アアでもないけれどコウでもない・・・

 我がニッポン国のソーメイなソーリは「日本人の命と平和な暮らしを断固として守る」というスーコウな決意を固め
 「平和安全法制整備法」及び
 「国際平和支援法」の2法案を決定。それと共に、従来定めていた諸々の法令を纏めて
 「重要影響事態安全確保法」とすると共に、一旦コトが生じた時モタモタしないで直ちに出撃できるように
 「我が国の領海及び内水で国際法上の無害通航に該当しない航行を行う外国軍艦への対処について」と
 「離島等に対する武装集団による不法上陸等事案に対する政府の対応について」と
 「公海上で我が国の民間船舶に対し侵害行為を行う外国船舶を自衛隊の船舶等が認知した場合における当該侵害行為への対処について」も定めることにした。・・・・アア、疲れた、これだけ書いただけでも大変、ネ、コレ読んだだけでもヤヤコシイってこと分かるでしょ。
 法律の業界用語ってスゴイんだ。どうも、まわりくどく書かなくちゃいけないらしい。
 「無害通航に該当しない航行を行う外国軍艦」と云うのは、まあ「有害な航行している外国の軍艦」ということだろうけれど、お役人は簡単に書くとフツー人と同じと見られそうだから、頭が良いことを示するためにヤヤコシイ書き方をするに違いない。
 ホント、頭が良くないと、こんなヤヤコシイ書き方は出来ないことがよく分かりました。ハイ。
 そして、我々平平凡人が、見ただけでヤヤコシイそうだからと思わせ、読む気を失くすようにしているに違いありません。

 この法案が上程されると「アアでもないけれどコウでもない」と議論百出。憲法に違反していると言われても
 「それは見解の相違デス」と、シレッとかわして泰然自若。でも、我々平平凡人は「ン? どうなってるの?」
 「個別的自衛権」と「集団的自衛権」なんて、これの境目など解釈次第で右にも左にでもなるものだろうから、いくらエンエン議論したって正解が出るわけじゃないでしょ。それに「重要影響事態」なんかも、情勢が変われば解釈も変わる可能性があるでしょ。
 だから、こんなヤヤコシイ法律は作らず正々堂々と憲法を改正して、我がニッポン国はアメリかに守られているから義理は果たさねばならぬという訳で、すっきりくっきり
 「一旦、ことあるときはアメリカと共に戦う」と明確にすれば、解釈の余地もなくなって「アアでもないけれどコウでもない」なんて云われないと思うんだけどなァ。
 エ?何? 「そう八さんって、バッカみたい、そんなことしたら、憲法改正方式は反対が多くてオジャンにある可能性があるでしょ。だから、ソーメイなソーリは諸々の解釈自在な法律を作って、アアでもないけどコウでもないとネタがなくなるまで議論させ、最後は民主主義の原点に基づき粛々と多数決すれば、初志貫徹・万々歳でしょ。だから、憲法改正方式なんてムダな方法はとらない訳。そう八さん、こんなことまで分からないの?」
 フーン、そうなんだ。さすが我がニッポン国のソーリは、我が国の未来を託されているだけあってソーメイなんだ。エライんだ。

 誰かが「アベノミックスはアホノミックス」って言っていたけれど・・・これって間違い?

しとしと雨はどこに?

 梅雨である。
 梅雨を表す言葉はいっぱいあって、五月雨(さみだれ)、芽花流し(つばなながし)、田植雨(たうえあめ)、麦雨(ばくう)、猫毛雨(ねこげあめ)、水取雨(みずとりあめ)、短夜の雨(みじかよのあめ)・・・とたくさん。
 ホント、日本語って美しいですね。優しく風情があってこんな言葉で表現される梅雨なら、そして私の大好きな小泉今日子の「優しい雨」など聞いたりすると、

心の隙間に 優しい雨が降る
疲れた背中を そっと湿らせてく

群れをなす魚たち
少し 楽し気に
駅に向かって走ってく

こんなに普通の毎日の中で
出会ってしまった二人
降りしきる雨にすべてを流して
しまえたらいいけれど・・・

 ムードに弱い私は、「梅雨大好き」となりそうだけれど、トンデモハップン!!!
 しとしと降る雨の中を、相合傘でしっとり濡れながら歩くならともかく、最近の雨はズボンや靴をグチョグチョに濡らして、傘が風に飛ばされないように必死で歩くドカドカ雨でしょ。
 だから、梅雨は大嫌い。大大嫌い!!!
 気象庁気象研究所の過去100年のデーターを見ると、4時間雨量が50ミリ以上の雨が増加し、1~2ミリの弱い雨が減ってきているそうである。
 1900年から1940年頃までは弱い雨が多く、それから1980年頃までは弱い雨も強い雨もほぼ同じ割合、それ以降は強い雨が比較にならないほど多いということである。ウーン、実感。
 このままでいくと、梅雨と云う字は死語になるやもしれぬ。
 そして、俵万智に詠われたような世界は、なくなるんでしょうね。

