時の過ぎゆくままに

『ハードボイルドに恋をして 2』は「時のすぎゆくままに」というタイトルで、「人生」「時」「青春」「若さ」「衰え」に関する名言集です。お気に入りの台詞があれば嬉しいけれど・・・。お暇な時にお読みください。

人 生

・・・ゆっくりと歩いてゆくリースを見送りながら、人間は一生のうち何度ぐらい人生をやり直せるものだろうかと思った。

早川書房「酔いどれの誇り」ジェイムス・クラムリー/小鷹信光訳

その日、その日を何げなく過ごしてもそれほどひどい事は起こらない。人生は単調なものだと感ずることはあるだろうが、われわれは、そんな人生が気に入っているのだろう。

早川書房「黒い風に向って歩け」マイクル・コリング/木村二郎訳

「これで彼女はぼくのことを思い出してくれるよ。・・・風が吹きすさび、海が荒れ狂うたびにね。人間は誰にも思い出してもらえないままで一生を終ったりしちゃいけないんだ」

早川書房「小さな土曜日」アーウィン・ショー/小泉喜美子訳

それから、おれの人生の貯蔵庫の中に、ひとつふたつプラスがはいっていないかと扉をあけてみた。それが間違いだった。おれはいきなり中からどっとあふれ出したマイナスの奔流の下敷きになった。

早川書房「怪人ホーホー博士」ロス・H・スペンサー/田中融二訳

どこまで信じてよいかわからないが、すくなくとも、彼女の人生観は九九換算表のように冷たいと思ってよいだろう。

二見書房「スキャンダラス・レディ」マイク・ルピカ/雨沢泰訳

貧すると、人は哲学的になるらしい。
「人生が思いどおりにいくことなんてあるのかな?」

文芸春秋「悪い奴は友を選ぶ」T・ホワイト/松村潔訳

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ヒト科の生物ってアホ?

秋雨前線の雨がシトシト降って、あのアツクってあつくって暑くって熱い夏がようやくENDマーク。ホットしてヤレヤレ。
今日も雨が降っているけれど、夏のドカドカ雨と違って、秋のシトシト雨っていいですね。
家にいて窓からシンシンと降る雨を、好きな曲を聴きながらポケートして見るのが好き。ネ、ザワザワした心が静まるような気がするでしょ。
雨の歌はいろいろあるけれど、私が好きなのは小泉今日子の「優しい雨」。この歌の冒頭の

心の隙間に 優しい雨が降る 疲れた背中を そっと湿らせてく

ウーン、こんな雨が好き。だけど、歌人諸星詩織の

雨の日の窓のガラスに張りついた この哀しみの色はなにいろ

のように、恋を失った人には、同じ雨でも心に寂しく沁みて「冷たい雨」となり、人によって雨もそのよそおいを変えるんですね。
しかし、最近の雨って、そんな詩情を失いドカーと降っては、ニッポン各地というより世界各地で「観測史上最高の豪雨」が続出しているでしょ。
でも、これって、人間が地球をやりっぱなし痛みつけた結果、そのツケを払わされているに違いありません。だから、異常気象を作ったのは、われわれ人間と思って諦めざるを得ないんでしょね。
そのうえ、地球や自然を利用つくしたのに飽き足らず、もっと生活を豊かにしようと、自然界にはない原子力を利用して電気を生みだしたのは良いけれど、先日、原子力規制委員会が原子炉から出た廃棄物について国が10万年保管することにしたと発表・・・ア然!!!
10万年後の世界って想像できる? 
原発で生まれた廃棄物処理のツケ付けを10万年後に廻すっていう発想・・・超無責任にして超現実的で超身勝手な話・・・そんなことが初めから分かっているのだったら、原子力を利用するのは止めようって考えは、どうして生まれなかったのかしらん。
宇宙でも稀な地球という星に生息するヒト科の生物って、エラそうな顔をして地球を支配しているけれど、アホじゃないの?

