夢 儚くって・・・

1 そもそもの始まり

  私。1938年生まれ。男性、メガネ付。A型で虎年生まれの獅子座。勇ましくって、威勢がよさそうに見えるけれど、時代はトレンディ。勇ましいなんて時代遅れもいいところ。それも<おじさん>とくれば、ヤボを絵に描いてダサイ額縁に入れ、殺風景な部屋に飾っているようなものである。
 それに加えて、九州生まれの九州育ち、どうしても<ときめいて爽やか>とは言いがたい。
 その私がどういう訳か、九州から花の東京に転勤して行くことになってしまった。1987年、入社して25年目の夏のことである。
 私の勤務していた会社は、本社が福岡県の北九州市にあり、支社や営業所はあちこちにあるというものの、私はまだ1度も転勤したことがなかった。だから25年間、私は餞別の出しっ放なし、万歳の言いっぱなしである。これは、どう見ても不公平である。ソロバン勘定が合う訳がない。
 だから、1度でいいから餞別を思いっきりかき集め、駅のホームでアンコール付の万歳三唱をしてもらうというのが、私の若い頃の夢であった。そして新幹線が出る瞬間、ホームの柱の陰でホロホロホロリと涙を流しているすこぶる付の可愛い女子社員を見付け、
「ああ、あの子が私に惚れているなんて、ちっとも気がつかなかった」と、自分のうかつさ加減に自ら涙するという感動のシーンを展開するはずであったのである。
 ところが、である。時は流れ、私はその時すでに御年49歳。夢見る年を過ぎてしまった。
 一大事である。
 なにしろ、私にはかみさんは一人しかいないのに、子供というべきか、大供というべきか、子供のくせに私より背の高い息子が三人もいる。
 私が子供の頃は、オヤジの権威は天に向かって聳え立っていたものである。だから、役人であったオヤジが転勤する毎に、私は高校を卒業する迄、12回もオヤジと共に転校している。
 だから、当然のこととして、私が
「さて、我が家も東京へ引っ越すことにするか」と言ったら、うちのかみさんと息子どもはキョトンとして
「えっ、単身赴任じゃないの」などど言う。
「当たり前だ。お父さんが子供の頃は、親の犠牲になってついて行ったのに、どうして親になったら、子供の犠牲にならなきゃならぬ。そんな割りに合わない話って、あるか。お父さんは偉大なる親だぞ」と、大いに力説したら、かみさんと息子どもはいよいよキョトキョトキョトンして
「お父さんって、論理の一貫性に欠けるんだから」と言う。そして曰く
「だって、偉大なる親なんでしょ。だから偉大なる親は、単身赴任で行くのが常識でしょ。」だって・・・。
 ニッポンの常識も、変われば変わるものである。私が、やっと念願のオヤジになったと思ったら、どうも、オヤジの権威は天に向かって聳え立つどころか、地に落ちてしまったらしい。
 そんなことなら偉大なる親なんぞ、なりたくもないと憤慨したら、うちのかみさん、ちっとも動ぜずにっこり笑って
「東京には美人がいっぱいいるんだって。1度位は花の単身生活、味わってみたら」と言う。私はそれを聞くと
『花の都で花の単身生活! そうなると、きっとこれは、すこぶる付きの美人と出逢うにちがいない。そうなりゃ、アアしてコウしてアアなって・・・』と、たちまち、バラ色・・・ン? 訂正、ピンク色の人生の幕が開き
「うん、一人で行こう」と、見境もなくつい言ってしまった。
 しかし、今にして思えば、どうもうちのかみさんに、まんまとのせられたような気がする。
 と、言うのは、私の友人に
「俺、今から花の都で花の単身。どうだ、羨ましいだろう」と言ったら、私の顔をまじまじと見て
「お前ねえ、背は高からず高からず、ド近眼の眼鏡はいつも鼻からづり落ちて、おまけに髪の毛は撤退作戦開始中。それに問題は懐だ。色男ならともかく、お前は金も力もないタダの人。なんだか、お前、自分で自分を誤解しているんじゃないか」と、友人とはいえ、ミもフタもない言い方をしる。
「男は顔じゃない。なんたって俺、知性と教養にあふれた<良識なる社会人>だからな」と反論すると
「どう見たって痴性と狂養だよなあ」と、実に失敬な奴である。
 でも、残念ながら、さすが友人である。言いたくはないが、私のことをよく見ている。どうも、うちのかみさんも同じ意見に達していたに違いない。テキの方が、私より1枚上手だったらしい。
 かくして、1987年7月。私は勇躍、東京に出発することになった。
 駅のホームでは、見送りにきたうちのかみさんが
<亭主、元気で留守がいい>という風情で手を振り、そして当然のことながら、柱の陰ではすこぶる付きの可愛い女子社員が、ホロリホロリと涙を流していたに違いないが、なにしろ新幹線がアッと間に出てしまったものだから、感動のシーンを見ることが出来なかった。夢は儚く、列車は早い。まことに残念である。
 新幹線、早けりゃ早いほどいいと思っていたのが、大間違いであった。どうも、早い代わりに旅情をポイポイ振り捨てて新幹線は走っているらしい。今から、ときめきの出発をする時はドン行を利用することにしよう。

