さよなら夏の日

 先日、FMラジオを聴きながら家で仕事をしていたら、山下達郎の懐かしい「さよなら夏の日」がラジオから流れてきた。
 かって、山下達郎と云えば夏の定番。そして「さよなら夏の日」は夏の名曲だったのである。

さよなら夏の日
いつまでも忘れないよ
雨に濡れながら
僕等は大人になっていくよ

 この曲は,18年位前にヒットした曲だけれど、聴いた時はすっかり大人・・・ン? 訂正、すれっからしの大人になっていたけれど、まだまだ夏を身近に感じていて
「ああ、夏が終わったんだ」と、シミジミ実感気分になって聴いたものである。
 でも、今、私はすでに”たそがれ時” 
 先日「さよなら夏の日」を聴いた時は、なんと
「やっと、夏が終わったんだ」と、ヤレヤレ安堵気分にド変化!!!
 とてもじゃないが初めて「さよなら夏の日」を聴いた時の実感気分は儚く消え去り、夏は遠く離れてしまったことに気がついたのである。
 ウーン、これは大変!!!
 かくなるうえは、茨木のり子の『海を近くに』の詩にあるように
 「海よ! 近くにいて下さい」と叫ぶことにしよう。

海を近くに   茨木のり子

海がとても遠いとき
それはわたしの危険信号です
わたしの力の溢れるとき
海はわたしのまわりに 蒼い
おお海よ! いつも近くにいて下さい
シャルル・トレネの唄のルズムで
七ッの海なんか ひとまたぎ
それほど海は近かった 青春の戸口では
いまは魚屋の店さきで
海を料理することに 心を砕く
まだ若く カヌーのような青春たちは
ほんとうに海をまたいでしまう
海よ! 近くにいて下さい
かれらの青春の戸口では なおのこと

 ン? 「無理ムリ。そう八さんにとって、海は遠いのではなくって、海はなくなっているの」だって・・・。
 そんな無茶な・・・。 
 でも、サムエル・ウルマンの「青春」の詩にあるでしょ。
 『青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う・・・』って。
 だから、”たそがれ時” の私でも、心は青春デス。
 だから、「さよなら夏の日」を聴いて、ときめいたあの頃に戻りたいデス。

 ※ 茨木のり子ーー1926年~2006年。同人詩「櫂」創刊。
掲載の詩は「鎮魂歌」(1965年刊)より。なお、彼女の代表作「わたしが一番きれいだったとき」はこのプログ2006年8月15日号に掲載しています。

秋だ! チェンジだ!! 大変だ!!!

 我がニッポン国のオエライさん達のアツクてあつくて熱い夏がようやく終わった。ホント、お疲れさまデス。

 NHK教育TVで8月24日から27日の4日間「井上陽水~40年を語る~」という番組が放映された。
 私は、どういう訳か好きなミュージシャンは女性ばかり。でも、好きな男性ミュージシャンもチョッピリだけれどいる。そのTOPが井上陽水。
 その陽水が最終日の27日に歌ったのが「少年時代」。ウン、最高に好き。

夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれにさまよう
八月は夢花火 私の心は夏模様

 私はこの歌を聴くと、まんざら夏も捨てたものじゃないって思うけれど、はかなく消えた夢花火のように、タダの人となったオエライさんたちにとっては、コンチュクショウの夏!!!

 汗をビッショリかきながら走り廻り、普段は相手にしないフツーの人に向かってペコペコ頭を下げ、ニコニコ笑顔を作って手を振ったのに・・・。
 それに、旧来の友に再会した如くむやみと握手したり、汗臭いのを我慢しながら抱き合ったりしたのに・・・。
 何故か落選!!! 
 『イイことは自分のせい、ワルイことは人のせい』とするのが、オエライさん達の正しい物の見方らしいから、
 「どうしてくれる」と、口をヘの字に曲げて・・・エーット、そんなハシタナイことはしないまでも、四方八方に当り散らしているに違いない。

