これって ハードボイルド 5

 梅雨が明けたら初夏を飛び越して、夏日どころか真夏日&猛暑日に突入。ウンザリ、ゲンナリ、グッタリ。 
 かくして、私、ヤル気なくして思考力0。これって全てオテントウさまのせいです。私が悪いのでありません。
 と、いう訳で今日は手抜き・・・エート、訂正、ここはハードボイルドのクールでキザな台詞を読んでウサをはらしてください。ヤレヤレ。

(リンダと別れた探偵マーロウの独白)
 こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった。
 さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。

早川書房「長い別れ」レイモンド・チャンドラー/清水俊二訳

(生ビールとホットドッグを食べていると)
 「ご一緒してよろしいかしら。ミスター・デンスン」グレインハウンドのように色つやがいい。
 私は彼女を見上げた。口はホットドッグでいっぱい。マナコは乳首でいっぱい。

早川書房「ハリーを探せ」リチャード・ホイト/朝倉久志訳

 通常、彼女たちは若くして両親をなくす。パパは金儲けの疲れで死ぬ。ママはパパと一緒に暮らした疲れで死ぬ。

早川書房「素晴らしき犯罪」クレイグ・ライス/小泉喜美子訳

 リーアンはふたたび溜息をついた。悲哀の一歩手前から、絶望の一歩向こうまでのあいだのどこからか漏れたような音だった。

早川書房「殴られてもブルース」スティーヴン・ウォマック/大谷豪見訳

 Tシャツは羨望の目で見る大人にむかって十代の女の子がさりげなく、人生には乳房が断固重力に抵抗する時期があることを実証して見せる例のタイプだ。

扶桑社「最後に笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

 どこまで信じてよいかわからないが、すくなくとも、彼女の人生観は九九換算表のように冷たいと思って良いだろう。

二見書房「スキャンダラス・レデイ」マイク・ルピカ/雨沢㤗訳

 「命をかけて誓うわ。・・・あんたには嘘は言わないわ」
 モレリの口の片隅がほんのわずかに吊り上った。「おまえならローマ法王にだって嘘をつくだろうさ」
 わたしは十字架を半分切りかけていた。「私が嘘をつくことはほとんどないわ」絶対に必要なときだけよ。それから、真実が妥当でないと思えないときもだけど。

扶桑社「あたししかできない職業」ジャネット・イヴァノヴィッチ/細見遥子訳

 目を開けたら最初に見えたのは壁で、最初に感じたのは疲労と、このいやな事件に対するユーウッな気分だった。だがその後、足を動かしたらきみにさわった。・・・するとおどろいたことに、急に安らかな楽観的な気分になったんだ。愛は一晩の熟睡よりも効果がある。

早川書房「死者は惜しまない」ナンシー・ピカード/宇佐川晶子訳

素敵に 音楽を

 私、先月から今月にかけて音楽映画を3本見ました。「ジェームス・ブラウン」と「セッション」に「さだまさし 大誕生会」
 エッ、 何? 「だってそう八さん、ドンパチ弾が飛び交っても主人公には絶対当たらないっていう、嘘っぽいドンパチ映画専科じゃなかったの?」って・・・。
 ウーン、何事も「例外のない原則はない」と言うでしょ。我が道を猪突猛進する我がニッポン国の超最高権力者のソーリもそう云っているんだから、間違いありません。ハイ。
 そういう訳で、私、ドンパチ大好きだけれど、音楽ミーハーでもあるので、「ジェームス・ブラウン」のキャチコピーの
 「音楽の歴史を変えた史上最強アーティストの栄光と挫折、そして知られざる友情を描く、観る者を激しく揺さぶる、感動エンタテーメント!!」を読むと見に行かなきゃソンソンって気がするでしょ。
 もともと、私はロックは苦手だから、聴いてもせいぜい矢沢栄吉と忌野清志郎。ジェームス・ブラウンの曲は聴いたことがなかったけれど、イヤー、驚いたのなんのって看板に偽りなし、キャチコピーの通りでした。
 この映画のプロデューサーは、ジェームスを敬愛してやまないミック・ジャガー、ジェームスを演じたのはやはりロッカーのチャドウイック・ボーズマン。歌声はジェームス自身のものと部分的にはチャドウイックの声も使われているらしいけれど、その歌声とダンスに圧倒されてア然。「最高の魂ーソウルーを持った男」と云われるゆえんが良く分かりました。

