100年の時を超え

北九州市立文学館で竹久夢二生誕140年を記念して「〝かわいい〟のパイオニア 竹久夢二展 大正浪漫のマルチクリエイター」の開会式が7月20日10時から開催され、私、文学館友の会のメンバーでもあるので出席した次第である。

文学館で特別企画展で取り上げられるのは、ほとんどわが街北九州市にかかわる文学関係の人々。
「竹久夢二は画家なのに???」とか、「夢二と北九州市???」とか、疑問符付きで出席したものである。

私、男だから美人大好き。だから竹下夢二の絵大好き。夢二の描く大きな眼にしなやかな身体など、ホレボレ見ている。要するにミーハー。

開会式で、今川英子館長の挨拶を聞いたら2つの「???」がたちまち解消!!!
いつも特別企画展での今川英子館長のお話は、文学にド素人の私にでも、いつも簡潔にしてすこぶるわかりやすく、素晴らしい。

夢二は、当初、詩や絵に添える文章など書いていたそうである。夢二は

「ある時ふと詩の替わりに画で自分の心を語ろうとした。ところが文字よりも線の方が自分の情緒を語るのに的しているように思われた」

恋多き夢二は、親しまれている歌「宵待草」を作詞したり、大正時代に「かわいい」というキャッチコピーを作ったりして、詩人、グラフィックデザイナー、翻訳家、小説家など画家の範疇を超えたマルチクリエイターとのことである。
ウーン、夢二は画家オンリーではなかったんだ。ハイ。

それに夢二は16歳の時、竹久一家は明治33年に岡山県瀬戸内市からわが街北九州市の八幡東区枝光に移転し、1年ほど八幡製鉄所で製図筆工として働いたものの、家出して上京したとのこと。
枝光には遊歩道に「夢二通り」があり、そこに夢二の絵などを掲載した大きな「モニュメント」や「文学碑」、JR枝光駅の駅名表示板には「宵待草」の原画を使っているなど夢二がいっぱい・・・私、ちっとも知らず失礼しました。
ウーン、夢二はチョッピリだけど、わが街北九州市に住んでいたんだ。ハイ。

開会式では北九州市都市ブランド創造局長の井上保之さんなどのご挨拶があり、テープカットのあと学芸員さんの説明で展覧会場を一巡。美人画をはじめ多くのジャンルにわたる夢二の作品をたらふく解説付きで見て回り、大大満足。

11時から夢二研究家として知られる大平直樹さんの「開会記念講話」があった。
大平先生のお話は、いわゆる美術評論家の絵画の専門的な解説ではなく、とってもユニークなお話が散りばめられて、ニコニコ&ニコニコ。
なかでも、一番心に残ったエピソ-ド・・・夢二が結核にかかり、八ケ岳山麓にある富士見高原診療所の文芸仲間である所長に招かれ療養したが、看取る人もなく1934年に亡くなったそうである。享年49歳。

だが、亡くなって3年後に、たまたま診療所が求人募集をして採用した女性が、こまめに働いてくれるので、所長がねぎらいの言葉をかけたところ、夢二が結婚したものの3年後に離婚した〝たまき〟という女性と分かったそうである。〝たまき〟さんは
「夢二が亡くなった場所と聞いて、せめて夢二のお世話をさせて貰っているつもりで来ました」とのこと。
とってもいい話である。

※ 竹久夢二展は9月23日(月・振休)まで開催。
文学館友の会は、私にような文学ド素人でも入会出来ます。いろいろ特典がありますので、どうぞ入会のほど・・・。
北九州市立文学館 電話番号 093-571-1505。

明日を信じて

昨日も今日も、屁理屈的にはちっとも変わりはないけれど、だけどお正月。まずは

明けましておめでとうございます。

私にとって、ひとつ歳を取るっていうのは、人生の残り時間がそれだけ短くなったということでしょ。だから、
「明けましておめでとうございます」なんて言われても・・・なんて、嫌味なことは言わないことにしましょう。なんたってお正月なんですから。

