28日の朝日新聞の一面広告で財津和夫のニューアルバムの広告が出されていた。
財津和夫は、私の数少ない大好きな男性アーティストの一人でもあるけれど、アルバムタイトルがいい。
『ふたりが眺めた窓のむこう』。お洒落でセンスあふれたタイトル!!!
この広告が出た日、NHKTVの音楽番組SONGSで「財津和夫Part 1」が放映された。
このアルバムは、彼のオリジナル曲のほかに他のアーティストによる作品提供やコラボレーションもあるそうだが、この日の番組では、ASKAとの曲づくりの過程が撮影され、2人が作った曲『愛していたい』も演奏された。
ASKAのあの特徴のある歌い方と、財津和夫のやさしい声がマッチして、私、スッゴクご機嫌。ホノボノと誰かさんを”愛していたい”気分になりました。
このアルバムは『愛』をモチーフにした曲づくりをしているそうだけれど、今、時代は愛不足。このアルバム、きっと受けるだろうなぁ・・・。
と、いう訳ではないだろうけれど、我がニッポン国のか弱き人たちの期待を担って颯爽と登場した天下のソーリ大臣が、26日に国会で「友愛」をちりばめた所信表明演説を行なった。
何たって、歴代のソーリ大臣の無味乾燥にして格調高き演説と違って、愛、溢れる演説である。ホント「宇宙人」の名にふさわしい演説で、私のように「愛」大好き人間にとっては、ホレボレするような・・・。
エ? 何? 「そう八さんの”愛”って、天下のソーリ大臣のいう”愛”とは違うんじゃないの?」・・・て。
ホント、失礼なんだから・・・。痴性と狂養・・・ン? 変換間違い、知性と教養に溢れた私が、そんなHな愛なんて思う訳がないでしょ。
「誰もHな愛なんて云っていないのに、ホラ、そう八さん、墓穴掘っちゃた」
だって、そんな言い方だったでしょ。何だか罠にかかたみたい。
だけど、私はともかくとして、天下のソーリ大臣は『愛』の意味を分かっているのかなぁ・・・。
愛ってなあに? 田村 隆一
青年のときには
愛
という言葉がぼくには苦手だった
特に詩のなかで
愛
という言葉がどうしても使えなかった
人類や国家や世界を
愛するなんて
ぼくにはできない なぜなら
愛の対象となりうるものは
抽象的なものではないからさ
人 血のリズムによって存在するもの
物 小さな物 その存在によって
人の心に平安とやすらぎをあたえてくれるもの
それだけが愛という言葉にこたえてくれるのだ
その愛によって人は
人類と国家と世界を新鮮な眼ではじめて
見ることができる
あるお嬢さんがぼくにたずねた
「愛ってなあに?」
※ 田村隆一ーー1923年~1998年。詩誌「荒地」創刊。軽妙洒脱なエッセイを書くと共に、海外ミステリィの翻訳も多数。上記の詩は、詩集「水半球」より。