エッヘン!!!

わが街 北九州市は「合唱の街」となっていて、世間ではつとに有名である。
ここでいう世間とは、せいぜい市内のことであろうと邪推する人がいるかもしれないが、ケチケチした考えは、このさい捨ててほしい。

200以上はある合唱団の中でも、入会資格が厳しいといわれている合唱団がある。いくら美声を誇ってもダメなのはダメという合唱団である。
その合唱団に、私、昨年入会することが出来たのである。エライでしょと言いたいところだが・・・その入会資格というのは、80歳以下はダメ、80歳以上でなければ入会できないというのが条件である。

そうゆう条件なら、入会の判断基準が違うと言われるかもしれないが、わがニッポン国では、かかる厳しい条件を設定している合唱団はないといわれているほどである。

合唱の指揮は岩崎洋一先生。東京芸大声楽科卒業後、西日本オペラ協会に所属し活動。北九州市少年少女合唱団や多くの合唱団の指導にあたった。福岡県合唱連盟顧問・北九州市音楽協会理事長。

エ、何? そんなプロ中のプロの先生に指導をうけるなんて、シロウト中のドシロウトのジジババ合唱団にもったいないなんて・・・。
ホント、失礼!!! なんたって、メンバーは前美声、元美声、旧美声を誇る人たちばかりである。誇り高きメンバーで決してヒケを取らない。

なんたって、練習は10時から11時までの1時間だけ。1時間以上歌ったらブッ倒れるかもしれないというスタッフの親心・・・ン? 訂正、子心の発露である。童謡唱歌を約10曲練習する。岩崎先生は、「アア歌いなさい」とか、「コウ歌いなさい」とか一切言われない。「良かったですよ」とニコニコして言われるだけである。

エ、何? それって、80歳以上の人に言ったってムリと分かっているから、言わないだけだろうって・・・。
ホント、失礼!!! なんたって、こちとら、前美声、元美声、旧美声を誇る人たちばかりである。1時間でマスターしたつもりになる。ウン、気持ちは持ちようである。

練習は月に1回だけ。11回練習して9月18日の「敬老の日」に市民会館の大ホールでの演奏会に臨むことになっている。メンバーは意気揚々とステージに上がり高らかに歌い上げて大喝采。アンコールまである。

エ、 何? それって上手に歌ったからという大喝采ではなく「敬老の日」だから「お年寄りをいたわりましょう」という大喝采じゃないのって・・・。
ホント、失礼!!! なんたって、こちとら、前美声、元美声、旧美声を誇る人たちばかりである。マジ上手と自画自賛しているのだから間違いない。

演奏会にはNHKほか2局のテレビ局と新聞社も1社が取材。その日の夕方のローカルニュースで大々的に報じられた。NHKでは19時の全国ニュースで、敬老の日に開催されたイベントの一つとしてチッピリだけど取り上げられたほどである。

ネ、分かった? テレビでわが合唱団の美声が流れるほど有名なのである。
エッヘン!!!
人生100年の時代に80歳は中年。ジジババ合唱団なんて言わないでもらいたい。

80歳からの合唱団 北九州2023

母さんって凄い!!!

見ました! 見ました!! 見ました!!!
吉永小百合さん主演の映画「こんにちは 母さん」

私、原則として「ドンパチ洋画専科」だけど、原則あれば例外ありという訳で、ゴジラと吉永小百合さんの映画は、ズズズーイと初めから見ています。

私にとって、吉永小百合さんは永遠の「マドンナ」。だから、彼女がいくら歳を刻んでも「清純でかわいいはるか彼方の夢の女性」なのに、今回はなんとお母さん役。

私って、とっても年寄りでしょ。今度の映画に登場する吉永小百合さんが「清純でかわいい」のには変わりはないけれど、普通のお母さんになった彼女が、なんだか身近な存在に感じられてうれしくなってしまいました。
それに、昭和のレトロをイメージさせる舞台が懐かしく、出演した俳優さんもストーリィもイイトコずくし。山田洋二監督と吉永小百合さんに大大感謝です。

