第一党」を目指すと云っているが、「野党第一党」となっても「自らの政策」は、政権党にならない限り実現できないから「絵に書いた餅」であり「犬の遠吠え」しかなるまい。
どうも「わが党をいかに大きくするか」にとらわれて、わがニッポン国のことまで頭が回らないらしい。

国民民主党は「是々非々」をモットーに「一致する政策があれば賛成する」と云っているが「あわよくば大臣のポストを一つ」という魂胆がチラチラ見えて与党の身内みたいな野党となっている。どうも「政権が取れないから、おこぼれでも・・・」とみっともない話である。

いくら「自民党に愛想が尽きた」と思っていても、野党はダメという空気が蔓延しているので、いざ選挙となると野党に投票する訳にいかず、投票率が下がったままで自民党が圧勝するというパターンが出来あがっている。

中国の古典「荘子」に「小異を残して大同につく」という言葉がある。部分的な違いは無視して、根本的に重要な点での一致をとるという意味である。

民主主義が発達した現代では、多くの政党が多くの意見が出てきて当然であろう。
ヨーロッパでは、多くの政党が連立政権を組んでいる国が多いが、わがニッポン国でも、「非自民」を柱に1993年8月発足した細川内閣は、7つの政党と1会派が連合・連立した政権だったのである。

どう転んでも、野党一党では政権が取れないが、敵失のいま、大同団結すれば政権が取れるやもしれぬ。
「非自民」の旗印の下で、野党各党が一致する政策もあるはずだから「大同」につき、政権が取れたら「小異」については、多数の意見に従うという前提のもと、切磋琢磨して喧々諤々話し合いをすればよいのである。

一党独裁のロシアや中国、北朝鮮などトンデモハップン国もあるが、実を云うとわがニッポン国も権威主義国ではないが、1956年の石橋内閣発足以後、数年間は野党となっていた期間があるものの、ズズズーイと自民党の「一党独裁国」・・・そう、野党は「あってなきが如く存在」なので、実質的に一党独裁になっているのである。

一党独裁のおごりが、85人の恥を知らない議員さんを生み出したのであろう。
野党各党の皆さん、「我が党は・・・」は止めて「わがニッポン国は」と思考をめぐらしてもらいたいものである。

 

 

めでたく一件落着?

ホント、アッタマにきた。
安倍派のオエライさん5人衆、口をそろえて「パーテイ券の売り上げをウラで返すと決めたのは派閥のボスの安倍会長」とのお言葉である。
そして5人衆の皆さん、シレーとして「私は知らなかった」と断言。

だけど、こんなに大事なことを安倍会長がオエライさんに黙って決めるなんてありえる?
オエライさんは「それはヤバイ」なんて忠告せず、
「ウン、そうなれば自分のフトコロにウン千万円はいる」と思い、ニコニコ顔で「ハイハイ」と答えたに違いない。

アァ、それなのに崇拝べき前安倍総理にドロをかぶせて、しらじらしくケロットとしているなんて信じられる?

そして、5人衆のみなさんはネコババしたお金について「会計が計上していなかったなんて知らなかった」とのお言葉である。
会計さんは、オエライさんにお金を渡した時「自由になんでも使ってください」と云ったはずである。
「政治資金規制法に触れないように注意して使ってください」なんて言ったはずがないのである。

その時、オエライさんは「そんな大金がどうしてあるの?」とびっくりして会計に聞いたに違いない。
会計さんは「かくかくしかじか・・・」と大金の由来を言ったはずである。
そして「自由になんでも使ってください」と云ったことは「帳簿に記入していないウラのお金です」ということに他ならないのに
どうして「知らなかった」なんて言えるの?

挙句の果てに「悪いのは計上しなかった会計」と会計にドロをかぶせて「私は清廉潔白」と、アッケラカンとシラを切るこんなオエライさんたちって、ほんとに政治家なの?

世の中では、会社のお金を使い込んだ人が、そのお金を会社に返却してもやっぱり「罪は罪」。
会の帳簿に計上したから、オエライさんがネコババしたウン千万円也は「使い得」となって「罪はなし」なる訳?

大山鳴動して鼠一匹。ネコババしたお金を会の帳簿に収入として計上し、めでたく一件落着。
でも、収入として計上したら、ネコババしたお金を支出として計上しなければ、収支残高が合わないことになるはずだけど、それってどうなったの?

どうせ、おおっぴらに出せない支出だろうから、帳簿上は明細なしで「ウン千万円をオエライに支出」としてつじつまを合わせるしかないはずだけれど、税務上はオエライさんの収入とみなされるから、オエライさん個人の確定申告の変更をしなければならないのに、修正申告したの?