サ行音ふるわすように降る雨の中遠ざかりゆく君の傘

マナコにいっぱい新緑を・・・

 5月17日から「船上から見る日本列島一周ゆったり船旅 8日間」という長ったらしいタイトルのツアーに参加した。
 私、そんなつもりじゃないけれど、今年はなんと77歳の喜寿。それに3月には、自治連合会の仕事にもエンドマークを打つことが出来て、我が生涯初めて「毎日が日曜日」が実現。「ゆったり船旅ツアー」なら、目下ゆったり気分溢れる私にピッタリと思い参加した次第である。
 船旅と云ったってゴージャスなクルーズ船ではなく、フェリーだけれど全て5階~6階にあるバス・トイレ付の個室。ピッカピッカの新造船やフェリー・オブ・ザ・イヤーを連続受賞している船もあり、映画の上演や演奏会も開かれてクルーズ船に乗った気分でした。ウン、私ってなんと安上がり。
 船に乗ったのは北九州市から大阪、舞鶴から小樽、仙台から名古屋、大阪から鹿児島の志布志と船中4泊。泊まったホテルは小樽とは函館と岩手の花巻温泉の3泊。豪華な温泉ホテルばかりで、露店風呂は有ったけれど、残念ながらというか、当然ながらというか混浴はナシ。
 津軽海峡はトンネルをJRを利用して渡り、後はバスを利用して、アチコチ観光地をホイホイと巡り、また次の港から船に乗る仕組みになっているのだけれど「船上から見る日本列島」のつもりが「船上から見る???」
 船に乗ったらズズズーイと我が日本列島の海岸線を見ながら航海すると思ったら大間違い。右を見ても左を見てもズズズーイと海ばかり。
 よく考えてみたら、15000トン~20000トン級の船だから、陸に近づけて航海する訳ないよね。「船上から見る海に囲まれた日本列島一周のゆったり船旅」として貰わなければならぬ。
 だけど、どの船の後尾には展望デッキがあって、ツン読していた796頁の「日本探偵小説名作集」の半分位まで読むことが出来た。果てしのない海ばかり見ていると、俗人たる私はたちまち退屈するけれど、読書の合間にふと目を上げると海が見えるというのも、なかなか優雅なもので、日本列島見えなくっても「マ、イイか」気分になったものである。
 船の食事は朝も夜もバイキングである。生まつきケチ気分に溢れている私は、当たりかまわず食べまくり、帰って体重を計ったら2キロオ-バー。後悔後に立たず。どうしよう・・・。
 小樽から洞爺湖を通り函館に行く途中と、青森から奥入瀬渓流を経て十和田湖に行く道は、新緑がマナコいっぱい眩しくに輝いて、みずみずしい若葉のトンネル。九州では見られない風景に「スゴーイ」を連発してきました。
 でも、なんたって一番驚いたのは、青森のバス駐車場で、横に泊まったバスを見た時。なんと熊本の貸切りバス。エンエン九州からバスで北の端まで来るなんて「エラーイ」と感嘆の声を挙げたら、なんと
 「バスでまわる日本一周22泊23日の旅」
 バスの添乗員さんも、こんなツアーは初めて聞いたと云っていたけれど、スゴーーーイ!!!
 移動は同じバス、泊まるのは必ず一流のホテルか旅館だそうで、なんとも贅沢にして骨の折れるツアーみたい。こちとら「船上から見る日本列島一周ゆったり船旅 8日間のツアーです」なんて恥ずかしくって言えやあしない。 
 お金と体力勝負のツアーだろうけれど、私って、どうみてもムリムリのコンコンキチみたい。ウーン、ザンネン。
 道中、雨に降られることもなく、北海道の温度差も感じることがなかったのは、多分、私の日頃の行いが良かったせいであろう。
 どう? 私を誘って旅をしませんか。天候保証付きです。ハイ。