 次に見た映画は「セッション」。この映画はジャズドラマーとその指導者を描いた作品で監督は若干28歳。製作費はたった3億円で撮影日数は19日だけれど本年度アカデミー賞3部門を受賞した作品である。
 私はジャズ大好き人間なので、これの予告編で衝撃のラストシーンがチラッと映し出された時「スゲー」と思ってイソイソと見に行った次第である。
 名門音大に入学した野心家のドラマーと恐るべき鬼教師とのバトルともいうべき狂気の練習と、どんでん返しの後のラストの10分に及ぶドラム打ちっぱなしの圧巻のシーンは、ド胆を抜かれ声も出ない・・・と、云うような音楽映画を超えたアクション映画みたいだった。
 ジャズの演奏はライブにしろ映像にしろよく見るけれど、あんなドラマーのバチ捌きは見たことがないような気がする。だけど、これは吹き替えでなく主演のマイルズ・テラー自身が演じたと聞いて、なんと凄いと改めて感じ入った次第である。

 NHKTVで毎月末の土曜日0時5分から1時35分まで「今夜も生でさだまさし」という番組が放映されている。
 この番組はさだまさしがこの番組に寄せられたハガキを読むだけ。歌うのはたった1曲だけという歌手そっちのけの番組だけれど、それが何故かオカシックっておかしいんデス。 
 私、いい加減年寄りだけど「遅寝遅起き」をモットーにしているから、アハハアハハと深夜に顰蹙をかいながらいつも最後まで見ている。 
 そのさだまさしの60歳の還暦を祝って「さいたまアリーナ」で2012年4月10日に行われた伝説のコンサートが映画化されたのである。たった20分でソールドアウトとなったこのコンサートなど、高嶺の花と思っていたらそれがなんと映画化されたのである。
 コリャア見なきゃあ沽券にかかわるという訳で、いつもは1000円也のシニア入場料で映画を見ているケチ私だけれど、本音シブシブ建前ニコニコで金2500円也の入場券を買った次第である。
 このコンサートは、60組の豪華アーティストが出演しているものの持ち歌は歌わず、さだまさしの歌を1曲だけ歌うという趣向をこらした演出になっていたんだけれど、この映画はエンエン5時間にわたるコンサートを2時間にまとめて編集したものである。
 だから映画に出演したアーティストは厳選されて南こうせつほか12名だけ。ところが女性のシンガーは平原綾香と岩崎宏美・ももいろクローバーZの3組だけ。これって男女均等法に反しているんじゃないの?
 私、男性の歌手はキライという訳ではないけれど、何故か女性の歌手の方が好きでしょ。だからプンプンのプン。
 だけど、私の大大好きな平原綾香が「ひまわり」を、岩崎宏美が手話を入れて私の大大好きな「いのちの理由」を歌ったから、云うことありません。
 ももいろクローバーは「むかし子ども達は」。この歌は初めて聴いた曲だけれど、みんな可愛いうえにピンピンと見えそうで見えないくらい足を跳ね上げて歌うから、私はニコニコ。
 この演奏をしていたバンドが、時々写し出されていたけれど、それがバンドの右側でバイオリンを弾いていた女性をメインに撮影して・・・なんとこれが美人!!! ホント、このカメラマン、あんたはエライ。女性不足は勘弁することにしよう。
 この映画、ライブ感はないけれど、映像も良かったし音声も大音響でバッチリ。ウン、金2500円也だけれど大大満足で映画館を後にしました。

アアでもないけれどコウでもない・・・

 我がニッポン国のソーメイなソーリは「日本人の命と平和な暮らしを断固として守る」というスーコウな決意を固め
 「平和安全法制整備法」及び
 「国際平和支援法」の2法案を決定。それと共に、従来定めていた諸々の法令を纏めて
 「重要影響事態安全確保法」とすると共に、一旦コトが生じた時モタモタしないで直ちに出撃できるように
 「我が国の領海及び内水で国際法上の無害通航に該当しない航行を行う外国軍艦への対処について」と
 「離島等に対する武装集団による不法上陸等事案に対する政府の対応について」と
 「公海上で我が国の民間船舶に対し侵害行為を行う外国船舶を自衛隊の船舶等が認知した場合における当該侵害行為への対処について」も定めることにした。・・・・アア、疲れた、これだけ書いただけでも大変、ネ、コレ読んだだけでもヤヤコシイってこと分かるでしょ。
 法律の業界用語ってスゴイんだ。どうも、まわりくどく書かなくちゃいけないらしい。
 「無害通航に該当しない航行を行う外国軍艦」と云うのは、まあ「有害な航行している外国の軍艦」ということだろうけれど、お役人は簡単に書くとフツー人と同じと見られそうだから、頭が良いことを示するためにヤヤコシイ書き方をするに違いない。
 ホント、頭が良くないと、こんなヤヤコシイ書き方は出来ないことがよく分かりました。ハイ。
 そして、我々平平凡人が、見ただけでヤヤコシイそうだからと思わせ、読む気を失くすようにしているに違いありません。

