声なき声に耳をすませて

NHKテレビの8月8日に放映された「声えなき声に耳をすませて 吉永小百合とともに」に吉永小百合さんが出演しました。
私は、むかし昔のそのまた昔の昔からの彼女のファン。久しぶりに彼女と会える・・・エート、テレビ越しだけれど・・・とあって、胸ドキで番組を見たのは当然のコンコンキチです。

長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」の入り口に、まっすぐな視線で立つ裸婦を描いた絵が飾られてあるそうです。
この絵のモデルとなった女性が絵と半世紀を経て再開し、その心境を「感想文ノート」に綴りました。
その文章を、吉永小百合さんが「裸婦」の絵を前にして朗読しました。

絵を描いたのは鹿児島県・種子島(南種子町)生まれの日高安典さん。開戦となった1941年12月、東京美術学校(現東京芸術大)を繰り上げ卒業。
翌年4月に応召された時、恋人の裸婦像を描き始め、描き切っていないとの思いで、
「必ず生きて帰ってこの絵の続きを描くから」と言い残して戦場に赴いたけれど、フィリピン・ルソン島で45年4月に戦死。 享年27。

この絵のモデルになった女性の手記を読む吉永小百合さんの語りを聴いていると、吉永小百合さんはモデルになった女性の想いに染められて、話しているのは吉永小百合さんではなくて、まるでその女性が日高安典さんに語り掛けているようでした。

「日高安典さん、日高安典さん」と何度も呼びかけるその声は、切なくて切なくて心に響き、私、胸ジーン。

吉永小百合さんの朗読が終わって「無言館」の館主 窪島誠一郎さんと対談がありました。
会場に来ている人を前に、窪島誠一郎さんは「戦争で命は失われても、作品が残っている限り、彼らは死なない」と、そして「無言館」に来て戦死した画学生の想いを感じとって欲しいと話しました。
そして、誰でも「戦争は駄目」と思っていても、その想いを伝えなければ「その想いはない」のと同然だし、多くの戦争体験を伝えなければ「戦争はない」ということに等しい、「不在の罪」であると力説されました。

吉永小百合さんも、その想いを「原爆の詩」の朗読に託して、多くの人々に伝えているに違いありません。

今日は8月15日。終戦記念日です。私も、毎年8月15日のこのプログには、戦争や原爆、平和についての「詩」を掲載しています。
最初の年の2004年8月15日のプログは、美空ひばりの歌った「1本の鉛筆」の歌詞を掲載しています。美空ひばりが「反戦歌?」 ・・・と、お思いの方は、2004年8月15日のプログをお読みください。

この「夢旅人」のプログは、毎月4万~5万件のアクセスがあります。「無言館」に行くことが出来ない方々に、「無言館」の窪島誠一郎館長のご挨拶を紹介したいと思います。

 館主ご挨拶

あなたを知らない

遠い見知らぬ異国で死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのはあなたが遺したたった一枚の絵だ

あなたの絵は朱い血の色にそまっているが
それは人の身体を流れる血ではなく
あなたが別れた祖国のあのふるさとの夕灼け色
あなたの胸をそめている父や母の愛の色だ

どうか恨まないでほしい
どうか咽かないでほしい
愚かな私たちがあなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に
今ようやく五十年も経ってたどりついたことを

どうか許してほしい
五十年を生きた私たちのだれもが
これまで一度として
あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを

遠い見知らぬ異国で死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのはあなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵に刻まれたかけがえのないあなたの生命の時間だけだ

1997・5・2(「無言館」開館の日に)

※無言館ーー上田市古安曽字山王山3462 電話0268-37-1650。第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、イーゼルなどの愛用品を収蔵、展示しています。    

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