祈り~藤原信也写真展


北九州市立文学館から「祈り~藤原信也写真展」の案内の「ちらし」が送られてきました。
そのチラシの写真を見て「ギョッ!!」・・・ウーン、これってむかし昔の言葉だから、若い人は分からないだろうけれど、訳せば「ドッキリ!!」を超大袈裟風に表現した言葉です。

荒涼とした心が冷えるようなこの写真を撮ったのは、写真家で作家でもあり書家でもある藤原信也。
私、街で見かけるささやかな写真展には、よく足を運ぶけれど、美術館で開催されるような大掛かりな写真展には行ったことがありません。

NHKTVで日曜日の朝「日曜美術館」が放映されるので、遅寝遅起きの私は目覚まし時計を8時40分にセットして、かかさず見ることにしていますが、時々、内外の写真家の展覧会が放映される時があります。私の写真家の認識レベルはその程度。恥ずかしながら、藤原信也さんなる人は未知の人。

展覧会の「ちらし」によると、
藤原信也は北九州市門司区で1994年生まれ。東京芸大在学中にアジヤ各地を漂流し1972年写真とエッセイによる「インド放流」を発表。木村伊兵衛写真賞、毎日芸術賞を受賞。1983年に発表した「東京漂流」はベストセラーとなり、同年に発行された「メメント・モリ」は若者たちのバイブルとなったそうです。

「祈り・藤原信也展特別講演会」が、9月10日に北九州市立芸術劇場小ホールで開かれるとの案内が「ちらし」に掲載されていました。
あんな写真を撮る藤原信也さんで「どんな人?」と思い、定員はたったの100名で抽選と書いてあったが、ダメモトで申し込んだ申し込んだところ、何と当選。

講演会では、最初に北九州市立文学館 館長の今川英子先生の挨拶があり、東京や四国に鹿児島から入場券の申し込みがあったとのことでびっくり。藤原信也さんの大規模な写真展は初めてということで、注目を浴びているみたいです。
藤原信也さんは知る人ぞ知る著名人と知って、講演会の入場券はプラチナ・チケットだったに違いありません。

藤原信也さんは、いつも相手の顔を見ながら話しているので、大勢の人の前で話すのは苦手。講演会で話したのは10年前位だとのこと。
だから原稿なしで思っていることを話すだけという前置きから始まりましたが、とってもお上手。とつとつと話されて、14時から15時の予定が終わったのは15時40分。

多くの人から「回顧展」をという話が前からあり「回顧展」なんて亡くなってから開催するものと思って断っていたが、50年も撮りつづけているので、開催することに同意したそうです。

でも、50年にわたって録った何十万枚の写真から、展覧会に出す写真を選んでいったら、大変な作業とわかり、断わることも出来ず弱っていた時、ふっと浮かんだのが「祈り」。
そうなると、写真を選びやすくなって今日の展覧会にこぎつけることが出来たとのことです。

藤原信也さんは、インドを初めアジヤ各地を旅行し、アメリカでも漂流して、その時々の話をされましたが、摩訶不思議な世界の話を聞いたような気がしました。
それから、写真展で発表している写真をスクリーンに映しながらお話がありました。

写真を撮るということは、単に「物」や「人」を写すということではなくて、対象物に「密着すること」と話されたのが心に残りました。対象とするものの内面というか、そこにある秘めたものを映すという心を持たねば、人の心を動かす写真は出来ないと話されました。

ウーン、全てに通じるお話だと、感銘を受けた次第です。

STAP細胞の疑惑で騒がれた小保方晴子が、つるし上げに近い3時間にわたる記者会見の最後に見せた涙の顔。それをアップした写真がありました。
藤原信也さんは、3時間にわたる記者会見の間、彼女の顔だけを見続けて「彼女は嘘はついていないよ」と、その場にいた記者に話したそうです。
私も、その写真を見て胸を打たれる思い・・・写真の伝える力って凄いんですね。

山口百恵の写真もありました。その写真を見て「これが百恵?」と思ったくらい。彼女が引退した直後に撮った素顔の写真です。心細いといったような、それでいてほっとしたような笑みを浮かべた微妙な素顔は、今までの歌手としての装いを脱ぎ取り、とっても深みのある素敵な写真になっていました。
山口百恵に、この写真を渡したら「私の一番大事な写真にします」と彼女が言ったそうです。

「ちらし」に掲載したのは、東北の下北半島にある「霊場恐山」」とのこと。霞がかかった中で太陽は上がる絶妙の瞬間を取った写真とのことですが「霊場恐山」のイメージにピッタリ。
「恐山菩提寺」の住職に見せたら、「こんな場所があったんですか」と驚かれたそうです。

