今日までそして明日から

 もう12月!!! 
 まだ人生を夢見ていた頃は、1年たつのがナガーーーーク感じられていたけれど、たそがれ時の人生を迎えたら、1年がアッというまにたってしまう。

 恋心が芽生えた10代の頃の年の取りかた
 若気の至りを発揮していた20代の頃の年の取りかた
 人生に意気を感じて燃えていた30代の頃の年の取りかた
 人生が見えてきた40代の頃の年の取りかた
 髪の毛うっすらハゲ模様の50代の頃の年の取りかた
 記憶もうっすらボケ模様の60代の頃の年の取りかた

 このように、その年代によって、私の年の取りかたも変わってきたけれど、詩人大岡信が2004年フランス政府からレジオンドヌール勲章のオフィシェ章を授与された時、詩人ポール・エリュアールの「とだえざる詩」の中の2行を引いて受賞の挨拶をしている。紹介すると

年をとる それはおのれの青春を
歳月の中で 組織することだ

 ウーン、年をとるということは、そういうことなのである。私 68歳。しみじみ納得。
 吉田拓郎と「かぐや姫」が9月23日掛川市の「つま恋」で35000人の観客を迎えて8時間にわたって開いた野外コンサート。このライブの模様が「今日までそして明日からー吉田拓郎・35000人の同窓会ー」と題して、10月23日にNHK総合TVのプレミアム10で放映された。
 1975年、同じ場所で5万人を集めて開かれた伝説のコンサートの再現である。集まった人たちは、ほとんどおしさん・おばさん。31年前の自分を思い出して、おじさんおばさん的風貌なれど、顔は青春!!! 
 みんな素敵にホレボレとするようないい顔。
 拓郎の歌に合わせて、涙をにじませながら歌っているのを見ると、私、ココロ的には10歳ばかり知恵遅れ気味なので、みんなに波長が合ってしまい、私まで涙してTVを見てしまった。
 年をとることは、青春を歳月の中で組織すること、そう、青春は帰ってこないけれど、青春に戻ることはできるのである。ウン、年をとるって、素敵なことなんだ!!!
 そして、最後に、拓郎と観客が繰り返して歌った歌「今日までそして明日から」
 皆、こうして31年間生きてきたんだと、この歌を歌いながら思ったのであろう。幸せはチョッピリで、辛く切ないことが多かったけれど、こうして今日まで生きてきたんだ、だから明日も生きようと・・・。
 そう、死を急ぐ子供たちに言いたい。大人だって、こうして格好悪いけれど生きてきたんだから・・・。
 君も今日まで生きてきたんだから、明日も生きて欲しいと・・・。

今日までそして明日から   作詞/作曲 吉田拓郎

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きていくだろうと
わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きていくだろうと
わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きていくだろうと
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きていくだろうと

ヘトヘトのヘトへトのヘトヘトだけれど・・・

空気に触ったこと ありますか
川の匂いを嗅いだこと ありますか
森の声を聴いたこと ありますか
闇を見たこと ありますか
大地の味を知っていますか
あなたは地球を感じていますか
あなたは宇宙を忘れていませんか

