女性って怖い・・・

 春に恋して夏に燃え秋に失恋するというように、秋は失恋がお似合いの季節。
 だけど、恋を失ったというのは、恋をしたってことだから、それはそれで素敵なことである。
 誰かを嫌いになるってことは、心を貧しくするだけだけれど、誰かを好きになるってことは、心を豊かにすることだから、ほんの一瞬の恋だったにしても、その時は
 「幸せ!!!」
 だから、

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生  栗木京子

の歌のように、遥かなる恋であっても

美しき誤算のひとつわれのみが昂ぶりて逢いし重ねしことも  岸上大作

の歌のように、燃える恋であっても
 その恋が終わりを告げた時に、心にしまってあるパソコンの上では「削除」されずに、密かに「名前をつけて保存」することになっているに違いありません。 
 そして、狩人の『あずさ2号』の歌のように・・・・

明日私は旅に出ます
あなたの知らないひとと二人で
いつかあなたの行くはずだった
春まだ浅い信濃路へ
行く先々で想い出すのは
あなたのことだとわかっています
そのさびしさがきっと私を
変えてくれると思いたいのです

 エッツ、横に座っている彼女、そんな想い出にひたっているの?
 ウーン、女性って怖い!!!。

物言えば唇寒し・・・

 ウーン、やっと秋気分がちょっぴり。
 ヤレヤレ、二言目は「暑いですね」が定番となって、ムカムカと心静まることのなかった夏が終わり、ようやく心静かに過ごせそうな秋がやってきた。
 ウン、一見スケスケ&スッポンポン風のマジマジ見なきゃソンソン的美人が姿を消すのは残念だけれど、なんたって読書の秋でしょ、女心と秋の空の秋でしょ、隣は何をする人ぞの秋でしょ、天高く女肥える・・・ア、失礼・・・馬肥える秋でしょ、芸術の秋でしょ、柿食えば鐘が鳴るなる法隆寺の秋でしょ、失恋の秋でしょ、一葉落ちて天下の秋を知る秋でしょ、一日千秋の想いの秋でしょ、枯葉散るの秋でしょ、秋茄子は嫁に食わすなの秋でしょ・・・と、静かな秋がいっぱい。
 と、思ったら大間違い。我がニッポン国の「おエライさん」たちは、劇夏が終わるどころか、もっとヒートアップ。
 ホント、お可哀そう!!!
 多分、我がニッポン国の未来は、いかにあるべきかを描いて切磋琢磨していると思っていたら、どうも誰をTOPに据えたら選挙を有利に進めるかを描いて切磋琢磨しているらしい。
 そして、これ幸いと、我がニッポン国の「おエライさん」予定の大阪を基盤とする「フツーの人」も、全国レベルで大張り切り!!!
 舞台は、三流役者が勢ぞろいして見栄を切っているいるけれど・・・なーんて失礼ことは、言ってはいけません。ハイ、一流役者さんです。なんたって、私たちが選んだおエライさんなんですからね。
 でも、私たち「政治家」さんを選んだつもりだったけれど、おエライさんだからたちまち君子豹変。
「政治家」変じて「政治屋」さんになったらしい。
 ウン、納得!!! 商売が忙しいんだ、政治屋さんたち。
 今度こそ、私たち「政治屋」さんには
「物言えば唇寒し秋の風」が吹くようにしましょうね。

さよならの夏

 今日から9月がスタート。暦のうえでは立秋も暑さの峠を越えた処暑も過ぎたというのに、気分はいまだ夏模様。
 どうも夏はノロノロ運転、おまけに秋は途中下車しているみたいである。
 でも、街角でスッポンポン風にして超ハイハイのミニスカートのピチピチプリンの女性を見ると、H的眼差しでうっとり見とれたり・・・なんてことはしていません。ハイ。
 エーット、だからアツくってあつくって暑くって熱いことをのぞけば、まあ夏も捨てたものじゃないけれど、夏と云えばやはり海と山。
 でも、恋人には山より海が似合う。
 俵万智の歌に

潮風に君のにおいがふいに舞う 抱き寄せられて貝殻になる

 なんと素敵! 
 でも、これが山だと

山風に君のにおいがふいに舞う 抱き寄せられて汗べっとり

 なんと気持ち悪リィー!! 