 この法案が上程されると「アアでもないけれどコウでもない」と議論百出。憲法に違反していると言われても
 「それは見解の相違デス」と、シレッとかわして泰然自若。でも、我々平平凡人は「ン? どうなってるの?」
 「個別的自衛権」と「集団的自衛権」なんて、これの境目など解釈次第で右にも左にでもなるものだろうから、いくらエンエン議論したって正解が出るわけじゃないでしょ。それに「重要影響事態」なんかも、情勢が変われば解釈も変わる可能性があるでしょ。
 だから、こんなヤヤコシイ法律は作らず正々堂々と憲法を改正して、我がニッポン国はアメリかに守られているから義理は果たさねばならぬという訳で、すっきりくっきり
 「一旦、ことあるときはアメリカと共に戦う」と明確にすれば、解釈の余地もなくなって「アアでもないけれどコウでもない」なんて云われないと思うんだけどなァ。
 エ?何? 「そう八さんって、バッカみたい、そんなことしたら、憲法改正方式は反対が多くてオジャンにある可能性があるでしょ。だから、ソーメイなソーリは諸々の解釈自在な法律を作って、アアでもないけどコウでもないとネタがなくなるまで議論させ、最後は民主主義の原点に基づき粛々と多数決すれば、初志貫徹・万々歳でしょ。だから、憲法改正方式なんてムダな方法はとらない訳。そう八さん、こんなことまで分からないの?」
 フーン、そうなんだ。さすが我がニッポン国のソーリは、我が国の未来を託されているだけあってソーメイなんだ。エライんだ。

 誰かが「アベノミックスはアホノミックス」って言っていたけれど・・・これって間違い?

マナコにいっぱい新緑を・・・

 5月17日から「船上から見る日本列島一周ゆったり船旅 8日間」という長ったらしいタイトルのツアーに参加した。
 私、そんなつもりじゃないけれど、今年はなんと77歳の喜寿。それに3月には、自治連合会の仕事にもエンドマークを打つことが出来て、我が生涯初めて「毎日が日曜日」が実現。「ゆったり船旅ツアー」なら、目下ゆったり気分溢れる私にピッタリと思い参加した次第である。
 船旅と云ったってゴージャスなクルーズ船ではなく、フェリーだけれど全て5階~6階にあるバス・トイレ付の個室。ピッカピッカの新造船やフェリー・オブ・ザ・イヤーを連続受賞している船もあり、映画の上演や演奏会も開かれてクルーズ船に乗った気分でした。ウン、私ってなんと安上がり。
 船に乗ったのは北九州市から大阪、舞鶴から小樽、仙台から名古屋、大阪から鹿児島の志布志と船中4泊。泊まったホテルは小樽とは函館と岩手の花巻温泉の3泊。豪華な温泉ホテルばかりで、露店風呂は有ったけれど、残念ながらというか、当然ながらというか混浴はナシ。
 津軽海峡はトンネルをJRを利用して渡り、後はバスを利用して、アチコチ観光地をホイホイと巡り、また次の港から船に乗る仕組みになっているのだけれど「船上から見る日本列島」のつもりが「船上から見る???」
 船に乗ったらズズズーイと我が日本列島の海岸線を見ながら航海すると思ったら大間違い。右を見ても左を見てもズズズーイと海ばかり。
 よく考えてみたら、15000トン~20000トン級の船だから、陸に近づけて航海する訳ないよね。「船上から見る海に囲まれた日本列島一周のゆったり船旅」として貰わなければならぬ。
 だけど、どの船の後尾には展望デッキがあって、ツン読していた796頁の「日本探偵小説名作集」の半分位まで読むことが出来た。果てしのない海ばかり見ていると、俗人たる私はたちまち退屈するけれど、読書の合間にふと目を上げると海が見えるというのも、なかなか優雅なもので、日本列島見えなくっても「マ、イイか」気分になったものである。
 船の食事は朝も夜もバイキングである。生まつきケチ気分に溢れている私は、当たりかまわず食べまくり、帰って体重を計ったら2キロオ-バー。後悔後に立たず。どうしよう・・・。
 小樽から洞爺湖を通り函館に行く途中と、青森から奥入瀬渓流を経て十和田湖に行く道は、新緑がマナコいっぱい眩しくに輝いて、みずみずしい若葉のトンネル。九州では見られない風景に「スゴーイ」を連発してきました。
 でも、なんたって一番驚いたのは、青森のバス駐車場で、横に泊まったバスを見た時。なんと熊本の貸切りバス。エンエン九州からバスで北の端まで来るなんて「エラーイ」と感嘆の声を挙げたら、なんと
 「バスでまわる日本一周22泊23日の旅」
 バスの添乗員さんも、こんなツアーは初めて聞いたと云っていたけれど、スゴーーーイ!!!
 移動は同じバス、泊まるのは必ず一流のホテルか旅館だそうで、なんとも贅沢にして骨の折れるツアーみたい。こちとら「船上から見る日本列島一周ゆったり船旅 8日間のツアーです」なんて恥ずかしくって言えやあしない。 
 お金と体力勝負のツアーだろうけれど、私って、どうみてもムリムリのコンコンキチみたい。ウーン、ザンネン。
 道中、雨に降られることもなく、北海道の温度差も感じることがなかったのは、多分、私の日頃の行いが良かったせいであろう。
 どう? 私を誘って旅をしませんか。天候保証付きです。ハイ。

