秋。芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋。ウーン、これって月並み。
エート、女心と秋の空の秋、天髙く女肥える・・・ン? 訂正、馬肥える秋、隣はなにをする人ぞの秋、薄野の秋、一日千秋の思いの秋、焼き芋の香り漂う秋、物言えば唇さむしの秋、枯葉散る秋、秋刀魚の秋、一葉落ちて天下の秋を知る秋、失恋の秋、秋茄子は嫁に食わすなの秋、ウエディングの秋。紅葉狩りの秋、柿食えば鐘が鳴るなりの秋・・・。
ウン、秋は何でも似合う。そこで映画の秋。
と、云う訳で、見る映画がいっぱい。
もう見た映画は「世界侵略:ロスアンゼルス決戦」でしょ、「スリーデイズ」でしょ、「ワイルドスピード MEGA MAX」でしょ、「猿の惑星 創世記」でしょ、今から見に行く予定の映画は「ミッション:8ミニッツ」でしょ、「カウボーイ&エイリアン」でしょ、「キャプテンアメリカ」でしょ、「ブリッツ」でしょ。
私は、我が主人公が撃って撃って撃ちまくり、テキはバタバタ倒れるけれど、何故かテキの弾は当たらないというスカッと爽やかドンパチ映画専科だけれど、邦画は今はなきゴジラ映画と吉永小百合さんの映画とガンダム映画以外は見たことがない。
ところが、先日見に行った映画は、「探偵はBARにいる」。
邦画だけれど、お洒落なタイトルのついたハードボイルド映画である。
私は、もともと、外国のミステリイで、それもハードボイルド大好き人間である。大体、ハドーボイルドの小説はお洒落な題名がついているのが多く、私はお洒落なタイトルに弱くって、見境もなく買うというステキな悪癖がある。
それで、この映画、タイトルがお洒落でしょ。それにハードボイルドと聞くと、邦画は見ない主義だけれど、
「マ、行くか」となってしまう。
ウン、我がニッポン国は平和だから、ドンパチ撃ちあうシーンなんてなかったけれど、ハードボイルドの定義をふんでいてステキな映画になっていました。
我が国の風土は、ハードボイルド映画に馴染まないけれど、この映画を見て、捨てたもんじゃないって感心!!!
それに、冬の札幌も素敵に撮影されていたし、舞台となったススキノのBAR「ケラーオオハラ」も、乗っていたポンコツの車もお洒落。、
ハードボイルドの大御所レイモンド・チャンドラーのミステリー「プレイバック」の中で、私立探偵のフイリップ・マーロウが
「男はタフでなければ生きてはいけない。しかし、優しくなかったら生きている資格がない」というキザな台詞を吐くけれど、私立探偵の大泉洋もフイリップ・マーロウのように、恰好よくコミカルに大活躍。
大体、私もフィリップ・マローの台詞を心に刻んで
「かくありたい」と思って生きてきているんだけれど・・・。
「ウソ。荘八さんがタフなんて信じられない」って。
ウン、そう思われるのももっともである。
私が小学校時代に、体操の時間に鉄棒の懸垂をさせられたことがある。自慢じゃないけれど、ただの1回も懸垂で上がることが出来なかったのから分かるように、腕っぷしのナイことにかけては、誰にもヒケを取らない。
そんな訳で、私は「体がタフ」を「心がタフ」と読み替えて活躍しているつもりだけれど、フイリップ・マーロウが、
「男はタフでなければ生きてはいけない。しかし、優しくなかったら生きている資格がない」と呟くと、女性はメロメロになるのに、私はお呼びでない。自分がメロメロになっているのに、相手はメロメロにならないのは、何故?