「?????」だらけで、アッタマにきたけど、ここで気分転換。素敵なニュースをどうぞ・・・。

私が所属していた合唱団「北九州をうたう会」が出演する合唱組曲「北九州」演奏会です。
この組曲は、1978年に北九州市制15周年を記念して作曲は團伊久磨、作詞は栗原一登により作られたものです。
この組曲には、北九州市の美しい風景やお祭りなどが織り込まれ、合唱には「北九州をうたう会」のほかに中学校・高等学校の合唱団と児童合唱団、それに小倉祇園太鼓なども出演し、九州交響楽団による演奏と大合唱があいまって、ホールいっぱいに45分にわたって「ふるさとはよし」と歌い上げます。
演奏会は2月18日、芸術劇場大ホール。私が飽きもせず80歳になるまで20年間も歌い続けた摩訶不思議な魅力をもつ合唱組曲「北九州」の演奏会です。
・・・と、文章で書いても「?」でしょうから、是非、聴きに行ってください。コロナの間、演奏会が開催されなかった悔しさを胸に秘め、わが合唱団「北九州をうたう会」が歌います。

ああ無常・・・

よりによって、おめでとうございますと笑顔で挨拶を取り交す元旦に能登地震!!!
そんなことってある?・・・と、信じられないようなことが、本当に起こってしまいました。

テレビの映像をみて、お見舞いの言葉を失うほどの衝撃をうけました。

親兄弟や身近な人を失い、住むべき家を失い、水も電気もなく厳寒のなか避難所にいる人々をみると、私たちの日常・・・朝起きて顔を洗い葉を磨き、「おいしい」とか「まずい」とか言いながら3度の食事をし、お風呂にいり暖かい布団でぐっすり眠ること・・・が、なんとすごい贅沢なんだと思い知らされる日々です。

いつもの日常が非日常となるなんて・・・。救われない思いでいっぱいです。

1923年に関東大震災を経験した物理学者の寺田虎彦は

「天災は忘れたころにやってくる」

と云いました。

しかし、東日本大震災は12年前、熊本地震7年前。忘れるどころか、その時の映像をまざまざも思い浮かべてしまいます。
もう、時は移り「天災は時と所を選ばず、いつでもやってくる」時代になってしまいました。

「想定外の地震」とも言われる東日本大震災の教訓を踏まえて、政府は原子炉は絶対に壊れないという「新たな安全基準」を新たに設定したそうです。
しかし「地球は燃えている」といわれる時代になった今、「新たな安全基準」を超える「想定外の地震」が起こり、その震源地が原子力発電所の敷地になった時、原子炉自体はびくともしないにしても、原子炉を取り巻くいろいろな設備が崩壊したら、どうなるのでしょうか?

天災は逃れられないにしても、+人災は絶対に絶対に起こらないように・・・。
岸田総理 お願い!!!

苦しみと哀しみの日々を過ごしている方々へのメッセージを、詩人茨木のり子は詩に託しました。

苦しみの日々 哀しみの日々(抜粋)  茨木のり子

 苦しみの日々
 哀しみの日々
 それはひとを少しは深くするだろう
 わずか5ミリぐらいであろうけれど

 少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
 やがては解るようになるだろう
 人の痛みも 柘榴のような傷口も
 わかったとてどうなるものでもないけれど
   (わからないよりはいいだろう)

 苦しみに負けて
 悲しみにひしがれて
 とげとげのサボテンと化してしまうのは
 ごめんである

 寺田虎彦ーー1878年~1935年。物理学者であるが夏目漱石から英語や俳句を習った文筆家でもあった。著書に「冬彦集」などがある。、

今年こそ・・・

今日は昨日の続きだけれど、新しい暦のページをめくればお正月。

一休禅師が

正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

と詠んだとおり
私、80歳の末期高齢者をなんとかクリヤーし、昨年85歳の終末高齢者にたどり着いたとたん、一休禅師の心境になりました。
とはいえ、なんたってお正月ですから、〝めでたくもなし〟なんて嫌味は封印して

あけましておめでとうございます。

そうは言っても、詩人諸星詩織さんの句にあるように

寂しさと貧乏だけがある部屋を お正月がのぞいています。※1

という人もおられると思うけれど、せめてお正月ですから、きっと今年は〝寂しさと貧乏が逃げ出した部屋〟になると信じて・・・そう、信じる者は報われるのですから・・・今年こそ、やってやり抜こうじゃありませんか。

雑誌「家庭画報」の1月号に91歳になる作家五木寛之さんと19歳の大学生にして俳優の芦田愛菜さんとの「超異世代の対談」が掲載されていました。対談の最後に五木寛之さんが芦田愛菜さんに
「今からいろいろなことがあると思うので、その時のための一言」と伝えた言葉があります。

あえてネガティブな言葉を覚えておくことをすすめますね。たとえば「人生は徒労である」という言葉を心に持っておくと
「そのわりには自分は報われているじゃないか」と反対の感情がわいてくることがあるものですから。
ネガティブな言葉のおかげで、ちっといいことがあっただけで幸せだと思える。
ですから、そうゆう言葉が持つ力というものを味方につけて生きていってほしいと思いますね。

ほかの人から見れば何でもないことでも、自分にとっては大きな幸せ・・・そう、生きてて良かったと思えるに違いありません。

そして、私の今年のお願いをどうぞ・・・。

宗教学者磯前純一さんの祖母さん(先の大戦で夫が玉砕し、娘5人を独りで育てた)の言葉

どこの国が正しくて、どこの国が悪いのではなく、戦争そのものが間違っている ※2

そう、間違っている戦争が起こっています・・ウン、今年こそ二つの戦争が終わりますように、そして今年こそわがニッポン国の政治屋さんが、みなみなさまからソッポを向かれないような政治家になりますように願っています。

このプログの「ご挨拶」のページの末尾に、私の近況報告を兼ねた年賀状を掲載しております。お読みいただけたら幸せです。

※1 諸星詩織ーー詩人。1945年沖縄県生まれ。著書に「雨上がりの窓」「愛ポポロ」等。
※2 朝日新聞掲載の鷲田清一「折々のことば」から転載。