2 掃除 ・ 洗濯まるでヨシ

 かくして、無事、憧れの東京に着いたものの、、次のような暑中見舞い兼転勤通知兼近況報告のハガキを出すはめになってしまった。1987年夏のことである。

暑中お見舞い申し上げます

 今年、東京はとっても暑く燃え、7月に九州から憧れの東京に転勤してきて興奮気味の私も、あまりの暑さにたまりかね、歌集「サラダ記念日」の俵万智さん風に
「何層のあなたの暑さに包まれてアップルパイのオコゲになろう」などと、ヤククソ気味に叫んだりしています。
 さて、入社25年目にして初めての転勤です。勿論、今、流行の単身赴任でマンション住まい。花のお江戸の東京で、2度目のシングルライフをエンジョイしているか、それとも炊事・洗濯・掃除の三重苦に悩まされているかは、ご想像におまかせするとして、いずれにしろ、お料理に自信のある方は、是非、遊びにおいで下さい。おなかをすかしてお待ち致しております。
 でも、このエキセントッリクな街に負けないよう「私も元気人」となって公私共に頑張るつもりですので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 東京について、まず直面したのはハガキに書いたように、掃除・洗濯・炊事の三大事業である。私の主夫のスタートである。
 まず、掃除と洗濯、これは簡単である。その気になればいつでも出来る。ホントのハナシ、1日に何回もやってみせてもいい。でも、問題は、その気にならないだけのことである。
 だから、1週間に1度、休日に掃除・洗濯をすることにした。しかし、私は<良識ある社会人>だから、たちまちにして妥協してしまう性格・・・いや訂正、柔軟性に富む性格を持っている。それで、私は、50才になんなんとするオジサンにもかかわらず『原則』なんぞ一向に拘らない弾力的かつ進歩的な思想の持ち主である。
 そのため、いつも休日になると『例外のない原則はない』という法則があるように、『例外』的出来事が発生して掃除・洗濯が出来なくなってしまう。
 「ホント、残念である」と言ったら、何故か誰も信用してくれない。どうもおかしいと思ったら、私はニコニコしながら話をしていたらしい。心外である。私は、掃除・洗濯が出来ないと心で泣いて顔で笑っているだけなのに・・・。
 さて『例外』的出来事とは何かというと要するに、週末に
『超ゴージャス、超バイオレンスな衝撃の銃撃戦。アクション大作の真髄、ついに登場!!!』とか
『世紀のベストプレイ、あなたを夢の舞台に誘って、いよいよ開幕』とか
『心の奥までまでゆすぶって、衝撃のライブ!!!』とか、映画や芝居、コンサートの広告を見ると、なにやら心ときめき、行かなきゃ悪いような気がしてくるのである。そして、掃除・洗濯いつでも出来るが、このコンサート行かなきゃ、一生悔いを残すんじゃないかという気になってしまう。
 私が、今まで住んでいた北九州市は、昔、日本四大工業地帯の一つと言われていた製鉄の街である。だから、我が街は日本経済を背負っていたため、ちっとも遊ぶ余裕などなかったのである。しかし、時代は変わり、ブンカとかココロの時代になると、今まで一生懸命に日本のために尽くしてきた北九州市は、哀れ、ブンカ果つる都市と言われるようになってしまった。
 ところが、東京はブンカの香りに満ちあふれている。だから、ブンカ果つる都市からきた私は、めくるめくようなブンカに溺れてしまい、掃除・洗濯なにするものぞ、となってしまった。
 それで、私は週末ともなると、いつも『原則』に従うべきか『ブンカ』を取り戻すべきか、心の中で葛藤をひろげる結果となる。決して掃除・洗濯が嫌いという訳ではないのである。
 しかし、洗濯については、物理的にせざるをえなくなってくる。下着がなくなってくる訳である。そりゃ、下着を買えばいいのだが、デパートで「M寸」のパンツなど買うと、ステキに美人の店員さんから、何故か、軽蔑の眼差しで見られるような気がしてならない。
 九州生まれで九州育ちの私が、デパートに行き、おずおずと
「M寸のパンツください」などと言うと、ステキに美人の店員さんが<お客さまは神様です>的微笑で私を見るのはいいけれど、どうも
『M寸のパンツの男性って、うん、きっとアレもアレなのね』という感じである。なんだか、パンツで男の真価を測られているような気がしてならない。ホントのハナシ、東京の女性は恐ろしい。
 それで、見栄っぱりの私が『L寸』にパンツを買ったことがある。ところが、パンツの中で我がいとしき君が泳いでいるような気がして、歩きにくいこと、このうえもない。以来、見栄を張るのはやめることにした。
 だから、下着がなくなれば、洗濯せざるを得ない状況に追い込まれる訳であるが、私は、なにしろ非常に合理的精神の持ち主である。あれやこれや、検討した結果、パンツを裏表着ることによっって、洗濯を1回省略するのが最善の方法であるという結論に達したのである。
 即ち
1 電気を使わないので省エネとなり、地球温暖化を防ぐのに多大な貢献をする。
2 洗剤を使わないので、汚水処理場の能率アップにつながる。
3 パンツの稼働率アップにつながる。
4 洗う回数が減るとパンツの耐用年数がアップする。
5 それに第一、私の人生の貴重な時間を浪費せずにすむ。
と、まあ、いいことずくめである。決して洗濯するのが嫌で、裏表着た方がいいと言っている訳ではない。
 私が学生の頃、友人に手拭の端に紐を通しフンドシにした奴がいた。フンドシ兼手拭である。そして、風呂に入った時それで身体を洗う。するとフンドシの洗濯も同時に出来て
『まさに一挙両得』と威張っていた奴がいた。それから見ると、裏表2度着るなんておとなしいものである。
 しかし、ある。今は、いささか状況が異なっている。
 ひょっとして、ひよっとすると今夜すこぶる付きの美人と、アアしてコウしてアアなるかもしれないではないか。その時、タイミング悪く裏側のパンツをはいていて、いささかハナがアッチを向きそうな香りがしたら、ひよっとしてひよっとしなくなる恐れがある。そうなると大変である。花の都に単身で乗り込んで来た目的を果たせなくなる、
 そうなると、残念ながらパンツ裏表利用作戦は断念せざるを得ない。かくして、私はパンツがなくなると、ハナ歌まじりに洗濯にいそしむ、ということになった。ホントである。全然洗濯をするのは苦痛ではない。なにしろ、ひよっとしてひよっとすることを夢見て洗濯するのだから、ルンルン気分になるのも当然であろう。
 そして洗濯をしながら、ついでになんと掃除もやってしまうのである。我ながら偉いと思う。洗濯と違って掃除はやらなくっても、ちっとも支障はきたさないけれど、それなのに、1週間に1度、うまくいけば2週間に1度、悪くても3週間に1度は掃除するなんて、私はよほどきれい好きに違いない。
 もっとも、私は、何度でも言うようだが、合理的精神の持ち主なので、
1 掃除のスピードアップを図る。
2 掃除機の電気代のコストダウンを図る。
3 それに第一、私の人生の貴重な時間を浪費せずにすむ。
 という目的のため、4角な部屋を丸く掃除するように務めている。
 4角な部屋を丸く掃除する、たったこれだけのことで、スピードアップ・コストダウン・省力化が図れる。これが会社なら社長表彰ものである。私も、まんざら捨てたものではない。
 それにもう一つ、布団を上げ下ろしすると、綿ほこりがするというのを聞いて、きれい好きの私は、以来、布団は敷きっぱなしにすることにした。決して万年床ではない。1週間床か、せいぜい2週間床、悪くても3週間床である。これも、我が合理的精神のなせる技であって、ずぼらと思われたら困る。それは、大いなる誤解である。
 かくして、私の涙ぐましい努力の結果、掃除した後は、一見とってもきれいに見えるし、二見すれば、まあまあきれいに見えないことはないし、よくよく見れば・・・エーット、別によくよく見る必要もないから見ないことにしよう。
 それに、私の身体からも、反香水的な香りなどちっともしない。いつでもすこぶる付きの美人とアアしてコウしてアアなってもいい舞台が出来上がっているのである。ああ、それなのに、夢は儚く、舞台は霞む。ホントのハナシ、どうして主演女優、登場しないなかなあ・・・。

