荒船山~THE最高

 1997年10月22日、バスハイク。今日は目黒ハイキングクラブ(MHC)のメンバーだけではなくて、他の山岳会や一般の人も参加するという区民ハイクである。多くの美人との出会いに・・・ン? 訂正・・・多くの人との出会いに胸をときめかせて、集合場所の目黒駅に急ぐ。
 バスはマイクロで2台。我がMHCは一般参加の人たちと同じバスである。さっそく乗って見渡すといるいる前美人に元美人旧美人! それに、エーット、現美人も・・・ア、いたいた。ホントウである。取ってつけたように書いてあると誤解されては困る。真打を最後に登場させただけであって、決して他意ではない。
 私の隣のシートは金元さん。笑顔がやさしいチャーミングな女性である。それにかてて加えてなんと名前が金元さん。「金は天下のまわりもの」と言うけれど、お金は何故か私を迂回して廻っているらしく、まったく私の側に来てくれたことがない。
 それがまあなんと、私の横にお金の元の人がいる! こんなに近くお金が近寄ってくれたなんて、ホントにもう千載一遇の一生に一度のラッキイチャンス。
 私が、金元さんにピッタリ寄り添って座ったのは言うまでもない。内山峠まで3時間もしっつこくひっついて座っていれば、天下の大金持ちはおろか、天下の大富豪になるかもしれぬ。これぞ「THE ヤッター!」の気分である。
 ところがである。とかくこの世はままならぬ。次の日から1週間というものの、私はキョロキョロと、下ばかり見て歩いてみたものの、ついに百円も拾うことが出来なかった。これは、きっとバスが山道を右に左に曲がる度、私の身体が金元さんから離れたのに違いない。
 ホント、私は天下の大金持ちになりそこね誠に残念無念。まるで恋をした途端に失恋したようなものである。
 バスは定刻に出発し、私の日頃の行いが良いせいであろう、渋滞もなくスイスイと進み、峠の茶屋に9時45分に着く。オシッコ休憩である。食堂のトイレは使えないというので、男は地球のトイレを使う。要するに立ちションベンをする。
 お店には、果物や野菜がいっぱい。それに絶体絶命に安い。なんと焼イモも一個100円也。絶対買う。しかしながら、ツラツラ考えると今から山登りである。私のオシリの後ろには誰かの顔がある。焼イモを食べればプウーとオナラが出るのは自然の摂理であろう。それが後ろの人の顔を直撃するとなれば、それが前美人か元美人か旧美人かそれとも現美人だったら、私はもう生きてはいけない。これはタイヘンである。
 私は焼イモを持ってしばし立ちすくんだものの、たちまちこの難局を乗り越えることが出来た。要するに、焼イモを3つに割り3人で分けて食べればいいのである。
 「プウー オナラ。皆でやれば怖くない」という理論である。これならばプウー オナラがそこはかとなくアチコチに漂い、私がプウー オナラをしたかどうか、分かりっこないはずである。
 なんと、私は頭がいい!
 しかし、私はそんなことはコレッポチも考えていないような顔をして
 「これ、おいしそうだから食べて・・・」と、2人に渡したのは云うまでもない。
 ところが、周りを見渡すと焼イモを買った人は、皆、分け合って食べているではないか! どうも、考えることは皆、一緒らしい。
 「なんと、私は頭がいい」と言うのは撤回するとしよう。
 取りあえず、出すものを出し入れるものを入れたら出発。トモ岩の150mの大絶壁が、紅葉の枝の間から見え隠れするのを「スゲー」を連発しながら内山峠に着く。
 さっそくストレッチ体操をして10時30分にスタート。参加者は52名。これだけの人数になると、登山と言うより遠足という雰囲気である。ワイワイガヤガヤと出発する。落ち葉の絨毯を踏んで歩く。フンワリと足に伝わる枯葉の感触が心地よい。緑の中に沁みるように鮮やかな赤と黄のトンネルの下をカサコソと枯葉が舞って、ウーン、これぞ
 「THE 秋」という感じである。
 山道はなだらかな勾配だが、登ったと思ったら下り坂になり、これの繰り返しである。本来ならば地球の引力に逆らってエンヤコラと登ったのに下るなんて、まったくアッタマにくる話であるが、この山はアッタマにくる寸前で下り坂が終わるので、なんとなく誤魔化されつつスイスイと登ってしまう。なんとなく、要領のいい山である。ウン、私にピッタリの山なんてことはチラとも考えずに一見「努力して登っている人風」に登る。
 12時を過ぎおなかをすかしつつ歩き、ようやく尾根に辿り着く。そこからは平坦な紅葉の林の中を歩く。ウーン、これぞ「THE ステキ」という感じで、ノンビリノホホンと歩きたいところであるが、ハラが減っては戦が出来ぬ。気分はノンビリノホホン足はソソクサとなる。
 すると、すぐにトモ岩に着く。バスからトモ岩を見た時は「スゲー」だったけれど、トモ岩を下から見ると「スゲー」だけではすまされず「スゲー」+「オッソロシー」となる。
 ここで写真を撮るともう荒船山頂。12時40分。万歳ばんざいバンザイ!
 早速昼メシ。先行して登っていた我がMHCの6人のメンバーが、もう豚汁を作っていて皆に振る舞う。おいしい。「あさげ」と「ゆうげ」しか食べたことがない東京独身の私などは、この際とばかりお代わりをして食い溜めを行う。本当においしい。これぞ「THE おいしい」である。
 でも、これは12Lの水と盛り沢山の材料とデカ鍋とガスバーナーを背負い、早く食べさせてあげようと急いで登って料理してくれた人がいたから出来た事である。52名分+私のもう1杯分の豚汁を山頂で作るなんてことは、言うは易く行うは難しである。
 感謝の心なくしては食べられない。「おいしい」だけではダメで、「おいしい」+「ありがとう!」でなくてはならぬ。本当に有難う。
 心も胃袋も満ち足りて13時35分に出発。往路を戻る。登る時は薄曇りだったのが青空が広がる。木漏れ日と紅葉の織りなす光と色のファンタジー。
 ウーン、これぞ「THE 夢世界」である。松任谷由美の「ANNIVERSARY]という曲の
    

