“あばたもえくぼ”なんだけど・・・

 今日、15日は大安。そして6月はジューンブライド。
 ローマ神話で、結婚生活の守護神とされているジュピターの妻ジュノーの月が6月と云われていることから、6月に結婚する花嫁は幸せになれると伝説が生まれて・・・ウン、今日の結婚式場はきっと大入満員。
 と、思ったら大間違い。6月は雨が多くって”晴ればれ気分”にはほど遠く、曇りだったとしても心は”どんよりブルー気分”、おまけにむし暑くって”ジメジメ不快気分”・・・てな訳で
「ジューンブライドって格好いいこと云われても、やっぱ ヤメター」
 だから、人口動態統計で見ると、結婚する月は一番多いのが11月、次いで3月、10月の順らしい。
 かくして、夢を飾って生まれたカップルのそもそもの出会いというのは、国立社会保障・人口問題研究所の全国調査によると、
「友人や兄弟姉妹の紹介」が一番で、1982年以来トップだった
「職場結婚」は2位に転落したそうである。そして過去、ほとんどの割合を占めていた
「お見合い結婚」は、たったの6.2%で、いまや希少価値。ウーン、なるほどと納得。
 職場結婚なら、相手の良い所も悪い所もミエミエなので、結婚してイロイロあっても適当に折り合いを付けられるに違いない。だけど、友人や兄弟姉妹の紹介なら、ホッカホッカ恋愛中の”あばたもえくぼ”状態は、結婚したらやがては”えくぼもあばた”に大変貌する恐れがある。
「そうなると大変!!!」と思うかもしれないけれど、結婚しても依然として”あばたもえくぼ”状態が続いたら
「それも大変!!!」のようである。

問題は、妻がわたしを心から愛しているという点にある。・・・さらに云えば、愛しているだけでなく、尊敬もしている。わたしが利口で、有能で、性格的にも非の打ちどころがないと考えていて、つねに良き伴侶であろうと心がけている。それで、わたしは気が狂いそうになる。

パーネル・ホール作「探偵になりたい」より

蒼き馬に想いをのせて

 こう云ちゃあなんだが、侘びとか寂びの世界にエンのない私だけれど、1年に1回だけ、私は表千家のお師匠さんの自宅の庭に建てられた茶室で、茶道にのっとって抹茶を飲むことが出来るようになっている。
 ところが、茶道にのっとってやるのはお師匠さんだけで、お茶を頂く私は、なぜか茶道にのっとらずに飲んでもいいようになっている。
 だから、正座していて痺れが切れたらどうしようかとか、小さな茶菓子を二つに割って楚々と食べるなんて芸当は出来ないので一口でガブリと食べて良いのかとか、お茶碗を左に廻してから飲むのか右に廻してから飲むのか、それも何回廻したらいいのかとか、お茶を何回に分けて飲むべきかとか、ずずーと音を出して飲んでいいと聞いたことがあるがそれって無作法ではないかとか、お茶碗をシゲシゲ見て何と云って褒めたらいいのかとか、飲み終わってから云うセリフは「ご馳走さま」でいいのかとか、茶碗はそのまま返していいのかとか、人が飲んでいる時にペチャクチャ喋っていいのかとか、鼻が痒くなった時掻いてもいいのかとか・・・以下エンエンと続くが紙面の都合により略・・・などと悩まなくてよいのである。なんと、ステキなお茶会!!!
 このステキお茶会は、私が卒業した福岡県行橋市にある京都高校の同級生男性4人、女性4人で作っている「おちゃちゃの会」。
 この会の発起人は短歌『牙』の同人だった今は亡き安光隆子さん。
「あなた達、飲むといったらお酒ばかり。正式のお茶席でお抹茶、飲んだことないでしょ。イイ年をして、恥をかかないようにしてあげる」と云って、表千家のお茶の師範をしているやはり同級生の福田頴子さんに呼びかけて始まったものである。
 ところが、なんたって男性4人組は、粗野にして軽佻浮薄。そんなヤヤッコシイことが出来る訳がない。当然のことながら、恥のかきっ放しには慣れているので、作法を覚えるなんてムダな努力をするはずがない。
 かくして、お師匠の頴子さん、3回目のお茶会で
「まあ、おいしいお茶を飲んでもらって、お互いに楽しんで、心が通いあったらいいのよ」と優しいお言葉。かくして作法より無罪放免になった次第である。
 とは云うものの、お茶会の時は「草履」に履き替え「潜り」を潜って「路地」に入り「待合の腰掛」に座って案内を待ちそれから「飛石」を伝わって茶室の手前に置かれてある「つくばい」で手水を使い60センチ四方の小さな「にじり口」と称する入り口からようやく茶室に入る。この茶室に辿り着くまでの行程は、真っ直ぐ歩けば10m位だけれど、遠回りして行かねばならぬ。ヤレヤレなどと云ってはいけない。おいしいお茶にたどり着くためには、イロイロ努力せねばならぬ。
 茶室は、小さな障子窓があるだけ。明かりはそれだけだから、ボンヤリ薄暗い。
「昔の人はさすがにエライ。女性がみんな美人に見える仕掛けになっている」と言ったら、師匠曰く
「茶事に集中出来るように、うす暗くしてあるの」
 フーン、そうか。ものは云いようである。昔の人はやっぱりエライ。