そこで、独断と偏見に満ちた私の感想をどうぞ・・・。

息子役の大泉洋さんは、NHKの音楽番組「SONGS」で軽快な司会をされているのを毎回見ているけれど、彼の映画を見たのは、日本のハードボイルド映画と云われた「探偵はBARにいる」だけなんです。
その大泉さんが、お母さん役の吉永小百合さんに引けをとることもなく、自然に息子役をピッタリ演じてさすが役者さんだと納得。「SONGS」のイメージで見ていて失礼しました。

吉永小百合さんは、亡くなった夫の足袋屋さんを引き継いでやっている一方、ホームレスのボランティアもしているんですね。そのボランティア仲間で、まるで性格が真逆に見えるYOUさんと枝元萌さんが醸し出すたくまざるユーモアにホッコリ。それに孫娘の永野芽郁さんを加えた三人の芸達者な役者さんに囲まれて、吉永小百合さん、幸せいっぱいで演じていました。
この映画、ウハハと大笑いするシーンはないけれど、ホンワカと笑顔を浮かべながら見る映画でした。

空き缶拾いをやっているホームレス役の田中泯さんは力演! ダンサーの田中泯さんを引っ張りだした監督も凄いけれど、ホームレスだって意地があるんだということを見せたり、東京大空襲など思い出させる演出もありました。

艶っぽいシーンもあったんですよ。
「そんな濡れ場を吉永小百合さんさんが演じる訳がない」と憤慨するかもしれないけれど・・・あるんです。

吉永小百合さんが恋人役の寺尾聰さんにあげようと足袋を縫いながら、彼女が成人の日に着物を初めて着たときの話を、孫の永野芽郁さんに話すんですね。
その時、そこにいた足袋職人が「足袋を作ってあげましょう」といって、吉永小百合さんの足の寸法をはかっただけでなく、足の甲を触って感触を確かめたそうです。
その時、吉永小百合さん、
「この人と結婚しよう」と思ったと孫の永野芽郁さんに話しながら、彼女の足の甲をやさしく触ったんですね。永野芽郁さんは思わず
「気持ちいい」と云いながら足を引っ込めたんです。
吉永小百合さんが永野芽郁さんの足の甲を触る指の動きのなんともセクシィなこと・・・。ドッキリ&胸キュン。手の動きでセクシィさを演じるなんて、吉永小百合さんって凄い!!!
エ、何? 「それって勘違いも甚だしい」だって・・・。ウーン、そうかなあ。小百合さん、ごめんなさいね。

孫の永野芽郁さんが吉永小百合さんに、
「好きってこと、告白しないの?」と尋ねた時、「私から言わない」と返事した時の吉永小百合さんの顔の表情の素敵だったこと!!!
「私から云わない」という微妙な心模様が顔に表れていて、とってもホレボレ。そこに僕の好きな吉永小百合さんがいました。

映画の圧巻はラストシーン。
会社を辞め離婚した息子の大泉洋さんが、吉永小百合さんの家に来て
「マンションも売って、ここに引っ越してきたい」と云った時、吉永小百合さんが「まかせて」云いながら見せたはじけるような笑顔!!!
意気消沈の息子に、はじけるような笑顔で答える母さんって、とびっきりとんでもなく凄い!!!
このはじけるような笑顔・・・。ウーン、最高の笑顔。私の心のアルバムからなくなることなどないに違いありません。
それから最後まで彼女の笑顔が消えることはありませんでした。

本来であれば、吉永小百合さんが失恋、息子の大泉洋さんが人生ドン底気分のシーンにもかかわらず、この映画は、何故かほんわかとほのぼのとTHE END.。これって吉永小百合さんの笑顔の魔法の技に違いありません。

最後に一言。吉永小百合さんが恋をしていると知ったボランティア仲間のYOUさんと枝元萌さんが
「恋って、年齢は関係ないのよ」

皆さん、恋をしましょうね。

親って大変!

アツイあついまったく熱い!!!

