一杯のコオヒイから・・・

 1日が24時間もあるなんて信じられないほど、時は駆け足で走りぬけ、街はクリスマスを装って、今年もまもなく THE END。
 私は、クリスマスソングを聴くと、ほのぼの幸せ気分になってしまうので、12月は大好きな季節である。
 だから、今も、オールデイのクリスマスソングを聞きながら、パソコンのキイを叩いているけれど、我が街のタウン誌『おい街』には、「イルミネーションに誘われて」と題して

風の冷たさが肌にしみるようになり、小倉の街だけでなく門司港や
八幡、若松の街は暖かな光が灯され淡く照らし出される。
輝く光に引き寄せられ、手を取り合い肩を並べて歩く恋人達。
光の動物達にはしゃぐ子ども達。
昔を思い出すように同じ歩調でゆっくりと歩く、お父さん、お母さん。
イルミネーションの光は私たちに感動とときめきを与えてくれる。

 そう、私もイルミネーション大好人間。私の住む街の小倉井筒屋クロスロードからリバーウォークにかけての光に彩られた通りを歩いて、気分的には
 「手を取り合い肩を並べて歩く恋人達」となりたいけれど、
 でも、ホントは
 「ゆっくりと歩く、お父さん、お母さん」でもなく
 「トボトボと歩く、おじいさん おばあさん」
 ウーン、残念。人生なんて説明のつかないことばかりである。
 ところで、あなたはイルミネーション、誰と見に行くの?

 今、スピーカーから山下達郎の名曲「Christmas eve」が流れているけれど、洋楽のクリスマス・ソングはハツピイ・クリスマスが多いのに、日本は切ない曲の方が多いような気がする。
 歌人・俵万智も
 『罰としてくるクリスマス・イブは雨 聖しこの夜一人で眠る』と、別れのクリスマスを詠っているけれど、これって、ポイした方だから、いまさら後悔しても、マ、仕方ないよね。
 でも、今年、物も心もデフレと眠れぬ夜を重ねて、ハツピイ・クリスマスなんて歌う気になれないと云う人も多いに違いない。 
 だけど、心凍える時があっても、1杯のコオヒイで、
 「ああ、おいしい」と思ったら、それって、ちっぽけなことだけれど、幸せ・・・と感じることができたら、そう、あなたは、どんなつらいことがあっても、それを乗り越えることが出来る、ウン、きっと、乗り越えられる人だと思う。
 そう、幸せなんて、向こうから来るものではなくって、自分から作っていくものだから・・・。
 だから、悲しみは封印して、来年はせめて
『夢 くもり、ときどき晴れ』となりますよう、今、生きづいていることを疎かにしないよう生きてゆきたいものです。
 今年、この『夢旅人』の頁を開いていただきまして、有難うございました。
 また、来年も笑顔でお会いできますように・・・。

“二隻の舟”に乗って・・・

 11月に、中島みゆきが「紫綬褒章」を貰ったけれど、その感想が
 「棚から本マグロ」
 エライ方々の授賞の言葉は数々あれど、中島みゆきのが最高!!! 久しぶりにみゆき節を聞いた気がした。さすが中島みゆきである。
 授賞されたせいでもないだろうけれど、NHKBSTVで11月23日(月)と27日(金)の2回にわたって、BS熱中夜話「中島みゆき」が放映された。
 私の好きな歌手は、云うまでもなく男性は井上陽水、女性は中島みゆき。
 陽水は、時々TVに出るけれど、中島みゆきは、TVには絶対に出ないし、TVで取り上げられることも少ない人である。
 だから当然、ミタ! みた!! 見た!!!
 放映された内容は、司会やコメンテーナーの他に,中島みゆきの熱烈ファンが30人ばかり出演。中島みゆきは出演しないものの、彼女の恋歌などのビデオが流され、その歌詞について、出演者がこもごもにその魅力を語るという番組である。
 1976年頃、中学生だった息子の部屋の壁に長さ1m、幅50cm位のポスターが貼ってあった。女性が床の上に膝を少し立てて横座りしている写真である。暗いバックに黒い衣装、顔だけほのかに見えて、それがなんと私好みの美人。
 聞くと、それが中島みゆきだと言う。タレントの写真には珍しいそのネクラな写真に引かれて、息子からレコードを借りて聴いたのが「時代」である。
 以来、私は無条件に彼女のファンとなり、息子は中島みゆきを卒業して、さっさとジャズに転向したけれど、私は中島みゆきから卒業することも出来ず、いまだにファンをしている。
 なんたって、レコード時代から深く静かに潜行して30有余年のキャりアを持つファンである。言うなれば長老ファンである。23日のTVに出演していた30代~40代のファンなんて、私から見れば、ファンのヒヨコみたいなものである。
 それに、である。自慢して言う訳ではないが・・・と云いながら、トクトクと自慢するけれど、私は、今年で16回を数える『夜会』の1989年に開催された第1回目のコンサートを見ているのである。スゴイでしょ。
 コンサート会場は、渋谷・東急Bunkamuraの劇場「シアターコクーン」。『夜会』という名前も、会場の「シアターコクン」も、「20時開演」もすっごくお洒落に感じられて、それだけで行きたくなってしまった。
 20日連続で行われるコンサートだけれど、700席あまりの小ホールだから、チケットを取るのは至難の技という前評判だったので、東急関係者にコッソリ頼んでゲット。
 今でも、後生大事にチケットとプログラムを持っているけれど、MR23番。1Fの横1列の席である。周りは、「夜会」にふさわしく、ドレスアップした女性ばかり・・・ならともかく、隣にはいけすかない男付きである。こちとら、男一人でおまけにオジサン。顰蹙を買いながらも、気分はときめいて・・・ウン、みゆきムードにどっぷり!!!
 普通のコンサートと違って、みゆきがお芝居をしながら歌うという、これもお洒落なステージだったけれど、みゆきの演技力にびっくり!!! 
 どっぷり、びっくりの連続だったけれど、アンコールで、ギリシャの女神を思わすような衣装を着て『二隻の舟』を絶唱。これが圧巻!!!
 ところが、プログラムの表紙の裏に小さな封筒が付けられていて、この歌の歌詞カードが入っていた。その時は、
 「ン?」と思ったけれど、数年後『夜会』では,この歌を必ず歌うと聞いて
 「ウン」と納得したものである。この『夜会』の最後のフレーズは