私、今年85歳。75歳の後期高齢者をあたふたしながらもスイスイと過ごし、80歳の末期高齢者をなんとかかんとかスイと過ごして、遂に85歳の終末高齢者となりました。90歳の終了高齢者までヤットコサットコ生き延びても、私、赤ちゃん返りになっているでしょうから、エンエン生き延びるのも問題です。ハイ、ホドホドに生き延びていきます。

ニコニコハートでお正月を迎えた人もいるでしょうけれど、
でも、諸星詩織さんの短歌にあるように

寂しさと貧乏だけがある部屋を お正月がのぞいています

という人もいらしゃると思います。
今、「お正月もへちまもあるか」とうそぶいておられるかもしれませんが、でも、正月ですから、宮脇欣子さんの詩「積木」のように、明日を信じて・・・ね。

積 木

あすの日に
昇る朝日があるように
わたしの未来にも
よろこびの声にめざめる
朝の訪れが必ずくることを信じ
わたしは 今日の日を生きていく
積み重ねては 築きいく
積木のように わたしは

わたしの人生を
一つ一つ力一杯
積み重ねていく
今日という この日を
色づかせながら

あすの日に
咲く花があるように
私の未来にも
幸せの花があざやかに咲き
ほころぶ日の訪れが必ずくることを信じ
わたしは 今日の日を生きていく
踏まれても 踏まれても

芽を出す 雑草のように
私の人生を
一歩一歩力強く
歩いていく
苦しみと手をとり
語りあいながら

※諸星詩織ーー本名 糸満久美子。 1949年沖縄生まれ。詩集「憑かれた口笛」「愛ポポロン」など。
宮脇欣子ーー盲目の詩人。NHK第一放送の「朝のポエム」で「今を生きる」という詩が朗読された。1971年わたぼうし音楽祭で入賞し毎日新聞社賞を受賞した。掲載の詩は詩集「だから お母さん」より。

※このプログの「ご挨拶」のページに、私の近況などを綴った今年の年賀状を掲載しております。ご一読頂けたら幸甚です。

ゴールデンウイークをどうぞ

5月。10連休のゴールデンウイークがスタート。なんと素敵!!!

とっても年寄り私などは365連休だろうから、ゴールデンウイークは関係なかろうと思われるかもしれませんが、とんでもハップン!!!
スマホのスケジュール表で、プライベートを含めると空白な日は3月も4月も三日だけという散々たる有様。

エ? 何?「それってプライベートがほとんどでしょ。イイ年をして遊びすぎ」・・・だって。
ウーン、まあ、花見は4回だけ(弁当付きは2回、すみません)映画は4本のみ、演奏会は1回だけ、その他エトセトラ・エトセトラだけで・・・後は仕事がらみ。

ホントです。これでも私、自治会と老人クラブの会長、老人クラブ連合会の会計&副会長をやっているものだから、年度末と年度初めは会議と行事がいっぱい。

でも、私、84歳の末期高齢者でしょ、「男の死にどき」の真っただ中。そして来年は85歳の終末高齢者となって、天の彼方から「もういいよ」と言われゴールすることになっているそうです。
だから、なけなしの余生を楽しむため、背負い込んでいる3団体は85歳までと断言していますので、それからは夢の365連休となるに違いありません。
ウーン、あといくつゴールデンウイークを迎えられるのでしょうか???・・・トホホホホ。

そう、竹内まりやの「人生の扉」にあるように

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先 いったい 何度見ることになるだろう

4月でようやく仕事のケリはついたし、ここで、わが生涯最後の・・・ではないと念じて・・・ゴールデンウイークを満喫しようと思ったけれど、TVで観光地の様子を見ると、こりゃとっても年寄りの出る幕ではないとガマンがまん我慢の連続!!!

そこで、貴重な10連休を、私の大好きな井上陽水や中島みゆきを聴きながら、ツン読していたミステリー・・・ギリアン・ロバーツの「死体と一緒にヴァケーション」とローレンス・ブロックの「殺しのリスト」に土屋賢二のユーモア・エッセイ「日々是口実」を読破し、録画してある懐かしの洋画・・・「黄色いリボン」や「北北西に進路を取れ」とか「ティファニーで朝食を」など6本をしみじみ楽しむことにしましょう。

そして、井上陽水の「5月の別れ」をどうぞ・・・ネ、これって5月がピッタリでしょ。私の大好きな歌!!!