講演会が終わって「藤原信也さんのサインを貰いたい人は、席に座ったままで順番が来るまで待機して下さい」のアナウンスがありまいた。
私、今まで文学館で開催された作家の講演会があった時は、必ずその場で売られている作家の本を買ってサインを貰っていましたので、買いに行こうと会場を見回したら、ほとんどの人が座ったまま。その時アナウンスあり、
「サインを希望する人が大勢おられますので、サインをもらう順番の遅い方は、いったん会場を出られても結構です」だって・・・。

私、ヤボ用があったので、サインは諦めたけれど、藤原信也さんって凄い人なんだと改めて納得。

展覧会場は、総合商業施設リバーウオークの中にある「北九州市立美術館分館」と「北九州市立文学館」。

会場には大筆で書かれた「祈り」などのいろいろな書が壁に飾られ、美しい風景とか女性の写真はあまりなくて残念、なんてことは・・・思いませんでした。ホントです。
見たことのないような風景の写真が多く、”ニンゲンは犬に食われるほど自由だ”というタイトルのついた写真などには圧倒されました。

心を打たれたのは、瀬戸内寂聴さんのコーナーと香港の雨傘運動のコーナー。

瀬戸内寂聴さんのコーナーには、藤原信也と瀬戸内寂聴さんが長い付き合いのなかで交わされた往復書簡が展示されて、寂聴さんが最後の病に倒れた時、藤原信也さんが寂聴さんに筆で書いた手紙も披露されていました。その文末の文章を紹介います。

心忘れ 心折れ 打ちひしがれ うろたえ 奈落の底に落ち 夢失い それでも 生き 生き 生きている

香港の雨傘運動のコーナーでは、金融街の街路いっぱいに張られたテントと雨傘に目を見張りました。そして凄いのは壁に張られていた1000枚に及ぶポスト・イット。何と書かれてあるのか分かりませんが、すごいエネルギーを感じると共に、運動を展開していたあの若い人たちはどこに行ったんだろうと、心が痛みます。

圧巻は、会場の出口近くに展示されていた縦1m横4mに及ぶ「沖ノ島」の生い茂った樹木をアップで撮った写真。
世界遺産「沖ノ島」は、島全体が宗像大社沖津宮の御神体となっており、「神宿る島」と呼ばれて島への立ち入りが禁じられていますが、30分だけの入島を特別に認められて録った写真だそうです。「凄い」の一言。

講話を聞き、展覧会に行き、ウン、素晴らしい経験をさせてもらいました。

何故?

安倍元総理の国葬をめぐってテンヤワンヤ!!!
当初、政治的テロにより殺されたと思い、国中に悲しみの心が満ち溢れ、民主主義に対する挑戦と報じられたものである。

ところが、どうも犯人は「旧統一教会にひどい目にあわされ、家族が崩壊した」という恨みで、安倍元総理を銃撃したとのことである。
なんと、テロでなく怨恨!!!
旧統一教会に対する恨みが、三段飛びどころか十段飛びに安倍元総理まで・・・すっごく異常なことだが、安倍元総理の旧統一教会とのかかわりが報じられてくると、十段飛びをさせた原因は安倍元総理にもあるじゃないかという空気が流れてしまった。

その結果、テロであれば全国民が哀悼する国葬となるはずが、忘れかけた安倍元総理のアレコレも思い出され「国葬なんて???」となってしまった。
「安倍元総理の死」自体は、その理由を問わず悔やまれることだから「国葬」という形にとらわれず、すべての人が「その死を悼む」ような葬儀にしたら、国を二分するようなみっともない騒ぎを、世界にさらすこともなかったであろう。

この事件で、政治家のオエライさん達の旧統一教会とのかかわりがバレて、皆さん一斉に「そんな団体とは知らず祝電や出席をしました」なんて、シラーとした顔で云っているが、これも「???」である。

私、今までいろいろな団体の式典に出たことがあるが、そこで披露される政治家のオエライさんの祝電は、
「式典の開催をお喜び申し上げます。今後のご発展をお祈り申しげます」なんていう単純なものでなく、その団体と式典の内容について、熟知していなければ書けないようなほれぼれするような内容の祝電である。多くの祝電の中で、一番長いのは、もちろん政治家のオエライさん達の電文。

私などの凡人は「国会議員から祝電が来るなんてスゲー団体なんだ!!」と感心するし、祝電とか出席したオエライさんは「これだけ称えたのだから、選挙の時は投票してくれるに違いない」と、呼んだ方も呼ばれた方も一挙両得、出席すれば一挙十得でホクホクするような仕掛けになっている。

