終わり良ければ・・・

 atukuてATUKUてアツクてあつくって暑くて熱い8月がようやく終わった。ウーン、これでもまだ言いたりない位のアツーーーイ8月!!!
 でも、8月の終わりに、このatukuてATUKUてアツクてあつくて暑い熱さを忘れさせるような音楽番組がTVで放映された。
 NHKBSプレミアムで8月22日に「J-POP青春の’80アンコールスペシャル」と23日の「井上陽水LIVE2011”POWDER”」である。
 「J-POP青春の’80アンコールスペシャル」は、私の好きな歌ばっかり。私が選曲したみたいである。
 ウン、この番組のデレクター、あなたは偉い。あなたの感性に乾杯!!!
 この番組で取り上げられた1980年の後半から1990年代は、私が花の東京で華の独身生活・・・・エート、正確に表現すれば単身生活を送っていた時代である。
 私と私のかみさんは、とってもすっごく仲が良くて、いつも思うところは同じである。だから、うちのかみさんは
 「亭主元気で留守がいい」と思っているし、私は
 「亭主元気で一人がいい」と思っている。これって正真正銘の相思相愛といえよう。
 そういう訳で、放映された40曲近くの歌を聴いていると、まじまじと華の単身生活にタイムスリップ。ほれぼれとニッコリ!!!
 放映された中での「そう八さんのBEST3」は渡辺美里の「サマータイムブルース」と中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」と小比類巻かほるの「TOGETHER」
 なぜか、女性ばかりだけれど、これは仕方あるまい。
 井上陽水は、私が一番好きな歌手である。私は九州の片隅で生息しているので、陽水のライブなんてお呼びでない。と、いう訳で「井上陽水LIVE2011”POWDER”」は胸ときめかし、しみじみ聞き惚れて大満足!!!
 陽水のなかで一番好きな「白い一日」はなかったのが心残りだったけれど、東京で何度か行った陽水のライブを素敵に思い出して、ニヤニヤうっとり気分!!!
 エ? 何? 「ニヤニヤだなんて、いやらしい笑い。アノ人と一緒に行ったんでしょ」って・・・。
 とんでもない。それは麗しき誤解である。もち一人で行ったのでアル。当人が言っているんだから間違いない。ならば「ニヤニヤ」を「ニッコリ」に書き直すことにしよう。
 と、いう訳でatukuてATUKUてアツクてあつくって暑くて熱い8月だったけれど、私のとっての8月は
 「ま、いいか・・・」で終わった次第である。ウン、終わりよければすべて良し。

家族旅行

家族旅行    石垣りん

駅頭という言葉は
もうはやらない
日の丸の小旗を振って人を送るという風景も
あまり見られない
窓をあけて握手
したりするのは列車として型が古い
出征兵士を送るとき
みんな涙をかくして笑ったと話すと
若い人は不思議そうに首をかしげる
奉公袋、千人針、はいのう
銃剣、お守り
出発に際してそういう持ち物がないので
歓呼の声はどこからもわき起らない
人間は極端に歓呼しないほうがいい
行楽の人でにぎわう
プラットホームは明るくかわき
誘い合った家族と家族が
めいめい切符をにぎりしめている
「よく晴れたね」
「海は静かかしら?」
男は
妻子を家郷に残さない
収入と支出のバランスで行く先が決まる
勝って帰れとだれも言わない
海ゆかば水漬く屍であるはずがない
旅に出かけるのである
バンザイ
バンザイ
バァンザァイ
では行っていらっしゃい!
では行ってきます!

 ※ 「石垣りん詩集」(1971年刊)より。平和な家族旅行に出かける風景と、戦死して帰らなくなるかもしれない出征兵士の家族との別れの場面を対比した詩である。

真夏の夜の夢

 アツくってあつくって暑くって、熱さ満載の豪華絢爛な夏がやってきた。 
 「心頭滅却すれば火もまた涼し」と云うけれど、頭に氷を載せて歩く訳にもいかず、どうしたら心頭を滅却することが出来るのか、平々凡人の私には一向に分からない。
 きっと、25度くらいのギンギンと冷え切った部屋で考えると、分かるかもしれないが、我がニッポン国のオエライさんから、クーラーは28度にしろというお達しが出ているので、それもままならぬ。
 でも、よく考えたら、オエライさんたちが、たわむろしている国会議事堂も28度に設定してあるのに違いない。
 だから、オエライさんたちも、カッカと心頭を減却するどころか燃焼させた挙句、思考が停止してしまい、悪口の言い合いしか出来なくなっているのであろう。
 ここは、我がニッポン国のために、国会議事堂の温度を25度に設定してオエライさんたちを正気に戻し、我がニッポン国のあるべき姿について、虚心坦懐に談論風発し左顧右眄することなく遠謀思慮、不撓不屈の精神で一気呵成に熟慮断行してもらわねばならぬ。
 エ? 何? そんなに四字熟語並べたって、ダメなものはダメ!!!
 ウーン、これって真夏の夢なのかなぁ?
 それはともかく、我々、平々凡人は28度の温度に耐えてでも、我がニッポン国のために、オエライさんたちを正気に戻さねばならぬ。
 そして、我がニッポン国が抱える多くの「問題」が、オエライさん達の「お題目」にならぬよう願うばかりである。

お題目    谷川 俊太郎

問題です
アジア大会 問題です
問題です
雄山噴火 問題です
問題です
貿易自由化 問題です
問題です
ベルリン問題 もちろん問題
問題です
その点 あの点 すべて問題
問題問題大問題
どんなもんだい
こんなもんだい

