矢倉岳~ハラ泣くの巻

1996年12月の目黒ハイキングクラブ(MHC)ファミリー山行は箱根矢倉岳。バッチリと富士山が眺められるというので、富士山大好き人間の私としては、無論「行く! 行く! 」である。
それで、ルンルン気分でAm1時に寝たところ何故かしらねどおなかがグルグル鳴り出しトイレに駆け込んだ途端、ベートーベンの「運命」よろしくジャジャジャジャーンと、おなかの中のものが一挙に出てしまった。時、正にAm3時。
ところが「これって、何?」と思う間もなく、アンコールに応えてまたもやおなかグルグルのジャジャジャジャーンである。ベートーベンの「運命」を聴くのは大好きだけれど、お尻で演奏するのはあまり好ましいことではない。まして、アンコールだなんて、とんでもない話である。
第一、お尻がヒリヒリする上に、ほのかなる残り香がそこはかとなく漂うトイレに、またもや滞在しなければならぬ。かくして、素敵な彼女とアアしてコウしてアアなる夢を見る暇もなく、またたく間に夜が明けてしまった.
朝である。おなかグルグルは止まったようなので、ヒリヒリ尻に怯えながらもトイレに再度挑戦したものの何も出てこない。おなかの中は、どうもスッカラカンのようである。腹が減っては戦は出来ぬ。しかしながら、失うものの多かりし我が人生なれど、私には増えてきた下腹の出っ張りという唯一の強い味方がある。
おなかの中はカラッポでも、おなかの外ははち切れんばかりに充実している。だから「マ、いいか」ということにした。
集合場所の自由が丘駅のホームに行くと、みな一斉にこちらを見る。一見大歓迎風である。私もそれに応えるべく自称百万ドルの笑顔を浮かべようとしたが、どうも様子が違う。なんだか非難めいた眼差しである。
すると島内さんが、大声で一言「遅刻だよ。チコク!」
メンバーは男性10人に女性8人。飛び入りで参加の女性が2人。金本さんのお嬢さんと永山さんの友人。金本さんのお嬢さんは一見「華原朋美」風。よくよく見てもやっぱり「華原朋美」風。どう見ても「ムサクルシキ山登り」風には見えぬ。お母さんが「MHCは小室哲哉風のステキな男性がいっぱいいるわと」と言って、送り出したに違いない。
しかし、貴重な日曜日である。さぞかしアチラコチラの男性の誘いを断るのが大変だったろうと同情する。
永山さんの友人宇川さんとは、電車の中で隣り合わせに座る。これを機会にMHCに入ったらと勧めるが
「永山さんのように、いつも登れないから」と遠慮される。
「僕だって年にウン回しか参加しないオチコボレだけれど、ちゃんと豚汁3杯お代わりさせてくれるから大丈夫だよ」と大いに説得する。 しかし、後で考えると女性に豚汁3杯食べてもいいよと言って口説いたのは、どうも逆効果だったような気がする。こんなことだから私の恋が実ったためしがない。
電車を乗り換え取り返えして新町田駅に着きバスで矢倉沢へ。身体をガタピシいわせながら体操をして9時30分出発。
なにしろ総勢18人である。団体様のお通りといった風情でゾロゾロ登る。トップがMHCの旗を掲げていないのが残念である。
矢倉岳を望みながら、ミカンの段々畑を抜けて昇るが憧れの富士山はチラとも見えない。話によると最後に劇的に登場すると言う。あまり早く登場すると矢倉岳に登らずにサッサと帰ってしまうから、最後に登場するということであろう。
気分は「ミカン狩り風」でミカン畑を通り抜け、給水タンクを通り過ぎると杉林。いよいよ本番である。気分は「山登り風」となり、我が愛するおなかはグルグルいう代わりにスカスカと頼りないことこの上もない。前回登った三頭山はハナ咲く・・・いや訂正・・・ハナ流れる山登りであったが、今回はハラ泣く山登りである。
途中、小休止が3回。その時、チョコレイトとキャンデイで泣きっ面のおなかをダマシつつ、豚汁を思い浮かべながら、ヨレヨレと登る。
そして、11時15分。ついに頂上。ドーンと富士山。
トッペンまでゼーンブ見える。これぞ「ザ・富士山」である。ヒリヒリ尻もスカスカ腹も忘れてアングリと口を開けて富士山を見る。無論、口をアングリ開けたのは、早く豚汁を食べたいと思って開けた訳ではない。ウン、ニッポンに生まれて良かった。
そして待望の豚汁。普通は3杯食べて食い溜めを行うのであるが、なにしろスカスカ腹である。突如として食べると、又もや「運命」のジャジャジャジャーンが始まるのが怖くって2杯で止めることにした。ウーン、この日の富士山の素晴らしさとマイナス1杯の恨みは生涯忘れることはないであろう。食い物の恨みは恐ろしいのである。
Pm12時30分。富士山をお供に下山開始。1時間も歩くと、和歌を彫り込んだ石碑の点在する万葉公園に着く。万葉公園にはトイレもあるが、ナント我が愛するおなかはグルグルとも言わない。こんなことなら、豚汁をもう一杯食べるのだったと悔やまれる。ウン、何度も言うようだが食い物の恨みは恐ろしい。
しかし、その代わり、我が優しきMHCの女性軍が甘酒を振る舞ってくれる。しみじみと美味しい。心とおなかに沁み渡って幸せ・・・。どうも私の人生は、食い物によってすぐ左右されているようである。
それから、足柄新道を歩き無事地蔵堂のバス停に到着。そこからバスで新松田駅に行き、ひとまず解散。ご苦労様という訳で、食堂風飲み屋に行き乾杯!
と、ここまでは良かったけれど、ビールが我が愛するおなかを刺激したらしく、なんだか気分はブルーである。だから早めに失礼して電車に乗ったものの今度は胸グルグルである、おなかが胸にバトンタッチしたらしい。西山さんが
「大丈夫?」と、心配してくれる。だけど、なんとか乗り切って無事新宿着。ヤレヤレ、「運命」のアンコールもやらずに済んでホント良かった!
リーダーと豚汁・甘酒を用意して頂いた女性に感謝!!!

1997年1月 記

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