信じて!!!

 残暑を通り越して、あっという間に秋がきた。ヤレヤレ気分だけれど、どうも最近の我が地球は、夏はムチャ暑く冬はムチャ寒く、春と秋はムチャ短く、雨や雪や風もムチャ強くって、もうムチャだらけ。
 春秋大好き人間の私にとって、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・と、エーット、これって戦争にピリオドをうっべく昭和天皇が賜った勅語の言葉だけれど、それから65年。
 今や、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・という台詞は、自然に向かって言う言葉になってしまった。
 ムチャを振るう自然に対し、なすべき手段を持たない人間は、
「みんな自然が悪いんだ!!!」と云いたいところだけれど、地球が誕生して46億年。地球がセッセと蓄えた資源を、たった30万年前に誕生したネアンデルタール人のなれの果てとも言える人類が、ムチャ消費した結果、自然からムチャのお返しがきているに違いない。
 朝日新聞の「いきものがたり」によると、特にこの半世紀足らずの間の我が人類の超繁栄ぶりは凄く、地球の人口は40年で2倍に、エネルギーの消費量は50年で3倍、穀物消費量も2倍に増えているうである。
 そして、その結果、なんと地球の生物は6度目の大絶滅時代に突入しているとのこと!!!
 国際自然保護連盟によると、世界の野生動植物約48,000種の内、17,000種がz絶滅の危機にさらされていて、哺乳類5,490種の内21%、鳥類9,998種の内12%、両生類6,285種の内30%、爬虫類1,677種の内28%が絶滅危惧種に指定されているそうである。 
 6,500万年前に起きた5度目の大絶滅で恐竜が絶滅したのは、巨大隕石の落下のためと云われているように、これまでの5回にわたる大絶滅は、自然のなす業であったのに比べると、今、起きている生態系の危機は人類の繁栄が引き起こした結果であろう。
 かくして、このままでいくと、今世紀末までに地球の平均気温は最大6.4度上昇し、平均気温が1.5~2.5度を超えると動植物の2~3割が絶滅すると思われるそうである。
 そうなると大変!!!
 はるか彼方のナンジャモンジャ星雲のチチンプイプイ星人が、地球に生息するヒト科の生物が、宇宙の貴重な惑星・地球に住む他の生物を滅ぼしかねないと怒り狂って、空とぶ円盤に乗って、ヒト科の生物だけを殺す放射能をばら撒きにくる可能性が強いのである。
 これ、本当の話である。誰も信用しないけれど、信じるものは救われる。
 だから、ムチャ繁栄をあきらめ、そこそこに生きて、詩人川崎洋の詩のように祈りたいものです。

