「おしっこ」に願いを

 5月5日22時からNHKのBS放送「フォークの達人」にフォークの元祖ともいえる小室等が出演した。ゲストで懐かしの「六文銭」のメンバーである及川恒平と四角桂子も出演。3人で昔の雰囲気そのままに「面影橋から」など歌って、もう、気分は30年前にタイムスリップ。年はとっても心は昔のままで、すっかりオドロキ。
 最後に、詩人谷川俊太郎の息子でジャズピアニストである谷川賢作が出てきた。小室等は、若いころから、谷川俊太郎や、作曲家武満徹、役者の唐十郎たちと仲が良かったらしく、谷川俊太郎の詩に武満徹が曲をつけ小室等が歌ったり、唐十郎の芝居の音楽を小室等が作曲したりする間柄のようである。
 そういう関係もあって、谷川俊太郎の息子である賢作の演奏で、小室等が歌うこともあるらしいが、ジャズピアノとフォークって、異質の取り合わせと思はれるかもしれないけれど、これが、なんとピタリ。
 昨年の11月に、やはりNHKBS放送で「井上陽水 空想ハイウエイACTⅣ Duet」が放映されたが、この番組で、陽水がギターの押尾コータロー、ジャズピアノの山下洋輔、ウクレレのジェイク・シマブクロ、ペタルスティールの高田漣、サックスの菊池成孔といった一流のミュージシャンの演奏でそれぞれ2曲ずつ歌ったことがある。
 演奏家と歌手の1対1の対決と思ったところが、それが大違い。お互いに相手の領域を犯すことなく、しかし、自分の持分を譲ることもなく共鳴しあって、あの独特な陽水の世界に、新天地が切り開かれた気がしたものである。
 その時、一番ハマッタような気がしたのがジャズピアノの山下洋輔。私がジャズが好きなせいかもしれないが、ニューミュージックにジャズピアノが似合うと、その時、認識を新たにしたものである。
 そして、思ったとおり、この日の小室等&賢作の演奏もホレボレ。「だれかが風のなかで」とか「おまえが死んだあとで」など数曲を、賢作のジャズタッチのピアノで小室等が歌ったが、これが良かった!!!
 このとき歌った「おまえが死んだあとで」は、谷川俊太郎が、30年前のベトナム戦争のころに作った反戦詩に、小室等が勝手に曲をつけて歌ったものであるが、今のこのイヤな時代に触発されて、谷川俊太郎が新たな反戦歌を作ったそうである。
 その詩に、また、小室等が曲をつけて弾き語りで歌いだした曲が、この番組でも賢作の演奏で歌われた。曲名は「おしっこ」
 だけど、オシッコといえば、私が悪戦苦闘している憎くき相手である。
 なししろ、老朽化が進んでいる私にとって、おしっこが近くなった。特に、私の大好きなコオヒイなど飲むとすぐオシッコに行きたくなる。折角のおいしいコオヒイがたちまちオシッコ化して出て行くなんてことは、生まれながらのケチである私にとって、こんな耐えられないことはない。
 それに、夜、夢の中で美人とアアしてコウしてアアなって、口をとんがらかしたその瞬間、オシッコに行きたくなって、目が覚めてしまうことがある。こんなアホなことって、ある?
 おまけに、オシッコするのに時間のかかること、おびただしい。人生の残り時間のカウントダウンが始まっているというのに、タラタラとチョロチョロと流れ出るオシッコに時間を浪費するなんて、こんな理不尽なことはない。
 それに、である。生殖器官のなれの果てから出るオシッコの描く放物線が、なんと短くなったこと!!! 今までの立ち位置からはオシッコが便器にとどかないので、便器の前に立ったら、兵隊さんのように
「一歩前進、捧げ銃(つつ)」と号令しなければならぬ。
 かくの如く、私はオシッコに悩まされ続けているというのに、谷川俊太郎は、なんとオシッコを反戦歌にしてしまった。私の「オシッコ」と谷川俊太郎の「おしっこ」とのなんたる違い!!! 
 谷川俊太郎は天才である。

