そこに女がいるから

 男と言う人種は、酒場に行けば女にモテルと信じているが、私は酒が飲めないばかりに酒場にも行けず、かくして女性にもさっぱりエンがない。
 そこで、甘党の私が行くのは、ぜんざい屋さんということになる。勿論、ぜんざい屋さんには女性がいっぱい。しかし、男は私一人きりというのに、
「ネ、あの人、一人で来ているよ」と胡散臭い顔をして、私の方をチラチラ見る。女の中の男一匹は、モテルはずなのに、どうもぜんざい屋さんでは、効果を発揮しないらしい・・・などと、私がボヤクと
「酒と女なくして何の人生か」と、哀れみの目で私を見る。ホント、その通りである。人生、楽しみがなくちゃ生きてはいけない。
 私が、ずっと若くって夢溢れていた頃は、山に登るとピチピチプリンの若い女性がワンサカいたのである。だから、女性にエンのない男どもは、
「そこに山があるから」山に登るのではなく
「そこに女がいるから」と言って、下心付きで山に登ったものである。
 と、いう訳で、当然ながら私も山登りをするようになった次第ではあるが、結婚して中断していた山行を、夢よも一度と40歳になった時、再開したのである。
 ところが、である。とかく人生ままならぬ。時代は大きく変革をとげて、今や、化石美人はいないものの、山には旧美人、元美人、前美人がいっぱい。ピチピチプリンの若い女性は、希少価値となっているのである。
 しかし、よく考えると、私もオジサン。贅沢は言えない。
 かくして、オジサン・オバサン化した昔の仲間との仲を復活させ、九州の山々を登り始めたところ、1987年に東京に転勤することとなった。
 ところで、東京に来たら山と言えば、なんたってニッポンイチの富士山である。
そこで、
「僕、ニッポンイチの富士山に登る。誰か一緒に行かない?」と、会社の女性を誘って廻ったところ
「富士山は見る山で、登る山ではないのよ」と、田舎者はこれだからイヤねえと、軽蔑の眼差し。
「それにね、富士山は登る人でいっぱいでしょ。だから、前に登っている人のお尻を見ながら登ることになるんだって。そしたらね、前に登っている人、オナラしたんだって・・・。もろ、直撃なのよ。ソーハチさん、それでもいいの?」と、アホじゃないかという眼差しで私を見る。
 かくして、残念ながらと言うべきか、当然ながらと言うべきか、誰も一緒に行こうと云ってくれない。しかし、オナラ如きに恐れては、九州男児の名がすたる。女性との二人連れは、現地で完成させることにして、取り合えず一人で出発することにした。1987年8月、山小屋が閉まる最後の週末である。
 無論、私の日頃の行いが良いため天気は快晴。スッポンポンのニホン晴れである。
 新宿から小田急の富士5合目行きのバスに乗ると、現美人はいるものの、みんな男付き。女一人の山姿なんていゃあしない。ウーン、残念。これは、きっと、うちのかみさんの日頃の行いが良かったせいであろう。それも、ペアの女性が不美人ばかりなら、許せない事はないのだが、みんな美人ぞろい。ウーン、口惜しい!!!
 お昼には5合目に着きバスを降り、それから山登り。こちとら九州の田舎っペだから、ひ弱な女連れの東京の田舎っぺ(どうせ田舎出身でしょ)を、ヤケクソのあまり追い越した結果、4時前には8合目の山小屋に到着してしまった。
 本来であれば、オナラを連発し反動をつけて追い越すのがスジであるが、私は<健全なる社会人>であることを思い出し、これを自粛することにした。<健全なる社会人>なんて窮屈なものである。
 しかし、8合目の山小屋に着くのが、ちょっぴり早かったし、ヤケクソ原動力で登ってきたので、疲れも感じない。すると、山小屋の親父さんが
「今から頂上に登れば、日が沈むのに間に合うよ」と云う。そこで、希望者を募ったら、女連れの東京の田舎っぺは尻込みしたけれど、片隅より若き声あり。
「私も行く」
 喜び勇んでよく見ると、声だけ若き元美人。
 かくして、幸せ半分なれど、待望の二人連れがようやく完成。そして、手に手をとって・・・ではないけれど、とにもかくにも仲良くニッポンのトッペンに到着。
 すると、雲ひとつない空を七色のパステルカラーに染めながら日が落ちていき、それから、星が一つ二つと煌き始め、アッという間に散りばめられて・・・溢れんばかりに星・星・星。まるで、宇宙の真っ只中に吸い込まれたよう・・・。
 頂上小屋は、もう閉められているため、周りはガラーンとして、人は4~5人しかおらず、恐ろしいような静けさ。
 彼女がポットに入れて持ってきた熱いコーヒーを二人で飲みながら
「横に座っているのが現美人だったら・・・」なんてことを考える余裕もなく、ただただ口を開けて、圧倒的に迫ってくる星空を仰ぎ見るばかり。
 それから、クシャミ3回、寒さに我を取り戻し、煌く星空の下を、何故か神々しい気分に満たされて、8合目の山小屋まで戻った次第である。
 山小屋では、皆一緒にゴロ寝。神々しい気分の変わりに、下心が復活してきた私は、彼女と手に手を取って寝たいと思ったけれど、彼女はさっさと女性グループの方に行って寝てしまった。どうも、下心付で来ているのを感ずかれたらしい。残念。
 翌日も快晴。4時に起き、シ-ズンも終わっているせいか頂上まで渋滞もせず、おかげでオナラの直撃を受けることもなく、スイスイと頂上に到着。
 鮮やかに彩られ、眩しく輝き清々しく昇る朝日!!! ウーン 素敵に最高!!!
 たった1回の山登りで、ニッポンのトッペンを2回極めたうえに、超・気宇壮大・空前絶後・豪華絢爛たるサンライズ・サンセットを体験することが出来たのである。
 スッゴイ! すっごい!! 凄っごい!!!
 そこで、これは幸先よしと、私は大いに張り切ったものの、後がいけない。今での2年間で八っ岳など関東周辺の山に16回登り、100%晴れたのはたったの3回のみ。逆に100%雨は8回で、曇りやガスで景色ゼロが5回という惨さんたる有様。どうも、富士山で、私のラッキイカードを使い果たしたみたいである。
 おまけに夢儚くって、仲良くなるのは元美人ばかり。ホントもう、私はこんなに日頃の行いが良いというのに、である。これはきっと、その日、山に登っていた連中が、よほどのワルだったにちがいない。
 それで、私が
「東京の田舎っぺは、これだから困る」と、女運に恵まれないことを悔やむと
「だけど、そこに女がいるから山に登る、というのもねえ・・・」と、云って良い事と悪い事との区別がつかないマジメ人間が遠慮がちに云う。
 私は、どうも正直だからいけない。本音と建前を使い分けるのが<健全なる社会人>であることをすっかり忘れていた。今後は、下心は隠して
「そこに山があるから」と言いながら山に登ることにしよう。きっと、ピチピチプリンの女性に出会えるに違いない。

(1989年12月 記)

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