 今年の「おちゃちゃの会」は5月19日、14時から。
 茶室に入ると、まず目に入るのは床の間に飾ってある『古風今情』の掛け軸。
「今日の掛け軸は、亡くなった隆子さんを偲んで選んだの。分かりやすい言葉でしょ」と師匠は云うけれど、こちとら、なんたって粗野にして軽佻浮薄。
「?」と思ったけれど、分かった振りをするのは得意だから
「うん、なるほど」と一見マジメ顔で頷く。ダテに年をとった訳ではない。
 それからお茶会。おいしい抹茶を頂く。師匠は侘びとか寂びを漂わせ「表千家の作法」にのっとり、私は詫びとか恥を漂わせ「そうはち家の作法」にのっとりお茶を頂く。
 ウン、ウマイ!!! と、云う訳で 
「もう一杯」と頂く。おまけに、私は生まれながらのケチときているので
「もう一杯」と頂く。それに、2度あることは3度あるという諺に従って
「もう一杯」と頂く。なんとステキなお茶会!!!
 かくして、2時に始まったお茶会は片手落ちの作法にのっとり、スムーズに終了。たちまち室町時代から現代にタイムスリップして、それからは恒例の大パーティ。
 師匠の頴子さんとは同級生だが、そのダンナも同級生である。二人は博多に住んでいるので、そのダンナが博多の有名店を駆け巡って調達してきたナントカワイン2本にカントカチーズ3種類にお洒落な名前が付けられた5種類のフランスパン、後は女性組手作りのオードブルがジャジャーンと登場。
 二人以外は北九州の田舎ッペだから、それっとばかり飲みながら食べながらワイワイガヤガヤワイワイガヤガヤ。
 そのワイガヤの中で、
「あのA先生、昨年亡くなったの。私達と10歳位しか違わないはずなのに、もう亡くなられたんだって・・・。おかわいそう」と、話したものだから、一同シュンとなって
「ウン、気の毒だなあ。いい先生だったのに・・・」と、先生の思い出に耽っていると
「今の話だけれど、私達だって来年はもう70歳でしょ。だからA先生が亡くなったのは80歳。早く亡くなられた訳じゃないよ」
「エッツ、僕たち、もうそんな年なんだ」と愕然。
 どうも「おちゃちゃの会」のメンバーは、年寄りの自覚症状がまったくなく、60歳位から年を取るのを忘れているみたいである。だから、ワイワイガヤガヤワイワイガヤガヤで盛り上がり、気がついたらなんと21時。
 エンエン7時間に亘る大パーテイを繰リ広げたものの、ワインは2本だけだから酔っ払った訳でもないのに、それに政治とか文学とか人生とか高尚な話をした訳でもないのに、7時間も何を話したのか一向に分からない。
 どうも、ワイワイガヤガヤのムダ話しをエンエン7時間もしたみたいだが、これって、誰にも出来る芸当ではないから、
「アホみたい」ではなく、ひょっとしたら
「エライ」のじゃなかろうかと思って、帰ってからうちのかみさんに話すと
「そうね、アホみたいじゃなくって、アホまるだし」だって・・・。
ウーン、がっかり!!!
 ところで、このお茶会は、この会の発起人で2003年5月に早すぎる死を迎えた安光隆子さんを偲ぶ会もかねている。そこで、今年は彼女の遺歌集「蒼馬」の中から、自分の好きな歌を3首選んできてみんなに披露することとなった。
 この会のメンバーはワイワイガヤガヤのムダ話しは得意だけれど、短歌の世界とはほど遠い人間ばかりである。だから、上手だとか下手とか分かる訳はないけれど、好きな歌というのはある。
 そこで、着物がよく似合ってウイットとユーモアに富み、きりりとした感性を持っていた彼女に想いをのせて、メンバーが選んだ「私の好きな歌」の中から10首を選び披露したい。
 なお、最初の一首は、彼女が生前「一番好き」と云っていた歌であり、遺稿集「蒼馬」の題名もこの短歌から取っている。