牛は超然として押して・・・

 朝日新聞に夏目漱石の「それから」が連載されているけれど、我が北九州市立文学館でも夏目漱石没後99年を記念して特別企画展「夏目漱石ー漱石山房の日々」が開催されることになり、その開会式が5月2日に開かれた。
 来年が漱石没後100年。来年は各地でいろいろなイベントが開かれるだろうけれど、我が北九州市は、全国に先駆けて漱石没後99年展を開催。これって、すっごくニクイ発想ですね。きっと今川英子文学館長の発想だろうけれど、スゴーイの一言。
 漱石展を開催するくらいだから、我が街北九州と漱石とは、なにか特別な関係があると思うでしょ。ところが、漱石が熊本第五高等学校時代に、北九州市に1泊して別府に行ったという関係だけ・・・たったこれだけのささやかな関係だけで、公益財団法人日本近代文学館・県立神奈川近代文学館・公益財団法人神奈川文学振興会・岩波書店・小宮豊彦の資料を収蔵する福岡県みやこ町歴史民俗博物館等から、ズラズラーと貴重な資料を出品してもらって開催にこぎつけたというのも、これまたスゴーイ・スゴーイ。
 これもきっと、今川英子文学館長の努力の賜物でしょうね、きっと。
 開会式には、北橋北九州市長の挨拶の後、中野梅光学院大学学院長の祝辞があり、今川英子文学館長の挨拶があったのだけれど、その中で今川館長がつらく苦しい時に、漱石の有名な「むやみにあせってはいけません。牛は超然として押して押していくだけです。うんうん死ぬまで押すのです」という言葉を先人から聞かされ、そして立ち直ったという話を涙ぐみながら話されたのが印象的だった。
 私のような平平凡人からいえば、とっても偉い文学者である今川先生も、そんなナイーブな面があるなんてと、親近感溢れた気がして・・・などと言ったら叱られるかもしれませんね。ごめんなさい。
 「牛は超然として・・・」という言葉は、漱石が芥川龍之介に出した書簡の中の文章だけれど、私などは「ウンウン押して・・・ダメ」なら、ハイ諦めますという根性ゼロタイプだから、こんなの言葉を聞くと「ギクッ・・・」としてしまう。
 田中慶太郎さんの「命を磨く言葉」というプログに、この言葉を引いて「人生に即効薬を求めるな」と書いてあったけれど、現代は、政治の世界も含めて「せっかち過ぎる」みたいである。ホント、せっかち人間でもある私は牛になりたい。
 最後に、劇団「青春座」の上西昭南さんが、漱石の「草枕」の冒頭部分の朗読があった。「山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角がたつ・・・」という有名な書き出しの部分は有名だけれど、上西さんが朗読された最後の箇所について、これも、冒頭の文章のように名言と思ったので、ここに記すことにします。

 世に住むこと20年にして、住むに甲斐ある世と知った。25年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。30の今日はこう思うている。――喜び深きとき憂いはいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り離そうとすると身が持てぬ。片付けようとするとすれば世が立たぬ。金は大切だ、大事ものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい。嬉しい恋が積もれば、恋せぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。充分食えばあとが不愉快だ。

 ネ、名言でしょ。 
開会式が終わって石田忠彦鹿児島大学名誉教授から「愛を追う漱石」と題して記念講話があった。
 漱石を「人生ウンヌン・・・」から話されると、カタイ話に弱い私はムズムズしてくるけれど「恋・愛」大好き人間の私だから、胸をときめかせて聞いたのは言うまでもない。
 漱石が追い求めた愛のテーマとして、漱石の作品を「神秘的な愛」「現実の愛としての姦通」「愛と嫉妬と我執」に分けて話されたが、漱石歿して99年、永遠のテーマであることに改めて感じた次第である。 

 この企画展のために「没後99年 夏目漱石ー漱石山房の日々」と題して66頁の小冊子が発行されたけれど、これがコンパクットの纏められていて、いっぺんに漱石通になってしまった。どうもありがとう。

※ 今川英子ーー北九州市立文学館館長。林芙美子研究の第一人者。著書に「林芙美子巴里の恋」(中央公論新社)など。「林芙美子全集全16巻」編集。他に共著、論文、エッセイなど多数。

恋の原点

 5月がスタート。私が一番好きなミュージシャンは井上陽水。そして陽水の曲の中で一番好きな曲は「5月の別れ」
 だから、私の好きな季節は5月。  

5月の別れ

風の言葉に諭されながら
別れゆくふたりが5月を歩く
木々の若葉は強がりだから
風の行く流れに逆らうばかり

鐘が鳴り花束が目の前で咲きほこり
残された青空が夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる

 陽水が好きなのは、彼が紡ぐその歌詞。爽やかなメロデイにのせてこの歌詞が流れると、まさにピッタリ5月がいっぱい。

 そしてゴールデンウイーク!!!
 バンザイばんざい万歳・・・と、云ったのは、むかし昔のそのまた昔の話。
 いい加減年寄りの私にとって、あまり関係のない話だけれど、どこか行かなきゃソンソン気分になるから不思議である。
 と、云う訳でTVニュースは、空港も駅も旅をする人がウジャウジャといっぱい。どうも、景気が良くなったみたいである。

 あなたも、そのハッピイな一人?

 とは云え、アベノミックスとはほど遠い世界に住んでいる恋人達は、そう、馬場あき子の短歌のように

温かき春の河原の石しきて背中あはせに君と語りぬ

 と、ここは名所旧跡でもなく、レジャーランドでもなく、なーんにもない河原だけれど、それでもしみじみと幸せ感じる気がします。
 ウン、これって恋の原点!!!
 ネ、素敵でしょ。お金や暇がなくっても大丈夫デス。

※ 馬場あき子ーー1928年生まれ。歌人、文芸評論家。短歌結社「かりん」主宰。日本芸術院会員。歌集に「暁すばる」など。