 私は、TVニュースで毎日各党TOPのオエライさん達が絶叫するのを見ていたけれど、いつも同じフレーズでしょ。すっかり見飽きてしまった。
 日替定食があるくらいだから、せめて日替絶叫をしてくれたら、今日は何を絶叫するかなァと思って興味シンシン見るのだけど、いつも馬鹿の一つ覚え・・・ン? 失礼、ワンパターン。
 オエライさんは、頭脳明晰と思っていたけれど、ひょとして?
 我が家には、色々な党から
「よろしく」との電話があったけれど、我が愛する今は亡き大原麗子風の声ならばともかく、時給887円風の声。
 でも、私は天下無敵の八方美人だから、
 「あなたの党はダーイキライ」なんて云う訳がない。
 「ハイハイ、よく分かりました。ハイハイ」と、ハイハイを2度も丁寧に言って電話を切るのだけれど、あれって、
「森ソーハチさん、1票獲得」と、時給887円風の人がニッコリ笑って、正の字に一を加えているのかしらん?
 ウーン、私ってイイことしてるんだ。
 でも、街頭演説にしろ、選挙カーや自転車・徒歩での遊説にしろ、オエライさん達は大変。でも、ソレを聞く人の大半はヤジ馬でしょ。どうしても、労多くして効なきような気がする。
 電話だって、そりゃ、我が愛する今は亡き大原麗子風の女性から電話をもらえば
「ウン、するする」って云うかもしれないけれど、なんたって時給887円のペーパー朗読の声。
 あれで、ソノ気になるのかなァ。
 だから、いっそのこと街頭での選挙活動や電話は禁止。選挙活動は集会所での演説会(但し、駆け走ではダメ、じっくり30分以上)はとすればいいと思う。
 そうすれば、ワンフレーズの絶叫ではなく、じっくり内容が聞けるし、そのオエライさんの人となりも分かるような気がする。
 それにオエライさんも楽になって、一挙両得と思うけど・・・。
 エ、何? そうなったら、選挙なんてつまんないと、誰も投票に行かなくなるよ・・・って。
 フーン、そうか、選挙ってお祭りなんだ。
 9月。夏から秋にチェンジ。季節の変わり目。
 初めて与党になったオエライさんも、初めて野党になったオエライさんも、きっと初体験。
 与党も野党も、今までのやり方をチェンジしてくれたら、きっと、オエライさんが偉い人に変貌するかもしれぬ。
 ウン、大変だろうけれど・・・ね。

   石垣 りん

戦争の終わり、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。

※ 石垣りんーー1920年生まれ、2004年没。『表札など』(1968年刊行。翌年H賞受賞)より。

夏だ! 選挙だ!! 大変だ!!!

 夏!!! アツーーーーーーーーーーーーーイ夏がやって来た。

 我がニッポン国のオエライさんにとっては、とってもとっても熱い夏。
 選挙に落ちれば、オエライさん変じてタダの人となるのが怖いから、ニッポン国のソーリの不信任を問う重大な投票をニヤニヤ笑いながも「No」と投票し、翌日にはヤッパ「ダメ・ソーリ」と言い、解散したら「マ、イイか」と変身を重ねたオエライさん達がいた。
 「君子は豹変する」という諺があるくらいだから、君子であるオエライさん達は、変身を重ねても許されるのであろう。
 ウーン、でも、これって品格に欠ける気がするけれど・・・。
 エ? 何? オエライさんに品格を要求するなんて、ムシが良すぎる・・・って。
 フーン、そうなんだ。
 あの党やこの党やあっちの党やこっちの党のオエライさんが、自分のことは棚にあげ、相手の党の悪口を口角泡を飛ばして言っているけれど、あれって見苦しいよ。
 相手をケナして優位に立とうってのは卑怯な気がするけれど、
「窮すれば通ず」という諺があるくらいだから、切羽つまればオエライさんにだって、許されるのであろう。
 ウーン、でも、これって礼節に欠ける気がするけれど・・・。
 エ? 何? オエライさんに礼節を要求するなんて、無理よ・・・って。
 フーン、そうなんだ。
 オエライさんっていうのは、その名の通り普段はエライ顔をしてスタスタ歩いているのだけれど、選挙となったら、どうしてニコニコペコペコして歩いているのは、なんだかいかにもミエミエで気持ワルーって感じ。
「面の皮の千枚張り」という諺があるけれど、まさか、これってオエライさんのことを言っているんではないでしょうね。
 え? 何? オエライさんに失礼よ。オエライさんて、そんなにワルではないの。せいぜい百枚張り・・・って。
 フーン、そうなんだ。
 あの党やこの党やあっちの党やこっちの党のオエライさんが、
「アアしてコウしてアアする・・・」とチマチマ嬉しいことを言ってくれるけれど、
「希望は貧者のパンなり」って諺があるでしょ。
 私「夢旅人」 どこかのオエライさんが、ニッポン国の夢を語ってくれないかなァ。