おしっこ     詩 谷川俊太郎/曲 小室等

大統領がおしっこしている
おしっこしながら考えている
戦争なんかしたくないんだ
石油がたっぷりありさえすれば
テロリストもおしっこしている
おしっこしながら考えている
自爆なんかしたくないんだ
恋人残して死にたくないもの

兵隊さんもおしっこしている
おしっこしながら考えている
殺すのっていやなもんだぜ
殺されるのはもっといやなもんだが
男の子もおしっこしている
おしっこしながら考えている
マシンガンを撃ってみたいな
きっと気持ちがすっきりするから
武器商人がおしっこしている
おしっこしながら考えている
銃がなければ平和が守れぬ
金がなければ自由も買えぬ
道で野良犬おしっこしている
おしっこしながら考えている
敵もいなけりゃ味方もいない
ただの命を生きているだけ

 ウーン、私も、私の「オシッコ」を「おしっこ」に昇格させることにしよう。

 荘八さんもおしっこしている
 おしっこしながら考えている
 生殖器官のなれの果て
 元に戻らなきゃつまんない

なんと、切実感あふれる詩!!! どう? 感動した?

5月の別れ

 5月。そして待ちに待ったゴールデンウイーク。そして、今年、2日休んだらなんと9連休・・・なんて言える人はシアワセ。
 サービス業や休むことが出来ない会社に勤めている人にとっては、所詮ブルーなウイークになってしまうけれど、働きたくっても毎日が日曜日の人のことを思えば、それでもシアワセ。
 でも、暇もお金もないけれど、緑が目が覚めるように美しい季節だからと、5月の風に染められて心薫らせ、ときめき感じる人はすっごくシアワセ。
 そう、5月はみんなシアワセになれる季節。
 だから、別れというフシアワセなことがあっても、5月の別れは、秋と違ってメソメソしない。私の好きな井上陽水の『5月の別れ』の歌のように、爽やかに心ゆらめいて、想いをはぐくむことができる。

風の言葉に諭されながら
別れゆくふたりが5月を歩く
木々の若葉は強がりだから
風の行く流れに逆らうばかり
鐘が鳴り花束が目の前で咲きほこり
残された青空が夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる
いつか遊びに行きたいなんて
微笑を浮かべて5月の別れ
月と鏡はおにあいだから
それぞれにあこがれ夜空をながめ

星の降る暗がりでレタスの芽がめばえて
眠りから醒めながら夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる

果てしなく星達が訳もなく流れ去り
愛された思い出に夢をひとつだけ
あなたに残してくれる

 このイメージあふれる素敵な詞と5月の風を感じさせる爽やかなメロデイ。
 この曲を聴くと、こんな素敵な別れをしたいと思うけれど、残念ながら先立つ人がいない。
 そこで、「別れを惜しむための恋人」募集!!! ウーン、これってちょっぴり変?
 じゃあ、「別れを惜しむフリだけする恋人」募集!!! どう? これもダメ?
 エエィ、では、ここはボカシて「とにもかくにも恋人」募集!!!
 エ? 何? 「イイ年をして、アホなことを云うな」って・・・。
 チェッ、それを云っちゃあ、おしまいよ。
 フンだ、恋に定年はないのですから。

