恋の原点

 5月がスタート。私が一番好きなミュージシャンは井上陽水。そして陽水の曲の中で一番好きな曲は「5月の別れ」
 だから、私の好きな季節は5月。  

5月の別れ

風の言葉に諭されながら
別れゆくふたりが5月を歩く
木々の若葉は強がりだから
風の行く流れに逆らうばかり

鐘が鳴り花束が目の前で咲きほこり
残された青空が夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる

 陽水が好きなのは、彼が紡ぐその歌詞。爽やかなメロデイにのせてこの歌詞が流れると、まさにピッタリ5月がいっぱい。

 そしてゴールデンウイーク!!!
 バンザイばんざい万歳・・・と、云ったのは、むかし昔のそのまた昔の話。
 いい加減年寄りの私にとって、あまり関係のない話だけれど、どこか行かなきゃソンソン気分になるから不思議である。
 と、云う訳でTVニュースは、空港も駅も旅をする人がウジャウジャといっぱい。どうも、景気が良くなったみたいである。

 あなたも、そのハッピイな一人?

 とは云え、アベノミックスとはほど遠い世界に住んでいる恋人達は、そう、馬場あき子の短歌のように

温かき春の河原の石しきて背中あはせに君と語りぬ

 と、ここは名所旧跡でもなく、レジャーランドでもなく、なーんにもない河原だけれど、それでもしみじみと幸せ感じる気がします。
 ウン、これって恋の原点!!!
 ネ、素敵でしょ。お金や暇がなくっても大丈夫デス。

※ 馬場あき子ーー1928年生まれ。歌人、文芸評論家。短歌結社「かりん」主宰。日本芸術院会員。歌集に「暁すばる」など。

倒木の敗者復活戦

 今年になってみた映画は8本。
 洋画は「96時間 レクイエム」「スパイ・レジェンド」「ワイルドカード」「アニー」「アメリカン・スナイパー」「イミテーション・ゲーム」
 邦画は「中島みゆき 縁会2012~3 劇場版」「風に立つライオン」
 例によって、洋画は「アニー」を除くと、私が愛好する撃って撃って撃ちまくるスカッと爽やかドンパチ映画。
 ストーリイは、要するに96時間で悪をやっつける話とか、スパイが相手をやっつける話とか、ワイルドにワルをやっつける話とか、アメリカのスナイパーが敵をやっつける話とか、なんとかゲームでやっつける話で・・・。
 エ? 何? 「それって、ストーリイじゃなくって、映画のタイトルを読んでいるだけでしょ。そう八さん、ストーリイは忘れているんじゃない?」って・・・。
 フン、失礼だよ、まったく。単に要約して書いただけで、詳しく説明すれば、ドンドンパチパチ・ハラハラドキドキ波乱万丈を繰り返すけれど、我が主人公は何故か無事に乗り切って、まずはめでたしめでたしというストーリイです。
 「エッ、それってストーリイがドンパチなの?」
 そう、ここだけの内緒の話だけれど、ドンパチ映画は弾に当たってもガバッと血など吹き出さないし、死体累々などというシーンもないし、画面はいつも清潔感いっぱい。だから、スカッと爽やか気分で映画館を後にするでしょ。ドンパチシーン優先に出来ているから、ストーリなど二の次。ウン、これぞスカッと忘れるドンパチ映画。
 だってね、スカッと忘れなければ、あれだけ死んだら棺桶は足りるだろかとか、女房子供はいるのだろうかとか、保険をかけていただろうとか、いろいろ悩まなければならないでしょ。
 そうなると、大変だからスカッと忘れるドンパチ映画。

 洋画に比べると、中島みゆきのコンサート劇場版は中身がいっぱいで、大大大満足。
 大スクーリンで5.1chサラウンドでしょ。みゆきさんがド・アップでうつり、四方八方から大音響で音が溢れて、まるでホールの最前列にいるような気分。
 うん、入場料2500円也だったけれど、九州の片隅にいて、ホールの臨場感が感じられるって、スゴーーイ!!!
 全部で20曲演奏されて、サービス満点のお馴染みの名曲ばかりだったけれど、「時代」に続いて歌ったのが「倒木の敗者復活戦」
 この「倒木の敗者復活戦」を歌った時、彼女はマイクスタンドのポールを両手で固く握り、強く訴えるようにして歌ったのが凄く印象的で、いいかげん年寄りで感性の薄れつつある私でさえ心を動かされてしまった。
  この歌は「時代」と同じように、東北大震災で被害を被った方々に対する彼女の想いを感じた次第である。
 彼女のステージ衣装は、いつもシンプルでお洒落だけれど、私が好きなのはアンコールで歌う時のジーパン姿。
 すっごく可愛くって素敵!!!