3 料理はミステリアス

 さて、掃除・洗濯の次は料理である。掃除・洗濯はその気になりさえすれば、さほど技術を要さず出来る訳であるが、料理だけはそうはいかない。いくらその気になっても、出来ないものは出来ないのである。
 私が、東京に行く前、朝日新聞の書評欄に池田満寿夫の「女のための男の手料理」という本が紹介されていた。
 その記事を読んだ途端、私はキョロキョロとあたりを見渡し、うちのかみさんが側にいないのを確かめるやニッコリ微笑んだものである。なんとまあ、私にピッタリの本ではないか。
 まず、本のタイトルがいい。「女のための男の手料理」
 なにしろ、うちのかみさんには内緒だが、私は花の都の東京ですこぶる付きの美人と、アアしてコウしてアアなるようになっている。
 ミステリー作家ロバート・B・パーカー描くところのハードボイルドな私立探偵スペンサーでさえも、恋人のスーザンとアアしてコウしてアアした後は、
「なんとかかんとか風、見てくれ最高、おいしさいっぱい」の手料理をスーザンに食べさせているではないか。
 だから、やっぱりここは、私の手料理など食べさせてやりたくなるのが、九州男児の心意気というものである。それに、究極の手抜き料理まで載っている、と書評に書いてある。
 女のためにはとびきりの手料理、一人の時には合理的な手抜き料理、なんという気配りの行き届いた2本立て。私はいそいそとこの本を買い求め、うちのかみさんに気ずかれぬよう、スーツケースの奥に突っ込んだのは当然と言えよう。
 しかし、である。この本を読みつつ東京に着き、さっそく実行に移したものの、そうは問屋が下ろさない。夢は儚く、人生は厳しい。
 まず、「究極の手抜き料理」に挑むことにした。
「コロンブスの玉丼」である。どういう料理かというと、目玉焼きを作り、ホッカホッカのご飯の上にのせ、醤油かウスターソースをかけて食べる。『最高で簡単』絶対にうまいと書かれてある。
 但し、問題があった。本には
「オムレツは出来なくても、目玉焼きならどんな男にでも出来る。フライパンに卵を落とすだけでいいからだ」と書かれているのである。
 私はこれを読んで
『ウーン』とうなった。私にとって、とてもこれが「究極の手抜き料理」とは思えないである。手抜きどころか、手盛り料理のような気がする。
 と、いうのは、私は学生時代に2ヶ月ほど自炊をしたことがある。その時、私もこれに似た卵料理を作った経験があるからである。
「オンザ・エッグ」というのが、その料理の名前であるが、参考のために調理方法を説明すると、まずホッカホッカのご飯を用意する。ここ迄は池田満寿夫氏と一緒である。但し、これから先が違う。私の「オンザ・エッグ」の方は、フライパンの代わりに小皿を用意し生卵を1個割って小皿に入れ、醤油をかけて混ぜ合わせる。そして、それをホッカホッカのご飯にぶっかけて食べるのである。
 ただ、それだけである。しかし、これはうまい。あたたかなご飯に生卵の冷たさがほどよく混じりあい、醤油の香ばしさとあいまって、これぞ
「ザ・メシ」という感じがする。まさに、素朴さにあふれ、ニッポンの古き良き伝統を感じさせる感動の料理である。
 この私の得意料理「オンザ・エッグ」に比べると、「コロンブスの卵丼」は、格別に手がこんでいるといえよう。なにしろ、フライパンに卵を落とし、なおかつ、火をつけて料理しなければならぬ。
 しかし、池田満寿夫氏は「目玉焼きならどんな男にも出来る」と書いている。そこで、目玉焼きなど作ったことがない私も、ひとつ、ここで「どんな男にでも出来るのなら」やってやろうじゃないかと挑戦したところ、これが問題であった。
 最初の目玉焼きはゆで卵風になった。とてもじゃないが丼にはならぬ。次は、最初の失敗に懲りて早く火を止めたため、生卵風になった。これでは、私の「オンザ・エッグ」と、ちっとも変わらぬ。かくして、失敗は成功の母なりと、チャレンジすること数回、結果は次の通りだった。
 1 黄身・白身共に、柔らかず柔らかず。
 2 黄身・白身共に、固からず固からず。
 3 黄身は柔らかいが、白身は焦げてカリカリ。
 4 白身は柔らかいが、黄身は生。
 目玉焼きがこれだけバラエティにとんでいるとは、ちっとも知らなかった。どうしても、白身と黄身がうまく調和してという訳にはいかぬ。私は、卵の殻を前にして長恨嘆息し、うちのかみさんに、かくかくしかじか卵がいくらあっても足らぬと電話したところ、
「まあ、いやね」と、ウフフと笑って曰く
「フライパンに蓋をしたらいいのよ」といとも簡単にのたまう。私が悪戦苦闘してメシにありつくかどうかという、生存を賭けた戦いを挑んでいるのに
「ウフフ」では、こちとら立つ瀬がない。やはり、ここは
「まあ、大変。困ったわねえ。エーット、それじゃあフライパンに蓋でもしてみたらうまくいくかもしれないわよ」と考えにあぐねた末に、もっともらしく言ってもらわねばならぬ。
 それなのに、ウフフである。私は<良識ある社会人>なのに、どうもコケにされているような気がしてならない。だから、
「そんな大事なこと、どうして早く言わぬ」と文句を言ったら
「だって、それ、ちっとも大事なことじゃなくってよ。常識じゃない」と、まるで私に常識がないように聞こえるではないか。
 いくら、私が<良識ある社会人>であっても、アッタマにくることだってある。とうと「コロンブスの卵丼」の製造は放棄してしまった。
 でも、冷静に考えてみると、今夜のオカズがない。私は生きねばならぬ。かくして、八つ目玉焼きを食べざるを得ないはめになってしまったのだが、以来、1ヶ月ほど卵など見るのもイヤになったのは言うまでもない。