わたしたちは二隻の舟
ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二隻の舟

 中島みゆきは、二隻の舟を自分とファンをに見立てているのであろう。そう、
 「みゆきとそう八さん」と言うように・・・・
 エ?、何? とっても、まったく、ぜんぜん、これっぽちも似合わない、長老ファンが出てくる幕じゃあないって・・・。
 フーン、ザンネン。それじゃあ、二隻の舟は
 「そう八さんと誰かさん(特に名を秘す)」にしよう。
 ウン、これならいいでしょ。 

今年の秋は機嫌がいい

 なんたって、我が愛するジャイアンツが、ついに日本一!!!
 ジャイアンツが優勝を目指して戦っている時、私が加入している合唱団「北九州をうたう会」は、静岡県伊豆の国市で開かれる文化庁・静岡県主催の「第24回国民文化祭・しずおか2009」の「合唱の祭典」に出演して、團伊久磨作曲・栗原一登作詞の合唱組曲「北九州」を歌うことになっていた。
 ウーン、これって大問題である。
 ハムレットは「To be,or not to be,that is the question」と悩んだけれど、私も、ハムレット同様
 「合唱団に参加すべきか、参加せず家でニコニコと我が愛するジャイアンツの優勝シーンをTVで見るべきか、それが疑問だ」
 ・・・てなことで、クヨクヨ悩んでいたら、うちのかみさん、曰く
 「だって、ジャイアンツが優勝するって決まっている訳ないでしょ。負けるシーンを見ることになったらどうするの。大体、そんなことで、ハムレットを持ち出すなんで不謹慎よ」
 うちのかみさんは、いつも正論を吐く。
 アメリカの作家パーネル・ホールが『依頼人がほしい』というミステリィのなかで
 「正論だ。ここがわが妻の大きな問題のひとつだ。彼女は頻繁に正論を吐く」と書いていたが、ホント、パーネル・ホールに同感である。
 私が、カクカクシカジカ理論整然と、我が愛するジャイアンツが負ける訳がないと云っても、うちのかみさんから云えば、それは屁理屈。正論に勝つわけがない。
 かくして、私は国民文化祭に参加した訳だけれど、7日の夜は「合唱の祭典」の出演者交流会。日本の合唱団が一同に会しての大パーテイだから、私、すっかりイイ気分。
 ここだけの内緒の話だけれど、我が愛するジャイアンツは吹っ飛んでしまった。それで、パーティが終わって宿舎の玄関にたどり着いた時、やはりジャイアンツファンである合唱団の大先輩の携帯電話に奥さんから電話。
 「大変!!! 今、9回裏ジャイアンツが2対0でリード」
 2人とも、すっ飛んで部屋に戻りTVのスイッチオン。場面は2アウト打者三振、感激の大シーン。バンザイ、ばんざい、万歳!!!
 我が愛するジャイアンツの優勝のシーンを見ることができた。
 でも、大先輩の奥さんは、わざわざ携帯電話を掛けてきたけれど、うちのかみさんからは音信不通。
 ネ、 これって何? どうもうちのかみさん
 「亭主元気で留守がいい」を満喫していたに違いない。トホホホ・・・。

愛ってなあに?

