清く正しく美しく・・・

 街は、すっかりクリスマスを装って素敵気分。賞味期限の切れた私にも、なにかしら、幸せが舞い降りてきそうな、ときめきの季節。
 私の住む北九州市でも、都心部で「星 ひびき逢うまち 小倉」と銘打って
『小倉イルミネーション2007』が、華やかに冬を彩って光の海を演出。
 神戸のルミナリエほど有名ではないけれど、建物や川沿いの樹木などロケーションを生かしたスケールの大きいイルミネーションは、西日本随一といわれるくらいである。
 ということで、クリスマスに溢れたニッポン国の12月は、まるでキリスト教国になったみたいだけれど、 
「Merry Christmas」と云っても、キリスト教徒ならともかく.、教会に行ってお祈りする人はいないに違いない。
 ニッポンでは、クリスマスは宗教行事ではなくって、冬のお祭りみたいなものであろう。
 昔むかしその昔、私がピチピチしていた頃は、クリスマスとなれば、男性たるものクリスマスパーティ券なるものを買ってキャバレーという所に行き、ベタベタとチークダンスをしたり、アチコチ触りまくったり・・・なんてことはやらなかったことにして、まあ、言うなれば三角帽子をかぶりクラッカーを打ち鳴らしてドンチャン騒ぎをするというのが、ニッポンの正しいクリスマスの過ごし方だったのである。
 ところが、時は流れてファミリークリスマスなどと云う言葉が生まれ、主婦付の男性はクリスマスケーキを買ってスゴスゴと家に帰るようになり、彼女付の男性は、ホテルで身分不相応なるクリスマスディナーなるものを奢らされて、財布をハタクようになってしまった。
 ホント、私は早く生まれて幸せ・・・。
 そういう訳で、我がニッポンのクリスマスは、昔むかしその昔からキリストさま抜きのクリスマスとなっていたのだけれど、ウソみたいなホントの話しだが、私は、教会でクリスマスを過ごしたことがある。
 私が花の東京で華の独身生活・・・ン? 訂正・・・単身生活を送っていた時、若くしてご主人を亡くした同級の(特に名を秘す)彼女から
「そう八さん、クリスマス一緒にしない?」と電話があったことがある。
 彼女は独身、私は下心いっぱいの男性。これって、ひょっとしたら
「アアしてコウしてアアなって・・・イ、ヒヒヒ」なんてことに進展するのじゃないかと思うかもしれないけれど、とかくこの世はままならぬ。
 彼女は、独身なれどピッカピカのキリスト教バブテスト信者、私は下心付なれど女性的見地から見れば人畜無害の男性。かくして
「清く正しく美しく」という進展にならざるを得ない。ホント、神も仏もないというのは、こういうことを言うのであろう。
 ということで、彼女が所属する日野バブテスト教会にでクリスマスを祝ったことがある。
 この時の「クリスマスセレブレイション」のプログラムをご紹介すると

 1 前 奏
 2 賛 美  「もろびとこぞりて」   一同
 3 祈 り                 司会者
 4 聖 書  ルカ2:1~20     岡田姉妹
 5 賛 美                日野教会聖歌隊
 6 講師紹介              司会者
 7 メッセージ              アーサー・ホーランド師
 8 賛 美  「きよしこの夜」     一同

 我が森家には、お盆にはお寺のお坊さんが来て、有り難いお経をあげてくれるけれど、チンプンカンプン。だけど、牧師さんのお話は、神なき私にもよく分かる。「清く正しく美しく」なんてイヤダーと思っていたのに、何故か「ウン、そう。清く正しく美しく」となってしまった。
 このセレブレイションが終わると「交わりの時」。これが目的で来た訳ではないけれど、信者の皆さんが、お手製のお寿司やサンドイッチに料理などを持ち寄って、楽しくパーティ。
「そう八さんは、家庭料理に飢えてるんでしょ。沢山食べてね」と、優しく勧めてくれるけれど
「そう八さん、これを機会に信者になってね」なんて勧めなかったのは、奥ゆかしい・・・のではなくって、
「この人、云ったってムリ」と見抜いていたのかもしれぬ。
 この集いは、12月の中旬に行われたけれど、イブの夜には改めて
「クリスマスイブ・キャンドルサービス」
 これが行われたのは、教会ではなく、目黒区の信者さんのマンション。これが映画に出てくるようなスゴイ豪華マンション。
 グランドピアノが小さくみえるほどの広いリビングルームに、20人ほど集まって三々五々に座り、キャンドルの光の下で牧師さんのクリスマスメッセージを聞いたり、讃美歌を歌ったりして、サンドイッチやドーナツなどをつまみ、それぞれ持ち寄ったクリスマスプレゼントを交換。
 以来、一夜かぎりのクリスチャンとなり、3年続けて教会でクリスマスを祝ったけれど、4年目の春に
「ハイ、それまでよ」と、華の単身生活にピリオドを打ってしまった。義理と人情と女性に弱い私としては、ぼつぼつ陥落しようかと思っていたのに、すこぶる付で残念である。
「ウソばっかり! イイトコ取りして逃げるなんて、ズルイ」なんて、ドキッとするようなことを云ってもらっては困るけれど、ホント、キリストさま付のクリスマスもいいものである。だから、
 ホテルのクリスマスデイナーの予約は取ったけれど、部屋の予約を取るべきか悩んでいる君、
 イブの夜は、指折り数えてどの彼と、どこまで付き合うかと悩んでいるあなた、
 教会は、迷える羊を歓迎するところですから、手に手を取って清く正しく美しく、クリスマスを過ごしたらどうですか?
 エ、何? 「そう八さんと違って、ちゃんと清く正しく美しくやっていますよ」って・・・。
 2007年も、もうすぐTHE END。今年1年、この夢旅人を読んでいただいてありがとうございます。
 来年も、夢を織り上げ人生に恋して、明るく生きていけたらいいですね。
 どうぞ、良いお年をお迎えください。