 しかし、これで引き下がっては男がすたる。1ヵ月後に、再度チャレンジしたもののフライパンに蓋すりゃいい、と言うものでもないのである。やはり、火力と時間がうまくマッチしないとダメなのである。
 だから、もう後は運を天に任せるしかない。そうすると、天は我を見捨てず、5回に1度くらいは向こう三軒両隣りの奥さんたちに見せびらかしたくなるほど、ほれぼれした「コロンブスの卵丼」が出来上がるのである。
 しかし、運命論と確率論で構成されている私の「コロンブスの卵丼」は、いくら究極の手抜き料理とはいえ、そう度々出来上がるものではない。男がコケにされずに生きていくのは、簡単なことではないのである。 
 そこで、いつもハッピイな結果を期待出来るものはないかと考え、それは、料理の原点に戻ること、つまり「煮る・焼く」ことにつきる、という偉大なる結論に達したのである。
 そこで、さっそく、カレイを買ってきて煮ることにした。
 これは簡単であった。鍋にカレイを入れ、醤油をカレイが見えなくなるまでドバドバ注ぐ。目玉焼きの方は、やれ油を引かねばならぬし、卵も割らねばならぬ。割ると簡単に言うけれど、これは高度の技術と熟練を要する。それに比べるとカレイは醤油をケチケチせずに、要するにドバドバ注ぐだけでいい。
 こんな楽なことはないとルンルン気分でいると、醤油が泡のごとく鍋から吹き出してきた。それで、火を止めお箸をカレイにつきさすと柔らかい。もう出来上がり。
 ところが、である。お皿に盛ったところが、なんとなくいつも家で食べるカレイと違うような気がする。カレイがドス黒い。そこで箸で身をほぐすと、白身の魚が黒身の魚になっているではないか。いやな予感がして、それでも恐る恐る食べてみると、からいのなんのって、からさを通り越して、えぐくっていとも不可解な味がする。
 私は黒身のカレイを前に長恨嘆息し、うちのかみさんにかくかくしかじか醤油をオコゲにして塩にまぶして食べてるみたい、ちっともカレイの味がしないと電話したら
「まあ、いやね」とまた、フフフである。
「お醤油だけしか入れなかったの? それだったら、醤油をオコゲにして塩にまぶした味がするのは当然だわよ」と言う。そして曰く
「お砂糖とかミリンとか入れて、お醤油もドバドバじゃ多すぎよ。チョッピリでいいのに」
 魚を煮るのが、そんなにややこしいとはちっとも知らなかった。
「じゃあ、砂糖とミリンとお醤油は、どのくれい入れる?」
「そうね、適当でいいわよ」
「その適当というのが分からないから聞いているのに・・・」
「だって、お魚を煮るのに、わざわざカップで計って入れる奥さんなんていないわよ。皆、適当に入れるの」
 要するに、世の奥さんは、いい加減に料理を作っているらしい。しかし、いい加減でいい料理が出来れば、こんな楽なことはないが、私がすれば、いい加減でいい加減な料理しか出来ない。
 世の中、不公平である。矛盾に満ち溢れている。これも政治が悪いんだと、悪いことはすべて政治のせいにすると解決するのだが、<良識ある社会人>である私は、そうは言ってはおられない。唯ただ、世の奥さんたちをひがむばかりである。
 そこで、今度は魚を焼くことにした。これなら大丈夫、原始人だって、まず焼くことから始めている。原始人が出来れば私だってと思い、鮎を買いに行った。
 私の出身地は鮎が取れることで有名な所である。そこで、我が故郷に想いをはせつつ、いそいそと焼いたら、サンマの如く煙が出る。これには驚いた。我が故郷の鮎は川藻を食べて大きくなるが、東京の鮎はさすがに進んでいて、ブンカ的な川藻を食べて大きくなっているに違いない。だから、エンネルギッシュに煙まで出す。
 今度は失敗しないように、一生懸命に焼き加減をみながら、コンガリと焼けたところで火を止めて
「ヤッタア!!! 快心作。パーフェクト第1号」
 どう見ても、我が家で食べるのと同じである。私は、ついに成し遂げたという充実感と喜びに溢れ、張り切って箸をつけると、ところがどうもいまいちなのである。なんとなく微妙におかしい。
 私は我が家で食べる鮎とソックリさんの鮎を前にして、再び長恨嘆息し、うちのかみさんに、かくかくしかじか味がいまいち、どうもブンカ的川藻のせいだけではないみたいと電話したら。またもや、ウフフと笑って
「ねえ、あなた、ひよっとして、お塩を振っていないのじゃないの」
 ウーン、塩か。よくよく考えると。「鮎の塩焼き」と言っていたなあ・・・。私ともあろうものが、うかつであった。
 かくして、私は、塩抜きの鮎の塩焼きを、しみじみ味わされた次第である。たかが塩なれど、馬鹿にしてはいけない。塩は料理の基本であると、誰かが言っていたが、私は人生3度目の料理にして、すでに悟りを開いたのである。ひよっとしたら、将来、私は料理の専門家になれるのかもしれない。
 さて、そいいう期待を胸に抱いて幾多の料理に挑戦したものの、夢は儚く、味は食べてみなければ分からないという、はなはだミステリアスな料理が大半で、長恨嘆息して電話代ばかりかさむ始末である。
 しかし、こう言ちゃあなんだが、私はミステリイ大好き人間なので、食生活までミステリイに満ち溢れているなんて、こんな充実した人生はないのかもしれぬ。
 きっと、他のミステリイファンが聞いたら、羨ましがるに違いない。
 しかしまあ、ホントのハナシ、ミステリアスなのは、人生だけで精一杯。せめてメシだけは、ハッピイエンドに食べたいなあ。