気分は最高

 今年、私は春から機嫌がいい。なんたって、我が愛するジャイアンツは第1位!!! 
 開幕カード4試合連続勝ち越しなんて大快挙は、1971年以来35年ぶり。これがウハウハと有頂天にならずにいらりょうか。
 私は、生まれながらのスポーツ音痴だから、スポーツは、するのも見るのも苦手だけれど、何故か生まれながら純粋のジャイアンツファンなので、プロ野球、それもジャイアンツの試合だけは見る。
 それも、TVのスイッチを入れた時、ジャイアンツが勝っている時だけ見る。途中で同点になったら、たちまちスイッチ・オフ。でも、気になるから、15分おき位にスイッチを入れて逆転していたら、また見始める。忙しいたらありゃしないが、おかげでさまで、ジャイアンツの負けた試合など見たことがない。
 無論負けた時は、TVのスポーツニュースなども見ないし、翌日の新聞のスポーツ欄も見る訳がない。だから、いつも「ゴーゴー ジャイアンツ」、常勝ジャイアンツである。
 エ? 何? 負けていないのなら、どうして優勝しないのかって? 
 エーット、1+1=2にならないのが人生のおもしろいところである。そういう些細なことは詮索しない方がいい。ウン、人生なんて説明のつかないことばかりでしょ。
 ところで、ジャイアンツが勝った時は、TVのスポーツニュースを3本ハシゴして見て、スヤスヤのスヤと眠り、翌日はスカッと爽やか、ご機嫌で出勤する。
 でも、勝っている試合でも、1・2点差の試合だと逆転されるのではないかと、ハラドキ心配でならない。精神衛生上よろしくない。クロウト筋は、7対6位の試合が面白いと言っているが、とんでもない話である。私にとって、10対0ぐらいの試合が、はなはだ痛快、面白い試合となる。
 ジャイアンツ以外で私が好きなチームは、無論ジャイアンツに負けこしているチーム。嫌いなチームはジャイアンツに勝ったチーム。だから、嫌いなチームは日替わりで変わる。
 現役の頃 毎日オフイスにヤクルトを売りに来る可愛い女の子がいたが、ジャイアンツがヤクルトに負けた時は、いくらニッコリ笑って「モリさん、気にしない気にしない。ジャイアンツ今度勝つわよ」とお世辞を言っても、絶対に買わない。
 しかし、ジャイアンツが勝った時は無論買う。バカ勝ちした時は、バカ高いヨーグルトなど買い、僅少差で勝ったときはヤクルト1本だけ買う。私はスジを通す男でもあるが、ケチでもある。ヤクルトはどうせ負けるのであれば、営業政策上、バカ負けした方が得策であろう。
 阪神や中日などに負けたときは、何かカタキを取りたいが、ヤクルトと違ってカタキを取るものがない。仕方ないから、住まいが九州なので、東の方に足を向けて寝て、寝ぼけながら蹴飛ばそうと思うけれど、我が家はベッドで、足の方は北向き。ベッドを動かす訳にもいかず、かえすがえすも残念である。 
 パリーグで私が嫌いなチ-ムは、西武である。1958年、日本シリーズでジャイアンツと西鉄が対戦。3試合連続してジャイアンツが勝ち、あと1勝で優勝というときに4連敗して負けてしまったことがある。そんなあってはならないことが起きて、以来、西鉄は恨み骨髄、ダイッ嫌いとなった。だから、その西鉄のなれの果てである西武は嫌いである。私は、こと、ジャイアンツに関してはシッツコク、とても執念深い。48年前の出来事とはいえ、時効などありえない。
 堀内監督就任以来、私は屈辱的な敗北よれよれの生活を送ってきたが、今年、初詣に行った時に引いたお御籤が、なんと大吉。それって、このことだったんだ。もう、気分は今期優勝!!!

ウソって素敵!!!

 IT業界の異端児として知られるUSO800-NETWORKのホームペイジを覗いていたら、びっくりするようなニュースが掲載されていたので、その一部を紹介したい。
 なお、この情報の裏づけはUSO800-NETWARKUの記者しか、取れないということであり、その記者の名前は情報源保護の立場により、公表で出来ないとのことである。

 ・小泉首相は、平成15年6月16日(日)に新国立劇場でオペラ「オテロ」を観劇した時に紹介された女性と昵懇になり、その後お互いに秘密裏に設けたE-mailで意思の疎通を図っていたが、このたび結婚することとなった。正式の婚約発表は、首相退陣の日。首相が続投しない理由の一つは、彼女の強い要請によるものである。
 ・ WBCで敗退したアメリカは、アメリカの威信にかけて、3年後の大会の優勝に向け、プロ野球の強化を図ることとなった。そのため、外国でプレーしているプロ野球選手は、希望すればその在籍している国から出場できるように野球協定を改定すると共に、3年間の内に、ニッポンの有力なプロ野球選手を大金を払って引き抜くことにした。無論、ニッポンの選手がアメリカのチームから出場すれば高額の報奨金が支払われることになるが、3年後、愛国心が勝つか、アメリカの金力が勝つか、今から興味を呼んでいる。