恐怖の日

 11月25日は、私にとって恐怖の日。「マンション管理士」の試験日である。この試験は合格率7~8%という、落ちて当たり前という恐怖の国家試験である。
 私は、これに3回受験して、なぜか不合格。この試験は民法・区分所有法・不動産登記法・都市計画法・建築基準法・その他うじゃうじゃ有る関係法案から出題されるようになっている。
 それで、私は550頁もある参考書を老眼を酷使して、いささかうんざりしながら・・・エーット訂正、一見猛勉強風を装いながら・・・パラパラのパラと精読し、次に問題集をうっすらハゲ模様の頭を酷使して、ホイホイと解き試験に備えたのものである。
 かくして、私は10%位は分からない所があるものの、ほぼ90%は理解したと自信をもって試験に臨んだところが、なんと不可解なことには、私が理解している90%の範囲からは出題されず、このわずか10%の中からほとんど出題されているのである。
「それって逆で、そう八さんの分かっている部分が10%で、分からない部分が90%じゃないの。分からないところが90%もあったら通る訳ないでしょ、パラパラのパラって精読でなくって通読。ホイホイとカンで解いただけなんでしょ」なんて、人が聞いたら信用するようなことを言ってもらっては困る。これは、試験を受けた私が云っているのだから間違いない。
 私は、もともと「あなた任せ」で「神頼み」大好き人間である。だから「あなた任せ」にして、隣に座ってもらい試験を受ければ大丈夫と思ったが、誰も
「どうして、お前の為に勉強せねばならぬ」と一緒に受験しようとする友人がいない。
 そうなると、後は「神頼み」である。落ちて当たり前の試験だから、1回目・2回目に合格しないのは仕方がない。だけど、3回目は「三度目の正直」という諺があるので、てっきり合格すると思ったけれど、何故か不合格。
「そんなことってある?」と怒ったが、よく考えて見ると「二度あることは三度ある」という諺があったのである。賢明なる私とあろうものが、迂闊であった。
 それで、今年は4回目である。いくら「神頼み」と云っても、なんの根拠もなく「神頼み」しても神様は困るに違いない。そこで神様が安心できるようにと、「三度目の正直」の続編を作ることにした。合格するって並大抵のことで出来るものではない。
 そこで、4回目は「4度目こそ本当の正直」5回目は「5回目となれば掛け目なしの正直」6回目は「6回目は何がなんでも正直」7回目は「7回目はラッキイに正直」8回目は・・・ウーン、私はそう八だし、お年寄りをいたわりましょうというボランティア精神で・・・「8回目の高齢者は合格」ということにした。これだけ、準備を整えておけば、安心して受験できるというものである。
 試験場所は、福岡市郊外にある「九州産業大学」。九州の試験場所はここだけだから、受験者がいっぱい。一見アタマ良さそうな人ばかり。
 大学のキャンバスに行くと、どこの大学でも独特の雰囲気があって、私は大好きである。よく遊びよく遊んだ学生時代を思い出し、もう一度キャンバスに帰り、よく遊びよく遊び・・・ン? 訂正、よく学びよく遊びたいと思うが、とかくこの世はままならぬ。
 私が指定された教室に入ると受験生は100人。30台~40代の人が多いが、うっすらハゲ模様の人が3人。安心した。昨年は私一人だけだったから
「イイ年して、どうせ落っこちるのが分かっているのに、アホじゃないの」とジロジロ軽蔑の眼差しで見られたような気がしたものである。
 隣には、定刻10分前に、顔に聡明感を漂わせた青年が座る。頭に透明感を漂わせた私とはエライ違いである。「あなた任せ」がピッタリ似合う青年だが、ないしろ10分前に知り合ったばかりだから、そうはいかぬ。
 試験時間は2時間。アットいう間にTHE END。正解かどうかは「神頼み」の身であるからトント分からぬが、とにもかくにも終わってヤレヤレ ニコニコ ザマーミヤガレ いい気分。
 でもね、問題は相変わらず摩訶不思議。例えばマンションの設備計画についての問題だけど、
『高層マンションにおける排水立て管の通気方式について、排水を管壁に沿って旋回させて排水の流下速度を抑え管の中心に通気を確保する機能を持つ排水用特殊継手を用いた伸頂通気方式とした』という通気方式は正しいかどうかだって・・・。
 大体、句読点のない長ったらしい文章を読むだけでも大変なのに、苦心して呼んでも、チンプンカンのプン。だから、たちまちプンプン(これは怒っているプンオプン) 
 受験予備校のホームページに模範解答が載るけれど、何問正解したら合格というのでなく、問題が易しい時は合格率が低く、難しい時は高くなるので、官報に来年1月11日発表されるまでは分からない。
 乞う、ご期待。いや、乞う 残念至極。マア、備えあれば憂いなし。8回目まで受ける準備が整っているから大丈夫デス。ご安心のほどを・・・。 