4 切った はったに憧れて

 東京に来て安心するやらびっくりしたのは、スーパーに男が満ち溢れていることだった。私は九州生まれの九州育ち、スーパーなんぞ男が行くものでじゃないと思っていたのである。そして、私は<良識ある社会人>だから、単身赴任はいいけれど、花の都でみっともない真似も出来ないと悩みつつ東京に来たのである。
 ところが、である。夕方7時頃にスーパーに行くと、なん1/4は男である。これには驚いた。それも学生風でなく、ネクタイ付のオジサン風である。
 それが、カゴを下げて真剣な眼差しで売り場を行ったり来たりしている。どうみてもアフター5の顔ではない。営業方針の選択を迫られている時と同じ顔付である。私は出来るだけ下を向き、人と顔を合わさないように楚々と歩いていたが、よく考えてみると別に悪いことをしている訳じゃないのである。それに、スーパーに来ている奥さんたちも、私のことを
「まあ、あの人、奥さんから逃げられてかわいそう。でも、あの顔じゃ、しょうがないかもね」とか
「奥さんから言われて買い物に来るなんて、情けない男。多分、会社でも言われっ放しの窓際族なんだわ」とか
「奥さんに買い物くらい任せればいいのに。きっと、あの人、ドケチなんだ。イヤな感じね」とか
「まあ、あの人、男のくせに料理が趣味なのかしら。女みたいな男って嫌い」などと、軽蔑の眼差しで見ている訳でもなさそうである。さすが、東京の女性は世間を見る目が広いと安心した。
 そういう訳で、私は断固として自信を持ってスーパーの中を闊歩することにしたが、スーパーの食料品売場は、凄いのなんのって、何が何でも買はなくちゃいけないように仕組まれているような気がする。世界中で、日本人が売りまくっているという原点は、スーパーの食料品売場にあるに違いない。なにしろ
『夏のパワーを保つおすすめの元気メニュー。本日限り牛サローインステーキ100g398円』である。私のようなオジサン族は、夏のパワーを保つ等と言われると
「ウン、買う買う」とならざるを得ない。それも、本日限りであれば、買わなきゃ損するような心境になる。
 それに、価格である。398円。400円でないところがニクい。398円と400円とは2円の違いなれど、心理的には一見100円位違う感じがする。
 なぜか、スーパーの価格設定は、ほとんど『8』が端数についている。88円、198円、980円。8が好きなようである。勿論、私の名前も荘八。名前に8が付いているから、8が好かれるのは大賛成である。ここはひとつ『そう八』と書いたゼッケンでも胸にぶら下げて売り場に立つと『お買い得』という訳で、すこぶる付きの美人が押し寄せて来るかもしれぬ。そして、ひょっとして、ひよっとしたら、アアしてコウしてアアなるかも・・・。
 それはともかく、私は
『産地直送、野菜を新鮮に今日食べる!』とあれば、ウン、そうだそうだと思うし
『魚市場からそっくりそのまま<生き>をお届け』とくれば、今日も魚を、となり
『缶詰、超特価4割引』なら、買わなきゃバカみたいに思えるしと、まあ、そういう訳でスーパー初登場の頃は、いつも山の如く買い込み儲けた気分になったものの、たちまちにして冷蔵庫が満員になってしまった。
 そこで仕方なく、うちのかみさんに、かくかくしかじか冷蔵庫が小さすぎると、電話をかけて文句を言ったら
「まあ、あなたってバカみたい」と、まことに失敬なことを言う。
「冷蔵庫は貯金箱と違うのだから沢山ためこめばいいという訳じゃないのよ。スーパーなんて、<本日限り>なんて言うのは毎日続くのだし、<産地直送>と言ったって何百キロも離れた産地から送ってくるのよ。新鮮なのはうたい文句」と、世の中をまことに疑惑の目で見ている。どうも、素直でないみたいである。
「缶詰なんて、そんなに冷蔵庫を一杯にしていたら、食べることなんかないし、大体、スーパーなんて所は、みんなお買い特品を売っていると思えばいいの。だから、何も焦って買うことはないのよ。今夜、食べたいものを買えばいいの」と、はなはだ世知にたけたようなことを言う。
 しかし
『スーパーは、いつ行ってもみんなお買い得』と聞いて、私はなんとなく納得した。それなら、なにも慌てて買うことはないのである。やはり、うちのかみさんは偉い。
 だけど、食料品売場に置かれている品物を見ると、奥さん達が台所でサボれるように、いや訂正、合理的に料理が出来るように、心くばりが行き届いているのには、ホントのハナシ、驚くばかりである。
 なにしろ、包丁とまな板なんぞは、ほとんど使わなくってもすむようになっているのである。
 まず、大きな魚は切り身になっているし、野菜も目的ごとに切ってある。曰く野菜炒めセット、カレーセット、野菜サラダ、カット野菜、漬物などは何種類も取り混ぜてパックに入れてある位である。勿論、肉は各種パターンが取り揃えてあるし、肉きり包丁などは、今や、過去の遺物になっているに違いない。
 だから、私などは、包丁なんて物騒な代物を使うなんてことは、まずない。大体、調理してあるので、後はポリエチレンを破るハサミさえ有ればこと足りる。いまや『花嫁修業』なる言葉は死後になっているに違いない。そして『パパとハサミは使いよう』が現代の花嫁さんの合言葉になっているのであろう。
 それに、かてて加えて、ないものはないというのがお惣菜である。後は『レンジでチン』で終わり。かくして、昔懐かしワンパターンのおふくろの味は、今日はナントカ屋風の味付け、明日はカントカヤ風の味付けというように名店街風に変わりつつある。
 かくして、パパとハサミをうまく使いこなし、名店街風おふくろの味の料理を食べさせて、余った時間を利用して、ヨク学びヨク遊ぶニッポンの女性が強くならないのが、おかしい位である。ホントのハナシ、まごまごしていると、男女逆転して男性が料理を作る時代になりかねない。
 エッ、何? うーン、そうか、私はすでに主夫になってたんだ、よく考えると、うちのかみさん、ハサミの使い方、うまかったなあ。でも、ここで諦めては男がすたる。なにしろ私は九州男児、かくなるうえは
『スーパーとデパートの食品売り場を廃止し、八百屋・魚屋を復活させて名店街風おふくろの味反対の市民運動を展開するための主夫のつどい』を提唱することにしよう。
 エッ、何? スローガンが長すぎて、誰も読まないだろうから主語と述語だけにしろ! って。
 ウン、そうかそれでは
『主夫のつどい』
 なんだか、ホモっぽい。これで、人、集まるかしらん? どうも、夢、儚くて女性は強いようである。
 でも、よく考えると
『ハサミでチョン、レンジでチン』の生活をエンジョイしているのは私である。それなのに、包丁で切ったはったのヤクザな世界に逆戻りするのは、文明に対する反逆になるのではないか?
 かくして、悩み多き私は、また新たなる悩みを抱えて
『ハサミでチョン、レンジでチン』を取るべきか
『包丁でサクサク、鍋でグツグツ』を取るべきか、いまだに思案するばかりである。