でも、旧統一教会が政治家を応援するのは、当たり前のことである。多くの宗教団体や労働組合をはじめいろいろな団体・企業も贔屓の政治家を応援しているのが現実である。

私などは、60年前、入社してすぐ市長選挙が行われ、会社が応援する候補者のため、会社で「青年行動隊」が結成され選挙事務所に派遣されたことがある。
嬉しいことに法外な交通費をもらい、車を1台あてがわれやった仕事はビラ配布。事務所では飲み放題&食べ放題。選挙が終わって当選すると、ご褒美に当時開催されていた「大阪万博」に行かせてもらったという、すっごくおいしい経験をさせてもらった。
その時、選挙事務所にいたものだから、選挙のウラのアレコレを知り、私は若くして「選挙は政策ではなくて利害関係で決まる」と思い込んでいる。

応援するのは、私の会社の社長のように、候補者にホレこんで純真に応援するケースもあるかもしれぬ。自分の考えと同じ考えの政治家であれば、応援したくなるのも当然のことである。政治家を応援すること自体は、別にやましいことではない。

ただ、旧統一教会は霊感商法をやったということで責められているが、政治家の皆さんは「霊感商法」は知っているけれど、もう30年前のことだし、今はやっていないのだからもう時効でしょ。・・・という理由で応援して貰ったに違いない。なにしろ、選挙に落ちれば「タダの人」になるんだから、なりふりかまわずやる。この落差ってスゴイ!!!

旧統一教会の巨額献金は、弁護士による相談所が設けられていたことから、すでに周知の事実となっていたらしい。もし、メディアが従前からこのことを報じていたら、犯人の母親の献金も止められ、安倍元総理も死なずにすんだかもしれぬ。

メディアが、この事実を報じなかったのは、何故?

事件の発端となった肝心かなめの宗教団体の名前を、メディアは「特定の宗教団体」とだけ報じ、待ちきれずに3日後にスッパ抜いたのは、なんとウェブマガジンの「現代ビジネス」や写真週刊誌「Smart FLASH」など、出版系サイトである。

3日間もメディアが沈黙していのたは、何故? 
そして、その理由を明らかにしないのは、何故?

本件に関して、何か不気味なものを感じている。

※ 7月15日のプログ「想定外です、ハイ」も読んで頂けたら幸甚です。

声なき声に耳をすませて

NHKテレビの8月8日に放映された「声えなき声に耳をすませて 吉永小百合とともに」に吉永小百合さんが出演しました。
私は、むかし昔のそのまた昔の昔からの彼女のファン。久しぶりに彼女と会える・・・エート、テレビ越しだけれど・・・とあって、胸ドキで番組を見たのは当然のコンコンキチです。

長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」の入り口に、まっすぐな視線で立つ裸婦を描いた絵が飾られてあるそうです。
この絵のモデルとなった女性が絵と半世紀を経て再開し、その心境を「感想文ノート」に綴りました。
その文章を、吉永小百合さんが「裸婦」の絵を前にして朗読しました。

絵を描いたのは鹿児島県・種子島(南種子町)生まれの日高安典さん。開戦となった1941年12月、東京美術学校(現東京芸術大)を繰り上げ卒業。
翌年4月に応召された時、恋人の裸婦像を描き始め、描き切っていないとの思いで、
「必ず生きて帰ってこの絵の続きを描くから」と言い残して戦場に赴いたけれど、フィリピン・ルソン島で45年4月に戦死。 享年27。

この絵のモデルになった女性の手記を読む吉永小百合さんの語りを聴いていると、吉永小百合さんはモデルになった女性の想いに染められて、話しているのは吉永小百合さんではなくて、まるでその女性が日高安典さんに語り掛けているようでした。

「日高安典さん、日高安典さん」と何度も呼びかけるその声は、切なくて切なくて心に響き、私、胸ジーン。

吉永小百合さんの朗読が終わって「無言館」の館主 窪島誠一郎さんと対談がありました。
会場に来ている人を前に、窪島誠一郎さんは「戦争で命は失われても、作品が残っている限り、彼らは死なない」と、そして「無言館」に来て戦死した画学生の想いを感じとって欲しいと話しました。
そして、誰でも「戦争は駄目」と思っていても、その想いを伝えなければ「その想いはない」のと同然だし、多くの戦争体験を伝えなければ「戦争はない」ということに等しい、「不在の罪」であると力説されました。