倒木の敗者復活戦     中島みゆき      

打ちのめされたら 打ちひしがれたら
値打ちはそこで止りだろうか
踏み倒されたら 踏みにじられたら
答えはそこで止りだろうか
光へ翔び去る翼の羽音を 地べたで聞きながら
望みの糸は切れても 救いの糸は切れない
泣き慣れた者は強かろう 敗者復活戦
あざ嗤え英雄よ 嗤うな傷ある者よ
傷から芽を出せ 倒木の復活戦

ドッキッ

 春。春爛漫。心弾む季節。
 そして春と云えば、なんたってキャンディーズの「春一番」

もうすぐ春ですねぇ 恋をしてみませんか
もうすぐ春ですねぇ 恋をしてみませんか

 でも、恋をしたくってもいい加減年寄りの私にとって、恋は遥かなる夢。
 だから、竹内まりやの「人生の扉」の方がお似合いなんデス。

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう

 そうなんです。人生のカウントダウンが始まった私にとって、しみじみ実感。ウーン残念!!!

 ところで、我がニッポン国のソーリの側近の友人の友人のそのまた友人から、飛びっきり超極極秘のニュースを聞きましたので、私のブログを読んでいる方々にだけお教えします。これって、内緒の内緒の話ですから、人に話さないでくださいね。

 集団的自衛権について、一応与党が合意したものの、相手方から言えば
 「ナンだカンだと言っても、要するにアメリカの味方につくと言うことでしょ。ニッポン国も憎くつき敵方となる訳だから、やっつけてしまおう」と方針決定。
 そうなると、民間機を乗っ取り原発に突っ込ませるとか、外国旅行をしているニッポン人の観光客に向かって、撃って撃って撃ちまくろうという事態が生じる恐れがあると、我がニッポン国の聡明なソーリは思い当ったそうである。
 そこで、どこの国の味方もしないし、どこの国も攻撃しないと、スイスと同じように「永世中立国」を宣言することに決めたそうである。
 そして「アメリカの兵隊さんの血を、ニッポン国のために流すのは申し訳ない」ので、ニッポン国にいるアメリカ軍に5年以内にお引取り願うと共に「自分の国は自分で守る」と、固く決意。
 軍備費を倍増させ、ミサイルが襲来しても事前に撃ち落せるお得意のハイテク兵器を完備する共に、自衛隊員の待遇改善を図って「平和を守ろう」をモットーに自衛隊入隊を促進させ、我がニッポン国を「ハリネズミ要塞化」することにしたそうである。
 そして、ホルムズ海峡が封鎖された時に対応できるよう、現在半年分の石油備蓄を1年分にするため、石油備蓄基地を倍増させるとのことである。
 そうすることで、軍隊化により右翼も、平和主義の左翼も、アメリカ軍基地の住民も満足し、行きどころがなくって鬱積している若者たちも喜んで入隊することになると、我がニッポン国の聡明なソーリは確信したそうである。
 バンザイ、ばんざい、万歳!!!

 誤解してもらったら困るけれど、今日は4月1日。エイプリルフールでウソをついて良い日だそである。
 私は、生まれてこのかたウソなどついたことがない。本当である。だから、以上の超極極秘のニュースは本当である。ハイ。
  エ、何? 「それがウソでしょ」って・・・。
  ホント、疑い深いんだから・・・。困ってしまう。

炎える母

 今から70年前、終戦の年の1945年3月10日は「東京大空襲」の日である。この日、270機のB29が東京南部の木造家屋が密集した下町に、30万発を超す焼夷弾を2時間半にわたって投下した。
 この空襲による犠牲者は推定10万人、罹災者は100万人とされるが、終戦までの約半年で原爆被害者を除き、全国で空襲による犠牲者は20万3千人にのぼるとされている。
 我が街北九州市の出身で、当時東大の学生だった宗左近は寄寓していたお寺も火につつまれ、運悪く疎開先から上京してきた母の手を握って突っ走ったものの、自分の手から母の手がずり落ち死なせてしまったと言うむごい経験をしている。
 宗左近は炎の中で倒れた母をなぜ救いに行かなかったのか、母を見殺しにして自分はなぜ生きていかれるのかと自分を責め、それから23年後、ようやく母への墓碑「炎える母」という長編詩を書くことが出来たのである。
 戦争の経験のない世代が増えて、戦争を実感としてとらえることが難しい時代となっているけれど、宗左近の詩「炎える母」を読むと、戦争の当事者とは兵隊さんだけでなく、私達も同じ立場にあると言うことを諭されたような気がする。、
 詩集「炎える母」は、6章313頁からなる長編詩。「走っている その夜14」よりその一部を抜粋する。

炎える母     宗左近
      
(前略)

母よ
走っている
わたしは
走っている
走っていないで
いることができない

ずるずるずるずる
ずるずるずる
すりぬけてずりおちてすべりさって
いったものは
あれは
あれは
すりぬけることからすりぬけて
ずりおちることからずりおちて
すべりさることからすべりさって
いったあの熱いものは
ぬるぬるとぬるぬるとひたすらぬるぬるとしていた
あれは
わたしの掌のなかの母の掌なのか
母の掌のなかのわたしの掌なのか

