カタカナ語は悩み語

 今年、私が見た映画は12本。年度末を迎え忙しかったので、見損なった映画がいっぱいあったと思っていたけれど、なんと月平均2本も見に行っているなんて、我ながらビックリ。道理で忙し感たっぷりだったけれど、仕事ばかりではなかったんだと、ちょっぴりニヤニヤ。
 うちのかみさん曰く「仕事をほっぽり出して映画なんか見に行くのだから、忙しくなるのは当たり前。自業自得でしょ」だって・・・。
 でもね、映画に行かず残念無念感を漂わせ、やるせない人生を胸に刻んで仕事をしても能率が上がる訳がないでしょ。
 ン? 何?「たかが映画。やるせない人生じゃなくって、やるせないそう八さん」だって・・・。
 ウーン、ところで私が見た映画は、
 007 スカイフォール・96時間 リベジン・ルーパー・アウトロー・パーカー・ゼロ ダーク サーティ・ダイ ハード ラスト デイ・フライト・ラストスタンド・LAギャング ストーリー・探偵はBARにいる・オブビリオン。
 私、邦画は見ない主義。でも「探偵はBARにいる」は、日本映画に珍しいハードボイルドという訳で見に行ったけれど、なんだかハッチャカ・メッチャカ度が過ぎたみたい。ウン、残念。
 私の愛するハードボイルド映画は、全編にジャズが流れクールな雰囲気が漂うなかで、探偵がキザな台詞をはいて相手をノシてしまうというのが大好き!!!
 見た映画は「96時間」を除いて、例によってタイトルはみんなカタカナ語でしょ、敵も味方もドンドンパチパチ撃って撃って撃ちまくるけれど、我がヒーローには、何故か弾が避けて通るという「すかっと爽やか映画」のはずだけれど、どんな内容だったのかほとんど思い出せない。
 最近は、物覚えの賞味期限が短くなって、3日もたつと
 「アレ、どんなストーリーだった?」と悩むようになってしまった。うちのかみさんは「すぐ忘れるくらいなら、見に行ったってしょうがないでしょ」とのたまうけれど、世の中、そんなに単純に割り切れるものではないのである。
 だから、読んだだけで内容が推測されるような日本語のタイトルをつけてくれたら、悩み多き人生を送らなくてもすむのに、どうして訳してくれないのかと憤慨やるかたない。
 と、プンプン怒っていたら、朝日新聞の天声人語に、NHKTV放送で外国語が多すぎると裁判が起こされたという記事の中で、外山滋比古さんが「外来語、カタカナ語を乱用するのは怠け者である」と話していたと書いてあったのである。
 ウン、怠け者だって・・・。成程、さすが学者さんはいいことを言う。
 翻訳者さん、そうなの? 怠け者でないのであったら、その証拠に日本語タイトルにして下さいね。
 ただでさえ、悩み多き人生を複雑にさせないでください。 

愛する二人に

 6月8日のNHKTVの「SONGS」は『究極! ラブソング特集』。
私、非アルコール依存症だから、ビールは苦くってせんじ薬みたいだし、日本酒はムットして腐ったお湯みたいだし、ウイスキーは唐辛子入りの水みたいだし、ビールのコマーシャル「喉ごしすっきり・・・」など聞いても、まったく言語明瞭意味不明、チンプンカンのプン。
 酒飲人に「喉ごしすっきりとはどういう味?」と聞いても、みんな「それは、飲んだ時の感じで・・・」とかなんとか訳の分からぬことを言う。どうも、酒飲人はコマーシャルにのせられて、訳も分からず飲んでいるみたいである。ホント、気がしれない。
 だから、アンチ酒飲人の私は、甘いのが大好き・・・と、云う訳でどうやら身も心も甘く出来てしまったらしく、甘ったるいラブソングが大好き。
 番組に出演したのは、私の贔屓筋の高橋真梨子の「for you」でしょ、一青窈の「ハナミズキ」でしょ、プリンセスプリンセスの「Diamonds」でしょ、ドリカムの「未来予想図Ⅱ」でしょ。kiroroの「未来へ」でしょ、松任谷由美の「守ってあげたい」でしょ。ダーイ好きなミュージシャンがいっぱい。
 この番組は結婚式シーズンの6月にちなんで「永遠の愛を誓う二人へ贈る究極のラブソング特集」。
 ウーン、でもいくら永遠の愛を誓った二人といえども、まったく違う世界に住んでいた二人が一緒になったのだから、きっとアアでもないけれどコウでもないことが起きて「あばたもえくぼ」時代から「えくぼもあばた」時代に退化してしまうかもしれぬ。そしてアメリカのジョークにあるように