※ 諸星詩織ーー本名 糸満久美子。1949年生まれで沖縄県出身。掲載した短歌は「雨あがりの窓」より。他に詩集「愛ポポロン」など。

ゴジラをお供に

今年のニッポンの夏は、アツクってあつくって暑くって熱くって・・・そしてゴジラがいっぱい。
TVで第1作の「ゴジラ」が60周年記念デジタルリマスター版となって放映されたのをはじめ「ゴジラ対ビオランテ」・「ゴジラ対モスラ」・「ゴジラ×メカゴシラ」・「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ」・「ゴジラ モスラ キングキドラ 大怪獣総攻撃」・「ゴジラ FINAL WARS」などが放映されるようになっていたので、新聞のTV欄を目を皿にして毎日チェク。
私、ゴジラファンだけれど、いい加減年寄りなのでストーリなどきれいさっぱりすっかり忘れ去っているでしょ。だからワクワクして新作映画を見る気分・・・そう大満足。
そして本命は、今回上映された「シン・ゴジラ」。監督はあのエヴァンゲリオンの庵野秀明。私、エヴァンゲリオンファンでもあるので、きっと今までのゴジラ映画とは違うかも・・・と思って見に行ったら、ウーン、その通り大正解。
今度のゴジラは、今迄の着ぐるみのゴジラではなくってフルCGのゴジラでしょ。本物以上にゴジラそっくり。~エーット、本物のゴジラがいるのか、なんてヤボなことは聞かないで下さいね。~
アメリカ版のゴジラは、醜悪な恐竜そっくりで看板に偽りありと思っていたけれど、さすが我がニッポン国は正統派。VFXの技術とうまく組み合って、すべてのシーンは現実そのまま実写風。特撮技術のレベルの高さは、きっと世界一に違いありません。、
映画の前半、自衛隊が出動するまでは我がニッポン国の内閣・政府高官・検察庁などのオエライ人が、ゴジラ対策を巡って
「アアでもないけどコウでもない」とケンケンガクガクの屋上屋を重ねて会議をする訳だけれど、いかにも現在のヌールイ行政を皮肉っているみたいで
「さもありなん」と、私、ニヤニヤ。でも、アホみたい・・・なんてことは云ってはいけません。なんたってゴジラ映画ですから。
でも、ゴジラが来なくっても、かかる災難に見舞われた時、オタオタしてもらっては困るんだなァと心配になりました。
後半は見事にゴジラとの戦いを演じきって、さすが庵野秀明と東宝特撮技術。今までのゴジラ映画を超える映画になっていました。
そして、この特撮技術の魅力を展示した「ゴジラ展~大怪獣、創造の軌跡」が福岡市美術館で開催されていましたので、このクソ暑い中をわざわざ博多まで行って見てきました。
展覧会では、映画に登場する怪獣たちの造形・デザイン画・セット図面・記録写真・イラストなどが「ゴジラの誕生」・「昭和期」・「平成期」・「ミレアム期」と分けて約680点も展示。なんともスゴーイ!!!
特撮にかかわった人々のなみなみならぬ想像力・創造力・表現力に脱帽!!! ネ、あのおどろおどろしい三っ首のキングキドラを作ろうって発想なんて、どこから出てきたの? って思うでしょ。
実物の正確な縮尺によるミニチュア用図面なんか見ると、長さの単位が「メートル」ではなくって「尺」で表示されていたものもあって・・・若い人は知らないでしょうね。尺という単位・・・ほんと職人さん、あっぱれって感じ。手作りによる特撮って、その苦労がにじみ出ていてCGとは違う良さを感じられ・・・ウン、感動しました。
そして、ゴジラによって福岡美術館が破壊されるという「怪獣王福岡に現る」という超短編も上映されていたし、高さ200cm幅180cm長さ220cmのシン・ゴジラも展示されていて迫力いっぱい。感動いっぱいで帰りました。
ついでに布製の「シン・ゴジラ トートバッグ」が付録についている雑誌「シン・ゴジラ」を1,800円也で購入。帰って、このバッグに書類を入れて、意気揚々と外出しようとしたら、我が息子が
「それって、買ったなどと言わないで、孫から貰ったことにして」と、言語明瞭・意味不明なことを云うので・・・エート、ここは老いては子に従えと言うので・・・孫から貰ったゴジラバッグのゴジラをお供にいつも外出しています。ハイ。

黙してはならぬ

今日、8月15日は「終戦の日」。むかし昔その昔、この日のことを「敗戦記念日」と言っていたらしいけれど、カシコイ人が、忌まわしい記憶から逃れるために「終戦の日」と変えたに違いありません。
後世の人は「終戦の日」と言ったって、戦争に勝ったのか、負けたのかも判然としなくなり、カシコイ人の狙いは的中して、我がニッポン国の面目が立つようになることでしょう。
今でさえ、ワーカイ人の中には「アメリカと戦争した」と言ったら「本当? 信じられない。どうしてアメリカと?」と言う人がいるみたいです。
だけど、戦争の記憶が薄れていくなかで、詩人中川悦子は、戦争のさなかに親元を離れ疎開して逃げまわった少女の頃の切ない思い出を『遠い少女』という詩に書きました。
この詩の中で、戦争をかいくぐった者は、あの時代のことを〈黙してはならぬ〉と書いています。黙したら、あたらしい時代になったとはいえ、昔のままに・・・あの時代が寄せてくる・・・と。