5 成功の甘き1ミリ

 私が、まだスーパー食料品売り場で下を向いて歩いていた頃は(100円玉を拾おうとしていた訳でなはない。まだ、純情だった主夫なりたての頃のこと)勿論、私の料理技法もゼロからの出発であったのはいうまでもない。
 100g398円也の夏のパワーいっぱいのサローンインステーキと称する肉を焼き、キャベツは細かく切ったつもりではあるが、そのキャベツを食べるとバリバリ音がする。なにしろ、私は包丁使いの初心者。私の千切りキャベツは5ミリ位の大きさになる。これでは、一金398円也のサローインステーキと称する奴が泣くではないか。
 それで、うちのかみさんにかくかくしかじか音なしキャベツを食べる方法はないかと電話したら、カンナみたいな器具を売っているという。そこで、デパートに行き、一見優しそうな店員さんを見つけて、かくかくしかじか、カンナ風野菜切り器はないかと聞いたら
「まあ、5ミリも!」と、優しそうな顔に似合わず、いかにも吹きださんばかりの風情である。人が困っているのに、まことに失礼な話である。そして
「それはお困りですね」と、口だけは同情しながら、ニコニコしながら持ってきたのを見ると、これがまあ、凄い代物である。
 一見、昔の鰹節削り風である。ただし、削るための刃がついたプレートが3枚も付いており、1枚はキャベツなどの千切り用、もう1枚は大根下ろし用、3枚目は何に使うか分からないがギザギザ付きである。1個で3役。まさに世界に冠たるニッポンのミミッチさ、いや訂正、ニッポンの合理的発想の結晶である。ホントのハナシ、ホレボレしてしまった。
 そこで、さっそくキャベツを削ってみると・・・キャベツを削るっていう表現はおかしいかなあ? でも、やっぱり切るっていう感覚じゃあないからなあ・・・スッゴイ、スッゴイ、トンカツ屋で出てくるキャベツとソックリ、そのままである。
「ヤッタあ!」
 喜んだのまでよかったが、あとがいけない。私は根がケチだものだから、最後の1枚まで削ろうとして指の皮まで削ってしまった。しかし、身を犠牲にしてまでもキャベツを削ることはないのである。しかし、根がケチというものは恐ろしいもので、すぐには改まらない。それから、2度も絆創膏の世話になる始末である。
 さすがに3度目には、自分のケチさ加減を深く反省し、うちのかみさんに、カクカクシカジカ、花のお江戸に来たからには、ケチは止めて、ジャンジャンお金を使い、宵越しの金など待たないようにしよう、ケチは身を滅ぼすと電話したら、うちのかみさんは論理的思考に欠けるらしく
「どうして、指を削ったらお金をジャンジャン使っていいことになるの?」などと、訳の分からぬことを言う。そして、挙句の果てには
「そんなこと位で電話すると、電話代かさむわよ」と、ケチなことを言って電話を切ってしまった。どうも、うちのかみさんは、私以上にケチらしい。しかし、うちのかみさんの家には、キャベツ削り器はなかったようだから、身を滅ぼすようなことはないのかもしれぬ。
 かくして、身を削る思いをしながらも、トンカツ屋風キャベツの製作は成功を収めたものの、次なる課題は果物の皮をむくことであった。なにしろ、キャベツだって私が切れば5ミリである。キャベツは平、リンゴは丸。平を切るより丸を切るほうが難しいのは物の道理である。だから、私がリンゴの皮をむくと、リンゴの大きさが四分の三位になってしまう。
 しかし、トンカツ屋風キャベツは切れないと言ってもおかしくはないけれど、リンゴの皮をむけないと言うと、何故か軽蔑の眼差しで私を見る。いくら、私が平より丸が難しい、むけなくって当然と力説しても、道理が通る雰囲気ではない。
 しかし、ここだけの内緒の話であるが、不思議なもので、今までの人生で自分でリンゴの皮をむかねばならないなんて場面に遭遇することなんてなかったのである。誰かが皮をむいてくれる。そりゃあ、私がむいったっていいけれど、四分の三の人類の貴重な資源がなくなる訳だから、遠慮するのが当然であろう。
 もっとも、私は時々一人で山に登る時がある。この時は別である。いくら、私がリンゴとナイフを持って、これ見よごしにキョロキョロしても、人間、非人情なもので誰もむいてはくれない。だから、その時は「豪快リンゴ丸齧り」と皮のままムシャムシャ食べる。そして
「俺、オジサンだけどリンゴ丸齧りでも歯は大丈夫」と、歯磨きのコマーシャル風顔付きをすることにしているのだけど、はなはだ遺憾なことには私を見て
「まあ、あの人、エライ。尊敬しちゃう」という顔付きをする人は何故か少ないみたいである。大体
「まあ、あの人、見て! バッカみたい。リンゴの皮に農薬付いているのを知らないのかしら」という顔付きである。農薬付を承知の上でケナゲに食べている私の気持ちも知らないで、まったくバカにしている話である。
 しかし、主夫ともなると、そうはいかない。観客もいない一人きりの部屋で「豪快リンゴ丸齧り白い歯キラリ」と気取ってばかりしてはおられぬ。
 そこで、キャベツ削り器でさっそく試してみたが、皮どころか実も一緒に削ってしまう。夢は儚くリンゴは丸い。人類の叡智の及ばない分野がやはり存在しているようである。
 私は、そこで成る程と納得し、かくなる上は、非人情な他人や文明の利器に頼ることなく、自ら道を開くことしかないと、試行錯誤を重ねた結果、リンゴの皮むきのノウハウを遂に会得することが出来たのである。
 それは、リンゴを丸のままむくのではなく、リンゴを八分の一に切って、その八分の一になったリンゴの皮をむく、これだけのことである。
「なんだそんなこと」と馬鹿にしてはいけない。そういうことが言える人は、リンゴの皮を丸のままむくことが出来る人であり、私にとって、今まで夢のまた夢の世界であったのである。そんな夢の世界がリンゴを八分の一に切ることによって可能になる。
 ウーン、人生、なんと素晴らしい。
 かくして、私は遂にリンゴの皮を2ミリに厚さにすることに成功した。人間のあくなき努力はとどまることを知らぬ。私は、近い将来きっと、リンゴの皮の厚さを1ミリの厚さにすることに成功するであろう。