    木漏れ日がライスシャワーのように
    手をつなぐ二人の上に降り注いでいる
    

の世界である。と、思ったものの横に居るのは男性の北村さん。とかくこの世はままならぬ。
 今度は、現美人は無理としても、前美人か元美人か旧美人と一緒に手に手を取って登りたいと思ったが、こちとら「背は高からず高からず財布は重からず重からずおまけに頭はうっすらハゲ模様の四捨五入すれば60歳のオジサン」では無理かもしれぬ。しっつこいようだが、とかくこの世はままならぬ。
 かくして無事に内山峠に辿り着く。15時30分。皆さん事故もなくご苦労さまでした。
 そこからバスに乗り、峠の茶屋で買物停車。オシッコ停車を兼ねているため、近くのドライブインに行く。そこで晩メシとして「釜メシ」を仕入れる・・・これがウマかったんだなァ。
 帰ってレンジでチンして食べたけれど、なんと金800円也で具が盛り沢山。陶器の蓋付きのお釜は、捨てるのがもったいないような気がして取っておいたけれど、お釜だけでも800円位するのじゃないかしらん?
 バスの中はビールやお酒が廻され、ささやかに宴会気分。飲めば出る。だから、途中のパーキングエリアでオシッコ休憩。私は、まったくアルコールダメ人間だけれど、おつきあいでツレション。
 そして香ばしい匂いに誘われて、名物の「焼まんじゅう」を食べることが出来た。おいしかったんだなァ、これが! だから甘党は止められない。酔っぱらっていても、ウンいい気分。
 かくして賑やかに皆さん幸せ気分で目黒駅に時間通りに到着。
 どうも、いろいろお世話になりました。豚汁ありがとう。事故がないように気配りしていただいたスタッフのみなさん、どうも有難う。

1997年12月 記

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