福岡みやこ会総会でのスピーチ
1999.2.6 レストラン福岡オープンキッチンにて
只今、ご紹介頂きました森荘八でございます。
私、10年ほど東京で単身赴任していまして、昨年秋に九州に戻ってきたんですが、10年も東京で単身赴任していますと色々言われましてね。
九州の連中からは、私の東京のマンションの歯ブラシ立てには、歯ブラシが2本立っているのではないかとか、東京の連中からは、私の家の表札をひっくり返すと他の男の名前が書いてあるのではないかとか、いろいろ脅されたりしたんですが、おかげさまでハッピイに東京をサヨナラすることが出来ましたし、帰って我が家の表札をひっくり返して見ましたが、他の男の名前も書かれておらず平穏無事に九州に戻ることができました。
それで、これからはこの会にも出席させて頂きますので、お見知りおき下さいますようよろしくお願い申し上げます。
ところで、結婚式などで主賓のテーブルスピーチというのがありますが、主賓の挨拶の時には皆さん真面目な顔をして聴いているのですが、テーブルスピーチというのは、皆さん飲みながら食べながら、かつ隣の人としゃべりながら、とかく忙しい訳ですから聴くふりをして、誰も話なんか聴いていないんですね。
だから、話す方も、どさくさまぎれに話せばいいと言うことになっている訳ですけど、今日は、どうも皆さん、主賓の話を聴くような雰囲気でして、ホント弱りましたね。
と、いうのは、私、今日は「恋愛に定年なし」というタイトルで軽くお話しようと思いまして、ちゃんと原稿まで書いて用意してきたんですけれど、こういう雰囲気なら「恋愛に定年なし」というフザケタ話でなく「人生に定年なし」にでもすれば良かったんですが、時すでに遅しという訳で仕方ありません。この「恋愛に定年なし」という不真面目なタイトルでお話したいと思いますので、皆様も、そんな真面目な顔でなく、不真面目な顔をして聴いていただきたいと思います。
ところで、私、大勢の人の前で離すことには割りと慣れておりましてね。と、云うのは、会社に居りました時、開発関係の仕事をしておりましてね。いつも、地方で地元説明会と言って20~30人から100~200人の人の前でお話をすることが多かったんです。
その時、うまくいくかどうかは、女性が大勢来ているかどうかにかかっていることが多かったんですね。大体、難しい仕事の話をする訳ですから、会場は緊張感でピンと張りつめているんです。
だから、こちらとしては、面白い話をして緊張感を緩めようとする訳ですが、男性は大体、上目づかいに私を見ましてね、都会の奴には騙されないぞという顔をして、ちらっとも笑わないのですが、女性はわりと、こちらのユーモアを受け取って笑ってくれるんですね。
すると、会場の緊張感がほぐれて話し合いが出来る雰囲気になる訳です。それに、私、美人の笑顔に弱いものですから、美人が笑ってくれますと、私の方も調子が出てきて、まずは目出度し目出度しとなる訳です。
それで、今日の会場ですけれど、女性が多いようでまずは一安心ですが、問題は美人が居るかどうかとなる訳ですけど、私、名前を荘八というのですが、荘八でなく嘘っぱちという噂があるんですが、それは大いなる嘘っぱちでありまして・・・エート、本当に、今日の会場は、ウーン、まあ現美人は少ないようですが、前美人元美人旧美人も多いようですから、張り切ってお話することにしましょう。
でも、美人であれば誰でもいいという訳でもないんですね。私にも苦手の美人がいましてね、どういう美人かと云うと化石美人。化石美人というのは、超おばあちゃんというより超おばーーーーーあちゃんでしてね。顔に石が張り付いているみたいで、いくら面白いことを云ってもちらっとも笑ってくれないんです。私の方をジロリと睨みましてね、そうなると、私、次の言葉が出なくなる位でして、ホント、今日は化石美人が居られないようで安心しました。
ところで、私達の母校で毎年「ときわ会」という同窓会の総会が開かれていますけれど、もう10年前だったと思いますが、私達9回生が当番の時の総会にジェームス三木を呼んだんですね。