 28日の朝日新聞の一面広告で財津和夫のニューアルバムの広告が出されていた。
 財津和夫は、私の数少ない大好きな男性アーティストの一人でもあるけれど、アルバムタイトルがいい。
 『ふたりが眺めた窓のむこう』。お洒落でセンスあふれたタイトル!!!
 この広告が出た日、NHKTVの音楽番組SONGSで「財津和夫Part 1」が放映された。
 このアルバムは、彼のオリジナル曲のほかに他のアーティストによる作品提供やコラボレーションもあるそうだが、この日の番組では、ASKAとの曲づくりの過程が撮影され、2人が作った曲『愛していたい』も演奏された。
 ASKAのあの特徴のある歌い方と、財津和夫のやさしい声がマッチして、私、スッゴクご機嫌。ホノボノと誰かさんを”愛していたい”気分になりました。
 このアルバムは『愛』をモチーフにした曲づくりをしているそうだけれど、今、時代は愛不足。このアルバム、きっと受けるだろうなぁ・・・。
 と、いう訳ではないだろうけれど、我がニッポン国のか弱き人たちの期待を担って颯爽と登場した天下のソーリ大臣が、26日に国会で「友愛」をちりばめた所信表明演説を行なった。
 何たって、歴代のソーリ大臣の無味乾燥にして格調高き演説と違って、愛、溢れる演説である。ホント「宇宙人」の名にふさわしい演説で、私のように「愛」大好き人間にとっては、ホレボレするような・・・。
 エ? 何? 「そう八さんの”愛”って、天下のソーリ大臣のいう”愛”とは違うんじゃないの?」・・・て。
 ホント、失礼なんだから・・・。痴性と狂養・・・ン? 変換間違い、知性と教養に溢れた私が、そんなHな愛なんて思う訳がないでしょ。
 「誰もHな愛なんて云っていないのに、ホラ、そう八さん、墓穴掘っちゃた」
 だって、そんな言い方だったでしょ。何だか罠にかかたみたい。
 だけど、私はともかくとして、天下のソーリ大臣は『愛』の意味を分かっているのかなぁ・・・。

愛ってなあに?     田村 隆一

青年のときには

という言葉がぼくには苦手だった
特に詩のなかで

という言葉がどうしても使えなかった
人類や国家や世界を
愛するなんて
ぼくにはできない なぜなら
愛の対象となりうるものは
抽象的なものではないからさ
人 血のリズムによって存在するもの
物 小さな物 その存在によって
人の心に平安とやすらぎをあたえてくれるもの
それだけが愛という言葉にこたえてくれるのだ
その愛によって人は
人類と国家と世界を新鮮な眼ではじめて
見ることができる
あるお嬢さんがぼくにたずねた
「愛ってなあに?」

 ※ 田村隆一ーー1923年~1998年。詩誌「荒地」創刊。軽妙洒脱なエッセイを書くと共に、海外ミステリィの翻訳も多数。上記の詩は、詩集「水半球」より。

女神の音色に染められて

 秋。待望の秋である。なんたって、夏は暑いからキライだし、冬は寒いからキライ。
 だから、必然的に寒くもないし暑くもない春と秋が好きになるけれど、たそがれ時を迎えている私にとって、春はまぶしく華やかすぎて身に余る。
 それに比べると、秋はぴったり。
 そして秋は、芸術の秋。秋は音楽が似合う季節である。
 と、いう訳で、10月3日(土)NHKBS放送で1時間半に亘って放映された『美のメロディー・音楽の女神たち』を見た次第である。
 この番組って凄い! 演奏するのはなんたって”女神たち”。女神ってモチ美人でしょ。だから凄い!!
 そりゃ、素敵な美人と一緒にコンサートに行けたらいいけれど、それって儚い夢。だから、せめて素敵な美人が演奏するのを見るしかない。 
 それに、私は、何故だか分からないけれど、男性のより女性のアーティストの方が大好き!!!
 だから、男は一人も出演しないというこの幸せ溢れる番組を作ったデイレクター、あなたはエライ。きっと、私に似たイイ性格をしているに違いない。
 それに、この番組では、13組のアーティストが出演したけれど、ヴァイオリンの川井郁子でしょ、歌手の平原綾香でしょ、ギターの村冶佳織でしょ。大・大好きなアーティストが3人も出演。
 私は、ホレボレと見とれながら・・・エーット、訂正、ホレボレと聞き惚れながら見た次第である。
 川井郁子は、毎週土曜日の夜、テレビ東京系の番組『ミューズの晩餐』の司会で出演、ゲストのアーティストと1曲だけコラポレーション演奏をしているので、毎週TVで会っているいるようなものだけれど、司会役でしょ。質問が主だから、彼女自身のトークはあまり聴けなかったけれど、この番組ではゲスト。
 だから、司会役の清水ミチコとのトークがいっぱいあって、その彼女の声と素直な話し方に心魅せられ幸せいっぱい。大・大・大好きにランクアップしました。
 最後に、ドボルザークの「新世界より」を川井郁子・平原香織・村冶佳織・上松美香・小林香織・SEASONS・LOVE・Rinaで大演奏。
 女神の美しさと彼女達の奏でる華麗な音色に二重に圧倒されて、ただただうっとり。甘美なひとときを過ごすことが出来ました。
 この番組のデイレクターと女神達の持ち味を引き出して「新世界」をアレンジした作曲家に乾杯!!!
 ウン、秋は寂しさ感じる季節だけれど、暖かな秋色もあるんですね。