 ・厚生労働省は、80歳以上の元気な高齢者1000人を対象に、非公式にアンケートを取った結果、92.82%の人が、意識なく寝ったきり病人になった時や認知症になった時には、安楽死を望んでいることが判明した。厚生労働省は、この調査を踏まえ、医師の立会いの上、印鑑証明を付して本人及び二親等内の親族2人の押印をした「安楽死の同意書」を予め提出していた時は、意識なく寝ったきり病人になった時と認知症で末期症状になった時に限り、安楽死を認める法律を来年度に上程することになっている。

 ・日本相撲協会は、アメリカ合衆国出身の黒人から出されていた「力士検査」を受理すかどうか、慎重に検討していたが、肌の色で差別することは出来ないという結論に達した。この黒人は新弟子採用検査には合格すると思われているので、近く黒人の力士が誕生することになる。
 今日は4月1日、4月馬鹿の日。「私は生まれてこのかた、1度もウソをついたことがない」てなことを胸をはって正々堂々と言える素敵な日である。

 昔むかし、「うそつきは泥棒の始まり」と言ったものであるが、今や死語となり、これに代わって「ウソは方便」というのが大手を振ってまかり通る時代となった。
 「今夜も残業があってね・・・」というセリフは、今や慣例句となっているが、ここでジョークを一つ。

 小さな子が母親に聞いた。「おとぎ話って、“昔々”で始まるものなの」
 母親はちょっと肩をすくめてから考えた。
 「いいえ、今日は残業があってねえ、で始まることもあるのよ」

 これって、ウソのようなホントの話であるが、男はなるべく多くの子孫を残そうとして、たくさんの女に精子を注入したがる。女はなるべく丈夫な子孫を残そうと夫より強い男性と関係したがるそうである。
 したがって、一夫一婦制となっても、夫と妻の騙しあい、見破りあいは綿々と続き、そのテクニックは進歩してきているけれど、女の方が猜疑心が強いので、浮気を見破るのも、妻の方が多いそうである。そこで、もう一つジョーク。

 酒場で二人の男が話していた。
 「この間、珍しいものを見たぜ。ウソ発見機ってやつだ」
 相手は吐き出すように言った。
 「俺はそういう機械と結婚しているよ」

※ 引用したjジョ-クは、井坂清編「Jokes Are Spices For Life」から

心返しのチョコ 貰いましたか

 私の好きな詩人、茨木のり子さんが2月19日亡くなった。79歳だった。
 彼女の代表的な詩「自分の感受性くらい」は

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

という言葉で終わっているが、私はこの詩を読んだとき、さびついた心をドカーンと殴られたような気がしたものである。でも、時すでに遅し。私の心のさびはパラパラとしか落ちず「反省だけなら猿でも出来る」で終わってしまった。
 詩人、大岡信は彼女の訃報を聞いて
「日本の女性詩人で一番スケールが大きく、姿勢がすっきりと立った詩を書いた人だった」と話したとおり、りんとして感性がはじけるような詩が多いけれど、やさしく愛を伝える詩も書いている。

 ところで、昨日は全国的に満月でホワイトデイ。本命チョコのお返しで、倍返しのチョコ・・・・・いや、心返しのチョコをもらいましたか。
 そんな「ヤッタァ!!!」と、幸せいっぱいのあなたに、彼女の詩をどうぞ・・・・。

私のカメラ


それはレンズ
まばたき
それは わたしの シャッター
髪でかこまれた
小さな 小さな 暗室もあって
だから わたし
カメラなんかぶらさげない
ごぞんじ? わたしのなかに
あなたのフィルムが沢山しまってあるのを
木漏れ陽のしたで笑うあなた
波を切る栗色の眩しいからだ
煙草に火をつける 子供のように眠る
蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ
世界にたったひとつ だあれも知らない
わたしのフィルム・ライブラリイ

―――1965年刊行 詩集「鎮魂歌」より―――