蟻の一穴

桜満開。春は爛漫。心はグチャグチャ。

ロシアはウクライナを「侵略」しているのではなく、ウクライナの非武装化・非ナチス化のために「特別軍事作戦」を行っているとのことである。
ナチス化なんてオドロオドロシイ言語はもう廃語になっていて、こうゆう現象はおこり得ないというのが世界の常識と思っていたが、この期に及んで復活するなんて世も末である。

そして「ロシア系の住民をウクライナ軍の攻撃から守り、ロシアに対する欧米の脅威に対抗するためには、ほかに方法がなかった」との攻撃開始宣言をおこなったが、これを信じるなんてロシアの国民の皆々さんは「アホ」であるに違いない・・・なんてことを言っていけない。

先の大戦で、わがニッポン国が東南アジアの国々で戦っていたのは「ヨーロッパの国々からのアジア解放」のためであり「侵略」なんて考えはコレッポッチもありませんというこになっていたのである。

そして、わがニッポン国の大義名分のあるこの戦いについて、当時の全てのメディアもこぞって大戦果が有るがごとく報じて、国民も一体となって戦争を推進し「東南アジアの解放」をすっかり信じていたのに、なんと敗戦となるや、ガラガラポンとなって、すべて「侵略」となってしまった。

だから、わがニッポン国の過去のアレコレを考えると、ロシアの国民の皆々さまを「アホ」と言っては失礼であろう。20年にわたるプーチン大統領の長期政権とメディアの統制で情報鎖国になっているのだから仕方がないのである。

いずれ、休戦協定がなされ戦争は終わるだろうけれど、どんな結末になっていても、ロシア大統領は「わがロシアの大勝利」と自画自賛。かくして、原爆を脅しに使う唯我独尊を誇る大統領が意気揚々と君臨していくに違いない。

とは言え、堅固な堤も小さなアリの穴がもとでくずれることもあるという「蟻の一穴」の例えのように、ロシアの人々がウクライナの惨状を知ったら、強権を振るう大統領について「?」と感じる人が出てくるに違いない。そして、その小さな穴が大きな穴になると信じたい。

そして、ロシアの人々に次の詩を・・・。

出版社KADOGAWAが発行した「戦争は女の顔をしていない」の第16話「ふと、生きていたいと熱烈に思った」より

戦争中どんなことに
憧れていたかわかるかい?
あたしたち夢見ていた

ねえ
戦争が終わるまで
生き延べられたら
戦争の後の人々は
どんなに幸せな人たちだろう!

どんなにすばらしい生活が
始まるんだろう

こんなにつらい思いをいた人たちは
お互いをいたわりあう

それはもう違う人たちになるんだね

そのことを疑わなかった
これっぽっちも

ところがどうよ・・・・
え?

またまた殺し合っている
一番理解できないことよ・・・・

いったいこれは
どういうことなんだろう?

え?
私たちってのは・・・・

この詩は、3月26日の朝日新聞に掲載された出版社KADOKAWAの1頁広告を引用したものです。

一本の紐に・・・

第2次大戦以後、勝った国も負けた国も「もう、戦争はコリゴリ」となって、クーデターやテロや国境をめぐるイザコザはあっても、国同士の戦いはなくなったと思っていたら、五大国のロシアが小国のウクライナを侵略するなんて・・・言葉もありません。

民主主義国家だろうと権威主義国家だろうと主義主張にかかわらず、そこに住むウン千万の国民の皆さんは
「戦争はイヤ」と思っているに違いありませんが、たった一人の人間がコロっと
「戦争をヤル」となったら、戦争が始まるんですね。どうも、第2次大戦の時代に戻ったみたい。

北九州市立文学館で、3月12日に「現代川柳の動向」という演題で、全日本川柳協会常任理事の古谷龍太郎さんの講演がありました。私、川柳を作ったことはないけれど、なにしろ「シルバー川柳」の愛好者だから聞きに行ったんです。その時、同時に開催されていた「日本現代川柳作家展」も見てきましたが、そこに展示されていた川柳を一つ紹介します。   

一本の紐に地球をぶら下げる   黒川孤遊(熊本)

先月、和田誠さんの単行本「お楽しみはこれからだ」の広告が新聞に出ていました。私、週刊文春の時代から和田誠さんの大ファンでしょ。買わねばならぬと思ったら、なんと価格2970円也。
私、ハードボイルドの本はむやみと買うという素敵な習性があるけれど、2970円也はポケットの許容範囲外。ウーンとしばし沈思黙考・・・でも「〝ネマ句報〟に1973年から連載された映画に残る名セリフをイラストレーションと共に紹介する」という謳い文句につられ、ここだけの話だけれど「女房を質にいれてでも」の心意気で買うことにしました。