35度以上の猛暑日が2ケ月も3ケ月も続くなんて、これは猛暑日が夏日になったということである。40度以上が猛暑日とせざるを得ないだろう。
そして、異常気候と云っているが、これが普通の気候となり
「春はポカポカ、梅雨はシトソト、夏はアツアツ、秋はサワヤカ、冬はサムサム」という
「適度なポカポカとシトシトとアツアツとサワヤカとサムサムに恵まれた四季」は今や変貌して
「チョッピリの春と秋、バシャバシャ雨の梅雨、アッチッチの夏、ドカドカ雪の冬」となり、四季がはっきり感じられた気候は、はるかな思い出になるに違いない。

ところで「今日のハードボイルドに恋をして10」は、あなたの自身をターゲットにしたプログです。
「ウン、ウン、そうか」と苦笑しながら読んで、アッチッチと汗をタレ流しながら、終わることを忘れた夏を満喫してください。

 

「会いたいなあ。ほんとうに」と父親は言った。
「かわいい子供らだな」片方はこびとゴジラみたいだし、もう一方は忍者カメだと思ったが、俺はお愛想にそう言った。
扶桑社「最後の笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

通常、彼女たちは若くして両親をなくす。パパは金儲けの疲れで死ぬ。ママはパパと一緒に暮らした疲れで死ぬ。
早川書房「素晴らしき犯罪」クレイグ・ライス/小泉喜美子訳

「十代の娘を持たないうちは、ほんとうの不機嫌がどんなものか、わかりっこない。あなたなんか癇癪の仮免段階にも達していないわ」
東京創元社「地上より賭場に」ジル・チャーチル/浅羽英子訳

「母親というものには、愛だけじゃなくて、悲しむ権利があるのよ」
扶桑社「最後の笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

「・・・つかの間の理想の父親の地位とも、お別れだ。歳月の移ろいはかくも早い」
早川書房「沈黙のセールスマン」マイクル・Z・リューイン/石田義彦訳

「親というものは、子供たちのしあわせとなればどんなことでも、実現の可能性があるような気になって,願わずにはいられないものなんですよ。でも時によっては、親と子は別々でいた方がいいのかもしれませんわね。あの子のこととなったら、わたしはとても諦められそうもありませんけど」
河出書房新社「モデラート・カンタービレ」M・デュラス/田中倫朗訳

母親というのは、予想のつかないこの世の中で、唯一不変のものだと、ウォルターは思う。
角川書店「歓喜の島」ドン・ウィズロウ/後藤由希子訳

(子供の写真を見せられて)
俺はそのとき、世の中には大きなクラブみたいなものがあって、娘が生まれると同時に俺たちも入会したのだ、と悟った。親同士にはマフィアや、フリーメイソンや、原理運動の支持者のように、確認サインか、秘密の言葉か、特定の話題に対する変質的な関心があるらしい。
扶桑社「最後の笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

親の愛情、とりわけ母親の愛情というものは、いつもかなしい。いつもかなしいというのは、それがつねに「片恋」だからです。
新潮文庫「両手いっぱいの言葉ー413のアフォリズム」寺山修司

(兄貴が死に)
「おやじとおふくろには大ショックだったんだよ。・・・子供は兄貴とぼくだけで、そしておやじとおふくろがぼくを見るたびにこう考えているのがよくわかるんだ。つまり、どっちか一人を死なせなくっちゃならなかったのなら、どうしてあの子じゃなくちゃならなかったんだろうて。そしてそれが二人の眼に表れてしまってて、二人ともそのことを知ってて、ぼくが二人のその気持ちに同感していることを二人は知ってて、それでもって二人はぼくにすまないと思っていて、そしてぼくはその二人に対してどうすることもできないんだ」
早川書房「小さな土曜日」アーウィン・ショー/小泉喜美子訳

俺にも娘が一人いる。申し分のない女の赤ん坊だ。名前はアンナ・ジュヌヴィエーブ。家でマリーにあやされている。いや、マリーは恐らく居眠りをしているだろう。生まれたときはETみたいに醜かった。しかし、口にしたのは一度だけだ。マリー・ロールはアンナが生まれたとき美しかったと思っている。それに首をかしげれば、赤ん坊に対する愛情まで疑われるから恐ろしい。マリー・ロールは娘と恋に落ちた。しかも分娩室の中でだ。
扶桑社「最後の笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