 ながーーい夏は、若い恋人たちにとって、恋のチャンスが広がって心ウキウキだろうけれど、いい加減年寄りの私にとっては、
 「夏にエンドマークを!!!」
 そう、川崎洋の詩のように・・・。

夏は    川崎 洋

どこかで
たっぷり休んできた秋が
虫取り網に
そっとノックする
ぶどう酒いろと幹たちは
いっせいに目まぜし合う
「夏は
あしたまで」

 ※ 川崎洋・・・1930年生まれ。1970年ラジオドラマの脚本で芸術選奨文部大臣賞を1986年高見順賞を受賞。掲載の詩は1981年出版の詩集「しかられた神様」より。

残響

残  響        高塚 かず子

校庭の隅で雫のように小ぶりの朝顔がひらく
となりの席に座っている
涼しい目の同級生の少年
彼が眉間に力をこめると
水平線が正しく引きなおされる
わたしがうまれるすこし前の夏
この街はたちまち燃えた
8月9日 きのこ雲 11時2分
親たちは閃光をむしろ語りたがらなかった
治療できないものをそれぞれにかかえて
生きていくしかなかったから
少年もわたしも瓦礫の残る街で熱心に遊んだ
陽焼けした手足で かくれんぼした
少年は海の色のビー玉を透かして空を見た
どの塀も壊れていて 風が自由に吹き過ぎる
魚のようにすいすい出入りした 私たち
大人たちは路地にうずくまり
七輪で炊事している
生き残ったものは 食べねばならない
夏休みが終わっても 少年は登校しなかった
机の上の牛乳瓶に紫苑が挿され 黙禱した
すずしい瞳は 今も私をまっすぐみつめる
水平線が引きなおされると
私のなかの海は 死者たちの囁きでどよもす
戦争はまだ終わっていない
アスファルトの亀裂から無数の手が伸びる
髪の熱い 水を求めるひとたちの

 ※ 高塚かず子ーー1946年生まれ。日本現代詩人会会員。掲載の詩は1998年出版の詩集「天の水」より。

これってハードボイルド

 私、ハードボイルド大好き人間。その大好き人間が選んだ大好きな言葉の数々・・・
 ネ、素敵でしょ。

 男はタフでなければ生きてはいけない。やさしくなれなかったら生きている資格がない。

「プレイバック」 レイモンド・チャンドラー/清水俊二訳

 貧すると、人は哲学的になるらしい。「人生が思いどおりにいくことなんてあるのかな?」

「悪い奴はを選ぶ」 T・ホワイト/松村潔訳

 彼女は彼を愛すると言っていた。ときどき、彼の方も彼女を愛していると言った。そう言うときは本心から言った。とにかく、その一瞬は本心なのだった。

「小さな土曜日」 アーウィン・ショー/小泉喜美子訳

 人生は単純よ。あなたが勝手にむずかしくしてしまっているだけ。

「騙しのD」 スー・グラフトン/嵯峨静江訳

 いや、歩くというのは正しくない。身体のあちこちを滑るようにして動かして立ち去っていったと云うべきか・・・。

「暗くなるまでまて」 トニー・ケンリック/上田公子訳

 マリー・ロールは俺が風呂と、アスピリンと、眠ることと、かしずかれることにしか興味がない、と言って非難した。つんけんしている彼女に腹を立てた俺も気に食わなかった。要するに何もかも気に入らなかったわけだが、これで俺たちも恋人同士から本物の夫婦になれたようなものだ。

「最後に笑うのは誰だ」 ラリー・バインハート/工藤政司訳

 正論だ。ここが、わが妻の大きな問題のひとつだ。彼女は、頻繁に正論を吐く。

「依頼人が欲しい」 パーネル・ホール/田中一江訳

 「セーラー、おれは結婚したことがある。一度ならず、三度まで。1回目は若き日の過ち。2度目は中年の好奇心のためだ。3度目はーーそう、3度目はいわば老年期の愚行で、おれは貴重な人生のうちの十年を奪われ、貴重な教訓をえた」

「眠れる犬」 ディック・ロクティ/石田善彦訳

 そう、世の中は”‘もしかしたら”と”できたら”に満ち満ちている。それらを頼りに生きているやつらもいる。

「吾輩はカモじゃない」 ステュアート・カミンスキー/田口俊樹訳