6 日常茶飯事にメシ食って

 大体、単身赴任している人は、外で食事して帰るというのが通例である。ちょっと1杯軽く飲んでメシを食って帰る。
 だけど、たまには、ちょっと1杯のつもりが2杯になることもあるし、今日は天気がよいからもう1杯ということもあるし、雨が降ったらゲン直しにもう1杯ということもあるし、風が吹いて女の子のスカートがめくれたのでもう1杯ということもあるし、風が吹かず女の子のスカートがめくれなかったのでヤケクソでもう1杯ということもあるし、とにもかくにも、ゴキゲンで帰るネタは尽きることがない。
 ところが、である。実に残念無念で口惜しく、かつ、不幸にして遺憾に堪えないことには、私は酒が飲めないのである。だから、その
「ちょっと1杯」ができないのである。第一、酒はその匂いたるやムットして腐った水みたいだし、ビールは煎じ薬のごとく苦きことこの上もなく、ウイスキイは胡椒のごとくピリピリして、口の中が火傷しそうである。
 だから、何が不思議と言っても、酒がうまいなどということ位、信じられないことはない。ビールなどは
「コクがあってキレがある」などと、一見もっともらしく聞こえるけれど、どこかの政党の演説と同じように、言語明瞭意味不明である。あれは味ではなくコマーシャルを飲んでいるに違いない。その証拠に私が
「コクがあってキレがあるとは、どういう味のこと?」と聞いても、誰も納得できる返事などしたことがない。そして
「うや、味というより喉をビールが通る時の感じ・・・」と、これまた、理解に苦しむようなことを言う。味は舌で感じるものなのに、喉で味を感じるなんて酒酔人は可哀想に舌がボケているに違いない。
 だから、私は飲んでも酒なら盃3杯、ビールならコップに半杯、ウイスキイならウイスキイの水割り・・・ではなくて、水割りのウイスキイ(グラスに水をいっぱい入れウイスキイを少々たらす)が限度である。これで、顔はマッカッカで火がついて頭の中で鐘が鳴り、胸ドッキンドッキン高鳴って破れてしまいそうである。だから、いまだかって、アラエッサーサー的気分になったことがない。
 まるで、100メートルを全力疾走し、階段を50段昇ったら、丁度階段の上にミニスカートをはいた女性がいて、膝上ウン10センチが見えそうで見えなくって、よくよく見たらやっぱり見えなかった時みたいに、頭ガンガン,胸ドキドきである。
 だから、酒酔人は、お酒を呑むと世の中バラ色となり女性はみな美人に見える、なんていうけれど、ホントのハナシ、とてもじゃないが信じられない。
 そりゃ、私だってお酒をたらふくきこしめして、横に座っている一見美人風の、いや失礼、ヨクヨク見ても美人風の女の子に抱きついたり、ボインボインとかムチムチオシリなどを触りまくったりして、この世をバラ色ピンク色にピッカピッカと輝かせ、挙句の果てに翌日
「エッ、僕がそんなことしたって本当? ちっともこれっぽちも覚えていない。どうも昨日はお酒呑みすぎたみたい。ウヒヒヒ・・・・」と、覚えていない振りをしてみたい、いや訂正、笑ってゴマカシてみたい、いやそれじゃ悪いからテレ笑いして頭などカイてみたい、というのが私の夢である。
 かくして、1杯呑むと、世の中バラ色天国どころか、世の中バラバラひっくり返って地獄を見る私は、1杯抜きでメシを食わざるを得ないのである。しかし、何故か1杯抜きでメシを食わせる所が東京には少ないのである。
 私の住むマンションの近くは品のいい所かどうか知らないが、レストランにテンプラ屋、トンカツ屋に寿司に釜飯屋、中華料理屋位は有るが、あとはのきなみ飲み屋ばかり。そこで、今日はなんとかランチを食べ、翌日はテンプラ定食、次の日はトンカツ定食、それから寿司屋は『にぎり中・・・2300円』なのでパスして中華料理屋で八宝菜定食を食べ・・・そうしたら、もういいかげんにゲンナリしてイモのにっころがしとかキンピラゴボウのような日常茶飯事のメシを食べたくなってくる。
 要するに、これらのタグイの店は、日常茶飯事のメシを食べている人が
「たまには外食するか」と行く所である。1週間に1度位外食するのならともかく、日常茶飯事にこのタグイの物を食べていたらアブラドキドキマンになってしまいそうである。
 ところが、私の住んでいた北九州市には、おふくろの味の一品料理のおかずをいろいろ置いてある日常茶飯事風の食堂が、けっこう沢山あったのである。しかし、東京は、なにしろ花の東京である。乙に気取っていなきゃならぬ。
 かくして悪貨は良貨を駆逐する。日常茶飯事の店は田舎に追いやられ、ナントカ風ムニエルとかカントカ風ストロガノフとか、舌を噛みそうにしながらメシを食わねばならぬ。そりゃ、一晩や二晩は気取ってメシを食ってもいいが、美人と一緒ならともかく、一人で気取ってメシを食う位はかないものはない。
 ところが、何故か、小料理屋風の一杯飲み屋に行くと、このイモのにっころがしとかキンピラゴボウが有るのである。しかしながら、とかくこの世はままならぬ。酒の飲めない私が、そういう飲み屋に行って
「酒はいいよ。肉ジャガくれ」などと言ったら、営業妨害で訴えられるに違いないのである。
 しかし、そこにはきっと、白い割烹着を着た私の憧れの一見吉永小百合風、それとも大原麗子風、もしくは田中裕子風、または・・・まだエンエン続くが紙面の都合で略・・・のおかみさんが居るにちがいないのである。そして
「アーラ、そうはちさん、いらっしゃい。今日はね、そうはちさんの大好きな肉ジュガ作って待っていたの。良かったわ。来てくれて」と言いながら熱燗を1本つけてくれるという夢のシーンが展開されるに違いないのである。
 ホントのハナシ、もう一度言うけれど、とかくこの世はままならぬ。私は肉ジャガを食べそこねたばかりか、一見吉永小百合風、それとも大原麗子風、もしくは田中裕子風、または・・・まだエンエン続くが紙面の都合で略・・・のおかみさんと親しくなって、ひよっとしてアアしてコウしてアアなるかもしれないのに・・・。アア、本当に残念無念。なんのために花の都に来たんだろう。
 それに、お酒が飲めるとなると、一杯呑み屋の「小料理すきすき」で軽く飲んでメシを食い、それから馴染みの酒場「Bar スケスケ」に行って、カウンターの片隅にひっそり座り、ミステリイ作家レイモンド・チャンドラーが『長い別れ』で描いたキザでハードボイルドな私立探偵マーロウのように
「ギムレットには早すぎる」などと呟き
「バーボン。うん、ワイルド・ターキーのストレイト」と言って、哀愁をそこはとなく背中に漂わせながら、一人静かに呑むということが出来るのである。
 すると、そこにはやはり一人で来ていた女の子、それも私の好きなタイプの一見渡辺美里風、それとも小比類巻かほる風、若しくは中村あゆみ風,または・・・まだエンエン続くが紙面の都合で略・・・の女の子がハスキイな声で
「ご一緒していい?」と、私の横のスツールに来て座るようになっているのである。そして、人生なんてアアでもないけどコウでもないというような高尚なる会話をかわして、まぜはメデタシめでたしとなるはずなのに、ホントのハナシ、しっつこいようだが、とかくこの世はままならぬ。私の人生のバランスシートは酒が飲めないばかりに大赤字である。
 しかし、人生良くしたもので、悪いことあればいいことだってある。こう言っちゃあなんだが、私は酒が弱い代わり甘いものに強いときていいる。さから、あまり大きな声では言えないが、行きつけの酒場はないけれど、行きつけのぜんざい屋はあるのである。
 そこで、ぜんざい屋さんの片隅で、私は哀愁をそこはかとなく背中に漂わせながら、ぜんざいを食べる訳であるが、なにしろぜんざいの香り甘く漂い、私の顔も甘さでダラリとたるんで、うれしさに満ち溢れ、笑顔こぼれんばかりとなる。
 だから、どうも背中に漂う哀愁がそこはかとなく散ってしまうみたいで、店の中には私の好みの一見薬師丸ひろ子風、それとも斉藤由貴風、もしくは小泉今日子風、又は・・・まだエンエンと続くが紙面の都合により略・・・の女の子が店に満ち溢れ男は私ひとりだけと言うのに
「ご一緒していい?」と、私の横に座るような女の子は誰もいやぁしない。それどころか
「なーに、あのおじさん。男のくせにニタニタ笑いながらぜんざいなんか食べて気持ちワリーイ」と言いたそうな顔をして私の方をジロジロ見ている。
 それはないよと、私は声を大にして叫びたい。私は、唯、酒場の代わりにぜんざい屋に行っているだけなのに・・・・
 どうも、最近の若い女の子は男を見る目がないのかもしれぬ。キリキリとよく冷えたギムレットを飲もうと、ぜんざいを食べようと、私の背中には哀愁が漂っているはずだがなあ。
 しかし、夢は儚く女性は冷たい。かくして、私は日常茶飯事のメシを外で食べそびれたというのに、アアしてコウしてアアするチャンスもなく、後はヤケクソに満ち溢れ,自分で日常茶飯事のメシを作らざるを得ないのである。
 でも、日常茶飯事のメシを自分で作ったって、ちっともうまくないんだよね。やっぱりこれは、白い割烹着のおかみさんに作ってもらわきゃ。