 ※ 「お題目」は、『落首九十九』(1964年刊)より。1962年1月から63年12月まで、「週刊朝日」の焦点欄に時事的なテーマを扱って掲載された。

怖いお話

 今年、私が見た映画はなんとたったの11本。少ない!!!
 何故って云えば、東日本大震災後5月まで、我が愛する撃って撃って撃ちまくるドンパチ映画は、まったく上映されなかったのである。約2ヶ月も映画を見なかったというのは、我が映画歴で初めてである。
 これって、この時期にドンパチ映画を上映するなんて・・・と、映画会社が自粛したに違いない。
 と、いう訳で、今年、私が見た映画は
 「SPACE BATTLESHIP ヤマト」「アンストッパブル」「RED/レッド」「ツーリスト」「アンノウン」「ソーシャール・ネットワーク」「X-MENアースト・ジェネレーション」「ロシアン・ルーレット」「アジャストメント」「スカイライン」「スーパー8」
 全部、映画の題名は、何故か原題そのままのカタカナ語。私、ニッポン人だから、タイトルを見ても意味が分からないし、ドンパチ場面ををウットリ見ているから、どんなストーリイだったのか、今になってはほとんど思い出せない。
 これって、悪いのはカタカナ語のタイトルのせい。かっての映画「ローマの休日」とか「太陽がいっぱい」みたいにニッポン語タイトルがついていたら、思い出すに違いないのである。
 ン? 何? 「それってカタカナ語のタイトルのせいではなっくて、そう八さんのボケのせい・・・」
 エーット、それでは話題を変えることとして、今年見た映画で、とっびきりスゴイのが「スカイライン」
 この映画は、地球が侵略される映画と聞いていたので、SF映画大好き人間の私としては、心ときめかしてイソイソと見に行ったのである。
 本来、地球が襲われる映画は、TV映画の水戸黄門と同じパターンで作られているのである。
 水戸黄門の番組は、8時42分に「葵の御紋」がパットと出されて、悪者顔の役者がバッタバッタと切られ
 「まずは、めでたし目出度し」で終わるように定められている。
 これと同じように、それまでコテンパにやられていた地球軍が、ラストの20分前位に、アッと驚く戦法で、エイリアンを打ち負かし
 「まずは、めでたし目出度し」で終わるというのが、この手の映画の定番だったのである。
 ところが、この映画は、なんと登場人物は全員殺され、地球が征服されるという内容である。
 折角、心ときめかしてイソイソと見に行ったのに、地球が征服されるって、こんなバッカな話してある? 
 大体、エイリアンが乗ってくる宇宙船は、ピッカピッカに輝く空飛ぶ円盤風でなくちゃならないのに、この映画の宇宙船は、なんとまあグロテクス。
 遥か宇宙の果ての高度な文化を持つ星からから飛来するエイリアンに、こんなに美的感覚がないなんて信じられない。
 それに加えて、エイリアンとの戦闘シーンのお粗末なこと!!!
 と、まあ、私の主義にはなはだ反する映画を見て、ガッカリ・ウンザリ・ションボリして帰った次第である。
 たけど、冷静に考えれば、宇宙の貴重な星を守るという使命を持っているナンジャモンジャ星雲のチチンプイプイ星人が、この地球に生息するヒト科の生物が、地球上の他の生物や植物を滅ぼしつつあることを見て、
 「ヤッパ、地球という星からヒト科を生物を排除しなければならぬ」と決意するやも知れぬ。
 そう考えると、この「スカイライン」という映画は、これの「予告編」かもしれぬ。
 ウン、きっとチチンプイプイ星人は、この映画の監督に『超スーパーハイハイ頭脳コントロールマシン』を駆使して、映画製作を命じたに違いないのである。
 なんと、恐ろしい!!!

梅雨なのに・・・

 梅雨真っ盛り。それなのに気分も夏真っ盛り。
 盆と正月が一緒に来るのであれば、こんなに嬉しいことはないけれど、梅雨と夏が一緒に来るなんて、そんなバーカなことってある?って感じである。
 私は、梅雨は雨が降るからキライ! 夏は暑いからキライ!! 冬は寒いからキライ!!! 好きなのは春と秋だけである。 
 ああ、それなのに、夏はギラギラとメチャ熱い上にながーく、冬もキンキンとメチャ冷たい上にながーくなって、春と秋はアットいう間に終わってしまう。まるで、春と秋は邪魔者扱いである。
 今や、街は梅雨なのに、夏真っ盛り気分に溢れたピチピチプリンの女性がスッポンポンで街を闊歩しているけれど、その内,メチャメチャメチャ暑くなると、アメリカのミステリー作家ロス・H・スペンサーが「俺に恋した女スパイ」の中で
 「それはぜんぜんなにも着てないのと、ほとんどなにも着てないのと中間ぐらいだな」と書いたような風景が見られるようになるかもしれぬ。
 それはそれでステキなことだけれど、私、いい加減年寄りで、なおかつ知性と教養を身につけているので、そうジロジロと、燃える眼差しで見る訳には行かない。
 エ? 何? 「いい加減年寄は納得するけれど、知性と教養は痴性と狂養の間違いじゃないの?」
 とんでもない、本人が言っているのだから、間違える訳がない。シミジミと、冷静な眼差しで見るだけである。
 「それって、ジロジロ見るのと、どう違うの?」
 ホントにもう、我がニッポン国のおエライ政治家のように、枝葉末節なことを糾弾するのは品位が落ちるから止めたらいいと思います。ハイ。
 ところで、昔は梅雨といえばシトシト雨が定番だったけれど、時代は移り、今や梅雨といえばドカ雨。
 もう、俵万智が詠んだようなフンワリホンワカ梅雨は、望めないのかもしれぬ。残念!!!

梅雨寒や抱かれ心地のシャツ借りてしばし続きを読むミステリー