吉永小百合さんも、その想いを「原爆の詩」の朗読に託して、多くの人々に伝えているに違いありません。

今日は8月15日。終戦記念日です。私も、毎年8月15日のこのプログには、戦争や原爆、平和についての「詩」を掲載しています。
最初の年の2004年8月15日のプログは、美空ひばりの歌った「1本の鉛筆」の歌詞を掲載しています。美空ひばりが「反戦歌?」 ・・・と、お思いの方は、2004年8月15日のプログをお読みください。

この「夢旅人」のプログは、毎月4万~5万件のアクセスがあります。「無言館」に行くことが出来ない方々に、「無言館」の窪島誠一郎館長のご挨拶を紹介したいと思います。

 館主ご挨拶

あなたを知らない

遠い見知らぬ異国で死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのはあなたが遺したたった一枚の絵だ

あなたの絵は朱い血の色にそまっているが
それは人の身体を流れる血ではなく
あなたが別れた祖国のあのふるさとの夕灼け色
あなたの胸をそめている父や母の愛の色だ

どうか恨まないでほしい
どうか咽かないでほしい
愚かな私たちがあなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に
今ようやく五十年も経ってたどりついたことを

どうか許してほしい
五十年を生きた私たちのだれもが
これまで一度として
あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを

遠い見知らぬ異国で死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのはあなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵に刻まれたかけがえのないあなたの生命の時間だけだ

1997・5・2(「無言館」開館の日に)

※無言館ーー上田市古安曽字山王山3462 電話0268-37-1650。第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、イーゼルなどの愛用品を収蔵、展示しています。    

映画って最高!!!

私の趣味は映画鑑賞。そして好きな映画はドンパチ映画。わがヒ-ローがドンドンパチパチ弾を撃って撃ちまくり、敵はバタバタ倒れるが、わがヒーロには当たらないという「すかっと爽やかドンパチ映画」である。

「弾が当たらないなんておかしい」と、考えるかもしれないが、ちっともおかしくない。映画が始まって30分もしない内にわがヒーローに弾が当たり、これで映画はおしまいとなったら、1800円也の料金を払って入場した人に失礼であろう。

それに、何十人の敵がバタバタ倒れるが、なにしろヨロヨロとよろめいてスクリーンの外で倒れるから、死体が累々ということもないし、血がドバーと流れるシーンもないことになっている。ドンパチ映画なのに残酷シーン皆無で清潔感溢れた映画である。

最近は、ドンパチ映画が少なくなって、恋とか愛の映画が溢れているが、自分のことならともかく、他人のホレたとかハレたとかいう映画なんて見たってしょうがない。
深刻な人生を描いた映画なんて、ただでさえ深刻な人生を生きているのに、わざわざ映画まで見ることもなかろう。夏はホラー映画というけれど、ホラー映画はホラ映画。

今年、私が見たドンパチ映画は「キングスマン ファースト・エージェント」・「シルクロード com 史上最大の闇サイト」・「355」・「アンビュアランス」の4本。
どんな映画だったのかは、まったく覚えていない。わがヒーローに絶対に弾が当たらないというご都合主義で出来ているので、ドンパチシーンさえ良ければストーリーなどはどうでもいいのである。だから「スカッと忘れるドンパチ映画」でもある。

話題になる映画は見ることにしているので「トップガン マーヴェリック」・「ウエスト・サイド・ストーリー」の2本。
「トップガン」は1986年に上映された前作を見ているので行ったが、懐かしのメロデイとあいまって、前作を上廻る凄い出来栄え! 飛行シーンは実写らしいけれどスゲーの一言。
でも、トム・クルーズって、前作からまったく歳をとっているように見えないのはなぜ???

「ウエスト・サイド・ストーリー」は、1961年の前作のダンスの場面が素晴らしく「これが本場のダンス!」と羨望の溜息をついた経験があるので、今回も「あのダンスシーンをもう一度」と見に行った次第である。
でも、ストーリイは同じだし、ダンスシーンは前回のシーンの印象が強いので、二番煎じの感があったのは残念。

私、何故かゴジラとウルトラマンとガンダムが大好きだから、「シン・ウルトラマン」と「機動戦士ガンダム ククルスドアンの島」は無論見に行った。

と、云うことで「シン・ゴジラ」の庵野秀明さんが企画する待望の映画「シン・ウルトラマン」。
テレビ時代のウルトラマンしか知らないので、大大進歩をとげたシン・ウルトラマンは、ピッカピッカで素敵でした。
ウルトラマンが両手を合わせ「シュワー」と光線銃を発射すると、怪獣が「ギャー」と叫んでふんぞり返えりバタンのシーンが大好き。

ガンダムと敵の得体の知れない奇妙なロボットとの戦いを期待して行ったら、今回は趣向が変わって可愛い子供達がいっぱい。チョッピリ残念だけど、子供たち、可愛かったなァ。