走っている

(後略)

※ 宗左近――1919年~2006年。詩人・評論家・仏文学者であり翻訳家。「炎える母」は、第6回藤村記念歴程賞を受賞。北九州市立戸畑図書館内に「宗左近記念室」が設けられている。

君は歌うことが出来る

 2月21日のNHKは、さだまさしがいっぱい。
 FM放送で12時15分から「今日(京)は一日“さだまさし”三昧」と銘打って第1部が12時15分から18時50分まで、第2部が19時20分から21時までエンエン8時間にわたり生放送。それが終わって総合TVでは、0時5分から2時30分まで「今夜も生でさだまさし」が放映されました。
 これは、NHK京都の新社屋開設を記念して企画されたものらしいけれど、放送する方も視聴者の方も大変。生粋のまさしオタクのみなさま、21日は昼から深夜までお疲れさまでした。ホント、頭が下がります。
 エ、何? 「フン、それって無理よ。まさしファンってマジメ人間らしいから、そんな暇人いる訳ないでしょ」だって・・・。
 フン、そんなこと言っていいの。生粋のまさしファンに失礼デス。ハイ。
 私、申し訳ないけれど生半可のまさしファンでしょ。私はFM放送の1部は聞いたものの、終わった19時からは、メシ食ったり風呂入ったり時勢に遅れたらハジをかくのでTVのニュースを見たり女房とアアでもないけどコウでもないという不毛の会話をしたりして・・・ホント、忙しい。とても2部を聞く暇がないんです。
 それから、総合TVも「今夜も生でさだまさし」は0時5分からのスタートでしょ。云うまでもなく、自称しっかり者の私は、ちゃっかり録画して40分ほどアハハと笑いながら見たものの、後は安心してスヤスヤ。
 この番組、さだまさしが手紙を読むだけなのに、どうしてこんなにおかしいの? 不思議・・・。
 でも、FM放送の第1部は、立川談志が進行役で、ゲストに「生さだ」の構成作家の井上和幸さん、音響効果の住吉昇さんが出演、「生さだ」の裏話を話してくれてスッゴクおもしろかった。だけど、さだまさしのステージと同じようにエンエンと話ばかりで、さだまさしの歌が少ないとプンプン・・・でもないんですね。
 と、云うのは、放送したのは35曲。でも、普通の番組では放送しないような・・・そう、私の好きな「児童作家」なんかも放送して
 「ウン、満足」
 だけど、私が聞かなかった2部には、さだまさしが出演して、ここぞとばかり喋りまくったって・・・。
 「ウーン、残念」
 でも、私、生半可のまさしファンだからしょがないデス。

 さだまさしの昨年販売されたニューアルバム「第2章」。真っ白なジャケットに、すっきりとさだまさし「第2章」に印字され、まさし風の男性の写真だけ。これが、さだまさしの写真だったら面白くもなんともないけれど、さすが、デザインは箭内道彦さん。すごいですね。とってもシンプルな出来栄えで、シンプル好みの私にとって、お気に入りのジャケットになりました。
 曲を聴いてびっくり。さだまさしの曲はしみじみソングが多いけれど、今度のアルバムの最後にある「死んだらあかん」や「君は歌うことが出来る」はメセージソング。「第2章」というタイトル通り、新しい一歩を踏み出したさだまさにふさわしい曲となっていました。
 さだまさしが、昔、NHK紅白歌合戦で歌ってすっごく素敵だったメッセージソング「遥かなるクリスマス」と違って、ロック調の「君は歌うことが出来る」は、さだまさしのコンサートツアーでは、スタンディングの曲になるにちがいありません。
 最初に、この曲を聴いたとき
 「エ? この曲、まさしの曲?」と、しみじみ曲が大好きな私向きの曲ではないと思ったけれど、何度も聞いたらなんと不思議!!!
 しみじみいい曲だと思いました。さだまさしって、魔法使い?
 でも、この曲をロック調に編曲した高見沢俊彦も天才ですね。 
 この曲は、聴いてみなければよい曲とは分からないかもしれないけれど、最後の数節を抜粋します。

君は歌うことが出来る    さだまさし

清いだけの無力ではなく
けれど力ずくの正義でもない
是は是 非は非の
眼を見開いて君は
きっと救うことが出来る

では正しいとは一体何か
自分の都合だけではなく
では愛とは一体何か
決して自分の都合だけではなく

君は救うことが出来る
大切な人の心も
君は救うことが出来る
自分自身の心も

僕は歌うことが出来る
僕は祈ることが出来る
僕は救うことが出来る
僕は歌うことが出来る

君は歌うことが出来る
君は祈ることが出来る
君は救うことが出来る
僕は歌うことが出来る