動物たちのおそろしいゆめのなかに   川崎 洋

犬も
馬も
夢をみるらしい
動物たちの
おそろしいゆめのなかに
人間がいませんように

素敵にドンパチを・・・

 今年、私が見た映画は12本。
 「アバター」・「シャーロック・ホームズ」・「シャッターアイランド」・「パリより愛をこめて」・「グリーン・ゾーン」・「アイアンマン2」・「セックス・アンド・ザ・シティ2」・「ザ・ウォーカー」・「プレデターズ」・「ソルト」・「特攻野郎Aチーム」・「バイオハザード アフターライフ」。
  今年は3月に市民センターを辞めたものの、4月にはヨーロッパに行き、5月からは公私共にメチャ忙しく映画を見に行く暇があまりなかったから、本数は少ないけれど、皆さん、私の見た映画のタイトル見て、どんな映画か内容分かる? 
 邦画と違って、洋画のタイトルはカタカナ語だから、推察出来ないよね。
 それで、簡単にストーリィを説明すると、ドンパチ・ドンパチ撃って撃って撃ちまくり、敵はバッタ・バッタと死ぬけれど、我がヒーロには弾は何故か当たらず、まずはメデタシ・メデタシという素敵な映画。
 「それって、ストーリィじゃないでしょ」って・・・。
 そう、昔むかし、”セーラー服と機関銃”という映画で,私の好きな薬師丸ひろ子が「快感!!!」と叫んで機関銃をブッ放したものだけれど、私が映画を見る感覚は、薬師丸ひろ子の「快感!!!」と同じである。
 ドンパチ・ドンパチ撃って撃って撃ちまくるシーンを同じ感覚で見ているのだから、ストーリィなんて二の次。覚える訳がない。
 ア、そうか、そう八さん、物忘れがひどくなったんだ・・・なんて誤解してもらっては困る。もともと、この手の映画はご都合主義で作ることになっているから、ストーリィ等にこだわってはいけないことになっているのである。
 この中でドンパチ映画のベスト3は「パリより愛をこめて」・「特攻野郎Aチーム」・「バイオハザード アフターライフ」。快感オンパレード!!
 しかし、例外もある。「セックス・アンド・ザ・シティ2」
 エ、何? 「ウン、そうか、そう八さん、H映画と勘違いして行ったんだ」って・・・。
 とんでもない、そりゃ美人が出るのは好きだけれど、この映画は、ニューヨークのセレブな人たちを、お洒落に素敵に描いているから、薬師丸ひろ子の「快感!!!」とは違う「快感!!!」で、うっとりしたいために、見に行っただけである。
 私が行く映画館は、北九州市小倉北区の観覧車もある総合商業施設「チャチャタウン小倉」の中にある「シネプレックス小倉」である。
 私の楽しみは、映画を見た後に、映画を一緒に見に行ったプチピチプリンの女性と、マックの店でバガーとポテトにコーラを買って、イベント広場で行われる歌手やバンドの演奏を聴きながら、ああでもないけれどこうでもないといった類の日常茶飯事的会話を交わし・・・・ならいいけれど、残念無念にして茫然自失、私の横には誰も座っていない。
 と、言うのは「一緒に映画に行こうよ」と誘っても、ドンパチ・ドンパチ撃って撃って撃ちまくる映画と言うと、軽蔑の眼差しで私を見て
「行かない!」の一言。いまや、薬師丸ひろ子的女性は姿を消したみたいである。
 こんなに素敵で心躍る映画に興味がないなんて、ホント、女性って解読不可能!!!

ジトジト・ベタベタ・ネチャネチャ・ネットリと

 今日は9月1日。秋の気配は、どこかで浮気しているらしく、依然として気分は夏真っ盛り。
 夏といえば、まっ青な青空に入道雲、木陰で感じる爽やかな風・・・というのが定番だったけれど、今や、ジトジト・ベタベタ・ネチャネチャ・ネットリと、しっこく熱っこく、まるで悪女の深情け的暑さ!!!
 これって自然本来の暑さではなく、まるで街はクーラーの室外機に変貌してしまったようである。
 だから、自然の暑さ+人工的な暑さ=ジトジト・ベタベタ・ネチャネチャ・ネットだろうから、「暑い暑い!」って云うのは、天に向かって唾を吐くみたいなもので、文句は言えない。
 ああ、それなのにそれなのに、私の8月は超繁忙の慌しさ。
私、4月より南丘校区自治連合会の役員に担ぎ出されたため、8月8日の北九州市の夏祭り「わっしょい百万踊り」や盆踊りに駆り出されてしまった。
 おまけに、私の所属する合唱団「北九州をうたう会」が、8月7日に北九州文化交流会のオープニングセレモニーに出演、21日には火野葦平没後50年記念事業の一環として行われた「ありえないコラボ」演奏会に他の団体とコラボレーション、翌日には北九州市美術館で行われた「ミュージアムコンサート」に出演。