「そりゃ、ムリムリ。心がタフなんて魅力なし。やっぱり、体がタフでなくちゃ」
フーン、そうなんだ。だから、惚れっぽくって振られッぽいのかなァ。
さようなら 「 ピア 」
「ピア」の首都圏版が、休刊したとの新聞記事が出ていた。
我が街北九州市のタウン誌「おいらの街」も今年休刊となったけれど、まさか情報都市の東京でも「ピア」が、ダメになるなんて・・・ビックリ。
1980年から90年に、私は花の都の東京で華の独身生活・・・ン? 訂正・・・ささやかな単身生活を謳歌していた頃、土・日曜は、「うちのかみさんなし&家庭サービスなし」のまるっきり私の自由時間だったのである。
学生時代には東京にいたけれど、時は移り、今や九州の片隅から出てきた私にとって、「ピア」はステキなガイド役。
それで、週末ともなると「ピア」の映画やコンサート、お芝居や展覧会の頁をつれずれなるままにひもとき、心ときめかせてイソイソと出かけていたものである。
エート、言うまでもないが、むろん一人である。「華の独身生活」を「ささやかな単身生活」に訂正した通り、アノ人やコノ人に電話して・・・なんて思ったことは一度もない。ホントである。本人が言っているのだから間違いない。
その愛する「ぴあ」の最終号の永久保存版が、創刊号の復刻版付で発行されるという新聞広告が出ていたので、さっそく街でも大きな本屋さんに行ったけれど、置いていない。店員さんに聞くと
「エ それって何?」と素知らぬ顔。首都圏版なんてある訳ないじゃん、って顔である。
でも、店員さんにパソコンで調べてもらったら 「ありました」
それで、注文したものの、手元に届くまで1週間もかかってしまった。なんたって九州の片隅に住んでいるのだから仕方がない。
届いた「ピア」は、20年前と違って厚ーい、そして内容も一変。でも、及川正通さんの描くあの独特の表紙の顔は変わらず、懐かしさいっぱい。
「ピア」の表紙は、今が旬の人物を載せることで評判だったけれど、その表紙の最多登場人物は「DREAMS COME TRUE」の9回だそうである。
「DREAMS COME TRUE」がホットな情報を提供していたのに違いないけれど、あの吉田美和のキュートな顔立ちは、きっと描きやすかったに違いない。
私は、CDは数枚持っているものの、残念ながらオジサン時代にもオジーサン時代になっても、顰蹙をかいそうだからライブには行ったことがない。TVで見るだけだけれど、吉田美和の声も好き、飾らない自然な振付も微笑んで見てしまう。
私が住んでいたマンションは中目黒、会社は渋谷。だから、一番ウロチョロしたのは渋谷である。その渋谷の90年代の地図が掲載されていた。
私の心のアルバムは、もうスピア色にはなっているけれど、地図を見ていたら
夢がいっぱい!
懐かしさがいっぱい!!
思い出がいっぱい!!!
39年も続いた「ピア」が休刊したのは残念だけれど、おかげさまで、私の古き良き時代にタイムスリップさせてもらった。
どうも、ありがとう。
エライ人って?
やっと、我がニッポン国のオエライさんのトップたるソーリ大臣が代わった。
その新しいソーリを決めた日、私はなんと11時からソーリが決選投票で決まる迄、エンエンとTV中継を見続けたのである。
こんなに長ーーーーくTVを見続けたのには訳がある。
代表選と言ったって、どうせ同じ穴のむじな・・・ン? 訂正、同じ党の人だから、言ういうことは、多少の差こそあれ同じに決まっている。
だけど、浮動票が多いと聞いていたので、決まるのはそのスピーチの結果だと思っていたのである。
アメリカのオエライさんのトップたるオバマさんのスピーチを聞くと、私は英語がコレッポッチも分からないのに、ホレボレする。
だから、ひよっとすると、我がニッポン国のトップを目指すオエライさん達のスピーチだから・・・と、期待したのである。
ところが、5人のオエライさんのうち、なんと、原稿を読みながらスピーチしたのが2人。2人とも本命とされた人である。
ニッポン国のオエライ人のトップになろうかという人が、原稿を読むなんて
「こりゃダメだ」とがっかり。
あとの3人は、原稿なしでスピーチしたけれど、一人は若さにまかせて演説をブッただけ。もう一人は、お年寄り丸出しのスピーチ。
そして
「うまいな、これはイケル」と思った人が、決選投票の結果、ニッポン国のオエライさんのトップに決定した。
セイジ評論家が、もっともらしく
「アアでもない、コウでもない」と票読みをしていたけれど、私なんか、最初のスピーチを聞いただけで、結果が分かってしまった。
だけど、親分・子分とか、派閥とかでオエライさんのトップが決まっていた時代より、少しは進歩してきたのではないかと思う。
これが、原稿タダ読みのオエライさんに決まったりしたら、親分・子分とか、派閥で決まったことになって、古き悪き時代と同じことになる。
我々の選んだオエライさん達が、スピーチを聞いて自分の意志で投票したというのなら、我々シモジモの人間も納得しようというものである。
だから、今回の代表選で決まったソーリは、どんな人かは分からないけれど、
「マ、いいか」と、思った次第である。
オエライさんは「本当に偉いのか」とアンケートをした結果が、朝日新聞の7月9日の「be」頁に出ていたけれど、読んでびっくり仰天!!!
3565人の人に「国会議員って『偉い』と思う?」と聞いたら、なんと59%の人が
「いいえ」と答えたそうである。
「どちらかと言えば偉くない」と答えた人が26%。合計85%の人がNO!!!