安光隆子さんの歌、大好きです

父の乗る蒼き馬はも海に降る雪のはたてに消えてゆきたり

あの人は切ってもいいと決めて立つ踏切の鐘鳴りやまぬ前

三十五年の刻経て君に逢しかど変若(オ)ちかえるべき術のあらなく

十六の恋を包みし花柄の浴衣を出せど行く所なし

火は風を抱き込みながら捲き上がり野焼の山を駆けのぼりゆく

手を垂れてくちづけ受けし古里の櫟林に雪は降りいん

論争の場に臨まんと締め上げし帯の横面叩きて出ずる

お種柿一つ垂らして柿の木は入陽に赤く染まりて立てリ

長雨の上りし後の向山にああ追伸の如き虹立つ

古里に置き忘れたる恋ひとつ狐花咲く畦のあたりか

しゃっきりと筑前博多帯締めて逢いにもゆかな病癒えなば

 なお、この夢旅人2005年10月1日号のコラム「逝く夏の・・・」も、彼女の短歌を引用して書きました。是非、読んでください。

※ 安光隆子・・・1939年生まれ、2003年5月逝去。福岡県立京都高校卒。『牙』同人。

ラブレター

 5月23日はラブレターの日。何故って云うと、こい(5)ふみ(23)だって・・・・。
 だけど、今やメール時代。手紙を書くなんてメンドウなことはやらなくなってしまったようである。だから、メールで
『好き、好き、好きの大好き(^。^)』か
『嫌い!嫌い!!嫌い!!!の大嫌い!!!!』かで終わり。
 なんとも素っ気ない話しである。
 むかし昔、渋谷に『恋文横丁』があって、パット・ブーンの『砂に書いたラブレター』やエルヴィスの『心のとどかぬラブレター』がラジオから流れていた古き良き時代に
「恋しい恋しいナントカさま」と書くところを「変しい変しいナントカさま」と、間違って書いたあの遠い日が懐かしい。
 万年筆が骨董的存在になり、手紙は手書きからプリントアウトされた字に変わってしまったけれど、印刷されたラブレターを読んだって小説を読むみたいなものであろう。
 私などは、まづ顔に惚れ目に惚れ唇に惚れ声に惚れオッパイに惚れ脚に惚れ・・・以下エンエンと続くので略・・・と、惚れる所は数々あって、どれかその一つにでも該当すれば好きになることになっているけれど、
「字に惚れて」というのもそのひとつである。だから、きれいな字で書かれた手紙など貰うと、顔や目や唇や声やオッパイや脚・・・以下エンエンと続くので略・・・に惚れる所がなくっても、
「好き、好き、大好き」となって・・・・
 エ? 何? 「それって、女であれば見境もなく好きになるってこと? 浮気っぽいんだ、ソーハチさん」だって・・・。
 ウーン、そうじゃないんだって!!! エーット、だから、ラブレターはやはり万年筆の手書きの方が効果があると云いたいのである。
 そして、5月23日は『ラブレターの日』
 一方通行の片思いの恋をしている人いれば、メールではなく手紙を書いてみませんか。
『好き、好き、好きの大好き(^。^)』のメールよりも、手紙だったら、さまよえる心に橋が架けられるかもしれません。
 もし、恋を終わらせようとしている人いれば、メールではなく手紙を書いてみませんか。
 『嫌い!嫌い!!嫌い!!!の大嫌い!!!!』のメールよりも、手紙だったら、悲しみも純化され素敵な思い出だけを、心に残こすことが出来るかもしれません。

