ヘトヘト

 あつーーーーーい夏が、お・・・・わらないんですね、まだ。これが。残暑の季節なのに、気分は夏、真っ盛り。
 でも、まあいいこともあるんですね。だって、女性、冬はまんまるに着込んでしまって、出るべき所もホンワリほのか。
 ところが、夏になると、出るべき所がボインボイーンと突出。そんな女性を見ると私のマナコは乳房でいっぱい。おまけに水着そっくりの服をささやかに着ていたりしていると、私のココロはH度いっぱい、幸せいっぱい。ホント、夏って素敵!!!
 そして、このクソ暑い最中に・・・エーット、「クソ暑い」ってのは品格のない言葉ですね。ここはお上品に・・・このおクソ暑いのに、「小倉歩こう会」の8月26日の例会に参加することにした。すると、
「この暑いのに・・・」と、アホじゃないかと軽蔑の眼差。、
「この暑いのに、スゴイわね」と尊敬の眼差しで見る人は誰もいない。フンだ!!!
 歩いた所は、北九州市のJR小倉駅から電車で約1時間の所にある福岡県小竹町。そこにある「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選ばれた‘長崎街道・歴史探訪のみち’
 普通、例会には60~70人は参加しているけれど、今回は39人。軽蔑の眼差しを跳ね返してきた勇気ある人ばかり。
 「小竹町歩こう会」の会長さんとまちの歴史に詳しい長老のおじいさんが、説明しながら案内してくれるということで、9時40分にJR小竹駅を出発。、
 「歴史探訪のみち」の名に恥じず、長老の説明を聞きながら、途中立寄ったのは10ケ所の由緒ある神社・仏閣・観音堂と古墳。私のお賽銭の相場は金10円也となっているものの、最後の3ケ所の神社は10円玉切れで金100円也のお賽銭となった。ウーン、残念などと云ってはいけない。ニコニコしながら金100円也のお賽銭をあげる。ホントである。きっといいことがあるに違いない。
 途中に武富戦争資料館に立ち寄る。地元の故武富登己男氏が第2次大戦中の兵士の武器・服装・飯ごうなど身の回りのものを主に収集したもので、今や、時代が変わると、貴重な資料となっているようである。でも、ここに展示されているものを見るだけで、
「戦争ってイヤ」って気持ちにさせられる。
 太陽はギンギラギンに輝き、自然扇風機も、エネルギー不足らしくソヨとも吹かない。おまけに、山を歩けば森林浴だけれど、田舎道と言えども舗装してある道ばかりだからコンクリート浴。これって三重苦のウオーキング。
 かくして、暑い暑いと言いながら飲んだ飲んだ・・・飲料水。身体がポンコツ化すると、寒い時期なら「飲んだらすぐ出るオシッコ」だけれど、今回のウオーキングでは誰もトイレに行かない。
 どうも、飲んだ水はアソコまで行き着かず、途中下車して身体のアチコチから放出されてしまうらしい。使い古しのアソコを酷使しなくってすむなんて、とっても素敵!!! いいことだってあるんだ。
 かくして、贅沢に汗を振りまきながら歩いたものの「ヘトヘトのヘトヘトのヘトヘト」(2006年11月15日のコラム参照のこと)の権威者であるにもかかわらず、「ヘトヘト」どまりで15時10分に終点のJRあかじ駅に到着。このクソ・・・アッ 訂正、おクソ暑い中を歩いた距離エンエン6.5キロ。
 まるで、タダでサウナに5回位行った気分である。生まれながらのケチである私は、すっかり満足。それに、10ケ所の神社とお寺をお参りしてアレコレ盛り沢山のお願いも出来たし、おまけに「ヘトヘト」どまりでしょ。三重苦のウオーキング変じて、メデタシめでたし目出度しの三重奏のウオーキング。シアワセ!!!
 それと、暑い中、案内して頂いた小竹町歩こう会の会長さんと、長老のおじいさん、それに、途中立ち寄っておいしいお茶を頂いた川原さん、皆さんの優しさにうたれて小竹町、すっかり好きになりました。どうも有難うございました。

挨拶

挨拶 ――原爆の写真に寄せて――     石垣 りん

あ、
この焼けただれた顔は
1945年8月6日
その時広島にいた人
25万の焼けただれのひとつ
すでに此の世にないもの
とはいえ
友よ
向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の跡もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を
その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ
地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわけなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前8時15分は
毎朝やってくる
1945年8月6日の朝
一瞬にして死んだ25万人の人すべて
いま在る
あなたの如く 私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。

