嗚呼、国葬

お葬式なるものは、大小にかかわらず、数多く見てきたけれど、国葬を見るなんて、賞味期限寸前・・・ではなくて、使用期限寸前の私にとって、最初で最後のチャンス。だから胸を弾ませて・・・エート、訂正、お悔やみの心を込めてテレビを見た次第です。ホントです。ハイ。

式典で、大型モニターに8分にわたり流された安倍元総理を讃える映像や、岸田総理のアレコレ良いこと尽くしの弔辞に加え、友人代表としての菅前総理の声を震わせながらの追悼の辞をテレビで見ていると、
「安倍さんって、国葬にふさわしい他に類を見ない偉大な政治家だったんだ」と、思ってしまいました。ホントです。ハイ。

外国から来られた方々は、この3本立ての追悼演出を見て「国葬反対が半分以上いるなんて信じられない。ニッポン国民はアホじゃないか」・・・とまで考えなくても「偉大な政治家」と確信して帰ったに違いありません。

特に菅前総理は、ツンツクツンのツンツンで木で鼻をくくったような返事をする人というイメージがあるでしょ。それが心を込めた言葉で、トツトツと話すものですから・・・ウーン、とっても気持ちが揺すぶられて・・・驚天動地!!!

これが、真の菅前総理の姿なら、自身のことを「ガースーです」と紹介された通り、親しみを込めて菅前総理のことを「ガースー」と呼び「原稿タダ読みの菅総理」なんて呼ばなかったに違いありません。

特に、山県有朋が伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」を紹介して、
「深い哀しみと、寂しさを覚えます」と話したときは、胸キュンでした。ホントです。ハイ。

大体、エライ人の演説はスピーチライターが原稿を書き、エライ人はそれを読むだけという仕組みになっているみたいです。
それで、菅前総理の追悼の辞も、きっと誰かが書いたのだろう・・・なんて、あらぬ疑いをもってはいけません。

国民の大半が国葬反対と言ってるのに、聞く耳を持っているはずの岸田総理がこれを強行。チョンボしたものだから、早くも次期総理は菅さんという声が起きているそうです。

「追悼の辞は本人が書いたもの」だし、「原稿タダ読みの菅総理」なども返上して、きっと、心のこもった政治をやるに違いありません。大いに期待しましょうね。ホントです。ハイ。

エリザベス女王の国葬と安倍元総理の国葬は、違っていて当たり前ですが、イギリスの国葬の荘厳さに目を見張りました。
日本の国葬は、イギリスより多額のお金をかけていますので、日本らしさを感じさせる古式豊かな国葬になると思っていたのですが、儀仗隊の出番を除くと単に「大きなお葬式」にとどまり、特別な演出はありませんでした。
はるばる来日した外国の方たちに「さすが日本の国葬は違う」と、思わせたかったのに残念です。

イギリスでは、弔問に訪れる市民のために、仮説トイレを設置しボランティアも飲み物など用意していました。そして参列した皆さんも整然と何時間も並んでいるのに、わが国は、献花する人たちの並び方さえその場しのぎで、最終列がどこか分からないというお粗末な対応になっていました。

どうも、わが国ではエライ人が来る式典にだけ気を取られ、式典の外にいる「安倍元総理を心から悼む人たち」にも心を配らなければいけないのに、ほったらかしにしてしまったようです。聞く耳をもつだけでなく、シモジモにも気配りを忘れないで下さいね。

ここで、アメリカのミステリー作家 ラりー・バインバートの「最後に笑うものは誰だ」の一節をどうぞ。.

(父のことを葬儀で褒めたたえるので)
「・・・なぜ、飲んだくれだったと言わないのだろう。そう言ってくれれば、少なくとも父のことを言ったことになるのに、わたしたちがこれから埋葬する人が誰かがはっきり自覚できるのに、と思ったわ。ときどき母を打った、となぜ言わないのだろう。おおむね善人だったというのはいい。でも、一生を通じて来る日も来る日も善人だった、瞬時たりとも悪人ではなかった、とは到底いえない人だったわ。

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