さっそく、わが街で一番大きい本屋に行き探したれど「ナイ」。そこで美人のいるカウンターに行き意気揚々と注文したら、美人いわく
「それって本の名前ですか」って・・・。トホホホ、私の心意気はショボン。
でも、なんとか注文して帰ったら、なんと12日後にヤットコサと届きました。東京から言えば海の向こうの九州の片田舎だから、時間がかかっても仕方ありません。

届いた本の表紙はセロハンカバー付きで、なんと函入り。今どきの本には珍しい豪華本。ウーン、2970円也は高いと云わないことにしましょう。
そして右の頁に映画の「名セリフ」とその場面について薀蓄をかたむけた和田誠さんのエッセイが掲載されており、左側の頁はそのシーンの俳優の顔が独特のシンプルなタッチで描かれているんです。スゲー&素敵!!!

レイモンド・チャンドラーのミステリイ「プレイバック」に書かれている名セリフ、

男はタフでなければ生きていけない。やさしくなかったら生きてる資格がない。

に、すっかり魅せられて、以来、ハードボイルド専科となって、読んだミステリイのキザだけれどお洒落な名セリフを書き残してきました。
そして、このプログの「ハードボイルドに恋をして」に時々紹介しているけれど、「お楽しみはこれからだ」に掲載されている名セリフもここで、チョッピリ紹介しましょう。

映画「チャップリンの殺人狂時代」から、殺人者ヴェルドーのセリフ。これって、今から76年前の1947年の映画だけれど、地球という惑星に生息するヒト科の生物は、どうも進化していないみたいです。

一人を殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄だ。
戦争を商売にしている人たちに比べれば、私は殺人者としてはアマチャアです。

次に、キザな名セリフ。映画「サンセット大通り」でウイリアム・ホールデンとナンシー・オルスンの会話。

「君はとってもいい匂いだ」
「私は香水をつけてないわ」
「洗いたてのハンカチのようだ」

私もこんなセルフをはきたいけれど、相手がいません。トホホト・・・。

ここで安らぎのコマーシャルを

コロナが落ちつくと思ったら、世界は戦争のニュースが流れて不穏な空気いっぱい。
政府の転覆を図るのはテロリストだと思っていましたが、まさか大国のロシアがテロリストになるなんて・・・攻撃されたら受けざるを得ないけれど、理由の如何を問わず、戦争を仕掛けたらいけないという世界の常識を、ロシアの皆々さまはご存じないのかしらん?

そこで、せめてひと時でも安らぎの雰囲気を味わって貰うために、素敵なコマーシャルをどうぞ。
それは、私が関係していた合唱団「北九州をうたう会」が出演する合唱組曲「北九州」の演奏会のコマーシャルです。

合唱組曲「北九州」は、北九州市制15周年(1978年)を記念し、日本を代表する音楽家 團伊玖磨氏の作曲と、本市にゆかりの深い栗原一登氏の作詞によって作られたもので、北九州市の美しい自然やさまざまな祭り、市民の活気あふれる生活などがふんだんに織り込まれ、オーケストラの組曲形式をとった演奏時間40分の大作となっています。

ステージに上がる合唱団は「北九州をうたう会」をはじめ中学校・高校の合唱部に7つの児童合唱団で総勢400名。それに小倉祇園太鼓が加わり九州交響楽団とダイナミックな演奏を展開します。

北九州市・(公財)北九州市芸術文化振興財団主催で毎年開催されていたこの演奏会は、新型コロナのためなんと2年間も中止。残念無念・切歯扼腕・悲憤慷慨・茫然自失していましたが、ようやく3月に開催されることになりました。
わが「北九州をうたう会」のメンバーは喜色満面・欣喜雀躍・意気軒昂。満を期しての出演に大大張り切り!!!

しかし、新型コロナ感染拡大防止のため毎年開催していた演奏会場を、2000席を有するソレイユホールから720席の音楽専門の響ホールに変更。そして、今まで演奏は九州交響楽団でしたが、これをピアノ伴奏にする等の対策を講じての演奏会となりました。
今度の演奏会は今年限りの少人数による特別編成。ピアノ版伴奏による演奏会は、これが最初で最後になると思いますので、貴重な思い出をあなたの心のアルバムの1ページに加えてみませんか。

と、いう訳で、このプログを読んで頂いている本州や四国に北海道、そして外国に住まれている方々には、諦めてもらうほかありませんが、九州にお住いの方は、演奏会に来て頂いたら、ホッコリ&ホノボノ・ホンワリといい気分になるはずですから、どうぞご来場ください。

3月13日(日)・入場料2000円・素敵を誇る響ホールにどうぞ!!!