5月の別れ

風の言葉に諭されながら
別れゆく二人が五月を歩く
木々の若葉は強がりだから
風の行く流れに逆らうばかり

鐘が鳴り花束が目の前で咲きほこり
残された青空が夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる

いつか遊びに行きたいなんて
微笑みを浮かべて五月の別れ
月と鏡はおにあいだから
それぞれにあこがれ 夜空をながめ

星の降る暗がりでレタスの芽がめばえて
眠りから醒めながら夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる

果てしなく星達が訳もなく流れ去り
愛された思い出に夢をひとつだけ
あなたに残してくれる

嗚呼、オリンピック 2

オリンピックがようやく終りました。私、生粋のスポーツダメ男なので、テレビでオリンピック漬けになった訳ではないけれど、まあ、世間の話題についていくために、主な番組をつまみ食いをして「スゲー、スゲー」を乱発して見た次第です。

試合が放映されて、多くの名場面が生まれたんでしょうけれど、その中で心に残った場面が2つあるんです。

女子のスケートボードで金メダル候補だった岡本選手が最後のトライで失敗し泣き崩れた時、なんとすぐさま数人の外国の選手が駆け寄り、彼女を担ぎ上げて歩き出したんですね。すると岡本選手の涙でクシャクシャになった顔が笑顔に代わって・・・私、とっても年寄りなのに胸キュン!!! すっごく素敵なシーンでした。

スケートボードの日本の選手、みんな子どもといってもいい年齢の選手だから、特に可愛いさが目立ったんだろうけれど、皆さん、笑顔&笑顔&笑顔!!!
スケートボード以外の選手の皆さん、日の丸を背負って戦いに挑んでいる人も多いけれど、スケートボードの選手は悲壮感なしの可愛いニコニコ顔。「私の競技良かったでしょ。見てくれた?」と、心から楽しんでいるというのが分かった気がしました。

オリンピックもメダルの数とは関係なく、信じられないような演技を楽しみ、悲壮感なしのニコニコオリンピックになれば、楽しいんだろうなという気がしました。

サッカーの試合で日本がメキシコと対戦して敗れた時、外国で多くの試合を経験している久保選手が、コートの中で崩れこみ人目をばからず号泣したんです。そして、コートから引きあげてもまだ涙を浮かべている久保選手に、レポーターが「それでもあきらめずにゴールを目指していましたね」と言ったら、久保選手、きっとなって
「そんなことを言っても何にもならない、負けは負け」と云いきった場面です。

久保選手の潔い言葉に・・・私、胸うたれました。都合の悪い時は、ごまかしたり他のせいにして弁解することが多い世の中で、久保選手の言葉は心に刺さる気がします。

オリンピック2020は、地震も起こらず台風も来ず猛暑の中選手がバッタバッタ倒れることもなく、選手村でクラスターが発生して他国の選手に汚染が広まることもなく、コロナに罹った外国の選手から東京に汚染が広まることもなく、バンザイばんざい万歳で終わることが出来ました。

逆の現象が起きていたら、オリンピック反対論者から「それ見たことか!!!」と、菅ソーリはケチョンケチョンにやられたことだろうけれど、ホント、菅ソ-リって運がいい・・・ン? そうではなくって、ルールを守った選手の皆さんやその関係者とメディアの方々、それにボランティアの皆さんがSTOPコロナを厳守した賜物なんですね。

月刊誌「文藝春秋」の9月号に、台湾・蔡英文総統の単独インタビューが掲載されていて、冒頭に蔡英文総統が
「日本は、東京オリンピック・パラリンピックが新型コロナの感染拡大により1年の延期が決定し、その後も多くの困難に見舞われました。それらの障害を乗り越え、今年7月に予定通り開催される運びとなったことを、日本の隣人として心からお祝い申し上げます」と話されていました。