 ※ 石垣りん・・・1920年生まれ、2004年12月逝去。表題の詩は1952年8月にアメリカが原爆被害者の写真の公表を許可した時に作られたものである。

スクリーン・ミュージックよ もう一度

 海の日の7月16日にNHKBS放送で「黄金の映画音楽館」が放映された。洋画全盛時代の1950年代~1960年代の映画音楽が、当時の予告編の映像と共に流されたのである。
 出演した歌手の中に、私のとびっきり大好きな歌手が4人・・・ジャズの阿川泰子にピアノの国府弘子、オペラの塩田美奈子、ポップスの伊東ゆかり。みーんな、昔むかしからのファン。チョッピリ、オバサン化しているけれど、私だってオジーーサン化しているから仕方あるまい。
 エ? 何? みんな女性ばかりって? 髪の毛うっすらハゲ模様になっても、私は男性。本能的に女性が好きになるのは当然である。
 1950年代~1960年代といえば、私も青春全盛時代。当時、アアしてコウしてアアなった思い出が画面からよみがえって、懐かしさ溢れ気分はハッピイ。
 映画の主題歌を聴くと映画のストーリイを思い出すし、映画の題名を聞くと主題歌を思い出すように、当時、映画と音楽は結びついていたものである。
 「ティファニーで朝食を」とか「慕情」「愛情物語」「太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」と・・・挙げればきりがない。
 でも、今は、映画音楽と云えば、ミュージカル映画だけになってしまった。そりゃ、エンド・クレジットの画面で音楽が流れてはいるけれど、ENDマークが出れば、それっきりこれっきりでハイおわり。映画音楽として心に残るようなものは、ありゃしない。
 私が今年見た映画は「硫黄島からの手紙」「ラッキーナンバー7」「デバーテッド」「デジャヴ」「ドリームガールズ」「「ブラッド・ダイヤモンド」「ハンニバル・ライジング」「ザ・シューター」「バベル」「ロッキイ・ザ・ファイナル」「守護神」「ラブソングができるまで」「「ソディアック」「ダイ・ハード4.0」。邦画では「犬神家の一族」「武士の一分」。合計16本。
 私は、“ドンドンパチパチ撃って撃って撃ちまくり、敵はバッタバッタと倒れるけれど、わがヒイローは何故か無傷”という「スカット爽やかB級映画」愛好者だけれど、こうやって挙げてみると、ほとんど、どんなストーリイだったのか思い出せない。
 「スカット爽やかB級映画」は、「スカット忘れるB級映画」なのかもしれない。
 エ? 何? もう忘れるなんておかしい、それって、そーはちさんの「アホ化症候群」が悪化しつつある証拠じゃないの・・・だって?
 とんでもない。大体映画の題名がカタカナ語なのが悪いのデス。昔は、映画を見なくても題名を見ただけで、どんな映画か予想できたのに、私がズラズラーットと挙げた映画のカタカナ題名見て、どんな映画のなのか分かる? 分かる訳ないよね。映画を見た私が分からない位だから、分かる訳がない。
 題名さえチンプン・カンプンなのに、おまけに「スカット忘れるB級映画」でしょ。思い出せと云う方が無理である。フンだ!! ニッポンで上映する時は、日本語の題名を付けろ!!ってんだ。
 ところで、今年見た映画の中で、主題歌があったのは 「ドリームガールズ」の主題歌と「ラブソングができるまで」の主題歌「愛に戻る道」の2本だけ。これって、音楽映画だから当たり前と云えるけれど、それにしても「映画音楽が素敵」などという話しは聞いたことがない。「スクリ-ン・ミュージック」という言葉は、死語になってしまったらしい。
 こうなったら『スクリ-ン・ミュージックをはげます会』でも作って・・・ン? はげます会? ・・・ハゲ増す会・・・エーット、訂正することにしましょう。
『スクリ-ン・ミュージックをはげますことは止めて称える会』
 でも、これって、長すぎ?