ご機嫌いかが 2

今日の「ハードボイルドに恋をして7」は、2018年11月15日のプログ「ご機嫌いかが」の続編です。
コロナ防止3原則を守っているのにコロナをうつされた人や、バレンタインで義理チョコばかりで本命チョコのなかった人など、とかくままならぬのが世の中ということで、悲しさいっぱいの人もいると思います。
そこで、ハードボイルドの世界の「悲しみ」を、ちょぴりですが覗いてみてください。

悲しみ

クリーヴィやトレイの死に関して、ぼくがひそかに感じていることを、略語のアルファベットだらけの肩書をもつ同情風を吹かしたどこかの精神科医に打ち明けるなんて、金輪際ごめんだ。
早川書房「図書館の親子」ジェフ・アボット/佐藤耕士訳

未亡人は落ち着いていたが、心の中は、涙のしずくのように、絶え間なく震えているように思われた。
東京創元社「ピアノ・ソナタ」J・J・ローザン/直良和美訳

目は悲しみをたたえたライト・ブルーだった。人生を色つきで見ることができなくなったような目だった。
早川書房「ラスコの死角」リチャード・N・バタースン/小林宏明訳

そのとき、女の子がそんなに悲しそうな声を出すのは、法律で禁止すべきだと思ったのを覚えている。
早川書房「殺人ウェディング・ベル」ウイリアム・L・デアンドリア/真崎義博訳

その日、私は未亡人にあまり近よらず、形式的なお悔みの言葉をぼそぼそと述べただけだった。彼女は、骨が砕けるのをおそれるようにそっと身じろぎし、視線をわたしにとめたが、わたしを通して無限の彼方を見透かしているように覚えた。
角川書店「ミッドナイトゲーム」デビット・アンソニー/小鷹信光訳

ブラント・ホテルのようなところでは、クレジット・カードに敬意を払うばかりでなく、それを好み、それに従うものなのだ。カードなら現金を手にして別れを惜しむことがないので、支払いのときの悲しみが薄れるという寸法だ。
早川書房「殺人オン・エア」ウィリアム・L・デアンドリア/真崎義博訳

(自殺した)
あの子は、神が与えたもうた肉体に宿って生きていることに、くたびれただけなんだよ。
早川書房「探偵の帰郷」ステーヴン・グリーンリーフ/佐々田雅子訳

この世の悲劇のなかには、あまりにも悲惨すぎて、他人にはせいぜい進化論的な理解しかできないものもある。
文芸春秋「推定無罪」ストット・トゥロー/上田公子訳

動転していた点では彼も同じことだ。体の真ん中にリンゴのように悲しみの芯がある、ということに気付いていないだけだ、と俺は思った。
扶桑社「最後に笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

リーアンはふたたび溜息をついた。悲哀の一歩手前から、絶望の一歩向こうまでのあいだのどこからか漏れたような音だった。
早川書房「殴られてもブルース」スティーヴン・ウォマック/大谷豪見訳

だれかに胸が張り裂けそうな思いをさせるとわかっているとき、眠りはそう簡単に訪れない。
扶桑社「ぬきさしならない依頼」ロバート・クレイス/高橋恭美子訳

(スーザンはバークハーストから夫が死んだと聞かされて)
炉床に座ったバークハーストがキラキラ輝くダイヤモンドのような鋭い硬質の言葉をしゃべっているが、それはたちまち崩れて、ペチャンコになり、ドロドロに溶けて、窓ガラスを伝う雨滴のように流れ落ちてゆく。
早川書房「花嫁は警察署長」シャーリーン・ウィア/青木久恵訳

悲しみというものには、その原因がいろいろあるように、様々な種類がある。私たちが目にする悲しみのほとんどは、政治家や映画スター、あるいは保険の外交員などによって大げさに演じられるもので、それはアスピリンの広告と同じくらいインチキである。だが、ルーシーの悲しみはまったく個人的なものであり、とじられたドアのかげでも、おろされたシェードのかげでも、はずされた電話の受話器のなかでも消えることのない虫歯の痛さと同じで、いつわりもかけひきもない、真の悲しみだった。
早川書房「致命傷」スティーヴン・グリーンリーフ/野中重雄訳

なみだは人間の作る一番小さな海です。
かなしみはいつも外から見送っていたい。
新潮文庫「両手いっぱいの言葉」寺山修司

二人で悲しみを盆栽にして見ているようで、変だね。
福武書店「うたたか/サンクチュアリ」吉本ばなな

 

 

 

