4.25人心事件

 パンパカパーン!!! 花火がドーンパチパチ。
 だって、5月15日は不動産コンサルタント開業1周年記念日。お祝いです。
「カンパーイ!!!」と一人で盛り上がっています。
 ウーン、でもコンサルタント業はいまいち。だけど、夢旅人はあっちフラフラこっちフラフラと道草ばかりだけど、元気に旅を重ねています。あなたの心に届いたら、やさしく迎えてやってください。
 4月25日、JR福知山線脱線事故。天災は運が悪かったとあきらめることも出来る。しかし、人災は申し訳ないではすまされない。亡くなった方の「どうして」という無念な思い、遺族の方々の「命を返してくれ」という言葉の重みは、はかることが出来ない。
 どうして、運転手は1分30秒の遅れを取り戻すことだけしか、頭に浮かばなかったのか、私には分からない。
 どうして、乗り合わせていた2人のJR社員が救助活動をしなかったのか、私には分からない。 
 どうして、あの夜、多くの人たちが少しでも生存者がいるようにと、祈る気持ちでTVを見守っていたのに、JR社員には「喪に服する」という気さえ起こらなかったのか、私には分からない。
 JRの人の心は壊れかけているのではないかと思う。しかし、JRを非難することはたやすいが、壊れかけているのはJRだけだろうか。今は、親が子を殺し、子が親を殺し、人が意味もなく子供を殺し、通りすがりの人を殺す。
 そして、私もこの壊れかけた世の中を作っている一人である。
 他人がどうなろうと、自分さえ良ければかまわないという考えを持たなかったであろうか。高速道路で制限速度をオーバーして走ったことはなかっただろうか。それ等のことが当たり前の社会になった時、JRのような会社が生まれ、その空気の中で仕事をせざるを得ない運転手が事故を起こしてしまった。
 だから、この事故は一運転手・JRが引き起こしたものではなく、人の心が壊れかけた今の時代が引き起こした事故「人心事故」ではないか。
 原因が追究され、それにより対策が講じられ、「もう2度と引き起こしません」と心に誓って1件落着するのが事故というものである。しかし、今を生きる私たち人の心が引き起こした「人心事故」であるとすれば、過去の大事故と異なって、今回は1件落着とさせてはいけない。

 そういう意味では、「もう2度と引き起こしません」で終わらせる事故ではなく、アメリカでの「9.11テロ事件」と同じように、「決して忘れません」と誓う「4.25人心事件」と言うべきであろう。
 だが、しばらくたつと人の口にものぼらなくなり、年末の10大ニュースに取り上げられる位で、2~3年もたつと風化して2005年の出来事に一つになるだけであろう。
 だが、決して忘れてはならない。私たちは、この事件を契機に時代のあり方を見直し、「どうして?」と心に問わなければならない事件など、なくなるような時代にしなければならない。そして壊れた心を取り戻した時こそ「1件落着」となるのであろう。
 詩人谷川俊太郎が1962年~63年にかけて機知と風刺にとんだ詩「落首九十九」を「週間朝日」に掲載した。その中に「事件」という詩がある。私は、今回初めて最終行に書かれた意味を理解できたように思う。

事  件         谷川俊太郎

事件だ!
記者は報道する
評論家は分析する
一言居士は批判する
無関係な人は興奮する
すべての人が話題にする
だが死者だけが黙っている―――
やがて一言居士は忘れる
評論家も記者も忘れる
すべての人が忘れる
事件を忘れる
死を忘れる
忘れることは事件にはならない

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