その時のジェームス三木の講演内容はもう忘れてしまったんですが、その時ただ一つだけ覚えていることがあるんです。どういう事かと申しますと、こういう同窓会が終わったら、恋の一つや二つ、必ず芽生えると云ったんです。
卒業しても仕事や結婚や子育てに追われて、同窓会に出るのは10年や20年ぶりという事はよくある話ですが、普通10年や20年たって会う訳ですから、お互いにおじさんおばさんになっている訳ですね。一般的に云って、20代ならともかく、30代40代の年代の男性と女性がばったり出会った途端、恋が芽生えるなんてことは普通あり得ないことなんですね。
ところが、元同級生同士だとこれが起こるんですね。いくら目に前に居るのが現おじさん現おばさんでも、頭の中には高校生時代の顔がインプットされていますから、お互いにおじさんおばさんには見えないんですね。
だから、ジェームス三木の言うとおりと思いますが、残念ながら卒業して10年20年後に再会する訳ですから、お互い結婚していることが多い訳で、かくして元同級生同士の恋は不倫が多いというのが相場になる訳です。
不倫というと、大抵いやらしいとか不潔と云われますし、本人達も後ろめたいというイメージが有るんですが、5年ほど前ですが『マジソン郡の橋』という本が出されて不倫のイメージを一掃したんですね。
この小説はベストセラーになり映画化されて、TVでも放映されたようですので、ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、この小説は、ダンナと二人の子供のいる45歳の田舎のおばさんと、たまたま立ち寄った52歳の旅のカメラマンとの4日間の燃えるような恋を描いたものなんですね。
この女性、フランチェスカと云うんですが、彼女の死後、彼女の日記を子供達が見つけるんですね。
そして、最初はたいへん驚き悩む訳ですが、不倫とかいやらしいとか思うのではなく、自分達のお母さんがこんな燃えるような恋をしたなんて、すごく素敵なことだし、むしろ誇りに思うと考え直してその日記を公表するという、ノンフィクションの形を取った小説なんですね。
この小説で、清く正しく美しい不倫であれば、不倫ではなく恋である、という事になりましてね、かくして、全国、津々浦々に不倫という鈴の音がリンリンと鳴り渡ることになってしまったんですね。
私、この小説を読んだ時、女性ってなんとスゴイと思ったんですね。何しろめくるめくるような激しい恋をしても、カメラマンが立ち去った4日後には途端に普通の野暮ったいお百姓のおばさんに戻ってしまい、ご主人や子供にはまったく気付かれずに終っちゃう訳ですね。
これが、私なら、きっといやらしい笑いを浮かべて、鼻毛など抜いたりしましてね、たちまちうちのかみさんにバレてしまうと云う事になるんでしょうけど、ホント、女性って恐ろしいですね。
この時、フランチェスカ45歳、カメラマン52歳。それまでの恋愛は、男は50歳代でも相手の女性は20歳代か、せいぜい30歳代どまりだったんですね。それが、この小説で、恋する女性の年齢が10歳もレベルアップしまして、40歳代の女性でも恋が出来るという事になったんですね。その意味でも、この小説は画期的と云われた訳なんです。
それで、この小説が出された時、新聞やブックレビューで取り上げられたんですけど、ある批評家が
「女性が恋が出来るぎりぎりの年齢を書いた小説」と書いたんですね。
しかし、それを読みまして、女性の強い味方である私はカチンときましてね。どうしてかと云うと、女性が恋が出来る限度が45歳ということは、46歳以上の女性は恋は出来ないと云うことになるじゃないですか。これって、女性に失礼ですよね。
それに、私のお付き合いしている女性で50歳代の人って沢山いるし、ここだけの話ですけれど、私、あわよくばそういう女性と恋の一つや二つしようと思っているのに、そんな女性と恋は出来ないなんて云われると困ってしまうじゃないですか。
それで、50歳代の女性でも恋は出来るんだという証拠を見せてやろうじゃないかと思いまして、福岡みやこ会の校友会誌に『切なさを刻んで・・・』という小説を書いたんです。
これは、50歳代になった元同級生同士が、卒業後初めて再会し恋をするという不倫小説なんですけれど、二人は結ばれずに終わっちゃうんですね。
