もう今年もあと15日で終わり。平成最後の12月です。そして平成最後の年の7月に、私、他称「目出度くもあり」、自称「目出度くもなし」の80歳になりました。
私は、昭和の代に生まれ平成の代に生きて、次のナントカ年号の代に死すとなる訳で、なんと3代にわたって生きてきたことになるんですね。
大正時代に生まれ、昭和を経て平成と3代にわたって生きている人を見ると、なんだか貴重品的な存在に見えるけれど、私もあと10年も生きていると、
「あの人、昭和の生れだって・・・。まだ、しぶとく生き残っているみたい」と若い人からは、私、とってもジジーだから骨董品的人物に見えるに違いありません。残念!!!
だから、骨董品的存在に見られない内に、さよならしたいと思うけれど、これって神様の思し召しでしょうから、赤ちゃん化して生きていくかもしれません。
そして、他称「目出度くもあり」の80歳になったのに、何故、自称「目出度くもなし」と言うのかというと、80歳になったというのに、アホみたいに忙しかったんです。
手帳をつらつら見ると今年休めた日は、1ケ月最大で9日、10月は5日、11月は6日だけという「お年寄りをいたわりましょう」精神はコレッポチも見られない日々を送っているんですね。
私、老人クラブ会長と、その上部団体の老人クラブ連合会の会計の他に、合唱団「北九州をうたう会」の事務局長も引き受けているでしょ。今年は合唱組曲「北九州」が誕生40周年を迎えるとあって、これの記念事業のために東奔西走$粒粒辛苦・・・。でも、これって身から出たサビ。仕事を引き受けた私が悪いんですね。文句は言えません。
今年1年、時間に追われっぱなしでアタフタ&オタオタしたけれど・・・でもまあ、眠れぬ夜を重ねることはなく、ハッピイな1年だったと言えるかもしれません。
でも、先の見えない時代に泳がされ心凍らせて、谷川俊太郎の詩「絶望」にあるような人もいるに違いありません。
でも、来年は年号も変わります。過ぎ去った日々をリセットして新たな出発の年になりますように・・・。
絶望 谷川俊太郎
絶望していると君は言う
だが君は生きている
絶望が終点ではないと
君のいのちは知っているから
絶望とは裸の生の現実に傷つくこと
世界が錯綜する欲望の網の目に
囚われていると納得すること
絶望からしか
本当の現実は見えない
本当の希望は生まれない
君はいま出発点に立っている
今年もこのプログ「夢旅人」を読んでいただき、ありがとうございます。今年の冬も、温暖化とは関係なくサームクってツメタークなるみたいですが、お元気で良いお年をお迎えください。
来年もというか、来年こそはというか、心に虹をかけ笑顔あふれる年となりますように・・・。
※ 掲載した詩は朝日新聞出版の詩集「こころ」より。