 「俺は女運が悪くってねえ、いまだに結婚できないんだ」
 「いや、お前は運がいいよ」

なんて事にならないようにしたいものである。まして、

 女性患者が医者に訴えた。
 「私、毎晩のように悪夢を見るんです」
 「どんな夢です?」
 「結婚する夢です」
 「結婚?そんなに悪い夢ではありませんよ」
 「でも、相手が毎回いまの亭主なんですよ」

などと言われないように、そして私の大好きな竹内まりやの「人生の扉」の歌詞にあるように、

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

と、結婚はゴールではなくスタートだと心を定め、ひとつひとつ人生の扉を開け、年を重ねていけたらいいなと思う。
 そう、人生にリセットボタンがある訳ではないのですから・・・。

雨の日に・・・

 九州は、もう梅雨入り。私、雨に濡れるのは大嫌い、ジメジメするのも大嫌い、カビ臭いのも大嫌い、ムシ暑いのも大嫌い。
 梅雨は大嫌いがいっぱい!!!
 けれど、大好きな小泉今日子の「優しい雨」など聴きながら、シトシト降る雨をノホホンとして見ていると、何故か騒ぐ心もシンシンと鎮まる気がする。
 だけど、最近はシトシト雨は少なくなって、ドカドカ降って味も素っ気もない無常の雨ばかり。
 「霧雨」とか「雨だれ」とか「小ぬか雨」とか「雨上がり」などという情緒的な響きを感じさせる雨は、消えてしまったみたいである。
 でも、俵万智の歌にあるような素敵な風景を醸し出す雨があると思えば、梅雨キライの私も、
 「マ、イイか」的気分になって、許すことにしよう。
   落ちてきた雨を見上げてそのままの形でふいに、唇が欲し
 ウーン、誰か、雨の日に私の横で上を向いてくれないかなァ・・・。

ああ、五月!!!

 5月。爽やかな5月がやってきた・・・と思ったら、ニッポン国中はもう夏日か真夏日。
 私、何度も云うようだけれど、夏はダラダラ暑いからキライ、冬はブルブル寒いからキライ。だから、好きなのは春か秋。
 ああ、それなのにそれなのに、春は足早に通り過ぎ、5月もチョッピリ姿を見せたものの、アタフタと姿を消してしまった。
 そして、一日の中で朝は春気分、昼は夏気分と日替り季節を味わい、年間を通してドカ雪・ドカ雨・ドカ風・ドカ突風・ドカ熱・ドカ寒に悲鳴を上げているけれど、これが当たり前と思わざるを得ないのかもしれぬ。
 5月になると、私のダーイ好きな井上陽水のスーゴク好きな「5月の別れ」を何度も聞きながら、5月にホノボノひたっていたものだけれど
 「アツーイ!!」と感じながら、この曲を聴いたってトンチンカンもいいところである。
 どうも、宇宙の遥か彼方にあるチチンプイプイ星雲のアカチパラチー星人が、地球という惑星に生息するヒト科の生物が、我がもの顔に地球上の他の生物や植物を意のままに利用し、土地や空気、水などをやっり放し使っている上に、それにあきたらず放射能を持つ物資まで手を伸ばしているのを見て、このままでは宇宙の貴重なる星をヒト科の生物が滅ぼしかねないと心を痛めているに違いないのである。
 だから、アカチパラチー星人がここでヒト科の生物を懲らしめて目を覚まさせる必要があると考え、地球に向けて超ハイハイスーパーデラックス型の「αЮΩ光線」を放射させて、地球の気候を操作しているに違いないのである。
 これって、本当のことである。
 [うそ!!!」と云われるのなら、これが真実でないという証明をしてもらいたいものである。
 そういう訳で、「自業自得」と言われないように、我々も今までの生き方を反省すれば、アカチパラチー星人も安心して矛を収め、小野十三郎の詩にあるような5月が戻ってくるかもしれぬ。