秋深し わたしは何を食う人ぞ

 秋。食欲の秋。天高く馬肥える秋。焼き芋の香り漂い、ついでにオナラも香る秋。
 秋。実りの秋。ピチピチプリンのオッパイが・・・ン? エーット訂正・・・ ピチピチプリンと果物が大きく弾けて実る秋。
 行楽の秋。お土産店で見本のお菓子を、片っ端からつまみ食いする秋。 
 紅葉の秋。春は「花より団子」。勿論、秋は「もみじより饅頭」
 秋。枯葉散る秋。女心と秋の空となって失恋の秋。だからヤケ食いの秋。
 秋。スポーツの秋。日本シリーズの秋。でもジャイアンツが出ないという、とんでもない秋、だからヤケ酒の秋。
 秋。芸術の秋。コンサートの秋。演奏会の途中でお腹がグウグウならないように、お腹を満たしていく秋。でも、お腹いっぱいになると居眠りしそうなので、コーヒーをガブ飲みしてしまい、途中でオシッコに行きたくなる秋。
 秋。美術の秋。美術館でおいしそうに描かれた柿の絵を見たら、連鎖反応で
「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」となり、つい帰りに柿を買ってしまう秋。 
 秋。読書の秋。スナック菓子がピッタリの秋。スナック菓子を際限もなく、ポリポリ食べながら本を読む至極の秋。
 ウーン、どの秋をとっても、どうも飲んだり食べたりしなければいけないらしい。
 エ? 何? それって、ソーハチさんの秋のことでしょ。
 いくら秋とはいえ、そんなに食べたら、メタボリック症候群になっちゃうわよ。
 フーン、そうか。フツーの人は、わびしい秋を送っているんだ。おかわいそう・・・・。
 でも、そう云えばアメリカのジョークに、こんなのがあったっけ・・・。

 両親の若い頃のアルバムを見ていた娘が,母親に聞いた。
「このカッコイイ男の人は誰なの?」
「あなたのお父さんよ」
「ふーん・・・」
 娘は父親の方をそっと指さして、小声で聞いた。
「じゃ、あの禿のデブ男は誰なの?」

