蒼き馬に想いをのせて

 こう云ちゃあなんだが、侘びとか寂びの世界にエンのない私だけれど、1年に1回だけ、私は表千家のお師匠さんの自宅の庭に建てられた茶室で、茶道にのっとって抹茶を飲むことが出来るようになっている。
 ところが、茶道にのっとってやるのはお師匠さんだけで、お茶を頂く私は、なぜか茶道にのっとらずに飲んでもいいようになっている。
 だから、正座していて痺れが切れたらどうしようかとか、小さな茶菓子を二つに割って楚々と食べるなんて芸当は出来ないので一口でガブリと食べて良いのかとか、お茶碗を左に廻してから飲むのか右に廻してから飲むのか、それも何回廻したらいいのかとか、お茶を何回に分けて飲むべきかとか、ずずーと音を出して飲んでいいと聞いたことがあるがそれって無作法ではないかとか、お茶碗をシゲシゲ見て何と云って褒めたらいいのかとか、飲み終わってから云うセリフは「ご馳走さま」でいいのかとか、茶碗はそのまま返していいのかとか、人が飲んでいる時にペチャクチャ喋っていいのかとか、鼻が痒くなった時掻いてもいいのかとか・・・以下エンエンと続くが紙面の都合により略・・・などと悩まなくてよいのである。なんと、ステキなお茶会!!!
 このステキお茶会は、私が卒業した福岡県行橋市にある京都高校の同級生男性4人、女性4人で作っている「おちゃちゃの会」。
 この会の発起人は短歌『牙』の同人だった今は亡き安光隆子さん。
「あなた達、飲むといったらお酒ばかり。正式のお茶席でお抹茶、飲んだことないでしょ。イイ年をして、恥をかかないようにしてあげる」と云って、表千家のお茶の師範をしているやはり同級生の福田頴子さんに呼びかけて始まったものである。
 ところが、なんたって男性4人組は、粗野にして軽佻浮薄。そんなヤヤッコシイことが出来る訳がない。当然のことながら、恥のかきっ放しには慣れているので、作法を覚えるなんてムダな努力をするはずがない。
 かくして、お師匠の頴子さん、3回目のお茶会で
「まあ、おいしいお茶を飲んでもらって、お互いに楽しんで、心が通いあったらいいのよ」と優しいお言葉。かくして作法より無罪放免になった次第である。
 とは云うものの、お茶会の時は「草履」に履き替え「潜り」を潜って「路地」に入り「待合の腰掛」に座って案内を待ちそれから「飛石」を伝わって茶室の手前に置かれてある「つくばい」で手水を使い60センチ四方の小さな「にじり口」と称する入り口からようやく茶室に入る。この茶室に辿り着くまでの行程は、真っ直ぐ歩けば10m位だけれど、遠回りして行かねばならぬ。ヤレヤレなどと云ってはいけない。おいしいお茶にたどり着くためには、イロイロ努力せねばならぬ。
 茶室は、小さな障子窓があるだけ。明かりはそれだけだから、ボンヤリ薄暗い。
「昔の人はさすがにエライ。女性がみんな美人に見える仕掛けになっている」と言ったら、師匠曰く
「茶事に集中出来るように、うす暗くしてあるの」
 フーン、そうか。ものは云いようである。昔の人はやっぱりエライ。

