あれから10年

東日本大震災、あれから10年。しかし、遺族の方々にとっては「10年一日の如く」と云うように、時は止まったままにちがいありません。

そして「復興」したと言っても、街が元の姿を取り戻した訳でもなく、住む人も戻ってきたと云う訳もありません。なんだか「復興」というより「再生」したという方が近いような気がします。

生き残ったのは奇跡ではなく、亡くなった方から引き継がれた命と思い、耐えて生きておられることでしょうけれど、昔の面影を宿した新しい街を作るには、なくてはならぬ人となっているのですから、宮沢章二の詩「行為の意味」のとおり、心を寄せる多くの人達がいると思って・・・。

 行為の意味   宮沢 章二

あなたの心はどんな形ですかと
人に聞かれても答えようがない
自分にも 他人にも心は見えない
けれどほんとうに見えないのであろうか

確かに心はだれにも見えないけれど
心づかいは見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の思いは見えないけれど  思いやりは見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
「心」も「思い」も、初めて美しく生きる
それは 人が人として生きることだ

福島の破壊された原発の処理は、正に字のごとく「10年一日の如く」で10年を単位として進められているようです。処理費用は公式には22兆円とされていますが「日本経済センター」によると、汚染水や汚染土壌の処理費用を含めると35兆円から下手すると81兆円になると試算されています。100円単位で暮らしている私にとっては、途方もない金額で想像すらできません。
原発のために故郷をなくした人の心の痛みは、お金では図られませんが、これを思うと原発って・・・何のために?
エ? それって電力会社のためでしょって・・・。まさか・・・。

原発の「安全神話」がなくなり「想定外の災害」が起こりうるということが、福島原発で証明されたのだけれど、原発がなかったら経済がもたないという「経済神話」は生まれて、原発はこのまま生き延びていくに違いありません。

私たちの近くにある原発が「想定外の災害」にあうかもしれないというのに・・・。
原発のウンコともいうべき溶け落ちた核燃料(デブリ)の捨て場所もないというのに・・・。

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