素敵にシンプル

私の大大好きな男性歌手は井上陽水、以下大好きなのはさだまさしに矢沢永吉。
女性歌手で大大好きなのは中島みゆき。以下大好きなのは竹内まりやに薬師丸ひろに子に平原綾香に・・・以下7名もいるが紙面の都合により以下略。
女性歌手が多いのは、私が男性だから仕方ないことであろう。

井上陽水の演奏会は何度か行っているが、中島みゆきはたった1回だけ。ここで、自慢じゃないがと云って自慢するが、行ったのは第1回の「夜会」である。
当時私は40歳。それでも胡散臭い目で見られることはなかったが、今、私のようなジジイが行ったら、場違いもいいところ。「アホか」的眼差しで見られることに違いない。だから、せめて映画でもと「劇場版」が上映される時は、絶対になにがなんでも見に行くことにしている。

そこで大発表!!! 私、見ました。映画「中島みゆき 劇場版 ライブ・ヒストリー2007-2016 歌旅~縁会~一会」

上映されたのは「糸・そらふね・ファイト!・誕生・地上の星・空と君のあいだに・時代・倒木者の敗者復活戦・世情・ヘッドライト テールライト・一会・旅人のうた・命の別名・浅い眠り・麦の唄・ジョークにしないか」の15曲。ライブ会場に負けないくらいの5.1chサラウンドの大音響で上映されたのである。

凄い!!! よだれが出そうな選曲・・・ン? これってヒンがない?・・・訂正、とびっきり贅沢三昧な選曲で、演奏会場では、はるかに見える中島みゆきが、なんとまじかにうっとりと見られて、大大満足となる仕掛けになっている。

ステージの後方で三方形で三段に組まれた台上にバンドは集められ、暗闇に包まれた広いステージで、スポトライトが当てられているのは中島みゆきただ一人だけというすっきりした演出。白いシャツ姿の彼女が浮かび上がるという全てシンプルな趣向がいたく気に入って、さすがみゆき!!!とすこぶる感激。

彼女が歌いながら手を上にかかげた時に、スクリーンいっぱいに写し出された手のひらの奇麗なことに胸キュン。
「ファイト」の最後のフレーズで「ファイト」と歌った時の、アップで写しだされた彼女の顔の迫力に胸ドキ。
「世情」の「シュプレヒコール」は、過ぎ去ったあの日が目に浮かび胸ジーン。

今から約60年前の「安保闘争」で大学は閉鎖され、私、ノンポリだったが国会議事堂前のデモに参加した時、その日にデモ隊と警官隊に巻き込まれた東大生の樺美智子さんが亡くなった。
私は、ぶん殴られもせず、逃げおおせたけれど、その時に叫けんだ「安保反対」のシュプレヒコールは、今も耳に残っている。

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて

ほとんどのステージで、彼女の装いは白いシャツかドレスに統一されていて、私、嬉しくってほれぼれ見とれた次第である。
と、云うのは、はるか以前に、アンコールの時の白いシャツにジーパン姿の彼女をテレビで見て以来、どんな豪華絢爛なドレスより、彼女は絶対に白シャツにジーパンが一番よく似合うと思っている。

私「シンプルがベスト」主義だから、スッキリしたステージも、暗闇のなかにスポットライトで浮かぶ演出も、彼女の白いシャツの装いも私の好みにピッタリ。それに彼女の笑顔、可愛くって素敵!!!
ここだけの話だが、私、字の奇麗な女性と手のひらの奇麗な女性に、何故かうっとりする習性がある。

ホクホクして帰った夜、いつも見ているNHKTVの「SONGS」で、なんと「中島みゆきのラストツアー密着ドキュメント初公開と本人からのメッセージ」が放映!!!
中島みゆきのラストツアーの舞台裏を撮影した貴重な映像だが、彼女がバンドのメンバーとスタッフに挨拶する場面や、司会の大泉洋にあてたメッセージを聞いてびっくり仰天。
なんと、40数年前に聞いたオールナイトニッポンの時に聞いたユーモアあふれるアッケラカンとした語り口と同じである。オールナイトニッポン時代から、今や超メジャーとなっている中島みゆきだから、きっと大人っぽくおしとやかな語り口に変身していると思っていたのが、なんと変わっていないなんて・・・ウン、最高である。

忘れっぽいことでは誰にもヒケを取らない私が、40数年前のラジオ番組を忘れていないなんて、我ながら不思議としか言いようがない。

その翌日、NHKFMラジオの12時30分から放送される「歌謡スクランブル」で「中島みゆきの世界」が放送された。この番組は、曲名と歌だけで、余計なナレーションなしの90分。メジャーにはほとんど露出することがない中島みゆきを、映画にテレビにラジオと三拍子そろってドップリ浸ることが出来たなんて、ウン、長生すればイイこともあるのである。