富良野自然塾長 倉本 聰

そう、そういう訳で、男性2人と女性1人のパーティに同行して、南九州の霧島山系・韓国岳から新燃岳に縦走してきました。 
 同行した女性は、勿論、かわいさいっぱい。私と手に手をとって・・・と、云いたいところであるが残念。男性2人は甥っ子で、女性は甥っ子の嫁さん。
「どう? 一緒に登らない」と誘ってくれたものの、心の中では
「ウーン、おじさんといっても、オジーサン寸前だもんね。登れるかしら」と、疑惑の眼差し。
 東京にいる時は「目黒ハイキングクラブ」に所属してシコシコ登っていたものの、なんたってもうトシ。九州に帰って来てからは「歩こう会」に格落ちして平地スタスタばかり。もう7年も山に登っていない。不安いっぱいなれど、3人とも、槍穂高はスイスイという超ベテランではある。あなたまかせが大好きな私は、
「行くいく」と答えたのはいうまでもない。
 北九州市を10月29日5時に車で出発。九州縦貫道をブッ飛ばし、登山口である「えびの高原」に着いたのが11時。火山帯だから、石ころゴロゴロ。落ち葉の絨毯を踏みしめながら歩くのが得意なのに、歩き難くいことおびただしい。ゴロゴロ石によろめいて、横を歩くかわいさいっぱいの甥っ子の嫁さんに抱き付きそうになるが、後ろに旦那がついているので、グッと踏みとどまる。ウーン、残念。
 硫黄山の麓を硫黄の匂いをかぎながら、紅葉はいまいちだけれどミヤマキリシマやススキの群生の中を登り、お昼過ぎには無事韓国岳(1699m)に到着。登り始めの時は曇り空なれど、雲が切れて霧島山系スッポンポンの丸見え。一望千里!!!
 これって、日頃の私の行いが良いためである。念のために申し添えると、山行での天気のよしあしは、天気が良いときは私の日頃の行いが良いため、天気が悪い時は、同行の連中の日頃の行いが悪いため、ということになっている。
 ここで、南九州第1級と称される素敵な景観をおかずに昼飯。コンビニの弁当なれどウメー。コンビニなんてバカにしてはいけない。なんたって、おかずが最高。
 そこから、獅子戸岳(1429m)・新燃岳(1420m)・中岳(1332m)を経由して高千穂河原に下りる計画。一見、縦走風なので尾根歩きで下山すると思ったところが、これがコンコンチキの大間違い。3つの山の、それもガレ場の登山道を下ったと思ったら又登ったりと、まるで、3つの山を登った気分。
 韓国岳までは、まだ、ヘトヘトまでいかずにヘトどまり。これなら下山は大丈夫と安心していたところ、登ったり下ったりとまるっきり経済性無視。獅子戸岳ではヘトヘト、新燃岳ではヘトヘトのヘト、中岳ではヘトヘトのヘトヘト、高千穂河原の寸前でヘトヘトのヘトヘトのヘトヘトの極致。
 秋空、くっきりそそり立つ高千穂峰を見ながらの縦走だから、素敵コースと言えるものの、トシは取りたくないもので、私の登山暦では最高のヘトヘト新記録を樹立!!! 
 バンザイ、バンザイ!!! ウン、これって、勿論ヘトヘト新記録樹立に対する万歳ではなくって、あなたまかせだけれど、無事下山できたことに対する万歳である。
 でも、下山して泊まった霧島温泉の150,000㎡の敷地に建つ「旅行人山荘」は最高。なんたって、3戸の貸切の露天風呂が、ホテルとは離れた林の中にポツンと建っている。
 立ち入り禁止になっている木立の中の露天風呂って最高。情緒いっぱいなのに、なんと一緒に風呂に入っているのは野郎。これがムチムチプリンの若き女性だったら・・・なんてことは、これっぽちも考えたことはない。本当である。本人が言っているのだから間違いない。
 でも、身も心も、ヘトヘトとヘトヘトのヘトヘトから開放されて、すっきり爽やか。倉本聰の世界を堪能した一日でした。

気分は最低

 私、爽やかな秋だというのに機嫌が悪い。生粋のジャイアンツファンである私は、4月15日のこのコラムで「気分は最高」と、この世の春を謳歌したというのに、いつのまにか「ゴーゴー ジャイアンツ」が「マケマケ ジャイアンツ」に変身してしまった。
 こんな信じられないようなことが起こるなんて、ホント、人生は不可解なことに満ち溢れている。
 かくして、私の今年のプロ野球シリーズは早々と5月で閉幕。以来、目をつぶって新聞のスポーツ欄の頁はめくることにしているし、TVのスポーツニュースの時間になったら、オシッコに行ったり、新聞を読み直ししたりして忙しいたらありゃしない。
 でも「気分は最高」のコラムに書いたとおり、私はジャイアンツの負けた試合のTV中継など1度も見ていないのだから、我が愛するジャイアンツは依然として「栄光のジャイアンツ」のままである。
 我が家は先祖伝来の由緒あるジャイアンツファンなので、負けたからと言って
「このジャイアンツのアホ、バカ!!!」なんてことは、いくら心で思っていても・・・ン? 訂正、チラッとも思ったりしたことはないので、外のチームに鞍替えするなんて厚顔無恥なことをする訳がない。
 でも、ジャイアンツの出ない日本シリーズなんて・・・そんな、あってはならないことが起こる時代になってしまったけれど、来年からセリーグでも上位3位のチームは、うまくいけば日本シリーズに出ることが出来るようになるらしい。
 だから、シッチャカメッチャカに力いっぱい戦って、やっと1位になれたと思っても、マアマアの戦いをして3位になったチームが、要領よく短期決戦で勝ち進めば日本一になれるのである。
 でも、こんなバカな話ってある?
 私は、我が愛するジャイアンツが3位だったのに、日本シリーズで日本一になったと言っても、ちっとも、うれしくない。3位のままで結構。選手も、3位の成績しか残せなかったのだから、納得するはずである。
 反対に、悪戦苦闘してリーグ優勝を遂げても、日本シリーズに出場出来なかったチ-ムの選手たちは可哀想。我がニッポンは、努力すれば報われる国のはずだったけれど、どうも、アメリカ流となって、努力は評価の対象にならず、結果良ければ全てよしの「結果オンリー」の国になったようである。
 1年間かかって挙げた成果を無視するなどという、そんな発想が出てくるっていうのは、これって、工場で汗水流して一生懸命働いている人たちが無視され、コンピューターをこき使って儲けることが出来る人たちが脚光を浴びるという風潮が強くなったせいかもしれぬ。 
 日本人の大半は、体に汗をかいて働く人である。額に汗をかいて働く人は、ほんの1部の人であろう。ニッポンは、身体に汗をする人たちに支えられているのに、ああそれなのに、そんな人を、ないがしろにするような国にどうしてなったの?
 それに、ジャイアンツどうして負けるの? 
 私、新聞のスポーツ欄をしみじみ読みたい。

