先生と呼ばれている政治家と医師と教師は、むかし昔その昔、その権威は、天に向かってそそり立っていたものである。
だから、アチラの常識はコチラの非常識、コチラの常識はアチラの非常識となっていても、センセイ方は我々フツーの人と違った世界に住んでいるのだから、
「マ、仕方ないか」と思っていたものである。
ところが、時は流れ
登校を しぶる息子は 現役教師 ※
と、教師もフツー人化し、医師も
「仁術から算術」となって、これまたフツーの人となり、幸か不幸か同じ世界に住む人となってしまった。
そして、政治家も
「政治家から政治屋」と職業化してしまったので、フツーの人になったのかと思ったものの、権謀術数に長けた政治屋さんは、
「アチラの常識はコチラの非常識、コチラの常識はアチラの非常識」という領域は死守。依然として別世界に住んでいる。
ところが、である。今度、天下のソーリが、突如として辞めてしまった。一同
「アゼン」として、
「何故?」と呆気にとられてしまった。
そこで、マスコミはアアでもないけれどコウでもないと騒いでいたけれど、これって、深い訳がある訳ではない。単に
「プッツン」しただけであろう。プッツンするのに、右顧左眄・遠謀深慮など関係ある訳がない。
「モウ止めた。プッツン」である。
だけど、プッツンするのは若者だけと思っていたのが、なんと、天下のソーリのプッツンである。
私だって、時折、プッツンしたいと思っても、なんたって、痴性と狂養に溢れている・・・ン? これって変換間違い。・・・エーット、知性と教養に溢れている私のことである。プッツンなど出来る訳がない。
と、思っていたのが大間違い。天下のソーリでさえプッツンするのだから、究極の凡人である私がプッツンして悪い訳がない。
だから、今後は、夜中にオシッコに3回も行ってアッタマにきたらプッツンし、、映画館で横に座ったカップルがイチャイチャしてアッタマにきたらプッツンし、回転焼きのアンコがいつもより少なかったのでアッタマにきたらプッツンし、写真を写してもらったら、うっすらハゲ模様がすっかりハゲ模様風に写されていたのでアッタマにきたらプッツンし・・・もう、ホント、プッツンするネタがつきることがない。
エ? 何? 知性と教養に溢れているそう八さんが、そんなどうでもいいことで
「アベしちゃったらおかしい」って・・・。
「やはり、痴性と狂養に溢れているんじゃないの?」って・・・。
だって、天下のソーリと究極の凡人とは、アッタマにくるレベルが違うのは当然のコンコンキチである。誤解してもらっては困る。冷静に判断してもらわなければならぬ。
そういう訳で、天下のソーリがプッツンして、フツー人化した思ったら、これまた、大間違い。
一般的にフツー人は、コレだけの大騒動を引き起こしたら、単に
「ごめんなさい」と謝るだけでなく、
「責任を取って議員を辞めます」と云うのが当たり前である。
ところが、天下のソーリは、
「ごめんなさい」で終わり。責任は取らないらしい。どうも、プッツンしたからといって、フツー人になった訳ではなく、
「アチラの常識はコチラの非常識、コチラの常識はアチラの非常識」という世界に住んでいるみたいである。
どうも、アチラの世界はプッツンしても、無責任OKという素敵な世界らしい。
しかし、なんたって天下のソーリが身をもってお示しあそばされた行動である。見習って悪いはずがない。今後は遠慮なく
「アベする」ことにして、後はシレーットとして
「ごめんなさい」ですませることにしよう。
※第一生命が2007年に募集した「私が選ぶサラ川柳100句」に選ばれたスクールカウンセラーさんの川柳