7 そもそもの終わり

 かくして、すったもんだで主夫することすでに2年半。しかしこのナミダナミダの「主夫と生活」をうちのかみさんに話しても、ウフフと笑うばかりで、ちっとも感心してくれない。
 だから、仕方なく我ながら偉いものだと一人で感動するものの、肝心かなめのすこぶる付きの美人と、アアしてコウしてアアなる話の方は世の中リンリンとフリンのベルが高鳴っているというのに、ホントのハナシ、私はベルの聞き役ばかりで、鳴らす方の役はちっとも廻ってこない。どうも人生は厳しくハッピエンドで終わるのは古きよき時代のハリュウッド映画の中だけらしい。
 でも、
「男はタフでなければ生きてはいけない。しかし、優しくなくては生きてる資格がない」と、キザでハードボイルドな私立探偵マーロウが言っていたけれど、タフでない私は
「人生現実を直視しなければ生きてはいけない。しかし、夢をなくしては生きてる資格がない」と思っているのである。
 だから、私は街角で向こうから、すこぶる付きの美人が歩いて来るのを見た瞬間、アアしてコウしてアアなってと、たちまち恋してしまう。だけど、すれ違った途端、たちまちにして失恋。もう忙しい限りである。
 だけど、私のポケットの中には夢がいっぱい詰まっているので、失恋パレードを華やかに展開しても、ちっともメゲルことなどまったくないのである。
 そして
「人生、捨てたもんじゃないよ。そのうちいいことあるさ」と薄き髪の毛も忘れ、アアしてコウしてアアなることをいまだに夢見ているのである。
 しかしである。幸か不幸か知らないけれど、1990年の春、わが家のある北九州市に再度転勤するkとになった。私の花の単身生活にエンドマークを打つことになったのである。
 今だに、アアしてコウしてアアなっていないのに、まるで、アンパンの外側を食べ今からアンコを口にしようとした瞬間、ストップがかかったようなものである。それはないよと言いたいところであるが、うちのかみさん曰く
「私がアンコなの」
 どうもうちのかみさん、先刻事情ご承知らしい。私はカビの生えたアンコなど、これっぽちも食べたくなんぞない。出来立てのアンコを食べたいのに、どうして人生、こうもままならぬものであろう。
 かくして、アンコ抜きのアンパンしか食べられず、心残して私の「主夫と生活」は終わりを告げることになった訳であるが、、私の料理のレパートリイも、最初の
「なーんにも出来ない」から
「出来ない物以外はなーんでも出来る」というように、短足の進歩を遂げたとはいえ
「なーんでも出来る」と言うような長足の進歩を遂げるには至っていない。うまくなったのは手抜き料理ばかりである。
 どうも、私の場合
「私、作る人」と「私、食べる人」の豪華絢爛たる2本立て興行より、ささやかに
「私、食べる人」の1本立て興行の方が私の性格には合っているのかもしれない。
 だから、ポケットに夢をいっぱい詰め込んで出発した花の単身生活は、まだ花も蕾の状態だけど、ここらでピリオッドを打っても仕方ないかもしれぬ。
 夢、儚くて人生ままならぬこと多いけれど、何事も八分目。ウン、私の名前もそう八。
 ここらで私の主夫生活に別れを告げ
「フロ、メシ、シンブンのシンプルライフに戻るとするか」と言ったら、うちのかみさん
「だって、あなたそのまま年取ってぬれ落ち葉にでもなったら大変よ。だから、私、ミステリアスな料理でも食べてあげるから、時々お台所してね」
 どうも、夢は儚く・・・

【1990年12月 記】

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