愛する人のために・・・

季節はまだ春なのに、気温は夏模様。25度以上の日が続出して、6月なのに夏日と云われても「?」
かくなる上は、夏日は25度以上ではなく30度以上に、真夏日は30度から35度以上、猛暑日は35度から40度以上に目出度く格上げすべきであろう。これなら、季節感にピッタリの温度となるに違いない。

ロシアがウクライナの侵攻を始めた頃、テレビで或るコメンテーターが
「ウクライナが勝てるはずがない。国民の命が一番大切だから、早めに降参した方がいい。前の大戦の時、日本だって原爆を落とされる前に降参していたら、多くの命が助かったのに・・・」と話していた。
それは正論かもれぬ。しかし、ミステリイ作家のパーネル・ホールが「依頼人がほしい」の中で言っているように

「正論だ。ここが、わが妻の大きな問題のひとつだ。彼女は、頻繁に正論をはく」

世の中、とかくままならぬものだから、正論を吐かれても出来ないことが多いのである。正論は理想であり、現実とかけ離れた正論は始末に負えない。

ウクライナは侵略されている国である。そんなウクライナの人にとって「死んでは元も子もないので早く降参したら・・・」なんて、こんなに失礼な話はないであろう。自分の住んでいる国が乗っとられるなんて・・・こんな理不尽なことが許されるなんてあってはならないのである。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」なんてことは言語道断と、ウクライナの人達や世界の人達も思っているのである。
まして、街をぶっ壊し、みさかいもなく銃弾を子供や市民に浴びさせるなんて・・・許せない!!! 最後まで絶対に立ち向かう、と思うのが人間の常であろう。

そう、茨木のり子の詩「血」のように、血を流してはいけない、でも愛する身近なひとのためにならと・・・。 

 

   血      茨木のり子

  イラクの歌手がうたっていた
  熱烈に腰をひねって
  サダムにこの血を捧げよう
  サダムにこの命を捧げよう と
  聞きなれた歌

  四十五年前のわたしたちも歌ってた
  ドイツのこどもたちも歌ってた
  指導者の名を冠し
  血を捧げようなんて歌うときは
  ろくなことはない
  血はじぶんじしんのために使い切るもの
  敢えて捧げたいんなら
  もっとも愛する身近なひとのためにこそ

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