今日は8月15日、75周年目の終戦記念日。と、云っても75歳以下の人には、ピンとこないかもしれませんが、私、生誕82年目ですので、ちょっぴりピンとくる年齢です。
それで、今日のプログは「終戦記念日」といってもピンとこない方々のために・・・ウーン、長い文章だけれどポイしないで読んでくださいね。
今は亡き浄土真宗本願寺派の大谷嬉子前裏方が1953年本願寺で行われた「戦没者追悼法要」で献歌された短歌があります。
千万のいのちの上に 築かれし たひらけき世を 生くる悲しき
千万の命のうえに築かれたわがニッポン国の平和。先の戦争での戦死者は230万人、民間人では国内で50万人、国外で30万人、合計310万人と言われています。
その戦没者の数は、あまりにも多すぎて想像を超え言葉を失います。この戦争で亡くなられたかけがえのない命とその無念な想いを、詩人石垣りんは心に刻み「弔詞」を書きました。
弔詞 石垣 りん
職場新聞に掲載された105名の戦没者名簿に寄せてここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる。
ああ あなたですね
あなたも死んだのでしたね。活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。悲惨にとじこめられたひとりの人生。
たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。1945年3月10日の大空襲に、母親と抱き合って、ドブの中で死んでいた、私の仲間。
あなたはいま,
どのような眠りを、
眠っているだろうか。
そして私はどのように、さめているというのか?死者の記憶が遠ざかるとき、
同じ速度で、死は私たちに近づく。
戦争が終わって20年。もうここに並んだ死者たちのことを、覚えている人も職場に少ない。死者は静かに立ち上がる。
さみしい笑顔で
この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発とうとしている。私は呼びかける。
西脇さん、
水町さん、
みんな、ここに戻って下さい。
どのようにして戦争にまきこまれ、
どのようにして、
死なねばならなかったのか。
語って
下さい。戦争の記憶が遠ざかるとき、
戦争がまた
私たちに近づく。
そうでなければ良い。8月15日。
眠っているのは私たち。
苦しみにさめているのは
あなたたち。
行かないで下さい 皆さん、どうかここに居て下さい。
※ 掲載した短歌は北九州市小倉北区にある浄土真宗本願寺派小倉御坊「永照寺」の「永照寺だより」Vol149号おり引用。
※ 石垣りんーー1920年~2004年。日本興業銀行に定年まで勤務。銀行員詩人と呼ばれた。掲載した詩は1968年に刊行された代表作「表札」に収録されている。「表札」は翌年「H賞」を受賞。