私は、ミーハー的音楽大好き人間である。そもそもの馴れそめは、1954年の映画「暴力教室」の主題歌で、ビル・ヘンリーとコメッツが歌う「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を聴いたとき。
「これは何だ!!!」と青春なりたてホヤホヤの私は、この曲でたちまちミーハー音楽派に開眼。以来、アメリカンポップスからエルビスに、それからビートルズをチョッピリ聞きかじってモダンジャズに変身。
しかし、なぜかカタカナ語の音楽に飽きて、フォークからニュミージックと心変わりしたところが、そこでストップ。どうも、中年となり頭の鈍化に伴い、歌への遍歴も止まってしまったらしい。今では、オールディーズ愛好家として足跡を残すのみである。
そこで、今でも大好きなニューミュージックは、陽水を筆頭に、ミーンナ好きだけれど、歌詞の語彙の豊かさについては、さだまさしの右に出るものはないと思っている。
そのさだまさしが、5月28日朝日新聞朝刊の「さだまさしからあなたへ」というコラム欄に『哀しい大人 反面教師に未来を作って』と題してエッセイを載せた。
さだまさし、53歳。私に比べて13歳も若いのに、彼の歌詞、メロディラインには心に触れるものが多く、今度新聞に掲載されたコラムにも
「ウーン、実感!!!」と心動かされてしまった。
と言うのは、私も
「こんな時代に誰がした!!!」ではなく
「こんな時代に俺がした!!!」と内心忸怩たる思いをしていたのである。そこで、まだ読んでいない方のために、少し長いが彼のメッセージをここで紹介したい。
こんな情けない大人たちに育てられた若き君の無念を思うとき僕は絶句する。
‥‥カラオケやヨン様に夢中で家庭を置き去りにしたかのようなオバサンたちも、若き日は未来を夢見、子育てに、理想の家庭を作るために、と努力した。無念にも世の中の壁に打ち砕かれ、志を失ったり諦めたりしてしまったが、かっては君たちと同じように夢を抱いていた。
一方、粗大ゴミ扱いのオジサンたちだって、かって勇敢に国の不正義と戦おうとした人も多く、その敗北感や挫折感から自信を失い人生に迷った。そして虚脱感と虚無感と戦い、そこから抜け出すために仕事に命を捧げた。だがバルプが弾け、「終身雇用」「年功序列」という「信仰」まで奪われた。
こうして、いつの間にか、恥や礼儀を何処かに置き忘れたように見えるオバサンたちと、不完全燃焼のまま夢や情熱をなくしたように見えるオジサンたちがこの国の最多数派となった。
かくして日本は世界で有数の幼稚で、恥知らずで、軽薄で、不人情で正義と夢のない国になった。
これを率直に詫びて、お願いする。私たちと同じ轍を踏まぬように生き抜いて欲しい。今の大人たちとすべて反対のことをすればよい。難しくとも、だ。
よく人の話を聞き、人と話すこと。「国とは国語なり」だ。友人を大切にし、礼節を重んじ、学歴を盲信せず、きちんと人の心を見つめ、年寄りを大切にし、子供を守り、男女は互いを尊重し、譲り合い、愛し合う。
諍う時でも決して暴力に頼らず、相手の身になって考え、夢を捨てず、いつも笑顔を絶やさず、力を惜しまない。これだけのことで君の未来は強く、大きく、明るく拓けるだろう。
挫けそうになった時こそ私たちを思い出してほしい。私たちの後悔を君に味あわせたくない。以上、切実に膝を折って若き君にこいねがうばかりである。
お願いだ。お願いだ。お願いだ。