牛は超然として押して・・・

 朝日新聞に夏目漱石の「それから」が連載されているけれど、我が北九州市立文学館でも夏目漱石没後99年を記念して特別企画展「夏目漱石ー漱石山房の日々」が開催されることになり、その開会式が5月2日に開かれた。
 来年が漱石没後100年。来年は各地でいろいろなイベントが開かれるだろうけれど、我が北九州市は、全国に先駆けて漱石没後99年展を開催。これって、すっごくニクイ発想ですね。きっと今川英子文学館長の発想だろうけれど、スゴーイの一言。
 漱石展を開催するくらいだから、我が街北九州と漱石とは、なにか特別な関係があると思うでしょ。ところが、漱石が熊本第五高等学校時代に、北九州市に1泊して別府に行ったという関係だけ・・・たったこれだけのささやかな関係だけで、公益財団法人日本近代文学館・県立神奈川近代文学館・公益財団法人神奈川文学振興会・岩波書店・小宮豊彦の資料を収蔵する福岡県みやこ町歴史民俗博物館等から、ズラズラーと貴重な資料を出品してもらって開催にこぎつけたというのも、これまたスゴーイ・スゴーイ。
 これもきっと、今川英子文学館長の努力の賜物でしょうね、きっと。
 開会式には、北橋北九州市長の挨拶の後、中野梅光学院大学学院長の祝辞があり、今川英子文学館長の挨拶があったのだけれど、その中で今川館長がつらく苦しい時に、漱石の有名な「むやみにあせってはいけません。牛は超然として押して押していくだけです。うんうん死ぬまで押すのです」という言葉を先人から聞かされ、そして立ち直ったという話を涙ぐみながら話されたのが印象的だった。
 私のような平平凡人からいえば、とっても偉い文学者である今川先生も、そんなナイーブな面があるなんてと、親近感溢れた気がして・・・などと言ったら叱られるかもしれませんね。ごめんなさい。
 「牛は超然として・・・」という言葉は、漱石が芥川龍之介に出した書簡の中の文章だけれど、私などは「ウンウン押して・・・ダメ」なら、ハイ諦めますという根性ゼロタイプだから、こんなの言葉を聞くと「ギクッ・・・」としてしまう。
 田中慶太郎さんの「命を磨く言葉」というプログに、この言葉を引いて「人生に即効薬を求めるな」と書いてあったけれど、現代は、政治の世界も含めて「せっかち過ぎる」みたいである。ホント、せっかち人間でもある私は牛になりたい。
 最後に、劇団「青春座」の上西昭南さんが、漱石の「草枕」の冒頭部分の朗読があった。「山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角がたつ・・・」という有名な書き出しの部分は有名だけれど、上西さんが朗読された最後の箇所について、これも、冒頭の文章のように名言と思ったので、ここに記すことにします。

 世に住むこと20年にして、住むに甲斐ある世と知った。25年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。30の今日はこう思うている。――喜び深きとき憂いはいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り離そうとすると身が持てぬ。片付けようとするとすれば世が立たぬ。金は大切だ、大事ものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい。嬉しい恋が積もれば、恋せぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。充分食えばあとが不愉快だ。

 ネ、名言でしょ。 
開会式が終わって石田忠彦鹿児島大学名誉教授から「愛を追う漱石」と題して記念講話があった。
 漱石を「人生ウンヌン・・・」から話されると、カタイ話に弱い私はムズムズしてくるけれど「恋・愛」大好き人間の私だから、胸をときめかせて聞いたのは言うまでもない。
 漱石が追い求めた愛のテーマとして、漱石の作品を「神秘的な愛」「現実の愛としての姦通」「愛と嫉妬と我執」に分けて話されたが、漱石歿して99年、永遠のテーマであることに改めて感じた次第である。 

 この企画展のために「没後99年 夏目漱石ー漱石山房の日々」と題して66頁の小冊子が発行されたけれど、これがコンパクットの纏められていて、いっぺんに漱石通になってしまった。どうもありがとう。

※ 今川英子ーー北九州市立文学館館長。林芙美子研究の第一人者。著書に「林芙美子巴里の恋」(中央公論新社)など。「林芙美子全集全16巻」編集。他に共著、論文、エッセイなど多数。