 今年の「おちゃちゃの会」は5月19日、14時から。
 茶室に入ると、まず目に入るのは床の間に飾ってある『古風今情』の掛け軸。
「今日の掛け軸は、亡くなった隆子さんを偲んで選んだの。分かりやすい言葉でしょ」と師匠は云うけれど、こちとら、なんたって粗野にして軽佻浮薄。
「?」と思ったけれど、分かった振りをするのは得意だから
「うん、なるほど」と一見マジメ顔で頷く。ダテに年をとった訳ではない。
 それからお茶会。おいしい抹茶を頂く。師匠は侘びとか寂びを漂わせ「表千家の作法」にのっとり、私は詫びとか恥を漂わせ「そうはち家の作法」にのっとりお茶を頂く。
 ウン、ウマイ!!! と、云う訳で 
「もう一杯」と頂く。おまけに、私は生まれながらのケチときているので
「もう一杯」と頂く。それに、2度あることは3度あるという諺に従って
「もう一杯」と頂く。なんとステキなお茶会!!!
 かくして、2時に始まったお茶会は片手落ちの作法にのっとり、スムーズに終了。たちまち室町時代から現代にタイムスリップして、それからは恒例の大パーティ。
 師匠の頴子さんとは同級生だが、そのダンナも同級生である。二人は博多に住んでいるので、そのダンナが博多の有名店を駆け巡って調達してきたナントカワイン2本にカントカチーズ3種類にお洒落な名前が付けられた5種類のフランスパン、後は女性組手作りのオードブルがジャジャーンと登場。
 二人以外は北九州の田舎ッペだから、それっとばかり飲みながら食べながらワイワイガヤガヤワイワイガヤガヤ。
 そのワイガヤの中で、
「あのA先生、昨年亡くなったの。私達と10歳位しか違わないはずなのに、もう亡くなられたんだって・・・。おかわいそう」と、話したものだから、一同シュンとなって
「ウン、気の毒だなあ。いい先生だったのに・・・」と、先生の思い出に耽っていると
「今の話だけれど、私達だって来年はもう70歳でしょ。だからA先生が亡くなったのは80歳。早く亡くなられた訳じゃないよ」
「エッツ、僕たち、もうそんな年なんだ」と愕然。
 どうも「おちゃちゃの会」のメンバーは、年寄りの自覚症状がまったくなく、60歳位から年を取るのを忘れているみたいである。だから、ワイワイガヤガヤワイワイガヤガヤで盛り上がり、気がついたらなんと21時。
 エンエン7時間に亘る大パーテイを繰リ広げたものの、ワインは2本だけだから酔っ払った訳でもないのに、それに政治とか文学とか人生とか高尚な話をした訳でもないのに、7時間も何を話したのか一向に分からない。
 どうも、ワイワイガヤガヤのムダ話しをエンエン7時間もしたみたいだが、これって、誰にも出来る芸当ではないから、
「アホみたい」ではなく、ひょっとしたら
「エライ」のじゃなかろうかと思って、帰ってからうちのかみさんに話すと
「そうね、アホみたいじゃなくって、アホまるだし」だって・・・。
ウーン、がっかり!!!
 ところで、このお茶会は、この会の発起人で2003年5月に早すぎる死を迎えた安光隆子さんを偲ぶ会もかねている。そこで、今年は彼女の遺歌集「蒼馬」の中から、自分の好きな歌を3首選んできてみんなに披露することとなった。
 この会のメンバーはワイワイガヤガヤのムダ話しは得意だけれど、短歌の世界とはほど遠い人間ばかりである。だから、上手だとか下手とか分かる訳はないけれど、好きな歌というのはある。
 そこで、着物がよく似合ってウイットとユーモアに富み、きりりとした感性を持っていた彼女に想いをのせて、メンバーが選んだ「私の好きな歌」の中から10首を選び披露したい。
 なお、最初の一首は、彼女が生前「一番好き」と云っていた歌であり、遺稿集「蒼馬」の題名もこの短歌から取っている。

安光隆子さんの歌、大好きです

父の乗る蒼き馬はも海に降る雪のはたてに消えてゆきたり

あの人は切ってもいいと決めて立つ踏切の鐘鳴りやまぬ前

三十五年の刻経て君に逢しかど変若(オ)ちかえるべき術のあらなく

十六の恋を包みし花柄の浴衣を出せど行く所なし

火は風を抱き込みながら捲き上がり野焼の山を駆けのぼりゆく

手を垂れてくちづけ受けし古里の櫟林に雪は降りいん

論争の場に臨まんと締め上げし帯の横面叩きて出ずる

お種柿一つ垂らして柿の木は入陽に赤く染まりて立てリ

長雨の上りし後の向山にああ追伸の如き虹立つ

古里に置き忘れたる恋ひとつ狐花咲く畦のあたりか

しゃっきりと筑前博多帯締めて逢いにもゆかな病癒えなば

 なお、この夢旅人2005年10月1日号のコラム「逝く夏の・・・」も、彼女の短歌を引用して書きました。是非、読んでください。

※ 安光隆子・・・1939年生まれ、2003年5月逝去。福岡県立京都高校卒。『牙』同人。

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