新しい恋

 秋。
 スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋、食欲の秋、天高く女肥える ・・・ ン? 失礼、天高く馬肥えるの秋、紅葉の秋、一日千秋の思いの秋、台風の秋、秋の七草の秋、物言えば唇寒しの秋、秋刀魚の秋、男心と秋の ・・・ ン? 訂正、女心と秋の空の秋、薄野の秋、芋堀りの秋、一葉落ちて天下の秋を知るの秋、落葉の秋、秋茄子は嫁に食わすなの秋、紅葉狩りの秋、秋桜の秋、そして失恋の秋。  
 あなたの秋はどれですか。

手紙   川崎洋

もしも
愛と言う言葉がなかったら
もしも
好きと言う言葉がなかったら
世界は
どんなに寂しいだろう
でも
悲しみも
嘆きも
その分
減るかもしれない
きょう
郵便受けが鳴って
誰かへの
一通の
恋の終わりが届けられる

 でも、失恋したからといっても、愛があったことは真実なのですから・・・・。
 悲しみを封印して、街に出かけましょう。
 そして、井上陽水の新曲「新しい恋」にあるように

新しい靴をはこう  新しい服を買って  
新しい唄を      きっと 歌おう
新しい人になろう  新しい夢を抱いて
新しい花を      きっと 咲かせよう

 そうすれば、あなたの愛する色を、また見つけることが出来るかもしれません。

 ※ 川崎洋ーー1930年生~2004年10月没。掲載した詩は、1980年に出版された詩集「食物小屋」から。

素敵あふれて 秋

 爽やかに 秋がきた。
 熱い夏は嫌いだし、冷たい冬はイヤだし、好きなのは春と秋である。春は華やかで、何かいいことありそうな気がする、心弾む季節。だけど、キラメキ年齢を卒業しヨレヨレ年齢に達している私にとって、言いたくはないけれどお似合いなのは、やはり秋。
 その秋の入り口の9月16日。私、とってもご機嫌!!!
 と、言うのは、北九州市を流れる紫川の川辺で開かれた「リバーサイドコンサート」に私の所属する合唱団「北九州を歌う会」が出演、團伊玖磨が作曲した合唱組曲「北九州」の中から8曲歌ったのである。
 この演奏会には、外に「爽ストリンングカルテット」と「ミュージックグループ紫音」が出演。そして、このコンサートの実行委員長は「ミュージックグループ紫音」を主宰するピアニスト谷口淑子さん。
 昔は「天は二物を与えず」と言って、美人だけれど頭が弱いというのが相場だったけれど、谷口淑子さんは華麗にしてダイナミックなピアノを弾くうえに、知的にしてかわいさいっぱい。おまけに、このコンサートを立ち上げるバイタリティの持ち主でもある。ゲネプロをはじめ、何度かの打ち合わせに来た時の彼女のテキパキした話し振りと立ち振る舞いに、魅せられてホレボレ。
 まさに天は二物どころか三物を与えたような女性である。
 彼女が率いる「ミュージックグループ紫音」は、ヴィブラホォンが岩崎雅子さん、マリンバが楢橋順子さん、パーカッションが椋尾奈穂さんとミーンナ美人の4人編成。
 ピアノと打楽器だけの演奏なんて、初めは「エ?」と思ったけれど、それがスッゴイ!!! 
 誰の編曲かは知らないけれど、最初に演奏されたド迫力のある「剣の舞」を聴いて、ビックリ、ウットリ、心ゆらめいて・・・・淑子さん。 
 私は、もともと美人に弱いうえに、その美人が演奏するんだから、見とれるやら聞き惚れるやら、タイヘンである。居眠りする暇などありゃしない。
 そして、最後は彼女たちの演奏で「ふるさと」を、会場の皆さんと一緒に大合唱。一体感に包まれて、心の音色も爽やかにコンサートはTHE END。
 そして、その日の夜、NHKBS放送で「スーパーライブ 井上陽水」が放映。8月19日に東京の昭和女子大学人見記念講堂で行われたライブを収録したものである。
 東京にある数多くのコンサートホールの中で、私の一番のお気に入りのホールは、この昭和女子大学人見記念講堂である。
 エ? 何? 「行くと、女子大生がいっぱいいるから、好きなんだろう」って?
 ウーン、それもある・・・てなことは、いくら心で思っていても、口に出して言わないことにしているから、そんなことはゼッタイない。ホントである。
 と、言うのは、ほかのコンサートホールは「それ見たことか」と豪華絢爛風を装っているけれど、このホールは、シンプルでお洒落な雰囲気がいっぱい。だから大好き。
 その大好きホールで大好き陽水のライブ。おまけに大好き楽曲がいっぱい流れて、もう大満足。「大好き」の字を続けて3つもある文章を書けるなんて、シ・ア・ワ・セ・・・・。
 秋の入り口の素敵あふれる9月16日でした。