 ※ 俳句は、正岡子規の作。ジョ-クは井坂清編「ジョークは人生のスパイス」より

プンプンプンのプンプン

 プンプンプンのプンプン、ついでにもう一つプンプン。念のためにお断りしておくが、これは決してオナラの音ではない。
 私は、プンプンと悲憤慷慨して怒っているのである。すっごく切歯呃腕して怒っている。とにもかくにも七転八倒しながら怒っている。あたりかまわず遺憾千万と怒っている。
 かくして、素敵な秋が来たというのに、私は、すっかり意気阻喪、茫然自失・・・。
 そりゃあ、失恋して意気阻喪、茫然自失するのならまだいいよ。なんたって恋をした証拠なんだから。
 だけど、私の場合は、セ・リーグで優勝した我が愛するジャイアンツが日本シリーズには出場できないという、奇奇怪怪にして前代未聞、空前絶後で驚天動地なアホなことが起きたでしょ。四字熟語を駆使して怒るのも当然であろう。
 なにしろ、前回10月15日のコラムで「ウフフフ、オホホホ、アハハハ」と書いているのだから、私の(>_<)は倍の倍。うっすらハゲ模様の頭から湯気がほとばしり、はるか宇宙の彼方のチチンプイプイ星まで届くやもしれぬ。  秋を表わす言葉は数々あれど、これからは「怒りの秋」を加えることにしよう。  それに、最近のスポーツの世界は、野球にかかわらず、不可解な出来事が多い。ニッポン古来の格式ある相撲でも、外国人横綱が演じる土俵上のヒンのない振る舞いを 「マ、いいか」と見逃しておきながら、サッカーをしたと云って大騒ぎ。  本人は 「マ、いいか」とカールイ気持ちでサッカーをしたのに違いないのだけれど、元はと云えば、そういうカールイ気持を持たせるような育て方をした、相撲業界のオエライさんも悪いのである。  それと、ボクシングの亀田ナニガシ選手にしても、日頃のヒンの無い傍若無人の振る舞いを 「マ、いいか」と黙認してきたにもかかわらず、「スカット爽やかコカコーラ」的負け方をしなかったといって大騒ぎ。  本人から言わせれば、無茶をやっても日頃から許されているので、むしゃぶりついてでも負けまいというガッツな姿勢を示しただけに過ぎないのだけれど、元はと云えば、そういう発想をさせるような育て方をした、ボクシシング業界のオエライさんも悪いのである。  プロ野球業界のオエライさんにしても、金儲け主義のルールを作っておきながら 「出場できないのは負けたジャイアンツの選手が悪いのよ」と云っているし、相撲業界もボクシング業界のオエライさんも、自分のことは棚に上げ、 「みんなお前が悪いのよ」と、上に向かってツバをはいている。  野球にしろ、相撲にしろ、ボクシングにしろ、スポーツ業界のオエライさんはそれなりの「見識」というものを持っていると思っていたけれど、どうも持っているのは 「金儲けの見識」らしい。  でも、見識があると思っていた天下のソーリもプッツンするし、見識あると思っていた老舗のモロモロの会社もラベルを張り替えるし、今や「見識」なる言葉は死語となって,「金識」なる新語が使われているのかもしれぬ。  さっそく、最近改訂版が出された広辞苑で確認してみることにしよう。そして、「怒りの秋」にもう一つ「嘆きの秋」を付け加え、プンプンホロホロ、プンプンホロホロ・・・ホント、忙しいたらありゃしない。 

ウフフフ、オホホホ、アハハハ

 私、ご機嫌!!! 
「ウフフフ、オホホホ、ワハハハ、イヒヒヒ・・・」ーーエッート、イヒヒヒってHっぽい笑いだから、この笑いは止める事にして、も一度、
「ウフフフ、オホホホ、ワハハハ、・・・」
 エ? 何? バカの高笑いは止めた方がいいって・・・。
 ホント、失礼なんだから・・・。これって、マジ真剣なご機嫌笑いである。
 と、云うのは、なんと我が愛するジャイアンツが優勝!!! 
 そう八家は、先祖伝来の由緒あるジャイアンツファンである。2006年4月15日のコラムで「気分は最高」を書き、同年11月1日のコラムで「気分は最低」を書いた私にとって、屈辱の日々を送っていたのが、今年の秋は、しつっこいようだが、
「ウフフフ、オホホホ、ワハハハ・・・」と、 ざまァ、見やがれ、いい気分。
 だけど、である。我が愛するジャイアンツが優勝した試合のTV中継が、なかったのである。
 こんなバカなことってある? 人生は不可解なことに満ち溢れているけれど、こればかりは、訳が分からない。
 たかが、TVのことで・・・などと考えてはいけない。これって、重大な問題である。何故って云えば、はるか宇宙の彼方のチチンプイプイ星人から「地球に棲息しているヒト科の生物の精神構造って、理解に苦しむ」と、又もやバカにされるに違いないからである。
 ホント、これって宇宙の恥さらしである。なんと、嘆かわしい!!!
 それに、今年から、セリーグでも、上位3チームが勝ち抜き選をやって、勝ったチームが、日本シリーズに出ることが出来るって、これまた、アホなことをやるらしい。エイエイと1年間必死で戦って、やっと優勝したと思っても、そこそこに試合をやったチームが日本一になることも有り得るらしい。
 こんなバカなことってある? ホント、人生は不可解なことに満ち溢れていると分かってはいるけれど、こんなに満ち溢れていては、努力を重ねて積み上げてきた「ちょっぴりハゲ模様」が「すっかりハゲ模様」になるかもしれぬ。
 かくして、不可解なことに満ち溢れたニッポンの野球界は、「実力の世界」から「勝負は時の運」の世界に大きく変貌したらしい。
 だけど、「巨人・大鵬・玉子焼き」時代から、もっとむかし昔その昔の「青バット、赤バット」時代からの・・・・と、言っても、分からないだろうなあ・・・伝統を重んじる生粋のジャイアンツフアンである私は、そんなアホな日本シリーズなんて見る訳がない。
 といっても・・・・ウーン、我が愛するジャイアンツが優勝すれば、
「マ、いいか」