遠い少女     中川悦子

草いきれのする
日なたのにおいのなかで
目を閉じると
遠い少女が
ひっそりと目をさます

町をはなれた日
見しらぬ村で
不安という銃口を
未熟な胸に押し当てられ
おびえながら嗅いだ 空気

青春など ことばもしらず
幸福など すぎた日の断片
ただ
きょう ひもじくなく
あす 死なぬよう

かたくなにみずからを守った
途方にくれ
戸惑いながら
こばみながらも
あのとき少女がそっと祈り
真に夢みたものは 何だったのか

飢えをまぬがれ
死をまぬがれ
時代をまぬがれたものは
  〈黙してはならぬ〉
あたらしい飢え
あたらしい死
あたらしい時代が昔のまま寄せてくる
ほら 波のように――

草いきれのする
日なたのにおいのなかで
目を開ければ
少女は 遠い村に疎開したまま
いまも かえらない

※中川悦子・・・1930年、日本現代詩人会・北海道詩人協会会員。「核」同人。詩集「雪の貌」「北の四季」など。

※このプログのカテゴリーに『ハードボイルドに恋をして』という頁を追加しました。
私がウン10年にわたって読んだ海外のミステリイ等から、私が気に入ったお洒落な表現とか、ニヤニヤする表現とか、さもありなんといった文章などを、その都度ノートに書きとめてきました。
そして、私、いい加減年寄りですから、感性もサビついて夢旅人のプログに書くネタがない時があります。その時に・・・まあ、手抜きじゃないけれど・・・このノートから適宜選択して掲載すればポカを出さずにすむと、我ながら名案を思いつき「これってハードボイルド」でというタイトルで掲載することにして、今迄6回にわたり掲載してきました。
ところで、これらの書きとめていた文章を、皆さん方にも読んで頂こうと、テーマごとに編集してまいりましたが、今回なんとか纏まりましたので、『ハードボイルドに恋をして』というシリーズにして、順次掲載すことにいたしました。
第1回目は『ハッピイですか』というタイトルで「愛」「結婚」「夫婦」「セックス」「浮気」と掲載しておりますので、お暇な時にでも目を通してください。

ハッピイですか

    そしてあなたがわたしにさわると、とたんにわたしはカーニバルみたいに活気づき、あなたがそばにいないとショボンとして、死んじまったほうがいいみたいな気分になるの。
    それでもまだ、わたしが恋をしてるっていうのは間違いだといえて?

    早川書房「俺に恋した女スパイ」ロス・H・スペンサー/田中融ニ訳

    彼女は彼を愛していると言っていた。ときどき、彼の方も彼女を愛しているといると言った。そう言う時は本心から言った。とにかく、その一瞬は本心なのだった。

    早川書房「小さな土曜日」アーウィン・ショウ/小泉喜美子訳

    「でも、あなたが私の厄介のタネでなくてよかったわ」
    「厄介さ」言い訳するように言い返した。「大いなる葛藤なんだから」
    「葛藤のことなら、営業時間中に相談して。いまは時間外なの」
    「だったら、その下唇をかんでもいいな。その唇にはいつも何かを感じているんだ」
    彼女が顔を近づけ、噛みやすいようにしてくれた。これもイチゴ、ウイスキイソーダ、春の日といったキスになった。彼女の熟した胸が当たった。

    早川書房「ただでは乗れない」ラリー・バインハート/真崎義弘訳

    ・・・そのあとで虫がついた。大学で、アンはジュンという同級生と知り合って恋におち、そしてベッドにおちて、避妊の方法を講じることを忘れてしまったらしい。

    早川書房「ジュリコ街の女」コリン・デクスター/大場忠男訳

    「目を開けたら最初に見えたのは壁で、最初に感じたのは疲労と、このいやな事件に対するユーウッな気分だった。だが、そのあと、足を動かしたらきみにさわった。・・・するとおどろいたことに、急に安らかな楽観的な気分になったんだ。愛は一晩の熟睡よりも効果がある」

    早川書房「死者は惜しまない」ナンシー・ピカード/宇佐川晶子訳

    完璧なルーデルの左右の鼻の穴から、それぞれ煙の柱が吹き出し、わたしはそれを深く吸い込んだ。アメリカ煙草のにおいは好きだが、だから吸い込んだわけではない。彼女の胸から出てきた煙だったからだ。この胸にまつわるものは、なんであれ歓迎したい。

    新潮社「偽りの街」フィリップ・カー/東江一紀訳

    「もう寝た?」
    「いいえ。・・・でも今夜はもう充分運動したわ、風邪で熱まであるのに。今夜のところは思い出を枕に寝ることにしない?」

    文藝春秋「吾輩はカモじゃない」ステュアート・カミンスキー/田口俊樹訳
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