[偉い」と答えた人はたったの2%、どちらかと言えば「偉い」は13%。
私、オエライさんは、その名の通り本当に 「偉い」と思っていたのに・・・。
だって、オエライさんて、社会的地位が高いし権力を持っているし行動力があるし信念があるし頑張ってるし元気だし知識があるし勉強しているし、ホント、偉いとこがいっぱい。
エ? 何? 「それって、ウソっぽい」って・・・。
そんなことはありません。本当です。ウン、本当・・・と、思ってたんだけどなァ。
「オエライさんは、選挙に落ちたらタダの人」と言われていたけれど、どうも、選挙に落ちなくてもタダの人になっているみたいである。
私も、少し考えを改めなければならないであろう。
記事の中に、アンケートに応じた人が、若い頃、戦争体験のある祖父から言われた言葉に
「国会議員は『公平な人物』でなく『公正な人物』でないと務まらない。国民の命や財産を守るには八方美人ではだめで、心を鬼にする必要がある。だから偉いだ」とあった。
ウーン、こんど選ばれたソーリは、一見「八方美人風」だけれど、国民の命や財産を守ってくれるのかなァ・・・。
終わり良ければ・・・
atukuてATUKUてアツクてあつくって暑くて熱い8月がようやく終わった。ウーン、これでもまだ言いたりない位のアツーーーイ8月!!!
でも、8月の終わりに、このatukuてATUKUてアツクてあつくて暑い熱さを忘れさせるような音楽番組がTVで放映された。
NHKBSプレミアムで8月22日に「J-POP青春の’80アンコールスペシャル」と23日の「井上陽水LIVE2011”POWDER”」である。
「J-POP青春の’80アンコールスペシャル」は、私の好きな歌ばっかり。私が選曲したみたいである。
ウン、この番組のデレクター、あなたは偉い。あなたの感性に乾杯!!!
この番組で取り上げられた1980年の後半から1990年代は、私が花の東京で華の独身生活・・・・エート、正確に表現すれば単身生活を送っていた時代である。
私と私のかみさんは、とってもすっごく仲が良くて、いつも思うところは同じである。だから、うちのかみさんは
「亭主元気で留守がいい」と思っているし、私は
「亭主元気で一人がいい」と思っている。これって正真正銘の相思相愛といえよう。
そういう訳で、放映された40曲近くの歌を聴いていると、まじまじと華の単身生活にタイムスリップ。ほれぼれとニッコリ!!!
放映された中での「そう八さんのBEST3」は渡辺美里の「サマータイムブルース」と中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」と小比類巻かほるの「TOGETHER」
なぜか、女性ばかりだけれど、これは仕方あるまい。
井上陽水は、私が一番好きな歌手である。私は九州の片隅で生息しているので、陽水のライブなんてお呼びでない。と、いう訳で「井上陽水LIVE2011”POWDER”」は胸ときめかし、しみじみ聞き惚れて大満足!!!
陽水のなかで一番好きな「白い一日」はなかったのが心残りだったけれど、東京で何度か行った陽水のライブを素敵に思い出して、ニヤニヤうっとり気分!!!
エ? 何? 「ニヤニヤだなんて、いやらしい笑い。アノ人と一緒に行ったんでしょ」って・・・。
とんでもない。それは麗しき誤解である。もち一人で行ったのでアル。当人が言っているんだから間違いない。ならば「ニヤニヤ」を「ニッコリ」に書き直すことにしよう。
と、いう訳でatukuてATUKUてアツクてあつくって暑くて熱い8月だったけれど、私のとっての8月は
「ま、いいか・・・」で終わった次第である。ウン、終わりよければすべて良し。
家族旅行
家族旅行 石垣りん
駅頭という言葉は
もうはやらない
日の丸の小旗を振って人を送るという風景も
あまり見られない
窓をあけて握手
したりするのは列車として型が古い
出征兵士を送るとき
みんな涙をかくして笑ったと話すと
若い人は不思議そうに首をかしげる
奉公袋、千人針、はいのう
銃剣、お守り
出発に際してそういう持ち物がないので
歓呼の声はどこからもわき起らない
人間は極端に歓呼しないほうがいい
行楽の人でにぎわう
プラットホームは明るくかわき
誘い合った家族と家族が
めいめい切符をにぎりしめている
「よく晴れたね」
「海は静かかしら?」
男は
妻子を家郷に残さない
収入と支出のバランスで行く先が決まる
勝って帰れとだれも言わない
海ゆかば水漬く屍であるはずがない
旅に出かけるのである
バンザイ
バンザイ
バァンザァイ
では行っていらっしゃい!
では行ってきます!
※ 「石垣りん詩集」(1971年刊)より。平和な家族旅行に出かける風景と、戦死して帰らなくなるかもしれない出征兵士の家族との別れの場面を対比した詩である。