五月の風   小野 十三郎

さわやかに
五月の風がふいている。
木の葉という木の葉は
みな葉うらをかえしてゆれている。
きり雨がさっと光ったとおもうと
またすぐに上がって
明るい陽のなかに
くぬぎも、ならも、けやきも
日本の山ぜんたいの木が
しづかに
青い波をうってゆれている。
そして雲がゆく遠い空のおくで
目に見えない大きな歯車が
からから、からからと
一日音をたてている
こどもが
これからの日本をつくる

 そう、こどもたちのために、地球を守りましょうね。

 ※ 小野十三郎(1903年~1996年)――詩集「拒絶の木」で1975年に読売文学賞受賞。1977年より2年間日本現代詩人会会長。

たそがれる時を過ごせたら・・・

 今日は5月1日。ゴールデンウイークの真ん中。ゴールデンウイークも、途切れることもなく続けて休日が続くと、息切れしそうな気がするけれど、今年みたいに3日も休日の休日があった方が良いのかもしれぬ。
 ゴールデンウイークに「遊びいっぱい」と張り切っている人にとっては、
 「ザーンネン!」かもしれないけれど「遊びいっぱい」の人を相手に仕事をしている人にとっては、
 「ヤレヤレ、一休み!」に違いない。
 ゴールデンウイークは、お金をばらまいてくれる人がいて成り立っている訳ではなく、ゴールデンウイークに働いている人がいるからこそ、成り立っているのであろう。
 ウーン、陰で汗をかいてくれている人に大感謝!!!

 私などは、ゴールデンウイークはどこかに行かなきゃいけないと思っていた時代もあったけれど、今や、いい加減年寄りになった今では、与謝蕪村の句にあるように

春の海ひねもすのたりのたりかな

 の心境になったしまった。
 それで、ゴールデンウイークの初日の27日(土)の夜、ひねもすのたりのたりかな気分で新聞のTV欄を見たら、なんとNHKBSTVで映画「めがね」が放映さることになっているのを見つけて、うれしさいっぱいのたりかな気分に大変換!
 この映画は、2006年の映画「かもめ食堂」と同じ監督や俳優で製作されていたのだけれど、まだ見たことがなかったのである。
 そもそも「かもめ食堂」も偶然TVで見て、ドンパチ映画専科の私が、何故か「ウーン」と納得、昨年の7月1日のプログに「ユールイ雰囲気に憧れて」という題で掲載したくらい素敵な映画だったのである。
 その時、「めがね」という映画が製作されているのを知ったのだけれど、まさかTVで見れるなんて・・・と、云う訳でチャンネルを合わせてイソイソと見たところ「ウーン、ウーン」と大納得。
 主人公のメガネ付の小林聡美が、南の島に一人で遊びに行くというストーリが有るようでない映画だけれど、島に着いて宿のホンワカとしたあるじ
 「観光する所に行きたいけれど、どこ?」と聞いたら、あるじ、ポカンとして
 「観光する所?」と聞き返す始末である。そして、曰く
 「ここは観光する所ではなく、たそがれる場所」
 小林聡美は、それを聞いてポカンとして
 「たそがれる?」と聞き返すと
 「ウン、たそがれる」とだけ。でも、その内に小林聡美は、たそがれる意味が分かるようになって・・・映画はEND。

 いい加減年寄りの私にとって、この映画にあるような「たそがれる」術を身に付けることが出来たらと思うけれど、いまだに時間に追われるような毎日を送ってきた私にとっては、無理なことかもしれぬ。
 でも、
「ユールイ気分にひたり」
「たそがれる時をすごして」残り人生が過ごせたら・・・。
 最高に幸せ・・・っていうのは、こういうことなんでしょうね、きっと。