わが街北九州市には「昭和館」という2本立てで上映する名画座がある。
ここで、参議院選挙の最中に上映された「総理の夫」と「決戦日は日曜日」を、ロシアの侵略が始まった時に、実話のスパイ映画「クーリエ 最高機密の運び屋」と「マーヴェリックの秘密」を見た。
ウン、タイミングの良い上映に拍手。

見た映画の最後の真打は「中島みゆき 劇場版 ライブ・ヒストーリー2007~2016 歌旅~縁会~一会」
もう、これは2月1日のプログ「素敵にシンプル」に書いていますので、ご覧ください。

想定外なんです、ハイ

元安倍総理が亡くなった。

1発目の銃声が聞こえた時、護衛のSPは何故元安倍総理をカバーしなったのか??? 
1発目の銃声が聞こえた時、警備の人は何故犯人に飛び掛かからなかったのか???

わがニッポン国は世界で一番平和な国になっている。SPや警備の方々は、わがニッポン国には銃器などないことになっているから、ナイフなどで襲い掛かってくるのに備えればいいと思っていたに違いない。まして手製の銃器なんて想定外だったであろう。

だから、1発目の銃声を聞いた時、ピンとこなくて「?」状態。2発目で我にかえったけれど「時すでに遅し」
想定外の出来事だったのだから、瞬時に対応するなんてムリと言い訳をしたいが、口に出したらブッ飛ばされるのでうなだれるしかない。

東日本大震災について、ニッポン国に責任があるかという裁判があったが、最高裁がわがニッポン国には責任がないという判断を下した。
「原発は絶対に大丈夫」と電力会社は宣言し、さらに加えてわがニッポン国までも「絶対に間違いなく大丈夫」というお墨付きを与えたものだから、ニッポン国民は、すっかり信用してしまった。
しかし「大丈夫」というお墨付きを出したニッポン国には責任はないとのことである。

どうも、わがニッポン国では「想定外の出来事」だったら責任はないということになっているらしい。そうなると「手製の銃」なんて想定外の想定外のことだから責任はない・・・なんてことになるかもしれぬ。
そう、これは冗談。

ところで、原発の再稼働は新たな基準をクリアーすれば可能となっているが、想定外の出来事が起きないということは断言できないはずである。
ここで想定外のことが起こったら・・・原発の真下で地震が発生し原発がブッ壊れたら・・・そう、これってこの世の終わり・・・と、いうことが起きるかもしれないのである。
だから、原発の存在自体が問題・・・てなことを云っても、犬の遠吠え。天下の趨勢は「あれやこれやの諸々の欠くべからざる事情」で「原発イイかも」になっている。

多くの事件が起こった時、いつも動機が詳しく報じられるけれど、今回は元総理が殺害されたという大事件なのに、その動機は「宗教団体と関係を持っている元安倍総理に恨みがあった」ということだけ。詳しいい報道はなし。

動機は怨恨なのに「民主主義へ挑戦」と報じられ、そりゃあ、結果として引き起こされたのは「民主主義へ挑戦」だけれど、こんな大事件を起こした「宗教団体と関係を持っている元安倍総理に恨みがあった」という言語明瞭意味不明な動機を新聞やテレビは、どうして突っ込まないのかと???

それで、報じられないのはその宗教団体に忖度しているのか、それとも宗教団体の名を明かすと、元安倍総理の名誉にかかわることになると忖度しているのか・・と邪推していたら、ようやく3日目に宗教団体の名前が明らかにされた。

私、1990年頃、東京で華の独身生活・・・ン? 訂正、華の単身生活を送っていた時、友人に統一教会の信者になった女性がいた。彼女から、いろいろ話を聞いたが、胡散臭い匂いがプンプンと漂って、可愛くって賢明な彼女がどうしてこんな宗教を信じるようになったのか、まったく理解できなかったのである。

その後、彼女は嬉々として韓国の男性と合同結婚式を挙げて帰国、その男性の写真を見たけれど・・・ここだけの話、可愛くって賢明な彼女と比べると、まるで月とスッポン。どうしてこんな男性と・・・絶句。彼女が幸せになるんだったらと思っていた私、涙が滲んでしまった。

平凡人でボンクラ気味の私でさえ「統一教会って胡散臭い」と思ってたのに、この世界の有象無象を熟知している賢明な元安倍総理が、何故統一教会と関係を持ったのか・・・ まるで不思議!!! ワカラナイ!!!
そして、ビデオメッセージで、統一教会のオエライさんを称えるようなことを云わなければ、殺されることもなかったろうに・・・。