どうする荘八

私、ホトホト困りぬいている。

私の趣味は、超平凡な読書、音楽鑑賞、映画、登山※・・・は卒業し、今や落ちぶれて「80歳以上の歩こう会」。トボトボと歩いている。

むかし昔の私の現役時代の定年は55歳。
定年退職後に趣味のない夫は、妻が出かけようとすると必ず「ワシも付いて行く」という 「濡れ落ち葉症候群」となり、「濡れ落ち葉離婚」につながるとの恐ろしい話があった。

自称「遠望深慮」の私はかくてはならじと、定年後は録りだめたミュージックテープをBGMに読書にいそしむことにしようと計画。
かくして40代から60代までに、私好みの全集の発行予告の新聞広告が出れば、見境もなくなじみの本屋さんに注文し、各巻が出版されるごとに配達してもらったのである。

30数年前に家を建て直し、私用の小さな部屋の壁一面に書棚を作り、3つの本箱や収納箱に分散していた全集やミステリー等の単行本等を収納したところ、全集だけでなんと書棚の半分を占めてしまった。かくして買い集めた全集は全て函入りで12セット、なんと227冊。

私、口をアングリ。長年にわたってチビチビ注文していたので、書棚の半分を占めるような部数になっているとは思わずに・・・茫然自失。
読むことも出来ないのに、気がつかず買い続けるなんてアホ丸出し。バッカじゃなかろうか!!!・・・と悔やんでも、時すでに遅し。
わが不肖の息子いわく「あれは、お飾り」

つらつら考えるに、55歳で定年になっても、一日中読書にいそしむ訳ではない。毎日のメシ、フロ、新聞以外に夜は家族団欒で一緒にTVを見たり、女房と「アアでもないけどコウでもない」と不毛の会話をしなきゃならない。
それに撮りためていた映画や音楽番組のDVDも見なきゃならないので、よくよく考えたら、全集など読む暇はないのである。

悪いことは重なるもので、55歳定年の予定が71歳まで働き続け、ようやく夢の「毎日が日曜日」になると胸を弾ませた途端、待ってましたとばかり、4団体からお呼びがかかり、
「マ、いいか」と軽い気持ちで引き受けたところ、トンデモハップン!!! 現役時代の最盛期と同じようにハチャメチャに忙しい毎日を送る羽目になってしまい、ズズズーイと、読書とはほど遠い世界に身を沈めてしまった。

いずれ死ぬまで生き続けていくだろうが、書棚半分の全集をしみじみ考察し、人生の残り時間を推察の末、従前から決めていた読む優先順位第1位の「世界ミステリー全集」18巻と第2位の「世界SF全集」35巻は、何が何でも読了することにして、「老いては子に従え」に基づき、残りの全集は「本棚のお飾り」と苦渋の決断をすることにした。トホホホ・・・。

ところが困ったことには、面白い新刊本が出版されたらついフラフラと買ってしまうという悪癖があるものだから、それを優先して読んだ結果、「世界ミステリー全集」18巻の内読んだのは14巻までで「世界SF全集」はゼロ。

実をいうと、この全集ものの惨めな結果は、新刊本のフラフラ買いのせいでもあるが、ホント言うとハードボイルド好みの私にとって「世界ミステリー全集」は、私の好みの範疇外のミステリーが多いのである。

それでも「世界ミステリー全集」を読んでいるのは、大金を払って買ったからには「読まなきゃソンソン」という私の根っからのケチ精神と「読まなきゃナラヌ」の義務感のため言えよう。

実は、机の上にツン読の本が5冊・・・単行本でローレンス・ブロックの「皆殺し」&マイクル・クライトンの「ライジング・サン」&矢崎泰久と和田誠の「夢の砦」&文庫本のジャナ・デリオンの「どこまでも食いついて」にアシュリー・ウイーヴァーの「金庫破りときどきスパイ」が、読まれるのを待っているのである。

85歳となっても、いまだに「天下晴れての素浪人」となっておらず、自治会会長とパソコン講座の講師をやっている始末なので、残り僅かな人生は、
なけなしのポッケトから無理して算出した全集だから、意地でも初志貫徹!!!。フラフラ買いなど浮気はやめて、せめて「世界ミステリー全集」と「世界SF全集」だけでも読了させるか、
それとも「遠望深慮」の結晶などクソくらえと・・・エート、これってヒンがないから訂正・・・「遠望深慮」の結晶など蹴っ飛ばし、フラフラ買いを実行して好きな本に徹した読書にするか、
「どうする?」と困りぬいている。