そして、金メダルを貰った多くの選手から「オリンピックを開いていただいて有難うございました」という言葉もありました。

私、窮屈な制限された生活を強いられているのに、なぜオリンピックが・・・と思っていましたが、耐え難いような練習を経て生涯をかけてオリンピックに賭けてえきた選手たちと、それを支えてきた人たち、そして選手の活躍を見ようと期待している世界中のウン十万人の人達が、オリンピックが開催されなかった時の落胆を思うと、非常事態宣言下であっても、オリンピックやってよかった思うようになりました。

オリンピック、いろいろ言われたけれど、終わり良ければ総て良しということになるんでしょうね。

夏がくれば

広島の平和記念公園で、原爆投下から76年目になる8月6日に「平和記念式典」が開かれました。

式典で菅ソーリの挨拶がテレビで中継されたので見たんです。いつもながら原稿を読みながらの挨拶だったんだけれど、挨拶文がテレップで流れていたんですね。

ところが、挨拶の途中で、そのッテロップが数秒消えて「エッ?」と思ったけれど、なんと原稿をすっぽかして読んだんだって・・・。

その消えた文章が「核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします」という肝心かなめの文章。ウーン、これって本心じゃなかったで読まなかった・・・と、いう訳ではありません。本当です。単なるミスです。信じて下さい。トホホホ・・・。

でも、NHKのテレビ中継のテレップが流れていたので、テレビを見ていた皆々さまに、チョンボしたことがバレてしまいました。ホント、菅ソーリってついていないですね。お気の毒デス。

長崎でも9日に「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開かれて、菅ソーリの挨拶があったんだけれど、菅ソーリ「過ちは2度と起こしません」と、しっかり原稿を読みました。

無論、その様子がテレビで中継されたんだけれど、NHKって凄いんですね。わがニッポン国の最高権力者に恥をかかせたら悪いと思ったんでしょうね、ほかの方々の挨拶文には全員スーパーが付いていたけれど、菅ソーリはスーパーなし。でも、これって、菅ソーリを信用していないてことになるんじゃない? なんだか菅ソーリに失礼デス。

ところが、今度はしっかり原稿を読んだと安心したんでしょうね。最後は原稿を見ずに、真正面をみて「令和3年8月9日 内閣総理大臣 菅義偉」と云ったんですね。でも、式典で挨拶をされた方は、全員「2021年  令和3年8月9日ーーー」と、全員西暦を付け加えて挨拶をされていました。

菅ソーリは、一番エライ人だから原稿に西暦は省略してあったかもしれないけれど、挨拶された皆さんは西暦付きだから、6日のチョンボがあるので「2021年」をすっぽかしたんだと思ってしまいました。真相を知りたいけれど、チョンボしたなんていう訳ないですね。邪推だったらごめんなさい。

今日は8月15日。終戦記念日です。むかし昔、この日のことを正直に「敗戦記念日」と云っていたそうです。ところが、わがニッポン国のオエライさんが「それじや格好悪いよ」と云うことで「終戦記念日」としたとのこと。

わがニッポン国のオエライさんってアタマがいいんですね。あとウン十年後には、子供たち「敗戦なんてウソ!!! ニッポンが負けたってあり得ない」と云うに違いありません。ウン、歴史は変えられる。

「夢旅人」は毎年この日には、戦争や原爆にちなんだ詩など掲載しています。今年は、NHKの「全日本音楽コンクール」で歌われた合唱曲をご紹介します。

合唱組曲 手紙  坂田江美作詞  坂田三和作曲

夏の日
その日も同じ朝が来た
太陽は熱かった
いつものように
いつもの通りを小路を
港を家々を町を
ひとびとを照らした

郵便屋さんは自転車を
こいでゆきます
お母さんは洗濯ものを干します
電車は路を行き交う
お姉さんは髪をとかします
お兄さんはお弁当をもってかけていく
「いってきます」
「いってらっしゃい」
はとは飛んでいた
空は飛ぶところだから
いつものように きもちよさそうに

 そして光った

夏がくれば思い出す
あの日 手紙は届かなかった
こどもたちも おとなたちも
馬や犬やねこも やさしい人たちがいなくなった

それは写真集でなく
それは白黒のページではなく
あの日は今日もつづいてる
なみだは ひとつづきの塩水だから

青い水の島に
今日も同じ朝が来た