手紙    川崎 洋

もしも
愛という言葉がなかったら
もしも
好きと言う言葉がなかったら
世界は
どんなに寂しいだろう
でも
悲しみも
嘆きも
その分
減るかもしれない
きょう
郵便受けが鳴って
誰かへ
一通の
恋の終わりが届けられる

人生が二度あれば

 今日はゴールデンウイークの中日。9連休のアソビ人間も無連休のシゴト人間も毎日が日曜日のオヒマ人間も、気分はチョッピリ中休み。 
 TVのニュースを見ていると、国内をウロウロする人は、どうも実家に帰るというのが多いようである。
 故郷は遠きにありて思うものというように、父や母についても、一緒に住んでいる時はうとましく思っていても、離れると初めてその『ありがたさ』が分かってくるような気がする。
 だから、歌謡曲で母を歌った曲が多いのは当然だけれど、ニューミュージックの世界でも井上陽水の「人生が二度あれば」とか、さだまさしの「無縁坂」や「秋桜」、海援隊の「母に捧げるバラード」に加藤登紀子の「帰りたい帰れない」等の名曲がいっぱいある。
 ところが、この陽水の「人生が二度あれば」という曲にちなんだ特集が、小説新潮の5月号に組まれ、井上陽水とのロングインタビューと浅田次郎など5人の作家の短編小説が掲載されていた。
 この曲は、陽水がアンドレ・カンドレから名前を陽水と変えて35年前に再デビューした時の曲である。

人生が二度あれば  作詞・作曲 井上陽水

父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯呑み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯呑みに写る
自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば
母は今年九月で六十四
子供だけの為に年とった
母の細い手
つけもの石を持ち上げている
そんな母を見てると人生が
だれの為にあるのかわからない
子供を育て
家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば
父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば

 このインタビューをした編集者は「父と母がこたつのでお茶を飲み・・・」のフレーズの所で、涙が止まらなくなったことがあったそうである。
 陽水自身もコンサートでこの曲を歌った時、込み上げてくるものがあって、歌えなくなったことがあったようであるが、この曲を聴いて感情が揺すぶられるのは、五十代・六十代の人に多いそうである。
 私が、この曲を初めて聴いた時は、私の父も母も生きていて、官吏だった父は額と頭の境界がなくて・・・まあ、要するにハゲていた訳だけど・・・いかにも年老いた父にピッタリの曲だったものだから、
「ウーン、そうなんだ」とジーンときたものである。そして、この曲を聴くたびに父や母のことを思い浮かべた訳だけれど、このインタビューを読んでいる内に、重大な事実に気がつき愕然として驚天動地・茫然自失・・・。
 と云うのは、私、言いたくはないが、今年69歳。この曲に歌われている父より、なんと4歳も年寄り!!!
「親父も、そうだったなぁ・・・」なんて感慨に耽っている場合ではないのである。湯呑みなど覗いて、自分の顔をじっと見ているのは私の父ではなく、私でなければならなぬ。「うっすらハゲ模様」の私だけれど「すっかりハゲ模様」の父と同じ年代になってしまっているのである。
 ウーン もうトシ!!!なんだ。
 しかし、まだ湯呑みを覗いたことはないが「人生が二度あれば」と夢見たことはある。
 私、大学4年生の時、東京の大手の会社に就職が内定していたけれど、入社する前に行われた身体検査で結核に罹っていることが判明、採用が取り消されてしまった。それで休学して泣くなく九州に戻り入院、その後、病気が良くなって復学し卒業はしたものの、東京での就職は難しく九州で就職することにしたのである。
 もしもあの時、結核に罹っていなかったら、東京で
「部長から気に入られて、そのビジーンの娘と結婚し出世街道をホイホイ」とか
「職場のビジーンの恋人の父は、会社の社長。是非にと乞われて会社を辞め、社長を継いでホイホイ」とか
「ビジーンの恋人の実家は、中央区にビルを幾つも持つ資産家。結婚したら、家賃収入ガッポリ貰ってホイホイ」と、うちのかみさんには内緒だが、どうころんでもバラ色のホイホイ人生が繰り広げられていたに違いないのである。
 ホント、残念である。「人生が二度あれば」もう一度、22歳のあの日に戻りたい。