※ 登山ーーーこのプログの「空の彼方の空遠く」をご参照ください。
※ ためこんだ全集ーーー世界ミステリー全集18巻(早川書房):世界SF全集35巻(早川書房):異色作家短編集12巻(早川書房):世界教養全集38巻(平凡社):業書 文化の現代13巻(岩波書店):現代の詩人12巻(中央公論社);漱石 文学全集11巻(集英社);谷崎潤一郎訳 源氏物語11巻(中央公論社);図鑑 日本の歴史18巻(集英社):20世紀シネマ館6巻(KODANSHA):現代世界美術全集20巻(集英社):精選 名著復刻全集ー明治・大正時代の名作を復刻した単行本が33冊。これって、私の小遣いの限度を超えているので12回の月賦払い(日本近代文学館)ーー以上12セット 227冊。

その時が来た

今日は8月15日「終戦記念日」。最初の頃は正直に「敗戦記念日」といっていたが、いつのまにやら「終戦記念日」に代わってしまった。

「終戦記念日」とは、単に戦争が終わった日である。
物は言いようである。「敗戦」などという言葉は、どうしても「残酷な負け戦や過酷な戦災」が付きまとうから、そうゆう思いは忘れ去ってもらわねばならぬというわがニッポン国の頭脳明晰にして深謀遠慮なオエライさんがいたので「終戦記念日」となったらしい。

戦争を体験した年代の人がいなくなったら、わがニッポン国の頭脳明晰にして深謀遠慮なオエライさんの思う壺となるのかもしれぬ。

しかし、8月9日の長崎平和祈念式典で鈴木長崎市長が「平和宣言」で引用した「赤い背中」の谷口祾皣さんの言葉のように、悲惨な原爆のことを忘れてはならないし、平和を唱え続けていかねばならぬ。

「過去の苦しみなどを忘れ去られつつあるように見えます。私はその忘却を恐れます・・・」 

石垣リんさんの詩「雪崩のとき」に書かれているように、もう「その時」が来ているんでしょうか。そして、仕方がない、仕方がないと
あきらめるしかないのでしょうか、

雪崩のとき   石垣りん

 人は
 その時が来たのだ、という

 雪崩がおこるのは
 雪崩の季節がきたため、と。

 武装を捨てた頃の
 あの永世(えいせい)の誓いや心の平静
 世界の国々の権力や争いをそとにした
 つつましい民族の冬ごもりは
 色々な不自由があっても
 またよいものであった。

 平和  永遠の平和
 平和一色の銀世界
 そうだ、平和という言葉が
 この狭くなった日本の国土に
 粉雪のように舞い
 どっさり降り積もっていた。

 私は破れた靴下を繕(つくろ)い
 編物などしながら時々手を休め
 外を眺めたものだ
 そして ほっ、とする
 ここにはもう爆弾の炸裂(さくれつ)も火の色もない
 世界の覇(は)を競う国に住むより
 このほうが私の生きかたに合っている
 と考えたりした。

 それも過ぎてみれば束の間で
 まだととのえた焚木(たきぎ)もきれぬまに
 人はざわめき出し
 その時が来た、という
 季節にはさからえないのだ、と。

 雪はとうに降りやんでしまった、
 降り積もった雪の下には
 もうちいさく 野心や、 いつわりや
 欲望の芽がかくされていて
 “ すべてがそうなってきたのだから
 仕方がない ” というひとつの言葉が
 遠い嶺(みね)のあたりでころげ出すと
 もう他の雪をさそって
 しかたがない、しかたがない
 しかたがない
 と、落ちてくる。
 
 ああ あの雪崩、
 あの言葉の
 だんだん勢(いきお)いづき
 次第に拡がってくるのが
 それが近づいてくるのが

 私にはきこえる
 私にはきこえる。

  
※ 石垣りんーー19200年 -2004年。東京府生まれ。銀行員として働きながら定年まで勤務した。代表作に「表札」。 第19回H氏賞、第12回田村俊子賞、第4回地球賞[1]受賞。