この主人公の男性は、東京で単身赴任していることにしまして、ヨガの教室で彼女と再会するんですが、私、ヨガをやっていましたし、それにノンフィクションスタイルで「私」という一人称を使って私小説仕立にして、いかにも私が経験したことを書いたようにしたんですね。
それで、雑誌が出来てヨガの皆さんに見せたんですね。ところが、小説の中に出てくるレストランなどは、ヨガの仲間と一緒に行く所の本当の店の名前を使って書いたものですから、あの小説は本当のことを書いたものだと錯覚されましてね。それで、「そーはちさんの相手になった女性は誰か」と犯人探しが始まりまして大変だったんです。
ところが、九州の同級生の間でも同じように「荘八の不倫の相手は誰だ」と云うことが話題になったようでしてね。でも、それだけならいいですよ。もっと、凄いことを云われたんですよ。遠慮を知らぬ私の悪友からは、
「荘八よ、お前な、相手の彼女と一発やったんだろう。お前のかあちゃんに悪いから書かなかったんだろうけれど、本当は一発やったんだろう」と。
これには、参りましたね。私は、50歳代の清く正しく美しい不倫小説を書こうという高尚な目的を持って書いたのに、一発やったかどうかということが議論の的になったなんて、もう私、泣きたくなった位です。
私、東京に行く前からヨガをやっているんですけれど、私の友人は、どうも遠慮を知らぬ上に独断と偏見にも満ち満ちていましてね。私がヨガをやっていると云うと、女性のピチピチプリンのレオタード姿を見たくって行っているんだろうと、こう云うんです。
ここで、念のためお断りしておきますけれど、ヨガで開脚といって座った姿勢で両足を左右一杯に広げるポーズがあるんですが、そういう時は、しっかりと目をつぶりましてね、しっかりと目を開けてじゃないんですよ、しっかりと目をつぶることにしている位でありまして、私、あくまでも健康のために行っているということになっておりますので、誤解なきようにお願いしたいと思います。
ところで、私の小説は50代の恋を書こうという高尚な趣旨に反して、不発に終わったんですけれど、その後、不倫小説の傑作が出されまして、これはもう皆様ご存知と思いますが『失楽園』ですね。
この小説は、最初、日本経済新聞の朝刊に連載されたのですが、私、固い新聞は苦手なものですから、家では日経を取っていないんです。しかし、会社では取っていますので、私、8時には会社に着いているんですが、最初に日経の『失楽園』を読むんですね。
ところで、この小説、究極の愛を描いたということになっていますが、これって、分かりやすく云えば、やってやってやりまくるという小説なんですね。
このやってやってやりまくる小説を、私、朝の8時から読む訳ですが、そりゃ仕事をやってやってやりまくろういう小説ならいいですよ。それなら、皆が出勤してきた時、
「今日も元気で頑張ろう。エイエイエイ!!!」とゲキを飛ばす事も出来るんですが、なにしろ、めくるめくことをやってやりまくる小説ですからね。
あれは、爽やかな朝の光の下で読む小説ではなかったですね。
日経が、この小説を連載したのは大ヒットだったんですが、あれは朝刊に載せるのではなく夕刊に載せるべきだったんですね。
仕事が終わり街にネオンが灯る頃、夕刊が配達されてこの小説を読むということになりますと、きっと俺も負けずに頑張ろう・・・・と、まずは目出度しめでたしとなるはずなに、ホント、残念ですね。
この小説に出てくる主人公は52歳と37歳。女性の年齢が『マジソン郡の橋』の40歳代から30歳代に戻ってしまったんですが、この小説は女性が女盛りのピークの時に死ぬという言うのが一つのテーマになっていますので、仕方ないかもしれませんが、昨年、又もや、女性の年齢が40歳代にレベルアップした不倫小説が映画化されましてね。
吉永小百合さんが出演した『時雨の記』です。この映画の原作は20年位前に出版されていて、ベストセラーにはなっていないのですが、知る人ぞ知る不倫小説なんですね。
しかし『失楽園』と違い、やってやってやりまくらないと云う、私から見ますとアホじゃないと思われる位、まったく何にもしないという、これぞ清く正しく美しい不倫小説なんです。