ミュージアムコンサート

 丁度、美術館では「アルフォンス・ミュシャ展」が開かれていたこともあって、会場となったエントランスホールは、超満員! ウレシイ!!!
 この「ミュージアムコンサート」終了後、北九州市活性化協議会会長の西村韶道さんが「北九州をうたう会」の新しい会長となられたので、北橋北九州市長はじめ多くの来賓を招いての「披露パーテイ」を開いて、大盛況のうちに終了! ヤレヤレ!!!
 でも、立て続けにイベントと演奏会が続いたでしょ。それの準備と打ち合わせにアタフタ・バタバタと、うっすらハゲ模様の頭の汗をかきかき、この暑い中を駆けずり回って、もう青息吐息! グッタリ!!!
 かくして、演奏会の本番の時は歌心そっちのけ、ヤレヤレ気分で歌い流してしまった。でも、会員の皆さん、忙しかったから仕方ないよね、と優しいお言葉! シアワセ!!!
 かくして、私の怒涛の8月は終わったけれど、悪戦苦闘の原因の一つは、ジトジト・ベタベタ・ネチャネチャ・ネットリにあるに違いない。
 ウーン、井上陽水の「少年時代」を聴いて感じた、あの爽やかな夏は、どこに行ったんだろう。

死んだ男の残したものは

死んだ男の残したものは   谷川俊太郎

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には誰も残っていない

夏が来た!

 7月23日のNHK衛星放送の「あなたの街で夢コンサート」に、私の大好きな渡邊美里が出演。「夏が来た!」を歌った。 これって、私の夏歌1番。
 だから、昔むかしのそのまた昔だったら、この歌の最後のフレーズ
 「本当の夏が来た 生きているまぶしさ・・・」を聴くと
 「ウーン、夏だ!」と、まぶしく夏は輝いていたけれど、今や 
 「本当の夏が来た 生きているまぶしさ」どころか、
 「本当の夏が来た 耐えかねるまぶしさ」と、暑さタエダエ感に満ちあふれて、もう身も心もヨレヨレ。
 『心頭滅却すれば火もまた涼し』と諺に云うけれど、平々凡々人の私などは、いくら
 「暑くない、暑くない」と唱えたって、「暑い!!!」どころか「熱い!!!」のである。
 それでも、美里の「夏が来た!」を聴くと「今の夏」ではなくって、「夏をまぶしく感じていた頃」がよみがえり、ちょっぴりイイ気分に浸ることが出来て、やはり
 「ウン、美里の歌は素敵」 
 TVの音楽番組では、歌詞が字幕で出ることが多いけれど、彼女の声は字幕がなくても歌詞が聞き取れる稀有な歌手の一人であると思っているし、それにもまして彼女の声の色も・・・エーット、モチ顔もすこぶる大好きである。。
 彼女のデビュー曲「My Revolution」を聴いて、すっかりファンになった私は、1989年の夏に彼女が主演した映画『misato in eZ the Flower bed』を、渋谷のパルコ劇場に見に行ったことがある。
 前評判が高い映画だったので、上映時間の45分前に行ったのだけれど、それが凄い!!!
 若い人たちがパルコ劇場の9階の入口の階段から2階の階段までズラズラーと並んでいて、私が並んだのは1階の入り口。
 私は、身なりこそジーパンにTシャツだったけれど、私、下駄履き(若い頃から、夏はどこに行くにも下駄履きが定番)でしょ、顔を見たらオジサン化した男性でしょ、それに見るのが美里の映画でしょ。場違い感に溢れているものだから、並んで待っている若い人が
 「なんで?」と、ジロジロジロリと顰蹙の眼差し。
 でも、それにもメゲズに見ました!!! 
 美里はすっごく可愛くて最高!!!だったけれど、ニューヨークのロフト風のアパートの部屋で1960年代のインテリヤが、私の好みにぴったり。センスの良さに、ホレボレと惚れ直した次第である。
 と、言うものの、それって、昔むかしのそのまた昔のはなしである。
 「本当の夏が来た 耐えかねるまぶしさ」に成り果てた私は、寺山修司が詠んだ短歌に同感し、フテ寝するだけである。

わが夏を あこがれのみが かけされり 麦藁帽子かぶりて眠る