素敵に オギャー

 私の従姉のひとり娘に、女の赤ちゃんが生まれた。何しろ、娘が結婚して3年目、おまけに高年齢出産である。従姉73歳にして、待望の初孫。いとこ夫婦の喜びようは
スゴーーーーーーーーーーーーイ!!!!!!!
「生まれたてなのに、目はパッチリと黒目がち」
「フーン」ーーー目がつぶれていたら大変でしょ。
「おまけに鼻も高いの」
「フーン」ーーー団子鼻か・・・。
「口はおちょぼ口でかわいい」
「フーン」---口裂け女でなくて良かったね。
「指先も長くってピアニスト向き」
「フーン」ーーー指が長けりゃピアニスト?
「色白で肌はスベスベ」
「フーン」ーーーニキビがある訳ないでしょ。
「そして、私を見てニッコリ笑うの」
「フーン」ーーーそしてワンワン泣いたりして・・・。
「こんなに可愛いと、将来、男に追いかけられそうで心配」
「フーン」ーーーエ? そんなに長生きするつもり・・・
 と、まあ手に負えない。しかし、我が家の孫は、日本一可愛いということになっているので、世のジイ・バア族が何と言おうと、私は
「フーン」と受け流し、いささかも動じることがない。
 そして、出産の時の写真を見せてもらった。ダンナさんが出産に立ち会って写したという。
 時代は変われば変わるものである。私の時代では、子どもが生まれる時に、立ち会うどころか、病院の廊下などウロウロしたら、オトコの沽券にかかわると思っていた位である。現に、私などは出張していて電話で結果を聞いただけである。
 だから、出産シーンなど想像もつかないけれど、アメリカのミステリー作家ラリー・バインハートの「最後に笑うのは誰だ」に、出産シーンが書かれてある。きっと、従姉の娘婿も、こんな気持ちになったんだろうと思うとうれしくなってしまう。

 すると俺の赤ん坊の頭が出てきた。ひゃー、なんて醜い顔だ。男の目に醜く映る新生児の顔が女に美しく見えるのは不思議だ。これも男と女の生物学的相違だな、とつくづく思いながら俺は数えていた。耳が二つ(確認)、目が二つ(少なくとも目の痕跡らしきものが一対あるが、これはつぶっているんだな。確認)、鼻が一つに穴が2個(確認、確認)。産婆のフロイライン・グリュッツが俺の視線を遮って赤ん坊の腋の下に手をかけ
「イズ・グッド、イズ・グッド」と云って俺の方にうなずいて見せた。すると、オッセンボーデン医師が彼女の肩越しにのぞき、やましさを伴わずに出産料が取れることを確認した。
 医師と産婆が二人がかりで、へその緒がついた赤ん坊を引きずり出した。腕が2本(確認、確認)、指が束になり、親指がそれぞれ1本ずつ(確認)、胸と腹がひとつずつ(確認、確認)、脚が2本(確認)。
 それから俺は股ぐらに目をやった。俺は見た。
「ひゃー、大変だ」なんてえこった。恐れていたものがついにやって来た。とっさに未来が、恐怖映画の果てしない廊下か何かのように閃いた。ああ俺たちの欠陥児。非難にくれるマリー。不具ゆえに、なおさら可愛い我が子を抱いて医者巡り・・・行く先々で説明の必要に迫られ・・・。
「ああ、なんという悲劇だ。ベニスのない息子が生まれるなんて!」
「ま、作り方が間違ったんだろうな」とオッセンボーデン医師が言った。
「女の子だから」
「イズ・グッド、イズ・グッド」とフロイラリン・グリュッツ。
「なんだ」と俺は言った。
「そういうことか」