Rain

 梅雨。私は雨が嫌いである。特に雨に濡れるのが大嫌いである。
 何故って云うと、傘もささずに歩いていると、私のなけなしの髪の毛が、今は亡き落語家の柳家金語楼風になる。ン? 柳家金語楼風って何って? ウーン、そうか。若い人は知らないんだ、金語楼のハゲ具合。では、今風に言うと髪の毛がバーコード模様となる。
 これって、最低!!! 私は、毎朝「うっすらハゲ模様」の髪の毛を、フンワリ仕上げて「一見ハゲなし模様」にしようと、健気にもはかない努力を重ねているのに、雨に濡れるとフンワリがペチャンコ!!!
 なんと、見るも哀れなバーコード模様。だから、雨に濡れるのは大嫌い。
 と、云うと、誰もが同情の眼差しながら「ウン、納得」
 だから勿論、雨降る梅雨も大嫌いであるのは云うまでもない。
 ところで、この大嫌いな梅雨という言葉は、「梅の熟す時期の雨」からきているらしいが、梅は、作家林望によると百樹中の聖賢で、梅には八徳あるそうである。それによれば

1 衆樹に先駆けて咲き、目を楽しませる。
2 芳香、能く鼻を楽しませる。
3 風姿美しく、庭を飾るに宣し。
4 鶯鳥囀々、耳を楽しませる。
5 実り豊かに、口を楽しませる。
6 梅干となりては、体を養う。
7 魚と共に煮る時は、その毒を消して生臭さを去る。
8 核仁また良薬にして煩熱を除き目を明らかにす。 

 ウーン、梅が良いのはよく分かったけれど、この梅に雨が付くとロクでもない奴に変身する。
 そりゃまあ、昔、梅雨の雨はシトシト降って田やダムを潤わせ、恵みの雨となっていたけれど、最近は雨事情が変わってしまって、台風の雨と同じように、梅雨なのに見境もなくドカドカと雨が降る。
 おまけに、「All or Nothing」で、カラ梅雨か、ドカ梅雨。どうも、この地球という星は壊れかけているらしい。
 私は、雨に濡れるのは大嫌いだけれど、家の中で窓からシトシトと降る雨を、ウッスウラ・ボンヤリ・ホンワカと見るのは好きである。なんだか心静まる気がする。
 でも、シトシト雨が姿を消してしまい、ウッスウラ・ボンヤリ・ホンワカ時間がなくなってしまった。ところが、
 「雨の日には雨の歌」というキャチフレーズで「Rain song」というアルバムが発売されたのである。
 そらりゃ、何にもせずにウッスラ・ボンヤリ・ホンワカしてたら、うちのかみさんが
 「アホ化症候群が悪化した」と、危機感をつのらせるかもしれないが、音楽を聴きながらのウッスラ・ボンヤリ・ホンワカは、
 「アホ化症候群が良くなりつつある」という、美しき誤解が生じるかもしれぬ。
 そこで、さっそく「雨の日には雨の歌を」と、この「Rain song」を買ったのは云うまでもない。
 このアルバムには、昔懐かしい小林麻美の「雨音はショパンの調べ」や八神純子の「みずいろの雨」それに徳永英明の「レイニーブルー」など、雨にちなんだ曲ばかりCDの2枚組で30曲。
 このアルバムを聴くと、ほとんど恋に破れた曲ばかり。ハッピイなのは、さだまさしの「雨やどり」ぐらいである。どうも、恋は雨に弱いらしい。
 それで、今日も梅雨なのにドカドカ雨だけれど、鈴木祥子の「優しい雨」を聴いていると、シトシト雨の雰囲気がいっぱい。
 この曲は、わが愛する小泉今日子も歌っているけれど、アコーステック・ギターの弾き語りで歌う鈴木祥子の歌も、心に沁みるようでバーコード模様の髪の毛の悪夢も忘れてしまいそうである。
 ウーン、雨の日は雨の歌を聴くのが最高!!!

優しい雨   作詞 小泉今日子 : 作曲 鈴木祥子

心の隙間に 優しい雨が降る
疲れた背中をそっと湿らせてく
群れをなす魚たち
少し楽し気に
駅に向かって走ってく
こんなに普通の毎日の中で
出会ってしまった二人
降りしきる雨の中にすべてを流して
しまえたらいいけれど・・・

・・・ 以下 略 ・・・

心に虹を・・・

 梅雨の晴れ間に虹を見ました。
 ほんの束の間の虹でした。
 くっきりとすっきりと鮮やかに・・・・。
 Over The Rainbow、虹の彼方に青い鳥は飛んでいるので
 しょうか。
 心に虹をかけられるでしょうか。

     おぞね としこ

土砂降りの
雨がやんだら
東の空に
虹がかかった

紅色の
あじさいの茂みを
時が
静かに
静かに
過ぎて行く
ほんの小さな
わたしの愛よ
遠くはるかな
私の夢よ
いくたび
虹を見ただろう
いくたび
虹を見るだろう

小曽根俊子・・・1954年生まれ、2005年3月逝去。重度の
脳性麻痺に負けず愛に生きた車椅子の詩人。