6月19日は父の日。
私には当然ながら父がいたし、今や、私にも子どもがいるから、当然ながら子どもの父でもある・・・と、断言出来るけれど、アメリカのジョークに
「ねえ、ジェーンの赤ちゃんは母親似ですって」
「よかったねぇ。父親似じゃなくって」
ね、この意味分かる? 深読みのこと ・・・ ウーン、女性はコワイ!!!
ところで、私の父は1976年に亡くなったけれど、なんたって35年前である。幸か不幸か、その頃は「父の日」なる習慣がなかったから、何を送るべきかなんて、悩むこともないままに、今や悩まれる存在になってしまった。
そして「父の日」が近くなると
「言葉で表せない感謝の気持ちを送ろう」なんてキャッチコピーが街に氾濫し、世間の賢明なる息子&娘は、買わなきゃダメダメ気分にさせられてしまう。
だけど、いつも感謝の気持ちを持っていれば、それは言わずとも伝わることだし、感謝の気持ちをわざわざ『物』に代えてプレゼントする必要はないと思うけれど、我が貧しきニッポン国の経済発展のためには・・・エーット、商売人の商魂を満たすためには、そんな不遜ことを言ってはならぬ。
まあ、父なる存在は、6月19日にはそりゃまあチヤホヤされても、翌日からは、父から夫に転落し
巷では、ひそかに
「亭主元気で留守がいい」とか
「濡れ落ち葉」とか
「粗大ゴミ」とか
「産業廃棄物」とか言われているらしい。
昔むかし、私が子どもだった頃は、父の威厳は厳として聳え立つっていたけれど、今や、地に落ちてしまったらしい。
そこで、もうひとつアメリカのジョークをどうぞ。
「わが家では些細なことは妻が決め、重要なことはおれがきめるんだ」と自慢するボブに、友だちがきいた。
「じゃ、奥さんはどんなことを決めるんだい?」
「車をいつ、どんなやつに買い換えるか、子供をどこの学校へ入れるか、つぎはどこへ引っ越すか、といったようなことさ」
「えっ。それできみが決めるのはどんなことかい?」
びっくりする友だちにボブが答えた。
「アメリカはイラクと和解すべきか、共和党は次期大統領候補を誰にすべきか、というようなことだ」
※ 井坂清編 「ジョークは人生のスパイス」から引用。