ドンドンパチパチ ドンパチパチ

 ホント、もう、びっくり。おどろき もものき さんしょのき。私とソックリの人が居るなんて・・・。

 彼が好むのは重厚な人間ドラマと言ったようなものではなく、たとえば上映が始まるや否や主人公が危機的状況に陥り、観客は手に汗を握り、そこに謎めいた美女が登場して謎めいたことを言い、主人公は鋭敏な頭脳を働かせて危機を切り抜け、観客がホッとしたのも束の間、また美女が現れて謎めいたことを言い、新たなる危機が主人公を襲って息つく隙もなく、ふいに爆発が起こったり、美女が悲鳴を上げたり、自動車が橋から落っこちたり、宝の地図が奪われたり、美女が奪われたり、愛が芽生えたり、美女を奪い返したり、いろいろなことがことがあった揚げ句、美女と主人公が接吻して終わる一群の作品、つまり冒険活劇である。「冒険活劇は映画館で観なければならない」というのが彼の意見であり、逆に言うと小和田君は、映画館で観た冒険活劇にかぎっては、どんなに阿呆らしい内容であっても一切を許す広い心を持っていた。

 この文章は、朝日新聞夕刊の連載小説「聖なる怠け者の冒険」の一節である。
 ドンドンパチパチ撃ちまくり、敵はバッタバッタと倒れても、我が愛する主人公には何故か絶対に弾は当たらないというドンパチB級映画愛好者の私は、この文章の一言一句を読んで、
「ウンウン、その通り」とニッコリ。小和田君、君はエライ!!!
 従来、私が、
「かくかくしかじか、これが私の正しい映画の見方」と、自慢げに言うと、
「フ-ン・・・」とか言って、何故か知らぬが軽蔑の眼差しで私を見る。それで、私はいつも肩身の狭い思いをしていたものである。
 だけど、天下の朝日新聞の連載小説に、私と同じ映画の見方をする人が登場したということは、私の映画の見方も、正しく認知されてきたということに違いない。
 ウン、もう大丈夫。これからは、胸をはって生きていくことにしよう。
 そんな訳で、今年私が見た映画は14本。「007/慰めの報酬」「マンマ・ミーア!」「フェイクシテイ」「グラン・トリノ」「ウオッチメン」「テュブリシテイ」「ザ・バンク」「天使と悪魔」「消されたヘッドライン」「スター・トレック」「ターミネーター4」「トランスフォーマー/リベジン」「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」「ノウイング」
 まあ、ドンパチ映画ではないけれど、「マンマ・ミーア!」のように私好みの美人が出る映画とか、お洒落な映画とか、SFや話題作などは見ることにしているけれど、後はハラハラドキドキB級映画ばかり。
 だから、素敵に弾が飛び交うドンパチシーンを見て
「ワー」とか
「ヒャー」とか
「スゲー」とか、大声で叫びながら観たいけど、顰蹙をかうから、心の中で叫びながら観ていれば、私は大満足である。
 このように、ドンドンパチパチ撃って撃って撃ちまくる「スカッと爽やかドンパチ映画」だけれど、ストーリィは阿呆らしい内容が多いから「スカッと忘れるドンパチ映画」でもある。
 だから、2~3日もたつと、ドンパチの素敵シーンは思い出すけれど
「アレッ、筋は何だっけ?」
 だけど、私も、連載小説の主人公小和田君と同じように、広い心の持ち主であるから、どんなに阿呆らしい内容であっても一切を許すことが出来るのである。
 ホント、自分で言うのもなんだけれど、私はエライ!!! 
 エ? 何? 「ウウーン、そうじゃなくって、そう八さん、それって単なるボケ」
 ウーン、ホントにまァ・・・よく言うよ。お年寄りをいたわりましょう!!!