この『時雨の記』と『マジソン郡の橋』の女性の年齢が40歳代、男性が50歳代。そういうことから考えますと、どうもこの年齢あたりが恋の限界じゃないかということで、やっぱり恋愛に定年あり、恋愛60年定年説が出てくるということになる訳ですね。
それに、我々男性は、年を取ってきますと、女性と違って肉体的なハンディが出てきましてね。上半身にある下心は、やってやってやりまくれイケイケドンドンと鐘や太鼓を打ち鳴らす訳ですが、下半身の出先機関は一向に言うことを聞かないと云う、いたって悲惨な状況を呈しましてね。
もう、男性がオスでなくなってしまうんですね。下半身の出先機関は単なる排泄機関に成り果ててしまうんです。
こういうことから考えても、恋愛60年定年説が正しいということになりかねない訳ですけれど、ところが吉永小百合さんが雑誌「文芸春秋」の10月号に「時雨の記・究極の恋愛」というタイトルで、とっても素敵なことを書いているんです。
どういうことかと申しますと『失楽園』は肉体を通じて極限まで愛し合い、そして幸福の絶頂で心中するというストーリイなんですね。
しかし『時雨の記』は、ただ一緒に居るだけで安らぎと充実感を得るという幸福の絶頂ではないけれど、幸福な状態がづっと続くのだから「心中しない心中」を描いているんだと云っているんですね。
私達は、セックスのない愛はありえないと教えられた年代ですが『時雨の記』が肉体関係はなくっても、それを超える大きな愛、豊かな愛があるんだと言っているですね。
さすが、吉永小百合さんですね。私、イイ年をしてこんなこと云いたくないんですが、「キューポラのある街」以来の吉永小百合のファンでしてね。彼女の出る映画はビデオやTVではなく、お金を払って全て見ていますし、映画評論家が何と云おうと、吉永小百合さんが出る映画は全て名画だし、彼女の言うことは全て正しいと信じている位のサユリストなんです。
それで、その我が愛する吉永小百合さんによりますと、性を超越した愛こそ究極の愛であるということになる訳でして、そうなると恋愛60年定年説はなくなり「恋愛に定年なし」ということになる訳です。
良かったですね。ホント、これで61歳の私も正々堂々と恋愛が出来ることになりまして・・・。
これを云いたいばかりに、私、ここに出てきた訳でして・・・。
ところで、福岡に美人の作家で高樹のぶ子という人がいますが、彼女が
「10代、20代の恋愛は結婚とか育児とか、人生のプランニングの中に組み入れなければならない。しかし、40代、50代は生活や社会への責任を終えて純粋に恋愛が出来る」と云っています。熟年こそ、恋愛適齢期という訳です。
しかし、家庭生活が人生の表側の日常であるとすれば、恋愛は裏側の日常とも云えるんですね。若い恋は、この表側と裏側を一致させることが出来ますが、熟年の恋は、表側と取るか裏側を取るかというこのになりかねないんですね。
それだけに、魔力も危険も潜んでいますし、奥深く厄介な物と云えるんでしょうけれど、恋は心を芳醇にし人の心の痛みを知る場でもあるんです。だから、分別の付く年代になってこそ、純粋な恋ができるのではないかと思います。
マジソン郡の本の中で作者が言っていることがあります。
「日に日に無神経になっていくこの世界に、私達は、かさぶさだらけの感受性の殻にこもって暮らしている」と。
そんなかさぶただらけの感受性を打ち破り、1度きりの人生ですから、心ときめかす密かな思い出を持ってもいいのではないかと思います。
まして、人が人を好きになる、こんなシンプルでピュアな心の動きを誰も悪いと言うことは出来ません。
そういう訳ですから、男性はオスでなくなっても、女性はおなかに階段が出来ようとも、恋は身体ではなく心でするものです。
恋に定年はありません。安心して恋していただきたいと思います。
以上で、私の話は終わりですが、最後にお願いがあります。この話の最初にジェームス三木の話を紹介しました。今日ここにお出での女性の方で、ジェームス三木の話を是非実現しようというお考えの方が居られましたら、その時は、是非「もりそーはち、もりそーはち」をお忘れなく。
それでは、これで終わります。